第5部 2話 心配事
午前中、学校に洸の姿は無かった。朝からの様子から、結衣は依頼の調査に行ったのだと、気にせずに普通に授業を受けた。クラスも洸が居ないと結構静かだが、これが日常なのかも知れない。そもそも、洸は学校に来ても寝ている事が多い為、毎日静かと言えば静かなのだ。
昼休みに入り、弁当を広げる結衣は、少しだけ心細かった。いつもは依頼の調査は午前中で終え、昼休みには洸も学校に来ている。だから、少しだけ心細く、食欲も無かった。そんな結衣に、前の席に腰を下ろした洋子が声を掛ける。
「どうした? 今日は元気ないみたいだけど」
「うん。大丈夫だよ」
結衣は心配させない様に、無理に微笑んで見せる。金髪の長い髪を掻き揚げる洋子は、足を組み頬杖を突き小さくため息を漏らす。洋子だってまだ日が浅いと言え、結衣の友達だ。結衣が大丈夫か大丈夫じゃないか位の判別は出来る。
今回の場合は――全く大丈夫ではない。その証拠に下手な作り笑いを浮かべている。少しだけがっかりした洋子だが、心配そうな目で結衣の顔を見て口を開く。
「結衣……。あたし等友達だろ? 悩みがあるなら、相談しろよ」
「だ、大丈夫だよ。本当に……」
沈んだ声の結衣だが、顔だけは笑みを絶やさなかった。そんな結衣に、洋子は深々とため息を吐く。
「はぁ〜……まぁ、結衣がそう言う性格だって言うのは、知ってたけどさ。あんまり、一人で抱え込むなよ。あたしはいつでもあんたの相談に乗るから」
「う、うん。ありがとう」
「いいって。そんかわり、あたしが悩んでる時は相談乗ってね」
洋子は軽く結衣の右頬を左手で触ると、明るく微笑んだ。
その日、結局洸は学校には来なかった。結衣も何度か携帯に電話を掛けたが、繋がらない。洸に何かあったのだろうかと、結衣は更に心配になり午後の授業は全く手につかなかった。
その帰り道。買い物を済ませた結衣は、洸の事を考えながら歩いていた。考えれば考える程、洸の事が心配になり、胸は不安で一杯になる。そして、自然とため息が毀れていた。
「はぁ〜……」
数回目のため息。その直後、背後から声がする。
「これで、十回目」
「――へっ?」
俯いた状態だった結衣は、顔を上げると声を裏返しながら振り返った。
「か、夏帆! い、一体いつから――」
「ほんの少し前……。スーパーから出た所から」
「そ、それって、ほんの少しじゃなくて、大分前だよ……」
「声……掛けようと思ったけど、ため息ばっかり吐いてるから……」
「だからって……」
小さくため息を零す結衣に、「十一回目」と夏帆は呟いた。
「ため息の理由は……洸兄?」
結衣と並んで歩く夏帆は、持っていた荷物を半分持ち、静かに聞く。すると、結衣は分かり易く両肩を落とし俯きかげんになる。それでも、心配させない様に笑顔を作ってみせる結衣は、明るい口調で言う。
「うん。チョットね」
「喧嘩? それとも、今朝の事?」
顔色を変える事無く淡々と聞く夏帆に、少しだけ引き攣った笑みを浮かべた。こういう時、夏帆の凄さを実感する。頭の回転、分析力、そして何より観察力の凄さ。単に結衣が分かり易いだけでは無い。夏帆は、洸の行動・結衣の態度・今の状況全てを分析しているのだ。
その為、少しだけ間を空けてから、確信を突く様に夏帆は言う。
「今日、洸兄学校に来なかったんでしょ?」
「えっ! ど、どうして……」
「結衣姉って、わかりやすいから……」
ボソッと夏帆は呟き俯く。確かに結衣は少し分かり易い性格をしている。だが、夏帆は結衣の背中を見た時から大体の事を予測していた。それが、さっきの反応で確信に変ったのだ。
不安そうな結衣は、引き攣った笑みを見せると、すぐに吐息を漏らし沈んだ声で言う。
「夏帆も分かるでしょ? 洸兄の性格」
「うん……分かるよ。でも……」
「夏帆! 結衣姉! 危ない!」
突如聞こえた俊也の声に結衣と夏帆が振り返る。すると、そこに一人の少年と赤い肌の鬼が見えた。撥ね上がった茶髪に鋭い目。その目に殺気を感じた夏帆は、鬼と少年の間からチラリと見えた俊也を確認してから、結衣の体を右手で押し退けた。
「キャッ!」
突然夏帆に押された結衣は、尻餅を着き声を上げた。だが、顔を上げた結衣は悲鳴に近い叫び声を発する。
「夏帆!」
「うぐっ……」
苦しそうな表情を見せる夏帆は、赤く大きな手の中にいた。全身を締め付けられる夏帆は、表情を引き攣らせ、口角から薄らと血を流す。その夏帆の姿に、結衣は責任を感じた。そんな結衣を見据える少年は、目を軽く細める。
「捕まえたのは、一人だけか……」
残念そうに呟く少年は、右腕のアクセサリーを左手で触りながら、「まぁいいけど」と面倒臭そうに呟いた。
「てめぇ!」
背後から聞こえる俊也の声。怒りが篭った声に、眉間にシワを寄せる少年は、体を横に向けると、開いた左手を真っ直ぐに俊也の方に向けた。その行動に俊也は軽く右目を閉じ、左目を細める。
すると、少年の左手が眩い光を放ち、俊也の目を晦ませると同時に動きを止めた。
「くっ! 野郎!」
目を閉じた俊也がそう叫ぶと、少年の囁きが耳元で聞こえた。
「残念だけど、君達に用はないよ」
「なんだと!」
渾身の力を込め、その声のした方に右拳を突き出す。だが、その拳には何の感触も無く、虚しく空を切っていた。
「くっそ!」
悔しそうな声を上げる。光が消え、視界がようやくよくなった。既に俊也の目の前に少年の姿は無く、後方の随分と離れた所に赤い鬼と並んで立っている。息を荒げる俊也は、目を細めたまま振り返り、少年を睨み付ける。そんな俊也をさげすむ様な目で見据える少年は、ゆっくりとした口調で言う。
「悔しがる事は無い。君は十分強い。けど、僕は更に強い。それだけだ」
「うるせぇ! なら、俺と戦え!」
「残念ながら、僕は君の相手をするほど暇じゃない。そんなに戦いたいなら――閃!」
少年が右手を俊也の方に向けそう叫ぶと、突如空間に裂け目が現れた。この現象を結衣も俊也も見た事がある。そう。これは、鬼がこの世に姿を現すときに出来る空間の割目だった。身構える俊也は、カバンを投げ捨てると、後ろに居る結衣に背を向けたまま言う。
「結衣姉は、ここから離れろ!」
「イヤよ! わ、私も戦う!」
「何言ってんだ! 結衣姉は、鬼と戦う術を持ってないだろ!」
「それでも戦う! 私も、鬼滅屋の一員だもん! それに――夏帆は私のせいで……」
俯く結衣は、拳を握り締め僅かに震わした。背を向けたままの俊也は、結衣の気持ちを分かっていた。だが、それでも結衣を戦わせる訳には行かない。だから、俊也も考えた。どうすれば良いかと。
言葉に詰まる俊也。結衣はそんな俊也の背中を真っ直ぐに見据える。結衣自身気付いていた。自分が足手まといだと、言う事に。だから、俊也がどうして黙っているのかも分かっていた。
「ごめん……シュン。私……」
「――分かったよ」
結衣の言葉を俊也が遮った。突然の事に驚いた結衣は、「へっ?」と妙な声を上げる。すると、「何て声出してんだよ」と、俊也が僅かに笑って見せ、すぐに真剣な表情を作り言い放つ。
「結衣姉は、結で俺のカバーをしてくれ。俺は、徹底的に攻撃に徹するから」
俊也のその言葉にパッと表情を明るくする結衣は、先程よりは明るい口調で返事を返した。
「うん。任せて! シュンの事は絶対傷付けさせないから!」
「んっ? 何かチョット違う気がするけど……。まぁ、頼むよ」
少し照れくさそうな俊也は、右目を軽く閉じ空間の裂け目を睨んだ。そして、ゆっくりと広がる空間の裂け目から、静かに青く大きな手が現れた。
大分遅くなりましたが、ようやく執筆活動を再開しました。
色々と、すみませんでした。
これから、ラストに向って全力で執筆していきたいと思います。
皆様、最後までよろしくお願いします。