第4部 5話 料理
「すまん。結衣!」
帰るなり頭を下げる洸に、結衣は聊か不安そうな表情をする。集会で何かあったのかと、思ったのだろう。頭を下げたままの洸は、結衣が何も言って来ない為、ゆっくりと顔を上げる。結衣の心配そうな表情を目にした洸は、楓を泊める事を切り出し難くなった。悩む洸は、どう切り出すか考えていた。しかし、そんな洸の行動は無駄に終わる。
「どうも〜っ」
「へっ?」
突然洸の背後から現れた楓に、結衣は少々驚いた様で、目を丸くしていた。唖然とする洸は、右手で額を押さえ、深いため息を吐く。結衣は何が何だか分からないと言う感じで、楓の顔をマジマジと見ていた。
「私は、神城 楓。あなたが結衣ちゃんね。話は聞いてるわ。今日から暫くお世話になるわね」
有無を言わさず、楓は話を進める。結衣も楓に圧倒され、何の発言も出来ない様だ。洸の方も呆れて何も言う気になれないらしく、項垂れている。
そんな様子に気付いたのか、奥から弘樹が走ってきた。
「おかえり〜っ! 洸兄!」
元気良く明るい弘樹の声が響くが、すぐに弘樹の激しい足音が止まる。多分、見慣れない人が居たからだろう。いつもは騒がしいはずの弘樹が大人しい。不思議に思う洸と結衣が弘樹の方に視線を送ると、ニコッと笑みを見せた弘樹が、楓を指差し言う。
「お姉さんは、洸兄の彼女さんですか?」
突然の弘樹の言葉に、「ブッ」と、唾を吐く洸は、大慌てで訂正する。
「ち、違う。弘樹。この人は、お兄ちゃんの遠い親戚の――」
「ちょ、ちょっと!」
弘樹に説明する洸を止める楓は、不満そうに洸を睨む。その眼差しに臆す洸は思わず言葉を呑んでしまった。すると、この機を逃すなの言わんばかりの勢いで、楓が弘樹に説明する。
「そうだよ。君の言う通り、私は洸の彼女だよ。よろしくね」
ニコッと優しく微笑む。すると、弘樹も無邪気な笑顔を見せると、反転して楓に背を向けると、廊下の方に走って行き叫ぶ。
「やっぱり、洸兄の彼女なんだって!」
「わっ! ば、馬鹿、こっちに――」
障子の向こうから聞こえた俊也の声に、洸が怒鳴る。
「俊也! てめぇ!」
「うわっ! 弘樹、お前のせいでばれただろ!」
「エーッ! 僕のせいじゃないよ! 千尋が――」
「う〜っ……。あたし…悪く無いもん……うっ…うううっ」
「ほ、ほら、千尋が泣いただろ!」
「うっ…ぼ、僕……うううっ」
「な、何でお前まで泣くんだよ!」
「泣かしちゃった……」
弘樹と千尋の泣き声が障子の向こうから聞こえてくる。そして、俊也の声と夏帆の声も。俊也も夏帆も千尋も、楓の事が気になっていたのだろう。呆れる洸は、肩を落とすと深々とため息を漏らす。
「俊也! お前、弘樹に何させてんだ! それに、夏帆まで……」
眉間にシワを寄せる洸は、右手で額を押さえながら疲れたように息を吐く。そんな洸の言葉に、障子の向こうから夏帆が姿を現し、不満そうな表情を楓の方へと向ける。その目を見据える楓は、いつもの様に微笑みかけた。だが、夏帆は更に目付きを鋭くする。
「もしかして、私嫌われちゃったのかな? 夏帆ちゃん」
「……」
ムスッとした表情の夏帆は、何も言わずにその場を去った。苦笑する洸は、右手の人差し指で米神を押しながら言う。
「気にしないでいいですよ。夏帆はいつもあんな感じですから」
「ふ〜ん。そっか」
明るい返事を返す楓は、気にする様子も無く、堂々と家に上がっていた。この人は遠慮と言うものを知らんのかと、洸は思ったが、それを口にする勇気は無く、静かに家に入った。呆然と立ち尽くす結衣に気付いた洸は、不思議に思い右手で体を揺すり声を掛ける。
「おい。結衣。確りしろよ」
「へっ! う、うん。だ、大丈夫」
「なら良いけどな。とりあえず、暫くの間だから――」
「う、うん。大丈夫。少しの間なら、何とかなるよ」
いつもの様に微笑む結衣だったが、何処かがいつもと違った。だが、今の洸はそれに気付く様子も無く、楓の後を追う様に廊下へと出て行った。洸が部屋から出て行くと、結衣の顔から笑みが消える。複雑そうな表情を見せる結衣は、胸の辺りで右手を握り締めると、何やら辛そうに吐息を吐いた。
そんな結衣の様子に気付いた者が約一名。廊下からその様子を窺っていた。腕組みをするその人物は、小さな声で呟く。
「ここは――私の出番!」
と、小さなガッツポーズを胸の前でする。そして、その場を足早に去っていった。
夕飯の支度をする結衣は、何処か上の空だった。ボンヤリと包丁を握り、コトコトといつもよりも鈍いまな板の音を響かせる。すると、そこに肩に付く程度まで伸ばした茶色混じりの黒髪を、後ろで束ねた夏帆がやって来た。
「結衣姉。手伝うよ」
「ヘッ?」
振り返った結衣は聊か驚いた。いつもは髪を束ねようとしない夏帆が、自ら髪を束ねている。それだけでも驚きだが、あの夏帆が夕飯を作るのを自ら手伝うなんて、天地がひっくり返ってもありえない事なのだ。
先程まで上の空だった結衣だが、突如焦りだし作り笑いをする。
「だ、大丈夫だよ。夏帆ちゃんが手伝わなくても――」
「大丈夫……任せて!」
エプロンを着ける夏帆は、やる気満々の態度を変える様子は無かった。困った表情を見せる結衣は、渋々と夏帆に夕飯の支度を手伝わせる事にした。
「飯だー!」
キッチンから漂う香りに、部屋から飛び出してきた俊也が居間へと駆け抜けて来る。激しい足音と共に居間へとやって来た俊也だが、既に居間には先客が居た。
「……俊也。静かに歩けよ」
「どうも。俊也君」
「ど…どうも……」
軽くお辞儀をする俊也は、右目を何度か軽く閉じる。楓を気にしながらも、いつもの自分の席に腰を据えた。それから少し時間が経過し、千尋と弘樹の二人も居間にやってくる。千尋と弘樹の二人はやってくるなり、楓に「洸兄をよろしくね」と、言っていた。呆れる洸は疲れていたため、否定する気にもならなかった。
大分時間が過ぎ、キッチンから結衣と夏帆が、料理を持って現れる。皆の目の前に置かれるおいしそうな料理の数々に対し、何故か洸の目の前には黒焦げた料理ばかりが並ぶ。
「おい……。何で俺のだけ黒こげなんだ?」
「それ、夏帆が作ったんだよ」
「なっ! か、夏帆がだと!」
結衣の言葉に驚く洸は、自分の目の前に置かれた料理をマジマジと見据える。明らかに食えそうに無いその物体を見据える洸は、苦笑し呆れた様な口調で問う。
「お、おい。ま、まさか、俺はこれだけか?」
「これだけ――不満?」
夏帆が冷ややかな視線を送りながらそう言う。その冷たい眼差しに、ムスッとした表情を見せる洸は、渋々とそれを食べる事にした。一口目を食べた瞬間に、血の気が引く。全身の毛が逆立ち、大量の汗が額から溢れた。あまりの不味さに気を失いそうになった洸だったが、それを持ちこたえ、美味しそうに夕飯を食べる皆の顔を見てため息を零した。