第4部 2話 集会
日曜――。
浮かない顔の結衣は、テーブルの前で頬杖を付いていた。既に朝食は食べ終わり、後片付けも終えた為、結衣は休憩をとっていたのだ。しかし、いつもと違い、結衣は何度もため息を零していた。
黙々と辞書に目を通す夏帆は、結衣の方に何度か目を向ける。現在、家には結衣と夏帆の二人しかいない。その為、静かで結衣のため息が大きく聞こえる。
「はぁ〜っ……」
今日、十数回目のため息に、流石の夏帆も口を開いた。
「洸兄が心配?」
「へっ!」
突然の事に驚く結衣は、「そ、そんな事無いよ」と無理に作り笑いを浮かべる。その作り笑いが、心配していると言っている証拠だった。静かに辞書を閉じる夏帆は、ふと思い出した様な口振りで言う。
「五年振りだよ……。洸兄が集会に行ったの」
「そ、そうだね……」
少し落ち着かない様子の結衣に、夏帆は不自然さを感じるが、気にせず話を進める。
「そう言えば……五年前は結衣姉も一緒に行ったよね?」
「う、うん。そうだよ」
「集会って、どんな感じ?」
「う〜ん……。ふ、普通かな?」
結衣はそう言ってもう一度作り笑いを浮かべる。
滅破の集会は、結衣にとって良い思い出では無い。正直、結衣はもう二度と行きたくないし、思い出すだけで胸が苦しくなる。それに、五年前はまだ十歳だった為、その集会の場の雰囲気に怯える事しか出来なかった。
各地から集まった力のある滅破の中には、殺気を漂わす者もおり、殺されるんじゃないかと錯覚した事もあった。洸も二度と行きたくないと、漏らしていたが、今回は必ず全員集合との事だ。それで、仕方なく洸は集会に出掛けたのだ。
そんな洸が心配で、結衣は家事など上の空になっていた。だが、夏帆が結衣に代わって家事をこなしている為、何の支障も無く事は進んでいた。
和風の建物の敷居に足を踏み入れた守。ここが、滅破の集会場だ。前回来た時もここでだったが、随分と風代わりしている。だが、異様な空気だけは変わっていない。広い敷地に大きな建物。そして、不気味な殺気を待とう黒いスーツの男女が複数いる。集会は黒服でと決まっているのだ。それがなぜかはわからないが、古くからの決まりらしい。
無数の視線を浴びながら、建物の中へと入っていった洸は、立ち込める殺気に吐き気を催す。だが、それに耐えながら洸は奥へと足を進める。そこには、数名の男女がいた。若い者、年老いた者、それぞれだが、皆、鋭い眼光で洸を睨んでいる。
そんな視線を気にせず、洸は一礼し自分の席へと向う。それぞれ、席が決まっており、誰が欠席しているのかすぐにわかる様になっている。洸の席はこの五年ずっと空席になっていた。その為、今回は電話があったのだろう。
静かに息を吐きつつ、席に座る。すると、隣りの席の老いぼれた男が掠れた声を掛ける。
「若造。随分と久方ぶりじゃのぅ。何年ぶりじゃ?」
「お久し振りです……。集会に来るのは、五年ぶりです……」
「五年ぶりかのぅ……。しかし、若い責任者じゃな」
「そう……ですね。よく言われます」
冷静にそう対処する洸は、全く老人の方を見ようとしない。正直、集会に集まる者と洸は馴れ合いたくなかった。五年前に随分な言われ方をしたからだ。その事を、今ここにいる者達は既に忘れているだろう。
老人の話を聞き流しつつ、洸は周りの連中を観察していた。明らかに、洸よりも能力の上の連中ばかりだ。その内、最も力がずば抜けているのが、向かいの右から三番目に座る男。切れ長の鋭い目に、スッと伸びた顎。茶色の髪を長く伸ばし、顔の右半分が前髪で隠れている。口に咥えられたタバコからは、薄らと白煙が上がっていた。
そんな時だ。風を切る音と共に、洸の前に一人の少年が現れた。短い金髪の頭に、鋭い切れ長の目、キリッと長い眉に眉間にシワが寄る。そして、右手に持った木刀が鋭く洸の首へと振り抜かれた。
ガッと、鈍い音が静かな場に響く。ほんの一瞬の出来事で、周りは騒然としている。
「――何のマネだ」
右手で木刀を受け止める洸が、少年を鋭く睨む。少年の方も負けじと洸を睨み返す。睨み合う二人を止めたのは、ある女性の声だった。
「神村様。守屋様。集会場での争い事は控えてください」
「フッ……。今のが真剣だったら、お前の首はその手と一緒に真っ二つだ」
それだけ言い残しその少年は去っていく。少年の後ろ姿を睨む洸に、隣りの老人が静かに口を開く。
「若造。あやつには手を出さん方が身の為じゃ」
ここで、初めて洸は老人の方へと顔を向けた。
「何でだ」
「お主、知らぬのか? あやつは守屋 漸次。守屋家の次男坊で、若干十五歳で滅を極めた天才中の天才じゃ。あやつは既に滅破の中でも五番目の実力者じゃろう。お主では到底足元にも及ばん」
「んなの、やってみねぇとわかんねぇだろ!」
洸は老人に対しそんな言葉を言い退けると、老人は静かに洸の目を見て答える。
「解るさ……。何せ、あやつはワシの孫じゃからな」
「――!」
驚愕する洸に対し、不適な笑みを見せる老人。そして、先程の女性の声が話を進める。
「えぇ〜っ。今回集まってもらったのは、守屋家当主の座が、守屋家次男、守屋 漸次様に移りますので、その顔見せと言う事になります。お忙しい中、本当に申し訳ございません」
驚く洸は、声のする方に顔を向け、更なる驚きを味わう事になった。その守屋 漸次の横に立っていたのは、金成の秘書、雨森 霞だった。眼鏡は掛けていないものの、オレンジブランのロングヘアーにあの顔立ち、何より左目の下の小さなホクロを洸は覚えていた。背丈、顔付き、声、どれをとっても金成の秘書で間違いない。
驚きを隠せない洸の方に、雨森が顔を向けニコリと微笑む。頭の中が真っ白になる洸は、一体何がどうなっているのかわからなくなった。そんな洸を尻目に、話は進みいつしか集会は終わりを迎えていた。
「それでは、お忙しい中、まことにありがとうございました。また、集会のある時は連絡差し上げますので」
ニコヤカな笑みで滅破の面々を見送る雨森。だが、洸一人だけが集会場に残ってしまった。呆然と椅子に座り込み、動こうとしない洸に不適に笑みを浮かべる雨森は、静かに歩み寄り声を掛ける。
「驚かれている様ですね? どうかなさりましたか?」
人を馬鹿にした様な口調。いつもの洸ならすぐに怒鳴るが、そうしなかった。まだ頭が働いていないのだ。
「私も滅破のメンバーなんですよ。この前は、チョットした潜入捜査。まぁ、あなたの力量を計るのも目的だったんですけど……」
右手の人差し指だけを立て、笑顔の横で軽く振る雨森は、一瞬にして落胆の表情を見せると、ため息混じりに言う。
「でも、残念です。あの人が育てた滅破が――こんなにも弱いだなんて……。まぁ、あの人も所詮は落ち毀れ――」
笑みを見せる雨森に、突如洸の右手が伸びた。伸びた洸の右手は雨森の胸倉を掴んでおり、洸は静かに椅子から立ち上がると、雨森の顔に顔を近づけ鋭い眼差しを向け、言い放つ。
「あんたが誰か何て興味はねぇし、俺の事をどうこう言うのも構わねぇ。だがな、俺達の先生の事を悪く言う事だけはゆるさねぇ! いいか! 次いえば、今すぐ滅を顔にぶち込んでやるからな」
ただならぬ殺気。
そして、右手から発する氣の強さ。
これが、脅しでなく本気なのだと言う証拠だった。その為、雨森はそれ以上何も言わなかった。いや、言う事が出来なかった。雨森は、こんなに恐怖を感じ、死を覚悟したのは、この日が初めてだった。