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第60話 策謀は舞台の光の陰に隠れて

 アーシェスタス家で行われた舞台の幕は下りた。

足早に領主の邸宅から去る僕を引き留めるものはいなかった。


滞在する宿は、リヴェリナ特使の怒りを示すかのように物々しい警備体制が敷かれることになる。

僕自身も、3日間ほど外にも出ずに部屋に引きこもった。


 ある日の早朝。

人気のない街へ、僕はこっそりと宿を抜け出す。


朝もやのかかった街路の見通しは悪く、フードを被ればすれ違いでも誰かも分からない、日も顔を出さない時刻。


僕を導くものがある。

街中に吹く風には、僕が知る匂いが混じっていた。

その香りを辿るように、僕は導きの糸を手繰る。


 やがて、僕はひとつの路地にたどり着いた。

それは、舞台の光に照らされない者たちが使うまるで舞台袖のような道。

街中にあるのに、不自然なほどに人気(ひとけ)が感じられない細い道。

風と香りは、確かにそこに繋がっている。

僕は迷わずそちらに踏み込んでいった。


しばらく歩くと、突き当りに至る。

どこにも通じない、袋小路。

乾いた荒野の空気が吹き溜まりになっている、一人分の空間。

だが、手繰り寄せた風はここにある。


 僕は、地面にしゃがみ込んで、地面をまず2回叩いた。

何も返ってこない。

ややあってから、今度は足でトントントンとリズムを刻むように叩く。

その後、一歩下がって静かに待つ。


 1分ほど経った頃だろうか。

地面の下から、ズッ……と音がして、何者かが顔を出した。


「どんな脚本だった?」


「カエルが蛇を平らげた。」


 周りに誰も気配がないことを確認しながら、短く答えた。

合言葉は正しく伝わったらしい。

穴から現れた男は、僕の顔をしていた。


「下で既にお待ちです。」


 へえ、凄いな。声も僕と同じだ。

ここまで一緒だと、くすぐったくなるね。


「サリティさんには?」


「事前に伝えてあります。この後は、しばらくサリと行動をします。」


「わかった。彼女によろしく。」


「お気をつけて。」


 僕は短く言葉を交わしたのち、穴の中に身を投じた。

穴は大人3人分くらいの深さで、石造りの頑丈な作りをしている。

底には横穴が続いており、暗闇の奥へと伸びている。

迷うことはない。僕はそちらへ進んだ。


途中でいくつかの分岐があったが、分岐のたびに指定された箇所を指でなぞれば、そこだけに刻まれた細い溝が触覚に返ってくる。

見た目では分からない、古い時代の『暗号』だ。

この感触と、事前に打合せていた数を符合していけばよい。


仕組みとしては単純だが、それだけに効果的だ。

曲がり角に突き当たるたびに、壁に手を当てて溝の数を数えて曲がる。


そして、指定回数の曲がり角の先に、その扉はあった。

僕は固有術式を発動し、温度を視る。

扉の先に二人分の体温。

シルエットからしても、目的の場所に間違いない。

迷わず扉を開けた。


「特使様。」


「アルトゥスでいいよ。」


 僕は片手を軽く挙げ、立派な髭の御仁に応える。

彼は念入りに僕の背後に光をかざし、そっと扉を閉じた。


僕の到着を待っていたのは2人の男たち。

一人は、先日表舞台で主演を務めていた脚本家――グランバル氏。

もう一人は今しがた僕を迎えてくれた。

そして、当然ながら全てを理解している男――グスマン議員。


「随分立派な地下道を作ったものだね。」


「先々代の大事な贈り物です。

帝国と戦ってた頃、これで内側に入り込んだ帝国兵を暗殺して回り、アーシェスタの占領を断念させたと伝わっております。」


「街に帝国兵を招き入れたってこと?」


「その頃のアーシェスタは砦でしたからね。誘引殲滅戦として有名な戦いでした。」


 なるほど。

だからこそ、通路は立派なのに、人一人が通れる幅しかない。

もし隠し通路の存在を看破されても味方の損害は少なく、追手を差し向けにくい。


当時の帝国兵は占領した砦を足掛かりにしようとしたのに、背後を強襲され、補給線も断たれ、さぞ苦しんだだろう。


 アーシェスタの街の足元に張り巡らされた巣のような穴。

少しだけ湿り気を帯びた空気と、灯されたランプの薄明かり。

そして、至る所にある控室。


舞台袖は観客に見せる必要がない。

だからこそ、評論家も気づけない。

帝国を欺いた歴史あるこの場所で、僕たちは昼間の公演の観客たちを欺くために動き出す。


いや、観客じゃない。

知らずに舞台に上がっていた役者気取りかな?


「……これが現状じゃ。」


 グスマンさんは、無造作に一冊の名簿を机の上へ投げた。

紙束が散らばり、数名の名前に赤いバツ印がついているのが見えた。

グランバル氏は何も言わずに散らばる紙も素早くまとめてざっと見渡していく。

バツ印のついた議員達の名前を見ても彼の反応は冷静そのものだ。


「概ね想定通りといったところか。」


「元々大した忠誠心は見られんかったしな。」


 ふんっと鼻を鳴らし、軽蔑を隠そうともしない吐き捨て方だった。

だが、続く言葉の色はまるで違った。


「ただ、残念なことに……新しい脚本家のオーディションに走った者たちもいる。」


 その声には、怒りよりも深い悲しみが滲み出ていた。


舞台の光が強すぎて、真実を見失った者たち。

役者すら欺く迫真の演出に、本気で絶望した者たち。

そして、端からアーシェスタス家の『空白』を抉じ開けるつもりで、黒幕に尻尾を振っていた者たち。


彼らは既にアーシェスタから去っていた。

いまアーシェスタの街に残っている観客たち。

それは、舞台の光にも影にも惑わされなかった者たちだけだ。


「……残った者たちには、すでにこの茶番の真意を伝えてある。

その上で、今後もアーシェスタス家を支えていくことに異論はないそうだ。」


 グスマンさんが続ける。

残ったものとは、この3日間のうちでグスマンさんが声をかけるまでもなく、自らかん口令を敷き、事態のこれ以上の悪化を防いだ議員達だ。


彼らはグランバル氏不在の状況でも、腐らず奔走していたと聞く。

中には、僕に書面で執成しを直訴してきた議員もいる。

文面からは、なんとかメイキドルアそのものと民には被害が及ばぬよう、慈悲を請うというなりふり構わぬ必死さを感じた。


「ありがたいことだ。」


 グランバル氏は静かに頷いた。

だが、グスマンさんはこの反応に素早く釘を刺す。


「勘違いするでないぞ、グランバル。

そもそも欺かれていたこと自体には、皆正直怒りを感じておる。

何故相談してくれなかったのだ、とな。


彼らが残ったのは、アーシェスタス家への忠義だけではない。

あくまでもメイキドルア領、そして無辜の民のためじゃ。」


「何よりじゃないか。

お前の言う、メイキドルアの民はアーシェスタス家の名に着いてきているというのも眉唾だったしな。」


「民はアーシェスタス家。

いや、グランバル=アーシェスタスの名にまとまっておる。」


「議員も民だろ。お前もまた、な?」


 ぬかせ。とグスマンさんは吐き捨てる。

でも、その吐き捨てている言葉の中に、確かなグランバル氏への敬愛を感じる。

少なくとも、彼にとって、メイキドルアとはグランバル氏の統治あってこそのものという意志は固いだろう。


不器用な人だね。

僕は心の中で静かに笑う。

グランバル氏は、そっぽを向いてあきれ顔を浮かべるグスマンさんを見て、苦笑ともつかない表情を浮かべていた。


「さて、次の動きじゃ。」


 一度咳ばらいをしてから、グスマンさんがちらりと片目で僕に視線を送る。

分かっている。

脚本において最も大事なシナリオは終わってはいる。

だが、芝居そのものは終わっていない。


そう、あの舞台で宣言したように、僕はアーシェスタを去らなければならないんだ。

僕に恥をかかせた『罪人』を連れてね。


「アルトゥス殿は、早めにリヴェリナへ向かってもらうことにしましょう。

もちろん、カドヴィ、奥方様。……そして、『グランバル様』を連れてな。」


 ことさら強調するように、グランバル氏の名前を呼ぶ。

その意図は汲み取っている。僕は小さく頷いた。


「アルトゥス殿はヴァルエルナのトルマド殿と親交があると聞き及んでおります。

今回の件は?」


「早馬で知らせてあるよ。

今日にもヴァルエルナの護送兵団が到着するはずだ。

そのまま、しばらくミリアルデ家に滞在させてもらうことは了承済み。

で、僕はそこからリヴェリナに書簡を送って使節団を呼ぶ。」


「名目はどうなさいますか?」


「特使が滞在する領地で、僕が特に交友関係を築けた有力者をリヴェリナに招待したい。

そのお迎えをお願いする。

……という形でいこうかな。」


 グスマンさんは満足げに頷いた。

その頷きには、政治家としての計算と、長年の友を守るための覚悟が同居している。


「良い名目かと。実際に奥方様方をリヴェリナへ入国はさせますか?」


「相手次第じゃない?」


 これ見よがしに肩をすくめて応える。

実際、こればかりは相手の動き次第でしかない。


「グランバル氏の予測じゃ、僕らの出立に併せて兵を動かしてくると見ているんでしょ?」


「あれも機を見る力は()()()()()。」


 グランバル氏は、ニヤリと笑みを浮かべてそういった。

ことさら過去形を強調するその声音には、かつての評価を切り捨てる冷たさと確信が込められていた。


「もしかすると、念には念を入れる可能性はありますが、それでも雷光戦を想定しているでしょう。」


「雷光戦……。乾坤一擲の速攻か。」


「ええ。奴は上手くいっているという流れに身を委ねて勝ってきた。

全てが上手くいっている以上、流れに身を任せるのはわかっています。」


「うまく行き過ぎていることに何か疑問を感じる可能性は?」


 僕の懸念をグランバル氏は首を振って否定した。


「風が吹いていることも気づいておらぬようです。」


 その声音には、呆れと侮蔑が半々に混じっていた。

まるで端役を主役と思い込み、増長する見習いを見るような表情を浮かべる。


「あまりの鈍感さに罠を疑っていましたが、内情を探ってわかりました。

奴は、情報を得る手段をじりじりと失っています。」


 グランバル氏はそう言って一枚の紙片を僕に手渡してきた。

そこには、数字だけが書かれていた。

いくつもの数字に対して、斜線が引かれている。


会話の流れからいって、黒幕の諜報員の数だろう。

まったく、何が失っているだよ。

君らが排除してきたといったほうが正解じゃないか?


「原因も分かっております。

……思いのほか、アルトゥス様の埋伏の毒が奴に効いています。」


 そんな僕のあきれ顔に対して、彼はあなたも関わってますよといった風な意地の悪い表情を向けてきた。

ちょっと、どういうこと。


「埋伏の毒?」


 そもそも僕が黒幕の存在について正確に知ったのは最近のことだ。

その頃、僕自身が動いて何かを行った記憶はほとんどないんだけどな。


「最初の野盗による襲撃のことです。」


 記憶がないとは言わせまいと、グランバル氏は断言するようにそういった。

最初の襲撃。

僕がメイキドルア領に入った直後、お粗末な盗賊たちが襲いかかってきた、あの出来事だ。


「あの時、密かに現場から去ろうとした密偵を排除したと仰っておりましたね。

実は、その正体。

奴にとって切り札ともいえる大切な『瞳』だったようですな。

おかげで奴は、この戦いで目を封じられました。何より……。」


 グランバル氏はぐいっと身を乗り出して声を潜める。


「その『瞳』は、ムッセタリアにとっても大事な客人。

……つまり、帝国にとって大切な存在だったそうです。」


「……へぇ。」


 そこまで意図していなかったとはいえ、当初から情報を持ち帰らせないという方針で動いていたこと。

それが、思わぬ敵の大事なものを奪っていたらしい。


こちらは知り、相手は知ることができない。

情報を制するということ。

それは、こちらだけが常に選ぶことができるという圧倒的な優位を生む。


僕らも敵も、その大事さを理解している。

故に、最初の襲撃で、何一つ持ち帰らせないという毒による目つぶし。

その毒は、静かに、しかし確実に敵の全身を巡り、安全地帯にいるはずだった敵の視界そのものを奪い去った。


直接手を下すことはなく、ただ手を伸ばすだけで情報と優位を得られると思っていた者たち。

搾取するだけのつもりだったものが、いつの間にか闇に沈んでいたのだ。

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