第58話 折れたおもちゃの旗
縛り上げられたカドヴィくんは、会議室中央に座らされていた。
議員たちの視線は冷たい。
同情も、怒りも、軽蔑すらない。
ただ愚かな罪人を見る目だけがそこにあった。
僕は彼の前に座り込んだ。
抵抗の色を宿したその目は、今となってはただ痛ましい。
「これより、国家反逆罪容疑者。
カドヴィ=アーシェスタスへの尋問を開始する。」
僕がそう告げると、カドヴィくんの肩がびくりと震えた。
「な、なんで俺が……!」
抗議の声をあげる彼のことを、議員の一人が鼻で笑う。
この期に及んで強気な彼に対して、強い憤りが含まれていた。
もう誰も、彼を領主の息子として扱っていない。
「まず確認する。
先に拘束されていた、国家反逆罪を犯して牢に入れられているレシクと接触したな?」
「……っ!」
カドヴィくんの顔が強張る。
言い返そうと口を開いたが、そこから声を発することはできなかった。
僕の背後から突き刺さる議員たちの冷たい視線が、彼の喉を締め上げているのだ。
「答えろ。」
でも、僕は容赦しないよ。
君はまだ舞台の上でしっかりと踊り切ってもらわないといけないんだから。
「……牢の衛兵を……買収した。レシクと……話した。」
絞り出すような自供に、会議室がざわつく。
増幅される憎しみ、侮り、嘲り。
負の感情が室内に満ち満ちていく。
「なんだ!それがどうしたっていうんだ!
生来の友に会うだけだ!何が悪い!」
それらを吹き飛ばそうとカドヴィくんは叫んだ。
だが、空気は一向に晴れない。
グランバル氏は目を閉じ、深く息を吐いた。
その失望の色は、こちらが演じていることを忘れそうになるほど濃い。
「牢の衛兵の買収は贈賄。
犯罪者との接触は犯人隠避。
彼の言い分を鵜呑みにして信じて行動している時点で偽証も追加かな。」
僕もため息をついて指折り、彼の罪を数えていく。
「で、彼から何を聞いたの?」
「お、俺は……!レシクから……あんたのことを……!」
カドヴィくんは僕を睨む。
その目には、まだ自分は正しいという愚かな確信が残っていた。
「野盗に襲われた時……あんたは手際よく撃退したって……!
武器も押収してたって……!
あんたはただの特使だろう?
戦士ですらない。だから、怪しいと思ったんだ!」
議員たちがざわめく。
なんだそれは!とグランバル氏に詰め寄る者まで現れ、会議室は一気に騒然とした。
矢継ぎ早に飛び出す詰問。
「アルトゥス様が襲撃されていたとは聞いていないぞ」
「なぜ隠していたんだ」
そんな声が後ろで飛び交う。
僕はその喧騒を一瞥し、再びカドヴィくんへ視線を戻した。
「……カドヴィ、これを見て何も思わないのか?」
「な、なにがだよ!
レシクはいろいろ知っているんだ!
みんなが知らないことを知っていたって普通だろう!?」
もう、本当に嫌だ。
グランバル氏は議員にすら情報を漏らさないよう徹底していた。
つまり、なんでそんな重要な情報を従者が知っているのか。
なんで森で共に生活していたはずのレシクの元に情報が集まっているのか。
そこに疑問を抱くという最低限の思考すら働いていない。
ただ、昔からそういったことに詳しいから信じられるんだという理由。
それだけで、正義の旗を振り回していたようだ。
僕は眩暈すら覚えてしまった。
「はあ、もういい。では次だ。
レシクはどうやってその情報を知った?」
「そんなこと、知らない!俺は興味ない!」
……興味がない、か。
いや、まだあきらめないぞ。
「……質問を変える。
レシクはどうやってリヴェリナの武器を手に入れたんだ?」
「そ、それは……!
メイキドルアの将来を憂う有志からもらったと……レシクが……!」
「入手ルートは?
リヴェリナは大国だぞ?
正規武器の入手なんて、普通不可能だ。
つまり、後ろ暗いルートがある。そう考えなかったのか?」
「それ……は……。」
「レシクが持ってきたから疑わなかった、か?」
「……っ」
僕は冷笑を浮かべた。
「……自分で考える頭を置いてきてしまったようだな。」
僕はポンと彼の肩を軽く叩き、突き放すように言った。
「よくそれで正義を語れたものだ。
君の言う正しさを、君自身が理解しないまま、責任も取らずに振り回していたというのに。」
蔑む強い言葉。
その迫力に議員たちが小さく息を呑む。
カドヴィくんの顔が赤くなり、次に青くなる。
高らかに振りかざした正義の旗。
しかしその旗印に描かれる構図を。
正義の根拠を。
自分が何ひとつ持っていなかったことにようやく気づいたのだ。
彼は俯き、ぶるぶると震え始める。
その姿は、正義を他人の意見に委ねた愚かなヒーローごっこに興じた子供の末路そのものだった。
何より哀れなのは、既に彼が子供ではないこと。
責任を負うべき立場に立っていること。
それが、今の冗談では通じない状況を作り出している。
しばしの沈黙が室内を包む。その時だった。
「報告!レシクが……脱走しました!!」
「な……っ」
衛兵が駆け込んできた。議員たちが絶句する。
会議室が再度喧騒に包まれる。
そんな中、明らかに様子がおかしい人物がひとり。
カドヴィくんの顔から血の気が引いた。
汗がだらだらと流れ落ちる。
「見張りをしていた兵士によりますと、カドヴィ様が牢にきて、話をすることをグランバル様から許可されたと。
そういって、面会許可証を提示されましたということで……。
先ほど改めて牢を確認したところ……。」
そういって、駆け込んできた衛兵がチラチラとカドヴィくんの様子を伺っている。
これは暗に、最後に面会があったのはカドヴィだという告発だ。
当のカドヴィくんは、歯をガチガチと鳴らしながら、全身を硬直させていた。
「……カドヴィ。レシクをどうした?」
僕が一歩近づくと、カドヴィくんは椅子ごと後ずさった。
「だって……違う……ぼくは……。」
ぼく、か。
追い詰められすぎて、思考が子どもの防衛反応になってしまった。
「レシクをどうした。カドヴィ=アーシェスタス!」
僕は怒気を込めて命じる。
その声に、カドヴィくんの肩が跳ねる。
もう、まともな思考ができていない。
責任を負うという概念すら理解できず、ただ叱られる子どものように怯えている。
「れ、レシクは……無罪を主張していた……!
この件で名誉を挽回できると思って……!
だ、だから……解放した……!」
とんでもない行動に、議員たちが一斉にどよめいた。
支離滅裂だ。
正義を語っていた頃の彼はもういない。
そこにいるのは、自分の判断の重さに耐えられず、現実から逃げようとしている子どもだった。
……いや、違う。
いなくなったんじゃない。
元に戻っただけなんだ。
この子は、正義を纏って大人ぶっていただけで、中身は最初から未熟なままここまで辿り着いてしまったんだ。
友の言葉を正義だと信じ込み、己が立場の強い『アーシェスタス家の子息』という強大な御旗を、責任の意味も知らずに振り回していた。
彼の語る正義は、アーシェスタス家という強い支柱に支えられていたにすぎない。
その支柱すら折れた。
いや、彼自身の手で折ったのだ。
支えを失った薄っぺらい正義だけが描かれた旗は、地に落ち、泥にまみれた。
残ったのは、ただの怯えた子ども。
僕はそんな彼の姿に、怒りよりも深い虚しさを覚えた。
「隣国特使の殺害未遂を企てた者を解放した。……罪はさらに重くなるね。」
「ち、違う!」
「何も違わないよ。
君は犯罪者を独断で逃がしたんだ。
君の意志で。君の信念で。」
そして僕は穏やかに笑って突き落とす。
「君の浅慮で。」
そう、だから君は責任を負わなければならない。
君が犯した過ちは、そういった類いのものなんだ。
「違う……違う……。
こんなことになるとは思わなかった!そもそもお前が――!」
ここまで言っても、君は僕のせいにするんだね。
確かに僕がこなければ、こんなことにはならなかったかもしれないよ。
でもね、それは言い訳にもならない。
君は僕がどんな人かを自分で調べる権力も、方法もあったんだ。
そして、そういう立場にある者へ害意を向ける危険性を理解し、慎重に行動しなければならない立場でもあった。
君はアーシェスタス家の子息としての責任を理解しなかった。
僕は隣国の特使としての責任を理解している。
だからこそ、容赦はしない。
「では、それを母上と兄上に主張するといい。
こんなことになっていることも知らずに、裁かれることになってしまった彼らに。
君の思い込みを正そうと、ずっと言葉をかけ続けていた、『大切な家族』に。」
僕は告げる。
憎まれるために被った演者の仮面。
そこに、少々の本音を交えて。
あえて、最も残酷な言葉を選んで。
君の信じた正義に、何も知らずに巻き込まれる人間がいるという現実を。
大切な家族が巻き込まれたという、気づきたくない真実を突きつけるために。
「……っ!」
カドヴィくんの顔が絶望に染まる。
僕を見る目が畏れに染まる。
まるで化け者を目の前にした子供じゃないか。
でも、その反応は正しいよ。
知らなかったなんて通じないんだよ。
彼が挑んだもの。
それは国家という、ある意味言葉が通じない巨大な怪物なんだから。
彼は助けを求めるよう周囲を見渡した。
だが、誰も目を合わせない。
もう、誰も彼を見ていない。
議員たちはグランバル氏に責任の所在を詰め寄る。
グランバル氏はぐっと目を閉じ、それに耐える。
僕も彼に背中を向ける。
誰も彼を見ていない。
この会議室にいる誰もが、彼のことを見ない。
追い詰められた彼は、とうとう自分を拘束している衛兵にすがるような目を向けた。
その時、その衛兵が俯いて小さく呟いた。
「……アーシェスタスは終わりだ。」
光を失った瞳。
絞り出されたその言葉。
絶望と失望。
そして諦めと憎しみが込められていた。
カドヴィくんは息を呑んだ。
助けを求めた相手の目に宿っていたのは、深い怒りだった。
それを見て、彼はようやく理解したようだ。
自分が踏みつけたのは、国家という竜の尾だったことを。
そして、その竜はアーシェスタスの威光を一顧だにせず、殴り返してくるバケモノだということを。
誰もが、自分の正義だと信じた行為の愚かさに絶望している。
さらに、竜の牙はもっとも大切なものに向けられている。
そう、彼の一番守りたかったはずの『アーシェスタス家』 に。
国家という竜は、家名の重さも、血筋の誇りも知らない。
ただ、踏まれた尾の痛みに反応するだけだ。
そこに真実と正義は存在しない。
関係ない。
あるのは、ただひとつの『事実』。
カドヴィくんが、竜の尾を踏んだという事実。
そして竜は、踏まれた痛みに応じて殴り返すという事実。
その冷徹な『事実』という竜の影の巨大さは、カドヴィくんの心を完全に折るには十分だった。




