第51話 僕は凡人のエルフ アルトゥス=ヴァイツェ
「この雨は――森の樹が降らせていたんだ。」
僕の言葉に、3人はしばし呆然と立ち尽くした。
雨が止んだばかりの森は、しっとりとした静けさに包まれている。
葉の先から落ちる雫が、ぽたり、ぽたりと地面に吸い込まれていく。
森の水はけのよい土は、その水を喜びをもって飲みほしているようにも見えた。
「樹が……降らせていた……?
い、いえ。確かに植物の中には多くの水分を含むものもあるでしょう。
しかし、ですが……」
アイゼンくんが、信じられないというように呟く。
ミランゼさんは、根元に触れたまま目を細めた。
「雨と見まごうほどの大量の水を撒く理由と、その力が信じられない。
アイゼンさんはそうおっしゃりたいのですわね?」
「その通りです。なぜそんなことを?理由がまるでわかりません。
何故そんな環境にとって都合の良い生態をしているというのですか?
まるで森を育てているみたいではないですか。」
いや、本当にその通りだよ。実に都合がいい。
この雨を降らせる樹が存在することで、森の中に縦方向の水の循環が生まれている。
これによって利益を得られるのは、その下にいる背の低い草木たちだ。
見方によっては、これは育てているようにしか見えない。
だとしたら、理由がわからなくなる。
……そう、だとしたら、だけどね。
「確かに、都合の良い生態だと思います。
……前提が『水を分け与えているため』だとしたらですが。」
「なっ!?つまり、彼らは森を育てているわけではないと?」
流石ミランゼさん。
アイゼンくんの前提の誤りにすぐ気づいたようだ。
彼女の専門分野の視点が鋭く働いている。
「ええ。順序が逆ですわ。
ここからは推察になりますが、よろしくって?」
そう言って僕に視線を送った。
もちろん、聞かせて欲しい。
彼女なりに導き出した答えがあるのなら、なおさらだ。
僕は、首肯だけして続きを促す。
「まずこの樹が、自分たちが生き残るために水を独占し始めたのですわ。
その際、生きた貯水機能を持つ、アーススライムたちを味方に付けることで、自分たちの必要な分の水は確保できるようになったのではないでしょうか?」
ミランゼさんは、淡々と、しかしどこか冷ややかに続ける。
「そして、それが始まったのはまだこの地に土が薄く、根が張り始めたばかりの頃――
むき出しの岩盤に、どうにかしがみついていた時代に起こった変化だと仮定します。
そう、今のように土が豊富ではなかった頃ですわ。
栄養が足りず、どこかに依存しなければ生き残れなかった樹木たち。
同じく、栄養と安定した住処を求めていたアーススライムたち。
両者は互いを利用し合う『相利共生』の道を選んだ……とすれば?」
彼女の声は、どこか歴史を語る学者のようだった。
「そして、彼らは結びつき合った。
その場に根付くための補助をしてもらう代わりに、栄養を分け与える樹木。
粘液による固定と水分を溜め込む役割を担う代わりに、栄養とゆりかごを得るアーススライム。
この強い植物は、この地の土に還ることなく、大きく育った。」
それは、まるで人間が歩んできたような道のり。
淡々と勝者の歴史を語るミランゼさんの顔は、美の彫刻のようだ。
「……ほかの草木や動植物たちが、その身を大地に変えていく中で、両者だけは常に勝ち続けたのだとしたら?」
森の育成とはまるで反対の、生態系の独裁の歴史。
生き残った者たちによる圧政のような構図。
彼女の語り口は、冷徹なまでに自然の摂理を突きつけてくる。
「やがて、彼らの足元には幾多の栄枯盛衰が積み重なり、塵となった屍たちが森の土台を形作った。
安定した国家である――この『森林』が成立したのですわ。」
ここまで語ると、ここからは少し話が変わると宣言するかのように、人差し指をたてる。
ミランゼさんは静かに続けた。
「……が、そうしたことによって、ある問題が生まれたのですわ。」
「ある問題……?」
「水が足りすぎたのではありませんこと?
今までよりずっと安定した環境に変わったんですもの。
過剰なまでに吸い上げ、独占し、それでも余った。
だから、その分は『捨てることにした』。
そう考えるとすれば、とても自然なことに思えますわ。」
「我々がそうしているように……ですか?」
「そう。生きる上で足りていたり、不要になった分を排出する。
それは、どんな生物にも共通する当たり前の摂理ですわね。」
意思なき樹木が、自らの生存のために水を独占する。
そこから始まったであろうと語る彼女の思考は、まさしく合理を最優先する研究者のそれだった。
感情を排し、ただ事実だけを積み上げていく冷徹な分析。
ミランゼさんの言葉に、アイゼンくんはしばらく口を開けたまま固まっていた。
やがて、ゆっくりと息を吸い込み、ややかすれた声ながらも、冷静なトーンで発言する。
「……つまり、この樹木たちは……森を育てているのではない。
ただ、自分のために誰よりも多くの水を吸い上げているだけ?」
「ええ。その『結果』として、地表の植物たちが恩恵を受けているに過ぎないと見たほうがずっと説得力があります。」
ミランゼさんは、迷いなく言い切った。
その答えは合理に割り振った、自然の当たり前にまっすぐ向き合う者らしい考え方だ。
「自然とは、そういうものですの。
彼らに優しさはありませんわ。
そんな余裕、あるわけないですもの。
共存ではなく、生存のための合理。
その合理が、時に慈悲深く見えるだけですわ。
……実際は、互いに利益があった相利の結果を、我々が勝手に美しいものと解釈しているだけ。」
彼女の言葉は、語らない彼らの傲慢を責めるわけでも、擁護するつもりもない温度があった。
ただ、自然の摂理をそのまま受け止める者の静かな冷徹さ。
そう、生きている環境が違うのだから、その在り方を美しいとか理想的だなんて評価するのはおこがましいんだ。
結果として森は出来上がった。
幾多の屍を漆喰にして、彼らの王国は成った。
その森を美しく思ってもいい。
醜い圧政の歴史を嘆いてもいい。
でも、その考え方の果てに、彼らの在り方を悪と断じてはならない。
生きるというのは、時に誰かを踏みしめることなのだから。
アイゼンくんは、しばらく言葉を探すように口を閉ざしていた。
森の静寂が、彼の思考の揺らぎをそのまま映し出しているようだった。
ややあって、彼はゆっくりと眼を瞑り、長く息を吐いた。
「……私は、森が助け合っているのだと思っていました。
しかし、その考え方こそ人間が見たいように見ている思い込み。
前提に気づかない盲点なのですね。」
「その通りですわ。
利用し合い、そして勝ち残った者が環境を作る。
それは、人も動植物たちも一緒のはずですわ。
だって、それが自然の摂理ですの。
我々人間だけが経験するものではございませんわ。」
ミランゼさんは、淡々とした声で応じる。
その声音は、まるで冷たい水を静かに注ぐように、澄んでいて揺らぎがない。
彼女の言葉は、宣教師の説教のように静かで、しかし強く胸に響いた。
朝の冷気が、彼女の声をさらに研ぎ澄ませているようだ。
「ですが――」
ミランゼさんはふっと表情を緩めた。
まるで重い真実を語り終えたあとに訪れる、安堵のような優しい笑みだ。
「その冷徹な摂理が、結果として森という巨大な循環を生み出したこと。
この景色を、美しいことと思うこと。
それらまとめて我々の思いたいようにしていいと思うんですの。
だって私たちは、彼らの歴史にとって部外者ですものね。」
その言葉に、アイゼンくんは胸の奥に何かが落ちるような表情をした。
しばらく黙り込んでいたが、やがて深く頷く。
「……私は。
いえ、我々各研究チームは自分の専門の常識に囚われていたのかもしれません。」
彼は足元の土を見つめる。
その土の下に、どれほどの歴史が眠っているのかを思い描くように。
「土はそこにあり、その在り方からどのような経緯を辿ったのかを推測することができます。
しかし、推測するうえでは、その土の上で活動するものたち。
つまり、植物の視点、動物の視点……それらが重なって初めて見えてくるものがある。」
「ええ。今後は、各研究チーム同士での情報共有をもっと重視すべきですわね。
何を見て、どう判断したのかが、違うチームにとってとても重要な要素になる場合が多い気がしますわ。
私たちが見落としていたものを、補い合えるように。」
「協力して参りましょうか。もっと早く真実に辿り着けるはずです。
……我々もまた、『相利共生』と行くのも悪くありませんな。」
アイゼンくんが少し照れたように笑う。
ミランゼさんは肩をすくめて、芝居がかったため息をついた。
「あら、利益だけなんて合理的すぎますわ。
互いの研究が進むこと自体を喜びとする、『相情共生』が人間らしくありませんこと?」
「研究者が情を語るのも、なんだか滑稽だと思いませんか?」
「情も合理ですわ。
研究も、受け入れてくれる方がいないと真実になりませんもの。
案外、合理を最後に救うのは友情かもしれませんわよ?」
二人は視線を交わし、ふっと笑い合った。
その笑みは、研究者同士の誇りと、これからの協力を誓う静かな握手のようだった。
実際に、互いに手を差し出し、しっかりと握手を交わす。
その手のひらに宿る研究への情熱という温度が、これからのアリヴィエにとって必要なものになっていくだろう。
よし、研究チーム同士の連携力もこれをきっかけに強固になっていくといいな。
僕は胸の奥でそっとそう願っていると、ユディが僕の袖をそっと引いた。
「アルトゥス様は、こういうことをやりたかったのです?」
「こういうことって?」
問い返すと、ユディは少しだけ視線を落として考えている。
言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「開拓拠点内での各チームがそれぞれ独立しすぎていることです。
みんな、それぞれがそれぞれ頑張ればいいと思っている節がありました。」
「あ、そうだったんだ。」
知らなかった。
でも、確かにそうだ。
土壌地質チームが知っている地中の根の状態を動植物研究チームは知らなかったもんね。
なんでこれに気づかないのかな、僕は。
自分のやらかしに頭を掻くと、ユディは逆に驚いた顔をした。
「え?それに気づいたからこうやってアイゼンさんとミランゼさんを連れてきたんじゃないんですか?」
「そんなこと考えてないよ。」
僕は苦笑しながら肩をすくめた。
まったく、買いかぶられすぎるのも恥ずかしいね。
「僕は森を知るためには森の大地とそこに生きるものたちに詳しい人がいたほうがいいと思っただけさ。」
「そ、そうだったんですね。
でも、アルトゥス様が来てくれたからこそ。
そして二人を連れだしてくれたことがこうやって意識を変えることができました。
私、とっても尊敬します。」
そのまっすぐな尊敬は、今の僕には痛いなぁ。
僕だって全てが上手くいく計算をして行動していない。
彼らを連れだしたのは、僕が知らないことを知っていたら嬉しいなと思っただけ。
徹底的に自分のためにこうしたんだよ。
そうしたら、彼らがそれぞれ自分たちの考え方やあり方、そして気づけないことをどうやって気づけばいいのかをそれぞれ独自に編み出していったんだ。
つまり、さ。
「僕は、それぞれの気づきの橋渡しをしただけなんだよ。」
ユディが顔を上げる。
その瞳に映る僕は、きっと彼女が思うほど立派じゃない。
僕は凡人のエルフ。
アルトゥス=ヴァイツェ。
賢者なんてもてはやされる立派な人間じゃない。
「僕よりずっとこの森で研究してきたのは、みんなだ。
みんながこれまでの研究をひたむきに追い続けてきたからこそ、僕は繋ぐだけでよかったのさ。」
そして、そっと微笑む。
「賞賛すべきは、今まで頑張ってきたみんなだよ。
そして――ユディ。
君も、その一人だ。」
ユディは、自分も褒められたことにいつものようにまん丸にしてから、ピャッと声をあげて目を伏せた。
その頬がほんのり赤く染まるのを見て、僕は胸の奥が温かくなるのを感じた。
空はすっかり明るくなり、森の奥から朝の鳥たちの声が響き始める。
夜明けの光が、樹々の間から差し込み、地面に柔らかな影を落とした。
雨を降らせた樹の葉先から、最後の一滴が落ちる。
その雫が地面に吸い込まれるのを見届けながら、僕は静かに祈った。
今日という新しい朝が、この国にとっても、明るい日になりますようにってね。
祈りを捧げる先は、そうだな。
この森の礎となった、幾多もの命たちにでも送ろう。
彼らはもういない。
けれど、その層が積み重なって、今僕らが立つ大地がある。
そして僕は、その上を歩いている。
僕らもまた、自然に生きる者たちだ。
姿は違えど、同じ世界に生まれた同胞たちよ。
世界は今日も、美しいよ。
僕もいつか、君たちのように土へ還る日が来る。
――それが、どれほど先のことだとしても。
新しい一日が始まる。
そして、開拓もまた、新しい段階へと進んでいくのだろう。




