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第48話 研究したらスライムだった件

 僕が壁面の湿った腐葉土に触れていた理由はもちろん、この森にある層が大きくわけて3層になっていることを確かめるため。


けれど、それは表向きな理由にすぎない。

僕の目的はそれだけではなかったんだよ。


実は、ミランゼさんが拾い上げていた()()()()

それこそが、この森が水に満ちている理由を解く鍵のひとつだったんだ。


「ミランゼさん。さっき採取していた苔、少し見せてもらえる?」


 声をかけると、ミランゼさんは小首をかしげ、懐から小瓶を取り出した。

瓶の中には、ふわりとした緑の苔が詰まっている。


「まあ、これですの?

森でよく見る苔だと思っていましたけれど、何か秘密でもありますの?」


 僕は瓶を受け取り、苔をそっとつまみ上げた。

葉は密に重なり合い、裏側には黒い土をしっかりと掴んでいる。

指先で撫でると、驚くほどしっとりと水を含んでいた。


鼻を近づけると、新緑のような爽やかな香りと、濃い土の匂いが返ってくる。

この暗い穴の中で、これほど瑞々しく、色は地上の草木と変わらない。

むしろ、それ以上に若々しいほどだ。


「この苔、凄い水分持っているって思わない?」


「そこですの!わたくしも気になっていましたの!」


 ビシっと指を差して彼女は頷いた。なるほど。よく見る苔なのにサンプルとして回収していた理由は、まさにそこだったわけだ。


「ミランゼさんはこの違和感に気づいていたんだね。

水はけの良い土地でも、この苔は体全体で水分を抱え込んで離さないんだ。

さらに、苔同士が絡み合って互いを支え、まるで小さな水瓶の群れみたいな状態になる。


僕はね、この土地がまだ岩肌しかなかった頃、最初に根づいたのは苔だったと考えている。

……何故なら苔は、森の赤ちゃんだからね。」


 森の赤ちゃんという言葉に、アイゼンくんが目を瞬かせる。


「森の始まりは、苔のような小さな植物であったと?」


「そう。苔が生えては枯れ、生えては枯れ……気が遠くなるほどの年月を繰り返した。

その積み重ねが森の最初の土になったんだ。

その土に草が生え、また枯れ、そこにもう一度草木が生える。

さらに、それを食べる動物たちの排せつ物や死骸が積み重なり、分解され……少しずつ土が増えていった。」


 ミランゼさんは苔を両手で包み込み、息を呑んだ。


「では……この森の始まりは、この苔だったのですの?」


「姿の変化はあっただろうけど、基本はその苔のご先祖様が森の始まりの礎だったんじゃないかな。

苔が作った土が流されて堆積し、重い粘土質の層になって固まったのがアリヴィエ南部の荒野だと仮定すると、この土地に粘土質の多い層が少ない理由も説明が付くね。」


 アイゼンくんが驚きに目を見開く。


「荒野の赤い岩肌のような粘土層は……動植物の生命輪廻による森の新陳代謝で生まれた……?」


「推測だけどね。でも、筋は通るよ。

荒野の土質は粘土質で、森の粘土層の行き先として考えたら、荒野のほうでどこまで掘っても岩盤にたどり着かない理由にもなるよね。」


 アイゼンくんは真剣な顔で、僕の話を何度も反芻するようにぶつぶつとつぶやき始めた。

しかし、途中でぴたりと動きを止める。

そして、眉をひそめて首を振った。


「待ってください、アルトゥス様。

その仮説を前提とすると、ひとつおかしなことがあるかと。」


 困ったような表情を浮かべながら続けた。


「トゥガナト山脈には毎年大量の雪が降ります。

そして、春になれば雪解け水が森を通り抜けていく。

その水は、この岩盤の上にある土を攫っていくはずです。


苔のように強くその場に残る力のある植物ならわかります。

ですが、この森には黒い腐葉土の層が厚く残っている。

さらにその下にある砂礫層の細かい砂が、水に流されずに留まっている。

これらが、ここに残り続けている理由が説明できません。」


 流石地質のスペシャリスト。鋭い指摘だ。

トゥガナト山脈の雪解け水が森に流れ込むという前提を置いた瞬間、現状の矛盾に気づいたようだね。


そう、今の話は土がどこで生まれ、どう積み重なったかという過程の説明にすぎない。

彼にとって大事なのは、どうしてこの森に水と土が残り続けているのかだ。


「そこなんだよ。

苔だけでは森の土は守れない。

積み重なる前に流されてしまうはずなんだ。


……じゃあ、着いてきて。」


 僕はそう言って横穴のほうへ身をかがめて入っていった。

横穴は大人が三人ほど入れる広さで、四方を木の板で補強してある。

低い天井からは、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちていた。


「二人とも、こっちに来てみて」


 狭い横穴の中は、岩盤に沿うように太い木の根が張り巡らされていた。

一本の木の根ではなく、複数の木の根が互いに絡み合い、まるで支え合う網のように結びついている。

そして、その根にはいたるところに『コブ』のような膨らみがあった。


「まあ、まあ、まあ!

なんですの、これは!

地の底では、こんな変化が起きてましたの!?」


 ミランゼさんはその異様な形に歓声をあげ、嬉しそうに根元へ駆け寄ってスケッチを開始する。

研究者の血が騒いでいるのが、背中越しでも分かる。


一方で、アイゼンくんは怪訝そうに眉を寄せていた。

だが、ミランゼさんの反応をしばらく観察しているうちにハッと気づいた。


「……ミランゼ女史。

もしかして、この根の状態は通常では見られないものなんですか?」


「ええ、ええ!

地表付近の根にこのようなコブは見られませんわ!

ああ、なんてことでしょう!

なぜ私たちは地中の植物の状態を注視するという当たり前にきづけなかったのでしょうか!」


 その言葉に、アイゼンくんは息を呑んだ。


そうだ。

動植物研究科は、この地に立ち入らない。


この異常な根の状態を知っていたのは、土壌地質研究チームだけ。

だが、専門外故にこの変化を通常のものという思い込みが働いていたことに気づいたのだ。


「そう。だからこそ、地質学という一方の視点だけでは、この変化に気づけない。

水という、土地にも動植物にも左右する要素は、どちらにも影響しているんだ。」


 僕の言葉に、アイゼンくんは悔しそうにうなだれた。


僕は根のコブに触れる。

指で押すと、ふにっと柔らかい感触が返ってきた。

中に潜む何かの、かすかな生命の鼓動を感じる。


ミランゼさんはその様子をみて、スケッチする手を止めた。

そして、ペン先で軽くこぶを押し込む。

次に指で軽くつまんだり離したりして、感触を確かめた。


「このコブは樹木の表皮の下に何かが潜んでいるということですの?」


 樹木らしからぬ柔らかさに、彼女はすぐに異物の存在を察したらしい。


「その通り。

これはね、地中に生息する粘菌生物。

『アーススライム』のうち一種だよ。

このスライムは、樹木に寄生して栄養を貰うんだ。」


 僕がそう言うと、ミランゼさんは眉を寄せた。


「栄養を奪うということは、寄生生物?

しかも体内に侵入するなんて、樹木にとって敵ではございません?」


「まあ、そう思うよね。

でもね、粘菌生物の大半は奪うんじゃなくて、寄り添う生態をもっているんだ。」


 寄り添うという言葉に、2人は顔を見合わせる。

どうやら、人間同士以外の生き物が互いの利益のために支え合うという発想にピンとこないようだね。


「例えば、蜜を集める蜂と花。

花は甘い蜜で蜂を誘い、蜜を与える代わりに花粉を運んでもらう。

蜂は蜜を得て生き、花は繁殖を助けてもらう。

互いに利益がある、綺麗な関係だろ?」


 身近な例えに、アイゼンくんが膝を打った。


「なるほど。

蜂が花の蜜を集めるのは生きるために当たり前であると考えていましたが、蜜を与える花にも利益があるということですか。」


「その考え方は存じておりますわ。

アルトゥス様の生物学をまとめた書物に書かれてましたわね。

名前は確か……『共生』であってますの?」


 専門家ではないアイゼンくんにもこの例えは伝わったみたいだね。

しかし、ミランゼさんがいう生物学書についてはよく知らないな。


僕がまとめたレポートを誰か出版したのかな?

ま、今はそれはどうでもいいか。


「うん、そうだね。蜂と花は互いに利益のある共生だから……『相利共生そうりきょうせい』と表現するのが正しいね。」


「相利共生……。」


 ミランゼさんはそう呟きながら生き生きとメモを書き込んでいく。

彼女の表情には、この話がこのあとのスライムと樹木の関係にも続いていることを理解し、新しい知見を得られることへの喜びが隠せていない。


「ミランゼさん、お察しの通りさ。

このアーススライムも樹木と相利共生関係を築いている。

こいつは、樹木に寄生して栄養をもらう代わりに、水を蓄える役割を担っているんだ。」


「水を……蓄える?」


「そう。このアーススライムは体内に多くの水分を溜め込められる。

樹木は自分の身体を貸し与えることで、このスライムたちから水分を受け取っている。

つまり、この森の木々は、独自に『生きた水の倉庫』を所有しているんだ。」


 ミランゼさんは震える声で言った。


「では……この森は、木々と粘菌が協力して……?」


「そう。森全体で水を循環させている。

そして、このアーススライムはもう一つ重要な役割を持っている。

ミランゼさん、ここを見て。」


 僕は岩盤に這うように伸びた細い根を指さした。

岩肌をしっかり掴むように張りついた根は、細いながらも力強い。


「つまんで、持ち上げようとしてみて。」


「どうなるんですの?

どうなるんですの?

……きゃっ!ね、ネバネバしてますわ~!」


 なんとも楽しそうにミランゼさんは、嬉々として根っこを持ち上げる。

テンションに対して、その持ち上げ方は大切そうだ。


根っこは、軽く持ち上がるが、透明なネバネバが岩肌と根をつないでいた。

彼女が手を離すと、また岩肌とくっつき直した。


そのとき、アイゼンくんの瞳がかっと見開き、僕の顔をまじまじと見つめた。

ふふ、流石。すぐに気づいたね。

この粘液こそが、森の土が流れない理由。

森と大地を結びつける、自然の営みによる環境保全の仕組みだ。


「御覧の通りさ。このスライムは自分の粘液を樹木に与えるんだよ。」


 僕が指さした根のコブからは、じわりと透明な粘液が滲み出していた。

それは根を伝い、岩盤へと伸び、まるで糸のように木と大地を結びつけている。


 「この粘液は、木の根からにじみ出てきて、岩盤に結びつけているんだ。

雪解け水が流れても、木々が……宿主が流されないようにね。

さらに、土が流れすぎないように接着剤として働いている。」


 僕は根の周囲を軽く叩きながら続ける。


「地中の根は、もちろん腐葉土の層にも張り巡らされている。

そこの根にもアーススライムは住み着いていている。

粘液を出して、その身と土が流されないようにしっかりとつかんでいるのさ。

この仕組みがあるからこそ、岩盤近くの砂粒が比較的大きめでもこの場に留まれるのさ。」


 アイゼンくんの表情が変わった。

僕が最初に岩盤近くの砂礫層を触っていた理由が結びついたようだね。

そう、あの時、僕は含有水分量だけを計っていたわけじゃない。


大きく流されるはずの細かい砂礫が最下層にあることと、その水分から滑り(ぬめり)がないかを調べていたんだ。

案の定、確かな滑りが返ってきたから、間違いなく粘菌生物の存在を確信できたってわけだね。


そこまでの意図が……とアイゼンくんは呆然と呟いた。


「……森そのものが、大地と結びついて……土と水を守っていた……ということですか?」


「そう。森はただ植物と土質が豊かな土地じゃない。

苔という森の赤子がゆりかごを築き、粘液という哺乳瓶で育ち、そして巨大な生命体として、森で生きる動植物たちを支えているんだ。」


 ミランゼさんは胸に手を当て、深く息を吸った。


「……なんて、美しい仕組みですの……。

それぞれが、自分のために他を支えていくうちに、大きな生き物の集合体そのものとなるなんて!

これですわ!

これこそ学者の醍醐味!

この発見はアリヴィエ海邦国の自然学をひとつ上のランクに導きますわー!」


 アイゼンくんは震える声で言った。


「これが……森の理……。

アルトゥス様のいう、私の足りないものの答えというものが……生態系という生きた層……。」


 僕は頷いた。


「ようこそ、学者諸君。

この森の裏側には、こんな小さな生き物たちの途方もない積み重ねがあった。

ここは舞台裏だが、知られてまずいことはないんでね。

存分に成果を持ち帰ってくれよ?」


 少し大げさに言ってみたが、二人はしばらく放心したように沈黙した。

やがて、互いに顔を見合わせ――。


 ぱち、ぱちぱちぱち

 横穴の中に、静かな拍手が響いた。

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