第44話 人事を尽くして天命を待つ
「……い、以上が、引き続きこちらの森での就労を希望する人員となります。
い、一部を除いたほぼ全員が引き続き当地での就労を希望しております。」
そう言ってこちらに眼を合わず、おどおどと話す小柄な女性。
彼女の名前はユディス=アドンナ。
大きめの丸眼鏡の奥で、まんまるの瞳がきょろきょろと揺れている。
その仕草は、常に周りを警戒する小動物そのものだ。
声は小さく、語尾がかすかに震えている。
けれど、胸元に抱えた書類の束はきっちり整理され、角ひとつ乱れていない。
仕事の丁寧さが、そのまま形になっているようだった。
着ているのはオッドモンドくんと同じ薄緑色の上着と、その下に白のブラウス。
丈夫そうな生地は、折り目正しく整えられ、日々の身だしなみへの気遣いが伝わってくるようだ。
彼と違って彼女は膝上までの短パンに、濃紺のハイソックスを合わせている。
上着のポケットには小さな花のアップリケが縫い込まれており、実務性を損なわない範囲で、ほんの少しだけ女の子らしい可愛いアレンジが施されている。
その控えめな個性が、彼女の雰囲気に不思議とよく似合っていた。
「トップが変わったことに対する反応は?」
僕が問いかけると、ユディは小さくピャッっと声をあげつつも、急いで手元のメモをまくった。
ページをめくる指先が、緊張でわずかに震えている。
「や、やめることを選んだ作業員以外の反応はよいです。
就任直後の歓迎会で振る舞われた麦酒を堪能できたことも影響しております。
前任者は慰労会に作業員を招待することもありませんでしたので――
あ、あ、アルトゥスさま……!は話が分かる方だと、皆さん概ね歓迎されているようです。」
最後のほうは、僕の名前を口にした瞬間に声が跳ね上がり、ユディの耳がほんのり赤く染まった。
オッドモンドくんが横目で、落ち着きなさいとでも言いたげに視線を送っているが、彼女はそれどころではないらしい。
「就任後最初の指示が、僕の歓迎会をやろうか!だったときは少々鼻白みましたが……。
なるほど、アルトゥス様の狙いはこれでしたか。」
「組織運営における最初の一歩としては、僕がどんな人なのかを示す必要があったからね。
査察官ならば仲良くなる必要はないけど、僕は責任者として迎えられたんだ。
ならば、彼らと協力体制をとらなければならない。」
僕がそう言うと、ユディは目をぱちぱちと瞬かせ、こくこくと小さく頷いた。
反応は控えめだが、こういった考え方は共感してもらえたようだね。
オッドモンドくんは腕を組み、なるほど、それで歓迎会を名目にしたイメージの流布かと感心した様子だ。
うん、まあ流布という言い方はどうかと思うけど、イメージ戦略は確かに必要だ。
僕は指を一本たてて、ウインクしながら続ける。
「末端の作業従事者であっても、明確なうまみは必要なんだよ。
労働者にとって大事なのは、慰労と賃金。そして、明日の保証さ。
組織が重視することと、彼らが重視することは必ずしも一致しないけど重なる部分は確かに存在している。
だからこそ、自分たちも会合に参加できる機会を与えることで、ここにいてもいいという一体感を作る。
組織運営において、意外と馬鹿にならないのが、現場労働者とのこういった関係構築なんだよ。」
その言葉に、オッドモンドくんは深く頷いた。
彼の表情には、長年現場を支えてきた者だけが持つ、静かな共感と納得が浮かんでいた。
「ええ、それは私も常日頃から感じております。
少なくとも、レシクが幅を利かせている間も成果を生み出せたのは彼らのおかげですから。
しかし、よろしいのですか?
改めて契約を結び直すことを前提としますが、一律の報酬増加を約束するのは……」
オッドモンドくんは慎重に言葉を選びながらも、労働者の報酬増加による財源確保をどうするかという不安を隠しきれていなかった。
長年、予算のやりくりに苦しめられてきた者の反応だ。
「も、問題ないと思います!
あ、アルトゥス様にいわれて予算整理をした結果がこちらです!」
その反応に返答したのはユディだった。
彼女は誇らしげに一束の書類をオッドモンドくんに手渡す。
胡乱げな様子だったオッドモンドくんだったがその書類をめくるたびに前のめりになっていった。
「よ、予算が増えている!?しかも、臨時追加予算がこんなに!?」
オッドモンドくんは目を見開き、書類と僕の顔を交互に見やった。
驚きというより、信じられないものを見たときの反応だ。
彼の眉間に刻まれた深い皺が、これまでの苦労と、それをあざ笑うかのような書面の数字に対する戸惑いを物語っている。
「例の卑屈くんやカドヴィ君の装備品に予算が割り当てられていたからね。
そこはまるまるカットしたよ。」
僕は肩をすくめながら言った。
オッドモンドくんがそんな大胆に使っていたのかと言いたげな苦い顔をする。
「食費は据え置きだ。
カドヴィ君たちの食費が別途計算されていたので、そっちも食費の予算としてまるまる全体の食費へ追加したよ。
これで食料事情の全体の底上げをしていくよ。
肉体労働者は日に5回食事をするように通達してある。
行政官も昼は軽食をとっていくように。」
現場の食料事情は日々の悩みの種だったのだろう。
ユディの表情に、あからさまな安堵が広がる。
ちなみにこれも慰安会の公約として、みんなへ約束したことだ。
食事が貧相であるというのは、遠征地での長期赴任における不満をため込みやすい要素だからね。
分かりやすい不満だけに、早めに手を入れておきたい。
「僕がいる間はガルデスくんとサリティさんが食材調達と治安維持を担当するけど、将来的にはそういったことを担当するチームの拡充は必要になるかもね。
まあ、それは今は考えなくていいや。」
僕は肩をすくめながら続ける。
本来、この食材調達の部分もカドヴィ君が毎日の狩りを行うことで賄うのが筋だったんだろうけど、その狩りの成果を還元した様子が見られない。
一応調理担当のチームにどうしていたのかを聞き取ってはいたが、大半は自分たちでのみ消費しているようだったね。
それがカドヴィ君の意志だったかどうかはわからないけど。
でも、まあ卑屈くんにそれすら任せていたとしたら同罪でいいかな。
「その収支表に乗った臨時追加予算は、ティダンの男の懸賞金。
サリティさんに大半を渡したんだけど、ティダンの男を雇うために予算の流用が認められてね。
そしたら、サリティさんが渡してくれたんだよ。
これは本来、ここで使われるべきお金ってね。」
「そんなことが……」
僕が淡々と説明すると、オッドモンドくんは不快そうに顔を顰める。
彼なりに散々予算の申請はしてきたのだろうが、それを私的流用した上に余計な金を彼らの用心棒に支払い続けてきたことに関する怒りがわいてきたのだろう。
「が、ガルデスさんも軍としてこの判断を支持するとのことです。
さ、サリティさんには別途、アーシェスタス様から褒賞が与えられるはずとのことです。
サリティさんに損はないよう取り計らうので、遠慮なく使ってほしいとのことですっ!」
「うん、ありがとう。ユディ、助かるよ。」
僕は変わりに全部応えてくれたユディスさんにとっておきの詐欺師の微笑みを送った。
あ、そうそう。
僕は彼女のことをユディと愛称で呼んでいる。
理由はひとつだ。
「ピッ!?ピャアア!」
ユディは直後に顔をゆであがったキャンサーのように真っ赤にしながら奇声をあげる。
うん、これが面白いから。
満足そうにオッドモンドくんに向き直ると、あまり揶揄ってあげないで下さいと言わんばかりの呆れた視線が返ってきた。
「あとは人材の問題か。オッドモンドくんはどのくらい把握している?」
人事書類をパラパラとめくりながら切り出す。
オッドモンドくんは一度だけ深く息を吸い、言葉を選ぶように視線を落とした。
そう、最初に話した|害虫《カドヴィ派とその仲間たち》の駆除。
この問題の解決は、僕らの今後のためにも必要不可欠だ。
彼が緊張感を増すのも無理はない。
「申し訳ありません。
資料に載っている人間をチェックしましたが、表立ってカドヴィ様の世話になっていた人材は全てやめてしまったようです。」
「ふむ、ということは……。」
僕が続きを促すと、オッドモンドくんは眉間に皺を寄せた。
その表情が全てを物語っているといっても過言じゃないなぁ。
「潜っている者はいると思われます。
こちらは引き続き、行政官に当地で外部に連絡をしているものがいないかを入念にチェックさせています。」
ま、そうなるよな。
義理立てしてカドヴィ君についてきたものがいるなら、僕をよく思うはずがないから身を引くだろう。
でも、義理ではなく、わけあってここに潜入している者や、僕に恨みを抱いて寝首をかこうとする者がいないとは言い切れない。
「行政官たち自身のチェックは、ガルデス様の部隊で対応してもらってますっ!」
ユディが勢いよく口を挟んだ。
一度、ふんすと鼻息を吐きだしながら早口で続ける。
「鬼神ガルデス様が目を光らせていることもあるためか、カドヴィ様の推薦で派遣されてきたものたちは、今回の騒ぎの直後から辞任したり、逃亡を計ったりしたものがいるようです!
逃亡者は全員拘束済みですっ!
辞任した方は、カドヴィ様から世話になっていたということで、義理を果たすためだったと言っておりました!」
一気にまくし立て、最後に小さく息を吸い直した。
緊張で声が上擦りながらも、報告内容は正確そのものだ。
オッドモンドくんはそれに一度首肯し、補足する。
「裏どりは必要です。
ですが、正式な雇用契約辞退であるため、彼らの申し出は受理してあります。
全員アーシェスタへ帰還済みです。
今後はしばらく監視は付きますが、それも特に気にしなかったため、辞退者に裏はないと思われます。」
「そうだといいね。」
僕は軽く言ったが、胸の奥では別の計算が動いていた。
潜伏者がゼロとは限らない。
だが、今の二人の働きぶりを見る限り、この森の『血液検査』は順調に進んでいる。
安心はできないが、表立っての害虫駆除は一旦打ち切ってもいいだろう。
あとは、暗躍する者たちを洗い出す、『病巣の摘出』に力を入れていくべきかな。
こっちはむしろ僕の得意分野だし、今なら追い風が僕の後ろに吹いている。
彼らにも、うまく手伝ってもらえそうだ。
「あ、そうそう。臨時収入はこれからも増える予定だよ。
僕にはスポンサーがいるからね。
開拓地も開墾だけじゃなく、ひとつの研究施設の集合体にすることを目指してもいいかもしれないね。
僕が監督できるうちにさ。」
「……本当に頭が下がる思いです。」
軽く言ったつもりだったが、オッドモンドくんは深々と頭を下げた。
下がる思いといっておいて、実際に頭を下げる彼の人の好さに笑いがこぼれてしまう。
「それが責任者の仕事ってものさ。
僕の仕事は方針を決め、方向性を決めること。
どんな利益が見込まれるかを示して、資金と材料、人材を調達する。
だからこそ、頭を下げなくていい。見合った仕事をこれからも頼んだよ。」
「はい。ありがとうございました。この後はおまかせください。」
僕がそう言うと、オッドモンドくんは胸に手を当て、静かに息を整えてから深く頷いた。
その表情には、十分な信頼が宿っている。
初めて会ってから一週間でここまでの信頼を築き上げられたのは僥倖だね。
彼の性格がまっすぐで、本当に良かったよ。
さて、賽は投げられた。
人事を尽くして天命を待つ。
まあ、今回の人事は、まさに人材選別そのものだけど。
僕が労働者に寛容さを示したのは、必要なことでもあるけど、二枚腰の罠でもある。
まとめて寛容な態度をとったことで、内側に潜んでいる奴らが油断してくれたらいいなという企みがある。
あまり締め付けすぎると尻尾を隠しちゃうからね。
緩めたら、勝手に動き出してくれるはずだ。
カドヴィ君を利用して暗躍したい者たちは必ず潜んでいる。
ま、僕が暴く気はない。
風通しさえよくして置けば、換気をしてくれるはずだ。
オッドモンドくんがやってくれてもいいし、風吹くままでも構わない。
僕に直接危害を加える計画でもしない限りは、穏便に済ませたいね。
「よろしく頼んだよ。期待している。
僕は、僕しかやれないことをやっていくからね。」
そう告げて部屋を後にした。
本当に、やることが山積みだ。
次は水の問題に早めに着手しておこう。
森の内部を直接僕が探索するとなれば、ガルデスくんにまた叱られるかもしれない。
……いや、サリティさんを探索隊に入れるって言えば、多少は目をつぶってくれるかな。
「はああ……。さすが麦の賢者様ですぅ……。
言葉に含まれる重みも、仕草も。なによりご尊顔が尊いですぅ……」
扉を閉める直前、背後から妙に湿度の高い声が聞こえた気がする。
なんかもう、これまで築き上げたしっかり者なイメージが台無しになるから、僕が完全にいなくなってからそういうの漏らすようにしてね。
聞かなかったことにしておいてあげるから。




