第43話 オッドモンド=マイルディという男との出会い
「……ただいま確認が終わりました。
ご提出いただきました書類が、メイキドルア領主、グランバル・アーシェスタス様の正式な開墾責任者の辞令と権限委任状であることを確認できました。
申し遅れました。
私は開拓事業統括行政官、オッドモンド=マイルディと申します。
改めて、ようこそおいでくださいました、特使アルトゥス=ヴァイツェ様。
……いえ、ここは『麦酒の賢者』様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
やあ、みんな。今日も元気に働いているかい?
もし君がそれなりに責任を背負う仕事がしたかったら、まずは僕に連絡してくれ。
仕事は友好国の食糧事情を改善するというとてもやりがいのある仕事さ。
難しい仕事なんだろって?
なあに、心配することはないよ。
長年解決していない土壌改善や、どこかに消える水の行方を調べたり、意味も解らず政争に巻き込まれて命を狙われたりするくらいさ。
そして、こんな風に役人さんから無駄に期待されるようなまなざしを受けても耐えられる精神性があれば、君にもできるさ。
……もう、いっそ変わってくれよ!
「勘弁してくれ。隣国特使の肩書だって重荷なんだ。
この上さらに余計な肩書まで背負うくらいなら、麦を収穫する籠のほうが生産性があるってものだよ。」
「ふふ、ご当主様より聞いております。
なんとも軽妙で、心地よい語りで人を煙に巻くお方だと。」
そう笑いながらも、行政官の男性――オッドモンドくんは手元の書類を丁寧に揃え、深々と頭を下げた。
その所作は無駄がなく、官僚としての礼節が隅々まで行き届いている。
年の頃は三十代半ばほどだろうか。
整えられた短い黒髪に、疲れを隠しきれないが誠実さの滲む目元。
髭ひとつ残さない清潔な顔立ちで、声も若さが落ち着いてきたような円熟味を帯びている。
上着は、開拓地の行政官らしく実務性を重視した作りだ。
薄緑色の生地は汚れに強く、森の中でも目立ちにくい迷彩の役割も果たしているのだろう。
縫い目は補強され、左右の腰や胸元には大小さまざまなポケットが備え付けられている。
そのうちのひとつ、大きく膨らんだ胸の内ポケットからは、付箋がびっしり貼られた分厚いメモ帳が少しだけのぞいていた。
書類だけでなく、現場の細かな情報まで自分で拾い集めていることが一目でわかる。
あの卑屈くんのように汚れないとこでふんぞり返るための格好ではない。
足で稼ぎ、現場を歩き、問題を拾い上げるための服装を選んでいる人間の姿だ。
「はあ、買いかぶりすぎだ。僕は本当のことしか言わないっていうのにさ。」
僕はやれやれといった風に首を振ると、オッドモンドさんは丁寧に微笑んだ。
その笑みは礼儀正しいが、視線の中にこちらを値踏むような光が潜んでいる。
ふうん、なるほど。
グランバル氏から直接連絡を受けているとも言ってたし、ただの行政官ってわけでもないってことね。
表向きは誠実で丁寧。
だが、腹の底では状況を冷静に読み、僕の言葉の裏まで測ろうとしている。
こりゃ、どっち側であっても一筋縄とはいかなそうだね。
ま、とりあえずは彼の立ち位置は確認しておかないと。
「ま、いいさ。
まずはお互いにどこに立っているのかくらいは確認し合おうじゃないか。
……お互い、気持ちよく仕事をするためにもさ?」
そう言って、僕は居住まいを正した。
その仕草を見た瞬間、オッドモンドくんの表情がわずかに引き締まる。
僕は目の前の机を三度、軽く指で叩いてから切り出した。
「まずは、今回の件の申し開きは誰に問いただせばいいのか、聞かせてくれる?」
そう。まずは今回の件の責任の所在からだ。
これで君の立ち位置を確認させてもらうよ。
キミが誰に忠誠を捧げているのかということをね。
「……そうですね。今回の件、まずは私から頭を下げさせてください。」
そう言うと、彼は一度背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
僕は頷きも止めもしない。
彼の肩書も、ここで委任状を受理した立場も、今回の事態を止められなかった事実も、全て彼の責任の範囲内に収まっているからね。
形式的なものとはいえ、ここでの謝罪は必要なものだし、受け取るつもりだ。
ただし、大事なことを聞いておく。
「何のための謝罪だい?意図を聞かせて欲しい。」
「この謝罪は、我がメイキドルアを代表して頭を下げるということを意味します。
その上で、アルトゥス様は私のことを疑っておられることも、重々承知しております。」
「うん。そうだね。とても疑っている。そこの共通認識があるなら話は早い。」
僕はゆっくりと指を組み、肘を机に預ける。
軽く身を乗り出しただけなのに、オッドモンドくんの背筋がほんの僅かに強張るのが見えた。
言い逃れや誤魔化しは許さない。
そう告げるには、言葉よりも仕草のほうが早い。
僕は問いを続ける。
「オッドモンドくん。キミはどこに立っている?」
「私はメイキドルアのオッドモンドです。
我が忠誠は、メイキドルア、ひいてはアリヴィエ海邦国に捧げております。」
即答だった。
淀みなく、一度もつっかえることもない。
こちらをまっすぐとみて。
「ふむ。グランバル氏でもないのかい?」
「私はメイキドルアを愛しております。
その忠誠の向く先は、現当主様への忠誠に相違ありません。」
ふうん。
でも、それならグランバル氏に対して忠誠を誓うといえば済む。
なのに、敢えて彼はその忠誠の向き先の順位をメイキドルア領、いやアリヴィエ海邦という『国』を先に置いた。
これは、ともすれば当主が変わればそちらに忠を尽くすという意味にも捉えられかねない。
その疑いをかけられることを畏れずにメイキドルアへの忠誠を語るのか。
……なるほどね。
僕が試しているつもりで、実は僕も試されているわけだ。
「……もう一つ聞くよ。キミはあの卑屈くんの行動について、黙認していた?」
「……正直に答えます。私では止められませんでした。」
「その心は?」
問いかけに、オッドモンドくんは一瞬だけ視線を落とした。
その沈黙は、言い訳を探すためのものではない。
当時の自分の無力さと、やるせない思いを振り返るための時間のように感じた。
「レシク様……いえ、レシクは日ごろからカドヴィ様より管理者としての権限を委任されておりました。
カドヴィ様は数字を見るのが苦手で、決済の書類の確認を全てレシクに委ねていました。
カドヴィ様自身は森へ狩りへ向かう毎日で、私ども行政官。
ひいては作業を管理する各担当者の要望もレシクが握りつぶしておりました。」
淡々とした口調。
だが、その裏にある感情は隠しきれない。
噛みしめた言葉の端から、水漏れのように静かに滲み出るものがあった。
それは止めたかったという想い。
けれど、止められなかった後悔。
成し得なかった悔しさと、押し潰されてきた苦しみの日々。
それらが相混ぜとなり、こぼれ落ちていく言葉の端々に、消えない染みのようにこびり付いているようだった。
彼が卑屈くんの名を呼ぶたびに、軽い侮蔑の響きが混じる。
いや、侮蔑のような憎しみではない。
そんな相手に自分が屈服させられてきた年月への、静かな悔恨と表現するのが相応しいかな。
「何度も面会の機会と進言はしておりましたが、カドヴィ様は一度も取り合ってくれませんでした。
全てはレシクに任せているから安心しろと。」
「典型的ダメなトップじゃないか。グランバル氏へ直接連絡は難しかったのかい?」
僕の呆れ半分の問いかけに、オッドモンドくんは肩をすくめた。
「……はい。レシクとカドヴィ様の子飼いの私兵、さらには先ほどまで生きておりましたあのティダンの男がいたせいで、その報告すら握りつぶされておりました。」
応える声は、先ほどよりもずっと滑らかだ。
いままで抑えていたものが、少しずつ解けていくような、そんなやすらぎを感じる。
長い間、お腹の底にため込んできた愚痴の預け先に巡り合えた――そんな解放の気配が漂う。
「ああ、もしかしてセルゼクくんへの報告量が減っていったというのも?」
「十中八九、レシクの検閲があったためです。
ただ、アルトゥス様の訪問があるという噂が流れ始めた頃でしょうか。
カドヴィ様たちの動きが変わりました。
今までいい加減な報告と仕事だったのが正され、検閲が減ったのです。
そこで増えた書類に紛れ込ませることにより、ようやく領主様に現状の報告をすることができました。
検閲が減ったのは、書類が減って報告量が減少していたためかと。
大方、真面目に仕事をしていることを示せば、現場から外されないと思い込んだのでしょう。」
そう言ってこめかみを抑えるオッドモンドくんは、大きなため息をつく。
口もどんどん回るようになったね。
そこに、アーシェスタス家の子息に対する敬意はまるでない。
抑えていた感情が、ようやく流れ始めた川のように勢いを増していく様は、長年の苦労が偲ばれるというものだ。
僕の呆れは呆れとして胸の中に置きつつ、同時に、彼ひとりにこれだけ孤独な戦い強いてきたあのグランバル氏に軽い舌打ちをしてしまう。
息子の話になると随分甘いように感じたけど、結果としてモンスターを放置してるのはいただけないよ。
今度会ったら説教しておいてあげるからね。
ま、これでよくわかったよ。
彼は十分に信頼できそうだ。
「うん。事情は分かった。
……オッドモンド=マイルディ開拓事業統括行政官殿。
これからは僕がここのトップになって開拓を加速させたい。」
「願ってもないことです。
メイキドルアを代表し、当開拓地での全権をリヴェリナ特使アルトゥス=ヴァイツェ様に委任致します。」
僕らはそう言って、しっかりと手を結んだ。
長年、膨大な書類と現場を相手にしてきたであろう、歴戦の筆だこを刻んだ掌が頼もしい。
とはいえ、彼に頼り切るわけにはいかない。
ここからは僕の仕事だ。
「それじゃ、現在までの進捗状況と、現在の課題整理。」
そう言いながら、僕はさきほどから視界の端に入っていた書類の束に手を伸ばし、一番上の一枚をつまみ上げてオッドモンドくんに示した。
そこには、人名がずらりと並んでいる。
――すなわち、作業員名簿。
「……そして、組織の現在の『健康診断』の話をしようじゃないか。」
僕がことさら強調して言った『健康診断』の一言に、オッドモンドくんの目がわずかに光った。
その反応を、僕は見逃さない。
――そう。組織の頭が変わるということは、血液検査から内視鏡まで全部やり直すということだ。
健全な運営のためにも、前任者が怠った『害虫』の侵入経路遮断と、体内に巣食った『病巣』の切除は避けて通れない。
ここで膿を出し切らなければ、どれだけ立派な計画を立てても、土台から腐っていく。
オッドモンドくんは、静かに息を整えた。
その表情には、覚悟と、どこか背中を預けられる相手を見つけた者の信頼が宿っている。
――ようやく、状況を正せる日が来た。
そう語りかけてくるような強い光が、彼の瞳に灯っている。
そこには、押し殺してきた積年の後悔と、それを断ち切るための決意。
そしてわずかな歓喜が、確かに刻まれていた。




