第22話 出立
こうしてミリアルデ家での2週間はあっという間に過ぎていった。
2週間での出来事?そうだなぁ。
現地での調査の前段階として、森の入り口付近の植生を調べたり、土壌の状態を確認して資料をまとめておいた。
本格的な調査は、次の目的地・メイキドルア領に着いてからになる予定だが、ヴァルエルナに接するこの森には、豊かな恵みの力が確かに息づいていた。
セルゼクくんから見せてもらっていた報告書の通り、土は黒く、指でつかむとしっとりとした湿り気を感じる。
表面は乾いていても、少し掘り返せばすぐにわかる。
あとはこの土が、メイキドルアの森にも広がっていることを祈るしかない。
リヴェリナから送られる新しい麦酒はヴァルエルナに届けてもらえそうだ。
王が気を利かせてくれて、多めに納品されそうである。
ついでに「売り込みもしておいてくれ」と言われたけれど……
そういうのは、ちゃんとした外交官に任せてほしい。
現地にいるからって、便利に使おうとするんじゃないよ。
でもまあ、売り込みをかけられるほど品質が上がってきたということは、素直に喜ぶべきか。
新製品である高濃度の麦酒は、従来の麦酒よりもアルコール度数が高い。
特に北部で作られている氷結麦酒は発酵した麦汁を凍り始める温度で保存し、氷を取り除くことでアルコール度数を高めるという特殊な製法。
その分、炭酸はほぼ失われるが、濃縮されたフルーツの洋酒漬けのような甘い香りがするらしい。
また、通常の麦芽量を純粋に2倍にして麦汁を作る倍化麦酒も、各地で研究と生産が進んでいる。
輸出用の麦酒は北部のほうが育ってきているみたいだ。
一方、南部はアリヴィエに近いため、保存性よりも味の品質向上に力を入れているらしい。
こういった情報をちゃんと集めて送ってくれるのは素直に嬉しいね。
南部では低温殺菌麦酒を実験してもらいたいところなんだけど、そのためにはまず温度を計る術具を開発するのが先かな。
課題は多いな。
でも、それだけやるべきことがあるというのは、悪くない。
むしろ、楽しくなってくる。
エーリスとの術式修業は、ひとまず一区切りだ。
これからは、自主練習で【アイズ】の励起を自在に操れるよう、日々研鑽を積むように指示してある。
短期間の修業だったが、エーリスのセンスはずば抜けていた。
まさか、たった3日でトリガー式をほぼマスターするとは思わなかった。
これからは頻繁に会えなくなるのが惜しくなる。
旅立ちの前日、エーリスはわんわん泣いて、僕に縋りついてきた。
2週間という短い期間だったが、確かな師弟関係を築けたことが素直に嬉しい。
今後は直接の指導の機会は少なくなるけど、定期的にヴァルエルナに戻る約束を。
そして、術式以外の勉強も頑張ること――僕たちは2つの約束をした。
本当にいい子だ。
一応、兄のシルバナ君には、エーリスが無理をしすぎないよう見守ってほしいと伝えてある。
どうにも集中するとそれ以外のことが目に入らなくなる質があるようで、一日の修業時間をきちんと決めることも本人と約束している。
「せんせいとまた会うときには、もっと上手になって、おあいできるようにします!」
涙をぬぐってそう宣言した僕の生徒が誇らしい。
戻ってきたら、本格的に【エルドラ術】を教えてあげないとね。
シルバナ君にもいくつか贈り物をしておいた。
そのひとつが、リヴェリナ国への留学推薦状。
特に、本国のブルワリーへの斡旋状は彼自身が選んだ若い職人を連れていってよいということにしてあり、数年間の修業をさせるようお願いしてある。
シルバナ君本人にも、リヴェリナの政治情勢や国内事情を学ぶ良い機会にしてもらいたいな。
推薦状を受け取った彼は、びっくりするくらいハイテンションで喜んでくれた。
「必ず、いろいろ学んで帰ってきて、立派な跡継ぎになります!」
――その言葉に、思わず笑みがこぼれた。
いいね、若者はこうでなくっちゃ。
「アルトゥス殿!子供たちの様々なこと、感謝している!」
「ルミエラエッセンスのヒントをいろいろとありがとうございました。
製品のパッケージができたらお送り致しますね。」
トルマド殿とネーベルさんと、しっかりと握手を交わす。
二人は引き続き、僕の活動をバックアップしてくれることを約束してくれた。
トルマド殿には、流通や人材の発注・派遣を。
ネーベルさんには、植物サンプルの採取と研究所の運用を任せることになった。
あまり忙しくなりすぎて申し訳ないと伝えたのだが、二人とも
「やることがあるのは楽しいから、気にしないで」
と、朗らかに快諾してくれた。
いやはや、頭が上がらないね。
でも、隣国でこれだけ手厚い支援を約束してくれる友がいること。
それは、素直に嬉しいことだ。
そして、僕はヴァルエルナから旅立った。
メイキドルア領へは馬車で向かう。
領域へはここから馬車で3日ほど。
メイキドルア領の最初の町まではそこからさらに1日だそうだ。
はじめ、「じゃあ、2週間くらいのんびり歩き旅できそうだね」なんて言って、荷物を背負って出発しようとした僕を必死で引き留めたトルマド殿の顔が忘れられそうにない。
「ご自身の立場をわきまえてくだされ! あと、私のメンツも!」とユーモアを交えながらも、かなり本気で抗議されたので、素直に馬車のお世話になることにした。
……ユーモアじゃなくて本気だった?
うん、そうです。
また僕が常識知らずな行動をしただけですね。
はい、反省します。
言い訳するようだけど、長命種にとって1週間も2週間も感覚が変わらないんだよ。
だから、つい「歩いていこうかな」なんて思ってしまう。
そういう別の時間感覚を持った相手と一緒にいると、自分のせいで無駄な時間を過ごさせてしまうんじゃないかなって余計な気を遣っちゃうんだよね。
だから、いつも旅立ちのときにはこういうやり取りが生まれてしまう。
1人でいくから大丈夫だよってね。
あ、これは誰にも言わないよ。
それこそトルマド殿やエーリスが聞いたら、好きで一緒の時間を過ごているのにとか、お役に立てることを望んでいるのにと怒らせることになるからね。
それに彼らからしてみれば、僕が時間を節約することで共に過ごせる時間が増えるのだから、むしろ頼ってくれないと困るということらしい。
ありがたい話だよね。
森を抜け出してからというもの、僕はエルフよりも、人間たちと過ごす時間のほうがずっと多くなったんだ。
いい加減、僕も人間のほうに近しい感覚を持てるようになってきたと思っていたんだけどな。
それでも、こうして漏れ出る身勝手さがある。
未熟を恥じ入るばかりだねぇ。
というか、若くないって。
この感覚がもうダメなんだよなぁ。
「ため息がもれてますよ、賢者さま。」
「賢者さまやめてねー。アルトゥスでいいってば。」
「そうはいいましても、旦那様の大事なお客様ですからねぇ。
それより、どうしてため息を?やはりお嬢様が心配ですかい?」
御者くんが、僕のぐるぐる思考から漏れ出たため息を聞き逃さずにそう聞いてきた。
まあ、エーリスは心配といえば心配だけど、それは身を案じるというよりは気にしちゃうって感じなんだよね。
あの子はしっかりしている。
嫌だと思ったこと、感じたことを素直に口には出すけど、そのあとでちゃんと自分で気持ちを整理して立ち上がる強さがあるから。
王子様に憧れる年頃ではあるけど、こちらに王子様の役目を押し付けないという分別がある。
自分と他人は違う存在だと、あの歳で理解している節がある。
これはなかなかできないことだ。
なんなら爺婆になってもそこらへん解ってないやつがゴロゴロいるなか、自然と他者を尊重できるあの子は大物になるだろう。
……あ、やばい。
爺婆と想像したら森の頑固ジジイを思い出して腹が立ってきた。
「……エーリスは賢い子だから心配してないよ。」
「そんな仏頂面で言われても信じられないですねぇ。」
あーもー、あのクソジジイのせいで変な勘違いされちゃったじゃないか。
「ちょっと嫌なこと思い出しただけさ。大したことじゃないよ。」
御者くんは少し気にしていたけれど、僕が話を切りたがっているのを察して、それ以上は聞いてこなかった。
「今日の泊まる町まではあとどのくらい?」
「夕刻までには着きますねぇ。明日は野宿になる予定でさぁ。」
「そうか。治安はどうだい?」
「まあ、この辺りはだいぶ良いですが、メイキドルアに着いたら少し警戒したほうがいいっすねぇ。」
「……あー、もしかして野盗?」
「野盗もそうですが、デンタールの群れがたまにでるんですわ。
森を追い出されるような弱いやつらが多いですが、それが群れを作っちまうことがありましてね。」
「そうなのか。そういうのに遭遇したらどうするの?」
「まあ、普通なら干し肉放り投げて逃げるっすねぇ。
ああ、今回は心配しなくてもメイキドルア領で護衛がついてくれるって話なんで、デンタールが出ても心配する必要はないですよ。」
「そうなのか。じゃあ、大船に乗ったつもりで任せておくかな。」
「そうしてください。他所の国のお偉いさんには指一本触れさせませんよ。」
そういって、御者くんはにやりと笑って帯剣している腰を叩いた。
おや、ただの御者かと思っていたけど、どうやら腕利きさんも兼ねていたらしい。
トルマド殿にしてはずいぶん帯同人数を絞ったなと思ったけど、そういうことね。
ま、僕もただ護られるだけの弱っちい存在じゃないけどさ。
久しぶりに戦闘の機会が訪れそうだっていうなら……
僕の武器も、そろそろ準備しておこうかな。
荷物に詰め込んだ、かつての相棒が入ったケースに、そっと手を置く。
久しぶりの出番に、こいつも喜んでくれると嬉しいな。




