第19話 旅立ちの前日
慌ただしく日は過ぎていく。
ある日は航海測量士と海図技師との面談で沿岸部に上陸できる洞窟を調査するよう依頼。
明くる日は海洋水生生物の研究員と僕が知っている生態の認識合わせ。
そのまた後日はミルシャさんの旦那さんにいつまでもミルシャさんをお借りしてることに対するお詫びとしてお酒を差し入れ。
またまた別の日にネーシアス代表から予算を引っ張ってくるために財務担当との会食を強制されたり。
隙間の時間も、最初の会食の際に人員や資材の売り込みをかけてきた領主代理の人たちのところへ訪ね、個別に会食と今後の協力を求めるなど、スポンサー集めも欠かさない。
特に塩と土壌改善で植物を研究している代行からは高品質な塩と土壌の塩分を吸い出す植物のサンプルをもらってきた。
正直、いきなりサンプル欲しいというのは図々しすぎるかな?と思っていた。
だが、最初から渡すつもりでしたとにこやかに種と乾燥させた葉を持たせていただけた。
何度もいいたい。この土壌の塩分吸う植物は凄い発見だ。
資料と研究員も送るので、ご活用くださいともいってくれた。
もちろん、僕の今まで研究してきた知識を代わりに提供してほしいと頼まれたが、それくらいお安い御用といいたいくらいとんでもない植物だと思う。
名前がサリグラスとシンプルなのもよい。
中央の荒地の状態次第ではこのサリグラスの研究が役に立つだろう。
いずれ直接領地に赴いて視察させてもらうことになりそうだ。
そうして忙しい毎日が続き、僕のルビーナ滞在は結局1か月ほど続いた。
僕は今、荷造りをしている。
明日はいよいよ開墾予定地であるメイキドルア領へ出発することになったのだ。
旅の工程としては、一度入国した際お世話になったヴァルエルナ領へ向かい、トルマド殿たちのところで荷物を回収する。
そして、メイキドルアからの迎えがくるまで滞在してから、あらためて現地へ向かう予定だ。
滞在中はミリアルデ家に恩返ししつつ、ヴァルエルナの周辺も少し調査しておきたいね。
調査の日々の中、報告連絡も絶やさない。
リヴェリナ王国へ計画予定を送ったり、エーリス姫との他愛無いお手紙のやり取りもあった。
リヴェリナ王からの返信には10年単位の計画を立てたことに対して苦言が入ったり、ちゃんと1年に一度の帰国は問題なく行うようにしつこく書かれたりしてた。
対するエーリス姫からは最近あったことや、母親と一緒に、僕が預けた多肉植物を育てていること。
その植物が畑に根付いて上手く育ち始めたこと喜びを伝えるような微笑ましいお手紙だった。
「こんごは、どのくらいそだったらせいぶんをちゅうしゅつすればよいかをけんきゅうするそうです。
アルトゥスさまによいほうこくができそうだとつたえてほしいとたのまれました。」
……いや、多分これネーベルさんがエーリス姫のお手紙に成果報告を紛れ込ませ、言及してもらえるよう仕込んであるな?
そんなことしなくても、報告書ベースの手紙が来たら、ちゃんと読むよ?
エーリス姫への返信にはルビーナの市場で買ったドライフラワーを同封して、元気にしていること。
シルバナ君にもよろしく伝えて欲しいこと。
術式の勉強に興味ないかを尋ねる内容にしておこう。
ネーベルさんには別途の手紙で、抽出方法として多肉部分の葉は圧搾法を試すよう伝えておこうかな。
葉肉を搾り取ったら、蒸留水で溶き、清潔な布で濾す方法を推奨する資料を入れておこう。
その際に熱を加えるような工程は極力行わないよう注意書きもしておく。
あとは、葉っぱをすべて切り落としてもしばらくしたら元に戻るはずだが、その際は別の場所に植えなおしておくことを推奨しておこう。
このあたりの塩梅は園芸が得意な庭師が自発的にやってくれている可能性もあるけど、念のためね。
帰ったら熱を加えたり冷やしたりすることで香りや効き目が変わらないかの実験もしないとなぁ。
やることが多くてワクワクしてくる。
荷造りといっても、僕の荷物は大した量じゃない。
早々に準備を終わらせた後は図書室へ向かう。
ここには今まで集めた資料がてんこ盛りとなってしまった。
いくつかは持っていく必要はあるが、ほとんどの資料は返却しなければならない。
自分が使ったものだし、片付けようとする。
「アルトゥス様!?資料の片付けなど、我々にお任せください!!」
僕が資料をまとめたり、机の片付けをしていると、血相を変えて飛び込んできたメイドさんがそう叫んだ。
勢いはあるけど、優しく資料を預かろうとするあたりに教育が行き届いているということがよくわかる。
「えー?でも自分が使ったものだし。」
「他国からのお客様にそんなことをさせては我々が叱られてしまいます!
あえて手を出さないことが助けることだと思って、ここはおまかせください!」
むむむ、もっともである。
僕はひとりで過ごす時間が多かったので、自分で使ったものは自分で片付けなければという意識がある。
しかし、立場的にはそういうことをしてはいけないというのもわかる。
手持ち無沙汰になっちゃったからついね。
どうしたものかなぁ?
図書室から追い出されてしまった僕は、うーんと悩んでしまう。
「アルトゥス様?そんなところに立ってどうしたのですか?」
そんな暇な僕の前に立場上、相手をしてくれる頼もしい救世主ミルシャさんが現れた。
「明日出発するから、最後に片付けしようとしたら追い出されちゃった。」
「……お客様なんですから、使用人の仕事を奪うような真似はおやめくださいね?」
そんなあきれ顔でいわないでよ。
わかってるよ。
でも、やること済んで退屈だしさぁ。
「はあ。
しばらく忙しかったのですから、今日くらいのんびりとしていただこうと気を遣ったんですよ?」
「あんまりに忙しかったから、急に何もないとこう……ね?
ミルシャさんならわかるでしょ?」
「……わかりたくないですが、わかります。
……まったく。
それでは最終日も私がお付き合いしますよ。」
「お。デートしてくれるの?」
「不倫はしないと決めてますので、お友達としてご案内するだけですよ?」
「つれなーい。」
「既婚者をからかうのはいい趣味とはいえませんよ?」
そういってミルシャさんは苦笑する。
この一カ月で彼女とはかなり砕けた関係になった。
旦那さんとも仲良くなったし、彼女としても気兼ねなく僕に接する余裕が生まれたのだろう。
ミルシャさんを誘って訪れたのは敷地内の塔だ。
この敷地は潮風に強い木々て囲んでいるため、屋敷から直接海を眺めることはできない。
そのため、屋敷から少し離れたところに塔がある。
ここからはよく海が見えるため、滞在中で少し一息入れたくなったときによく利用していた。
「ミルシャさん。いままでありがとう。
これは今回の旅で僕が持ち込んだ最後のお酒だよ。」
僕はそういって彼女に薫滴酒の最後の一瓶を渡した。
「本当に、何本持っているんですか。」
彼女は呆れたように言う。
うーん、ルビーナに持ち込んだものとしては親書とメモ、それに武器以外の手荷物はほぼお酒かな?
「だって、みんな好きでしょ?
お酒を持っていくとみんな仲良くしてくれる。
美味しいものは人をつなぐんだ。」
僕はアリヴィエの特産であるサリリモーネのお酒を傾けながらそういった。
これもいいお酒だ。
麦酒とリモーネの果汁の相性も良かったし、この柑橘の実は様々な形でアリヴィエの食糧事情を支えている。
僕は麦を主体としたお酒ばかり追い求めているが、いつかは果実のお酒も造ってみたい。
「つながりはありますが、別れは寂しくなりますね。」
ミルシャさんがぽつりとつぶやく。
別れは寂しい。
本当にそうだ。
「……見送っても見送っても、いつまでも慣れない。別れは寂しいものだ。」
僕のつぶやきは彼女に向けてのつぶやきなのだろうか。
それとも、過去を振り返ったあの人たちを思い浮かべてしまったのだろうか。
ただ、誰に向けてでもなく自然と漏れてしまった気持ちが言葉になった。
彼女は驚いたように振り向く。
「そう思えば、キミはまだ若い。
僕とはまだまだいろんなところで会えるはずだよ。
だから、寂しくなったら呼んでくれ。
こう見えてフットワークは軽いんだ。」
僕はおどけてそう笑っていった。
その表情を見て、どこか辛そうにするミルシャさん。
本当に優しい人だ。
人の痛みに寄り添おうという気概がなければ、どう答えていいのかわからなければ。
どうやっても理解できますとは言えないことを苦悶しなければ、その顔はできない。
「そんなこといったら、一カ月もしないうちに寂しいので会いに来てくださいなんて言っちゃいますよ?」
だから、彼女は冗談をいうことにしたんだろう。
それでいい。
寄り添えないことを、気持ちを1つにできないことを思い悩む必要なんてない。
人には限界がある。
その限界を理解した上で、できないことに手を伸ばすことをあきらめること。
それもひとつの勇気だ。
そして、それなら笑っていてほしい。
「旦那さんに恨まれちゃうから、3カ月くらいは我慢してね?」
だから僕も何でもないことだと伝えるように戯けて見せる。
そうすれば貴方は僕が欲しい言葉を返してくれるはず。
そう信じたくなる。
僕の眼を見たミルシャさんはイタズラな笑顔を見せてこう言った。
「――私、こうみえて旦那様一筋なんですよ。
だから、私から寂しくなって会いには行けそうもないです。
きっと私に会いたくなって、アルトゥス様が来てしまうことになるでしょう。」
ああ、ありがとう。
貴方は強く美しい女性だ。
僕が期待していた言葉を贈ってくれる。
それが何より嬉しかった。
アリヴィエの海に日が沈んでゆくのをミルシャさんと飲み交わしながら見送る。
この日がまた昇って明日が来たら、僕は彼女が傍らにいない旅に出る。
新しい空の下には、どんな出会いがあるのだろうか。




