第16話 海の女は強かである
「ナートだよ。よろしく!可愛いお兄さん!」
かなり軽い感じの自己紹介をしてくれたのが、本日もう1人会う予定だった女性。
ナートさんである。
職業柄海に潜るのに都合がよいためなのか、髪型はベリーショートボブカット。
髪色は黒にちかい深い色をした緑色。
瞳の色も似た色をしている。
年齢は43といっていたが、見た目より随分若々しく見える。
落ち着いた大人の女性を感じる声色と、どことなく蠱惑的なたれ目がそうさせているのだろうか。
年齢を感じさせない雰囲気がある。
「ナートおばさん。昨日もいったでしょ?
アルトゥス様はエルフだから、こう見えて私たちよりずっと年上なの。」
「そういわれても、可愛いのは可愛いとしか言いようがないじゃない。
ミルシャだって、こういう整った顔の男は嫌いじゃないでしょ?」
「私には夫がいますので、ノーコメントとさせていただきますっ。」
「身持ちが固いねぇ……。
別にお付き合いするわけでもないだろ?
いい男なんだから、仲良くしたらいいじゃないの。ねえ?」
「流石に夫婦の間に余計な波風は立たせたくないですねぇ。」
「そうかしら?波風あるから海は綺麗なのに。」
「荒海に漕ぎ出す覚悟の船を持ち合わせてないんでね。」
「あら、お上手。」
そういってこちらにウインクして笑う。
うん、魅力的な大人の色気を感じる女性でいいね。
「おめえはもうちょっと目上に対する態度ってもんを何とかできねえのか?」
そんな彼女を呆れたように窘めながら、大きな皿をもって来たのはガンゼさんだ。
大皿には捌いたばかりの大きな白身の魚の刺身が盛り付けられている。
クラリマリナという白身の魚らしい。
さっき捌く前の魚を見せてもらったが、確かに大物だった。
ガンゼさんが両腕開いてなお余るサイズの白身の魚。
期待が高まるというものだ。
刺身にしているのは半身で、残りの半身は塩釜にして蒸し焼きにしているそうだ。
先ほどからその香りが鼻をくすぐっている。
そちらも完成が楽しみである。
「ガンゼさんくらいの貫禄があるなら敬うことを考えるよ。
でも、このどこぞの王子様みたいな方なら口説きたくもなるもんだろ?」
「やめとけ。お前じゃ手に負えん。
見た目よりずーっと貫禄深いお方だよ。」
ガンゼさんは香草をパラパラと刺身に塗して仕上げていく。
後ろでは手馴れた様子で先ほどナートさんを連れてきたお弟子さんが、僕たちに取り皿を用意しつつ、茶色いソースのようなものやリモーネの絞り汁に塩を溶いたものを詰めた容器などを机に用意している。
「ガンゼさんがそこまでいうなんて、本当にエルフさんって凄いのね。
ねえ、お酌してくれる?」
「いいよー。」
「アルトゥス様!」
ナートさんの緩い態度に目くじらを立てるミルシャさんが、ちょっとは威厳を持ってくださいという視線をぶつけてくる。
「固いこといわないでよ~。ミルシャさんも飲む?」
「お仕事終わったら飲みますっ!!」
「結局飲むんじゃねえっすか……。」
お弟子さんのツッコミに対して、ミルシャさんがにっこりとほほ笑んだ。
それを見たお弟子さんが顔を青くして、冗談っすよと声を震わせている。
女の人を怒らしちゃだめだよ。
特に既婚女性は本当に強い。
絶対に敵に回すべからずだよ。
***
「で、ガンゼさんがとれたて振る舞うほど気前がいい理由っていうのがこのお酒かい。」
そういって、ナードさんは僕が酌したエルノートをまじまじと眺める。
一通り回したり、香りを嗅いだりしてからぐいっと一口をつける。
一瞬目が丸くなると、驚いた様子で口を離す。
そして、魚をいくつかぽいっと口に放り込んでまた一口。
最後の一口は、口でしばらく転がすようにゆっくりと嚥下する。
ほぅっという艶っぽいため息とともに、唇をぺろりとひとなめした。
「……旨い。」
感無量といったように目を閉じてそう言った。
「なんだいこいつは?
口に入れる前はなんだか青草のような香りが強い酒だねぇって思ったのに。
口にした味は柑橘系のフルーツのようじゃないか。
あと、香りの変化!
なんで口に入れる前の香りは葉っぱみたいな香りだったのに、口に入れたらその草が鳴りを潜めてリモーネの砂糖漬けを思わせるような甘酸っぱい香りが。
そして、それがエステアの香草の刺激的な香りにかわって、最終的にミアンの花のようなフローラルな香りに変わっていくんだよ!?
どうやったらこんな表現が難しい酒が造れるっていうんだい!!」
やるねぇ。ナートさんはお酒の楽しみ方を熟知してるタイプか。
いろんな素材が入り乱れる残留酒精だからこその香りの混ざり具合や複雑さを丁寧にかぎ分けられている。
ちなみに、僕もここまで香りの変化を察知できていたかと聞かれると、少々疑問だ。
「……それだけに惜しいねぇ。そうだろう?お兄さん?」
「惜しいかい?」
「だって、そうだろう。こいつはまだ未完成だ。
……若すぎるんだよ、こいつは。
さわやかな草と柑橘の香りが前面に出すぎてる。
旨いけど、底がちょっと浅いんだ。
さっきあたしはクラリマリナの刺身とこの酒を一緒にしてみただろ?
そしたら、味に奥行きを感じたんだ。
つまり、こいつ単体には年期が足りてない。
角が丸くなって、味が落ち着いて、歳をとった酒にしかないまろみってやつだ。
それを出すために――軽くみて10年足りてない。」
「ナートさん、僕と酒造らない?」
「アルトゥス様!?うちの国の漁師全員お酒造りに巻き込む気ですか!?」
いや、だってすっごい的確な分析なんだもん。
そう、エルノートは現状だと若すぎるんだ。
この若さでこのポテンシャルは特筆すべき長所ではある。
が、未来を見据えればこれをそのまま世に出すのはもったいない。
時間をかけてさらに熟成させてみたときがこいつの本領発揮だ。
その味は今のエルノートでは比較にならないはずだ。
そう断言できるほどに現段階での懐の深さと複雑さを内包している。
「うーん、俺には十分旨い酒なんだがなぁ。
……だが、たしかにクラリの刺身と合わせると、一段旨さが深くなっている気がする。」
ガンゼさんはナートさんと同じように口にクラリマリナの刺身をいくつか放りこんでから一口エルノートを飲む。
じっくりと咀嚼して飲み込んで出たのが、その言葉だ。
魚の旨味がお酒に溶けて、味に深みを感じられる仕組みだね。
白身で淡白な味付けであるクラリマリナの刺身だからこそできた旨味の後から追加である。
「いや、旨いよ。間違いない。
ガンゼさんが唸るのも無理はないっしょ。
あくまで、若いってだけ。
なんなら若い酒なのにそこらの寝かせた酒より複雑な味がするから、とんでもないって話。
他所からいろんな酒が入ってくるけど、こんな酒は滅多にお目に掛かれないんじゃないかな。
それこそ、お兄さんの本命の麦酒と肩を並べる酒になるのは間違いない。
10年後は麦の賢者じゃなくて、エルノートの賢者とか、酒の神様とか言われてるんじゃないの?」
「現人神は嫌だなぁ。
それに、僕は麦酒のほうが本命だし。」
「それはよかった。
あたしもお兄さんとはこのくらい気軽な距離のままがいいさね。」
そういってカラカラと彼女は笑った。
そんな彼女の様子をみて唸るのはガンゼさんだ。
「くそ、俺のほうが先に飲んだっていうのに。
……まあ、これより旨くなるから10年待ってくれってアルトゥス殿も言ってたしなぁ。」
年齢的にそれを俺が見破れんかったのが悔しい。とふてくされる。
「ふてくされなさんな。
ジジイにゃこの繊細さを理解しろっていうのは無理だって、わかってるよ。
あんたは旨いという直感でこいつを認めたんだ。
それはそれで、大した感性だよ。
それに、あたしは海に潜ってるんだ。
繊細な感覚っていうのが生き死にに関わるからね。」
「うるせぇ。船乗ってるほうも空気の変わり方とかで繊細な生き物だ。
漁師なめんなよ。」
「だから、身体1つで潜ってるのと、船の上の危険が別物だっつってんじゃないか。
そっちはそっちなりの苦労があるってわかってるっつーに。」
なんだか言い合いが始まってしまった。
ガンゼさんも貝拾いって呼んでたし、ちょっとしたライバル関係だったりするのかもしれない。
とはいえ、決して仲が悪いわけじゃないんだろう。
いろいろ歳や感性をいじる言葉はあれど、互いのやっている仕事を悪く言うことはない。
ナートさんとガンゼさんの関係は、お父さんとの距離が近い娘さんがいる家族のような気安さがあるというのが一番近いかな。
「まあ、ジジイの舌が耄碌してる話は置いといてさ。」
「置くな!表出るか!?」
「やだよ。
……お兄さんは私に何が聞きたかったの?
こんないいもの持ってきてくれたんだ。
さぞかし高い情報料に見合ったものが欲しいんだろ?」
「ご明察だよ。
僕が聞きたいのは、年間を通した海中の水温の変化。
季節ごとに取れる海藻を含めた海産物の種類。そして……。」
これが一番大事なことだよって意味を込めて指を一本たてる。
「ナートさんが一番好んで潜るポイント。そこの海中の様子が知りたい。」
その一言に、ナートさんの顔に真剣さが宿る。
さて、本番はここからだ。
僕は心の中で腕まくりをして、勝負に向かう。




