普遍的な優しさなんて、本当は存在しないのかもしれない
………うん、やっぱり淹れたてのお茶を飲むと胸の辺りがポカポカする気がするや。
まるで、優しさが体中に広がっていくような感じと言えばいいのかな………まぁ、とにかくほっとするってことだよ。
あ、優しさで思い出したことがあるんだけどさ?
………優しさって概念も、また不安定で境界線が曖昧になりがちなんだよね、これが。
優しさって国や地域の文化、時代やその人の状況、性格なんかにもよってコロコロ変わっちゃうんだ。
そうだね………例えば日本の料理、とんかつがあるじゃん?
あれ美味しいよね。さくさくの衣に柔らかい脂身と豚肉…ソースをかけても美味しいけど、ものによってはそのまま何もかけなくても美味しかったりする。
…まぁ、私にとっては胃もたれの原因になりやすくなっちゃったけどさ。
さて………そのとんかつって、大抵包丁で食べやすいサイズに切ってくれてたりするじゃない?
包丁で切ってくれてる理由って、おそらく日本人が箸を使って食べるからなんだよね。
でも、次は西洋のナイフとフォークを使うような地域のステーキを想像してみて?
あれって料理を提供された時、切られてないようなイメージをする人が多いんじゃないかな?
理由としては、ナイフとフォークがあるから。
………もしくはその逆の、ステーキみたいにカットしないと食べにくい料理があるからナイフとフォークができたのかもしれないけどさ?
さて、2つのパターンが想像できたところで本題だよ。
西洋の人のお客さんと、和食メインで作り続けていた料理人がいたとするじゃん?
ほら、ちょっと想像してみてごらん。
洋食の知識やマナーで生きてきた人と、和食の知識しかない状態で生きてきた料理人をさ?
西洋のお客さんにとっては、ステーキはナイフとフォークを使って食べるものという教育をされてきたと仮定しようか。
反対に……和食に完全特化した料理人は箸を使うことを想定して、『箸を使用した時に食べやすいように』あらかじめ食べやすいサイズに切ってしまう。
……うん、西洋の人はびっくりだろうね?
だって彼らの常識は『カットされていないステーキを、ナイフとフォークを用いて一口ずつ切り分けて食べる』ことなんだから。
………ま。このステーキの例に関しては、最近ではこういったすれ違いはないと思うんだけどね?
さっきの思考実験では、『文化やマナーの違いによる優しさのすれ違い』がちょびっとわかると思うんだ。
………だって、和食に完全特化した料理人はなにも嫌がらせでステーキを切り分けた訳じゃないんだからさ?
和食を作り続けてきた料理人としては、それが気遣いで『優しさ』だったんだ。
つまり、文化によって優しさが裏目に出る可能性があるってことだね。
先人の言葉によると、「無知は罪」らしいよ………。
君も、異文化間でのすれ違いには気を付けてね?
……もちろん、優しさの不安定さはそれだけじゃない。
同じ人でも、ゆっくりできる時と急いでいる時に求める優しさは変わってくると思わない?
ゆっくりできる時に、温かいティーカップ一杯のお茶とマッサージを提供したら喜んでくれるかもしれない。
でも、通勤や通学時間が迫っている時にその『サービス』をしてみてごらん?
きっとムッとした顔を向けてくれるか、優しく断ってくれるか………あるいは怒鳴ってくれるだろうね。
余裕がある時とない時によっても変わるんだから、いかに優しさというものが不安定であるかが理解できるんじゃないかな。
………普遍的な優しさなんて、もはや存在しないのかもね。
だって、文化や状況、性格が違ったらその人が求める優しさが違ってくるんだからさ。
私は、お茶休憩を君たちに提案してはいるけど………それでも、忙しい人やそれどころではない人も勿論居るわけだよ。
だから、今すぐにお茶休憩をしろとは言わない。
………まぁ、強制するべきものでもないからね。
それでも、一度ゆっくりと立ち止まれる時間があれば……君たちの人生がより豊かになるかもしれないということだけは、頭の片隅に置いてあげてよ。
………あ。
もう私の分のお茶を飲み終えてしまったよ。
うーん、どうしよう……まだお茶菓子も話題も残ってるんだけどね………。




