第六話 ただの従姉妹
異変に気づいたのは、彼女の振る舞ってくれた晩御飯を一緒に食べている時だった。落としてしまった箸の片方を拾ってくれた瑠美音と一瞬だけ指先が触れ合った。
「ありがとう..」
胸の奥がチリチリと痛むと同時に湧いてくる、この奇妙な感覚は何だろう?
以前は当たり前のように理解できていたはずの感情が、すっぽりと抜け落ちているような気がした。
「..。あのね」
「ど、どうしたの..。瑠美音?」
やけにしおらしい態度だった。お酒が回ったのか、頬も赤く染まっている彼女は俯き加減に呟いた。
「今日、さ..。彼氏いるなんて言ったけど、あれ嘘なんだよねぇ....」
「そうなんだ..」
「うん..。だからごめん。私は、、」
「私は..?」
「....。何でもない。少し酔ってるのかなぁ..? 変な事言ったよねー」
「..。それはそれとして、このカレーとてもよく出来てるよ。スパイスも良い感じに効いてて美味しいし..」
「ありがとう..。誰かに褒めてもらうのって、なんか久しぶりだなぁ」
「....。大学だと、そういう機会ないの..?」
「滅多にないよ。周りは優秀すぎるし、課題は多いし疲れるだけ..。こんな生活はいつまで続くのかな?」
「どうだろう。先の事は、あまり考えないようにしてるから..」
嘘だ。考えて悩んで、夢や希望を失い絶望した結果、俺は生を放棄する道を選んだ。
「良いねぇ。じゃあさ、こういうのはどうかな?」
「ん?」
「私はあなたの事が好きです。だからこのまま、ずぅっと一緒にいたいです」
「き、急にどうしたんだ?」
「冗談です。ただ、明日も頑張れるように、今は甘えさせて」
「..好きにすれば」
「....うん。やっぱり、居心地良いなぁココ」
♢
翌日も、彼女は家でゴロゴロしていた。大学生は9月中も休みだからだ。
「◯◯は高校に行かないのー? 今日は平日だよ〜」
ソファの上で最近流行りの漫画を読んでいる俺に、彼女は話しかけてきた。
「別にどうだって良いだろ..」
「そ。じゃあ、これから私と遊びに出かけよっか」
学校に行けとは言わないんだ。その言葉をグッと飲み込んで、瑠美音のいる方を向いた。
「どこに行くの?」
「新しい洋服を買いに、近くのショッピングモールまで」
「そんなの一人で良いだろ」
「だめぇ! 客観的な意見が欲しいの!」
「じゃあ大学の友人でも誘えば..? 俺、異性の服装とか全然詳しくないからさ」
「えぇ!?」
「....。仕方ないな。遅刻は確定だけど、今から高校に行ってくるよ」
そう言った瞬間、瑠美音は表情を和らげ俺の背中をポンと叩いた。
「偉いねぇ」
「あはは..」
久しぶりの制服に袖を通す。数ヶ月はクローゼットの隅に眠っていたが匂いは気にならなかった。
「久しぶりだけど、時間割は覚えてるの?」
「大丈夫」
学校へ向かう準備はものの数分で終わった。木曜日の午前10時32分、走って行けば3限にはギリ間に合う時間帯だ。玄関で靴べらを用意してくれた彼女に『いってきます』とだけ告げ、俺は足早に外へ出た。
振り返ると、扉の端から顔を覗かせる瑠美音がまだ俺に笑いかけている。何の疑問も抱かず、純粋な心で見送っているのだろう。胸の内は罪悪感でいっぱいになってくる。
本当は高校に行くつもりじゃない。あの家で従姉妹と二人きりなのが気まずくて、近所のゲーセンで時間を潰すだけ。人気のない昭和レトロな格闘技ゲームのコーナーで、aiの敵を倒す。
殴って、蹴って、踏み付ける。俺の小さな手の動きは、画面越しのキャラを縦横無尽に動かした。
「死ね。死ね。死ね」
気づけば独り言を呟いていた。モニターの中央に表示されたKOの文字を見つめる。
「おぉ! 懐かしいこのゲーム! ◯◯、結構強いんだねぇ」
だから後ろからその声が聞こえた時は、叫んでその場から逃げ出したかったのに、金縛りにあったように俺の身体はちっとも動かなかった。
「怒らないの?」
「....。この程度の嘘で、いちいちキレたりしませんよ」
「そ、そんなはずない。だって..」
外はにわか雨で、コンクリの地面の上は大小の水溜まりを作っていた。ガヤガヤしたゲーセンであっても、比較的静かなこの区画からは、降り頻る雨の音がよく聞こえるし雷も鳴っている。
無論ここに来た瑠美音はずぶ濡れだ。見たところ傘も持っていない。
「あぁ私の事なら気にしないで。それよりさ、早く家に帰ろ!」
「....。分かった。けど一つ聞いて良い? どうして俺がここにいるって分かったの?」
「あ、ええとね..」
考えるような仕草をした後、彼女は応えた。
「女の勘だよ」
毛先を弄りながら。それは嘘をついてる時の、瑠美音の癖である事を俺は知っていた。
「ごめん..」
「......。だから何も」
生きてて、ごめんなさい。
♢
家に着いた後、少し休憩するといってベッドの上に寝転んだ彼女は夕食の時間になってもリビングに戻ってこなかった。俺に至っては、自殺の覚悟は出来ているというのに少し不安になってくる。
「瑠美音」
彼女のいる寝室に入ると、中からゴホゴホと咳の声がした。鼻水が出ているのか、枕元にはティッシュが散乱している。顔もよく見たら真っ赤だ。
「ゴホッ。ごめんね..。風邪ひいちゃったみたい..」
「熱は?」
「さっき測ったら37.8度だったー」
こうなるのは薄々予感していた。元来、瑠美音の身体はあまり強くないからだ。
「冷えピタと水、持ってくるよ」
「あ、ありがとうね..」
この時、自殺という選択は頭の中のどこにもなかった。
瑠美音が主人公の居場所を特定出来た理由は学校からの連絡です。というのも、制服姿で平日の真昼間にゲーセンで遊んでいる彼を見かけた地元住民から、彼の通う高校に匿名の通報があったのです。本来であれば担当教諭が現地に向かいますが、主人公の現在の状況も鑑み(不登校児一人の為に教師を派遣するのが面倒くさかったため)、代わりに保護者を向かわせようと判断したわけです。しかし肝心の両親は不在、真っ先に受話器を取った従姉妹の瑠美音は事態を知るや否や、身支度も済ませず大慌てで家を飛び出し、彼の元に向かいました。この時の心中は明かさず仕舞いですが、怒ってないという彼女の発言は事実です。