第三話 本音と花火
昔から、自分の事が嫌いでたまらなかった。
思春期の最中、周りの奴に比べ身体の成長が遅かった俺がレギュラーの座を勝ち取るためには、人一倍の練習を重ねる必要があった。そのためには青春を犠牲にせざるを得ない。
勉強も、恋愛も全て捨てた。今更どう軌道修正すれば良い? サッカー以外にモノを知らない自分が、この世界をどう生き抜いていけば良い? 目的もない人生など苦痛でしかない。
だから死のう。明日こそと、何度も心の中で呟いた。
花火大会のチラシを見たのは、その日の帰り道のことだった。区の掲示板で大々的な告知が為されている。毎年県外からも多くの人が訪れるから名称は知っていたが、実際に見た事は一度もない。
見るつもりも無かった。こんなものに興味を持つわけがない。「馬鹿だな」と愚痴ると、近くから奴の声がした。俺の行動を監視でもしているのか、偶然にしては遭遇率が高すぎる。
「行こうよ。花火大会」
彼女は妙に上擦った声で言った。
「行きたい! 花火見たい!」
「じゃあ一人で行ってくれば?」
「ああいう場所に一人で行くと浮くでしょ」
「....。もしかして誘ってきてる?」
「うん。私たち、明日死ぬんだから最後に思い出くらい作らないと損だよ」
「関係ない。俺は絶対に行かない」
「絶対に?」
「絶対にだ」
「そう..。残念だな。花火大会の実施される河川敷近くには沢山の屋台が並んでいてね..。そこのチョコバナナが本当に絶品なんだけど....」
「....チョコはもう何年も食ってない。糖質制限してたから」
「りんご飴も美味しいんだよね。夜ご飯は少ししょっぱかったから、甘いものでお口直ししたいなぁ..」
「....おい」
「何?」
まるでこれから俺の言う事を見透かしたかのような、小馬鹿にした笑みが気に食わない。しかし彼女とのあまりの思考の一致から、内心かなり驚いているのも事実だ。
それを純粋に認める事も出来ず、ふて腐れたように応えた。
「屋台だけだったら、行ってやっても良い..」
「何その言い方?」
「う....。い、行きたいです」
「仕方ないなぁ..。じゃ、早速向かおうか」
「うん。でも花火は見ないからな」
一応念を押したが、彼女はそれに構う素振りも見せない。ただ屈託のない笑みを浮かべ、夜道を走っていく。
その後ろ姿を追いかける途中、ビルのガラス扉に反射された自分の顔が目に入った。
「え....?」
そこには、彼女と同じような表情を浮かべる俺が映っていた。
♢
「うわぁ。凄い人がいるねぇ....」
案の定、祭りの会場は大変な賑わいをみせていた。よく分からない言語が四方八方を飛び交い、浴衣服姿の女性達がゲラゲラと品の無い笑い声をあげている。
遠くの方からは、酔っ払った男性の奇声が聞こえてくる。汗と香水の混ざった気持ちの悪い匂いと暑さにやられたのか、頭がくらくらしてくる。こんな場所に一秒でもいたくないという願望は徐々に強まっていた。
「お前はこういう場所、平気か?」
「うん。一体感があってとっても楽しいよ!」
「嘘だろ..。ちっとも理解できない」
「えぇ? 私には君も楽しんでるように見えるけど」
「まさか..」
その言葉とは裏腹に、実際はかなり充実した気分を味わっていた。少なくとも孤独は感じないからか、彼女と一緒にいるからか、辛い現実から目を背けていられるような気がした。
「....。暑いし、ラムネでも飲むか?」
「おぉ! それは名案だね。喉も渇いていたし丁度いいかも」
そうだ。せっかく来たんだから楽しまないと勿体無い。今は忘れていたい。
現実ーー
「あ....。◯◯君だよね。サッカーで怪我したって聞いたけど、大丈夫..?」
屋台で売り子をしている、高校の同級生。
その人は、今の俺が考え得る限り最も会いたくない”属性”をもつ相手だった。こんな場所で出くわすとは思いもよらず、完全に油断したのは自分の落ち度だ。
すぐに逃げ出したい衝動に駆られる。身体は動かないし、怖くて声も出ない。
「大丈夫..? 顔色悪いよ....?」
大丈夫という問いかけは、つくづく呪いの言葉だと思った。
『どんなに辛くても大丈夫と言え』と、命令されているような気分になるからだ。
労いの言葉なんていらない。無視してくれた方が百倍マシだ。
それでも自分の本音を隠さないとこの状況は乗り切れない。いつもみたいに割り切って考えれば、辛い思いをするのは俺一人で済む。本当は吐きそうで、相変わらず頭痛も酷いし気分は最悪だけど..。
大丈夫ーー
「大丈夫じゃないよ....。見れば、分かるだろ..」
え?
思わず自分の口を塞いだ。今のはなんだ?
「あ....。ご、ごめーー」
「良いんだよ! な、何でもない! だから気にしないでくれ!!」
腹の奥から絞り出すように、そう声を発するのがやっとだった。
「で、でも....」
言い放った直後、俺はその場から逃げ出した。無我夢中で走った。屋台のチョコバナナもりんご飴も、もうどうでも良かった。あんな心の無い発言をしてしまった事の後悔で、胸が押し潰されそうになった。
あの場所に戻って謝罪するべきか、何度も頭の中で逡巡した。時間が経つのも忘れ、俺は悩み続けた。しかしもうどうしようもないと悟った時、必然と虚無感に近い何かが脳内を埋め尽くした。
その直後だった。無数の閃光が束となり、幕の隙間を照らし出すー
色鮮やかな輝きに思わず息を呑む。頭上を見上げた。隣に座る、彼女も静かに呟いた。
「ねぇ..。だから言ったでしょ。私はここに来て、最後に花火を見たいだけだった..」
麻布十番納涼まつりという人口密度高めな祭りが23~24日に開催されてるので、興味のある方は是非足を運んでみてください。関係者ではありませんが地元なので一応宣伝しておきます。