第一話 一日の終わり
三日前、母にお遣いを頼まれて、近所のスーパーでカップアイスを買いに外へ出た。
暑い日差しの照りつける中、舗装されたコンクリの上を歩いた。レジ袋を両手に引っ提げながら、左右に振れる。空っぽになった頭の中で、自殺という言葉が浮かんだ。
このクソみたいな人生を終わらせても良いんじゃないかと思った。
翌日、飛び降りることを決意したため、窓を開けバルコニーに出た。都営住宅の7階からであればいける。痛くないかとか、家族に対する心残りはまるで感じなかった。心は冷え切っている。
何も感じないのは、いつからだろう? 思考を放棄したのはーー
「貴方も..。死にたいの?」
その時、俺に語りかける声があった。その方向は定かだった。横に視線を送ると、そこには見窄らしい服装の、女性の姿が映っていた。
死にたいと応えると、彼女は静かに頷いてから口を開いた。
「私も死にたい。けど、今すぐには死にたくない」
「それは問題の先送りでは?」
動揺の色を浮かべる。彼女の迷いを見透かした俺は、内心得意気になっていた。
「そうなのかもね..。じゃあ、貴方が決めてよ....」
ふざけているのか?
『生殺与奪の権を他人に握らせるな』と、どっかの水柱が仰っていただろう。
「うふふ..。私、それはアニメしか見てないよ」
「一緒だな。って..。それはともかく、お前の生死を俺はどうこうするつもりはない」
「どうして?」
「面倒臭いからだ。誰かの自殺を幇助するのは気分が悪い」
「そう..。じゃあ決めた」
「え?」
「貴方が死んだら、私も死ぬ」
「....。ふざけるなよ」
「まさか。私は至って真剣に考えているの。今の提案のどこが問題?」
「俺の後を追って死ぬみたいな感じが嫌だ」
「..? 死んでしまえば、私の生死は見届けられないよ」
「生きてるか死んでるか分からない。まるでーー」
シュレディンガーの猫だ。
「ねぇ。それ本当に意味を理解して使ってるの? SF小説に触発されすぎじゃない?」
痛いところをつかれ、反論できずに黙り込むと、彼女は案の定意地の悪い笑みを浮かべた。
「男の子って好きだよね。ドヤ顔で難しい言葉使うのとかさ..。可愛い」
「......」
初対面の女性にいじられ、悔しさと恥ずかしさ、嬉しさの入り混じる妙な感覚に陥った。
最後にこうして、誰かと他愛もない会話をしたのはいつだったっけ?
「あれれ..。なんで泣くかな..? もしかして君、いじられたら興奮するタイプの変態さん..?」
「ち、違う..」
そう声を発するのがやっとだった。喉の奥から絞り出したため、痰が絡んで咽せた。両手で顔を擦りながら、何度も咳をした。そのせいで、言いたい事があるわけでもないのに必死に訴えかけるみたいな格好になった。
高二でこれはダサすぎると自分でも思う。号泣した経験なんて、小学生の頃にうんこを漏らして以来だ。
♢
「あれ? 結局、今日は死なないの?」
「うん..。こんなみっともないとこ見せちゃって、なんかごめんな」
涙が引いてきた辺りで、頭も少しずつ冷静さを取り戻していた。もう大丈夫と顔を上げた時、彼女はまた笑った。
「ねぇ君の名前は?」
「<主人公>」
「へぇ..。思ってたよりずっと良い名前だね。私のなんて、もっと平凡だから」
「なんて言うの?」
「ーーーーだよ」
「ん..? ごめん..。上手く聞き取れなかった」
「....。別に良いよ。もうすぐ死ぬ人間同士、知ってても意味はないでしょ」
「......そうだね」
「じゃあ私はこれで。夜ご飯を作らないといけないの..」
「あ..そうなんだ」
いつもと変わらない日常に戻るのは、彼女も同様であるらしい。その目的も一致するとは思わなかったが、今から食材を調達しに行く余裕はないだろう。
「有り合わせのもので済ませないと..。インスタントは避けたい..」
先日の残りを頭の中で思い浮かべる。味噌汁とおかずが少々くらいといったところか。一人前なら問題ないと思ったあたりで、俺は彼女にお辞儀をしてから台所に向かおうとした。
子供部屋に足を踏み入れた瞬間、冷や汗が止まらなくなった。立っているのもやっとで、壁にもたれかかったまま動けなくなった。動悸も収まらない。
そりゃそうだ。本来であれば俺はもう、ここに戻る事はなかった。高所から落下し死ぬはずだった。しかし現状は違う。俺はクーラーの効いた中、夕飯の献立を考えている。異常事態、自分にはまだ覚悟が足りない。
意志も弱い。もう手詰まりな現実を、打破する唯一の手段に、及ぶ度胸もない。猛烈に死にたいのに、頭の中の片隅で、それを拒む奴がいる。さっきから何度も何度も、、
「まだ、死なない....」
今日が無理なら、明日で良い。
実験レポート書くよりこっちのが面白い。