表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/21

松山志穂 4


 「すみません。初対面なのに、いきなりこんな話を…」

 長谷川さんはハッとして謝った。あたしは、何故かこの人がとても可哀想だと思っていた。

「生きていることは、悪いことじゃないです。でも、その彼がした行動も、間違っていないと思います」

 あたしはゆっくりと言った。話に出てきた"彼"の姿が鮮明に浮かんだ。

「松山さんには、本当にご迷惑をおかけしました。本当に、申し訳ありませんでした…」

 長谷川さんは深く頭を下げて言った。

「頭を上げてください。誰も悪くないです。悪いのは……」

 悪いのは、何?

 あたしは、悪いのは花だと言いかけた。花が好きだったあたしが、花に罪をなすりつけていた。

「…やめましょう。もう、終わってしまったんですから」

 あたしは、少し残酷に言ったかもしれない。そのあとに見た千佳の遺体の首の痕から、あたしは目を背けてしまった。



 あたしは、葬儀が終わった後、りっくんの家に向かった。数ヶ月前と全く変わらない何も無い空間が、そこにはあった。

「ごめんください」

 あたしは大きめの声で言った。本当に人が居るのかもわからない空間に、声が染みていった。

「あの…ここの人、何週間も前に出て行ったみたいですけど…」

 通りかかった人が、あたしにそう伝えてくれた。

「どこに行ったか、分かりますか?」

「それは……とても話しかけてもいいような状態では無かったですし…」

 その人の言葉を聞いて、あたしは鮮明にその時の状況を想像できた。

「そうですか…ありがとうございました」

 あたしはそう言って、その人に深くお辞儀した。もう、りっくんたちがどこにいるかも分からないんだ。そう思うと、涙が出そうだった。


 あたしは、真っ直ぐ家に帰りたくなくて、喪服のままあの川へ向かった。川に向かう途中、トラック事故があったという交差点も通った。黒いブレーキ跡がまだ鮮明に残っていて、事故の衝撃を思うとあたしはめまいがした。重し代わりの缶ジュースの下に、追悼のものと思われる手紙が何通か置かれていた。でも、花は、無かった。河井さんの笑顔を思い出すと、胸が締め付けられるような痛みを感じた。


 あの川の近くまで来ると、橋の上に白い服が見えた。あの時の男の子だった。

「久しぶり。あ、でも何カ月も前だから覚えてないか」

 あたしは、自然に話しかけた。この子はまだ花想病になっていない。少し安心した。

「覚えてるよ」

 男の子は、小さく呟いた。川に目をやると、ほとんどの花が萎れていて、白いじゅうたんはすっかり無くなっていた。そして、ひときわ目立つ黒い焦げ跡が代わりにあたしの目を引き付けた。

「あそこって…」

 あたしは、その焦げ跡を見ながら呟いた。

「そうだよ」

 男の子はあたしの言葉に答えてくれた。あそこで、河井さんが…

「もしかして、その時もここにいた?」

「見てたよ。はっきりと」

 あたしは、驚いて男の子を見た。それじゃあ、この子は人が死ぬところを見ていたことになる。

「どうして止めなかったの?」

「止めたよ。もうすぐ雨が降るよって」

 そんなのおかしい。理屈になってない。

「なにそれ。雨が降らなかったら、止めなかったってこと?」

 この子の考え方はおかしい。人の死をなんとも思ってない。

「あの人は本気だったよ。だから、雨が降るからって止めたんだ」

 あたしには理解できない。もう、何も分からない。

「わけ分かんないよ。死ぬのが正しいって言うの?」

 あたしは、もう泣きそうだった。あたしの周りで起こったたくさんの死が、軽く思われているようでつらかった。

「…答えがあるなら、誰も後悔なんてしない。哀しみもしない。誰かを愛したりもしない」

 男の子は小さく呟いた。その言葉は、あたしの知らない世界のもののように思えた。

「君は、何を知ってるの?」

 この子は、あたしなんかよりもきっとたくさんのことを知っている。そう感じた。

「分からない。ただ、見てきただけだよ」

 男の子は少し俯いて、目を閉じた。

「見てきたって、何を…?」

 男の子は何も答えないまま、自転車を押して去っていく。

「待ってよ!答えてよ!あたしに、教えてよ!」

「本気で何かを好きになればいいよ。そのもののために、何ができるか、考えてみればいい」

 男の子はその言葉を残して去って行った。取り残されたあたしは、何も考えられないまま、ずっと黒い焦げ跡を見ていた。



『本気で何かを好きになればいいよ。そのもののために、何ができるか、考えてみればいい』

 男の子の言葉を思い出す。そういえば、あたしは本気で何かを好きになったことがあるだろうか。黒い焦げ跡、むき出しの土。本気で何かを愛した跡だ。あたしは急に自分が憎くなった。そうだ、あたしは本気で何かを愛したことが無い。花が好き?バカだ。すぐに、あたしのつらさを花のせいにして楽になろうとしたくせに。

 あたしの大切なものって、なんなんだろう。そのために、何ができるんだろう。あたしは、本気で愛さなきゃいけない。後悔しなきゃいけない。哀しまなきゃいけない。この町には、その感情を向けるべき何かがある。あたしは、なんて愚かなんだろう。こんな歳になって、そんなことにも気付いてなかった。

 愛し方も、知らないんだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ