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松山志穂 3


 あたしは、珍しく花想病のニュースに見入っていた。トラックに轢かれて即死した女性と、同じ日に河原で焼死した男性、そのどちらも、あたしの知っている人だった。嬉しそうに植木鉢とじょうろを買った彼女の顔を、あたしはまだ、はっきりと覚えている。即死した彼女の近くには、鉢植えと枯れた花が転がっていたらしい。あの時の彼女の嬉しそうな顔の中には、すでに花想病の影があったんだ。あの時、止めることはできなかったのだろうか、そんなことを何時間も考えたけど、知識のないあたしには答えを出せるはずもなかった。

 また流行している謎の病気の被害者ですね。一刻も早く治療法が見つかってほしいですね。ニュースでは、他人事みたいにアナウンサーが喋っていた。



 あたしは、喪服を旅行鞄の中に入れて、もう一度あの町に向かう準備をしていた。

 千佳が死んだ。そう聞いたのはつい最近のことだ。実家に帰って数カ月経っていた。千佳は、あたしが実家に帰ってすぐに、花想病にかかっていた。あんなに幸せそうにしていたのに、もうこの世にいない。実感が、まるで沸かない。りっくんは、どうしてるんだろう。これ以上は、何も考えたくない。



「本当に行くの?すぐ帰ってくればいいのに、なんで向こうに住むの?」

 母はずっと心配してくれている。だけど、あたしはあの町に戻らなければいけないような、そんな気がしていた。

「大丈夫だよ、みんなが花想病になるわけじゃないんだから。じゃあ、行ってくるね」

 あの町に住む理由、あたしにも分からない。ただ、あたしは何かに惹きつけられるようにあの町に向かいたいと思った。電車に乗り込む時、ふと、ここにはもう二度と戻ってこないような感覚があたしを襲った。母には、いつでも会える。いつまで、いつでも会えるんだろう。



「志穂ちゃん、久しぶり。もう荷物届いてるよ。はい、鍵」

 大家さんは温かく迎えてくれた。あたしが実家に帰って以来、入居者は全く無かった。

「ありがとうございます…あの、隣の河井さんと浜井さんのお墓、どこにあるかご存知ですか?」

 あたしがそう聞いた時、大家さんの顔は暗くなってしまった。

「お互いの実家のある場所に、って聞いたけど…河井さんが大学卒業したら結婚する予定だったらしいのに、結局離れ離れなのね…」

 大家さんは悲しそうに言った。二人の墓参りは出来そうにないな。あたしはやけに冷静に思っていた。

「そうですか…ありがとうございました」

 あたしはそう言って自分の部屋に入った。また、ここに戻ってきたんだ。明日には、千佳の葬式がある。疲れを感じてはいなかったけど、あたしはすぐに眠りに就いた。



 翌日、あたしは着慣れない喪服に身を包んだ。夏の日差しを吸い込んで、とても暑く感じたはずなのに、この町の空気はいつだって冷たくて重い。

「はじめまして、松山志穂さんですよね?」

 喪服を着た男の人が、あたしにそう言って会釈した。

「はい、はじめまして。あなたが、千佳の婚約者の長谷川さんですか?」

「…はい。あの…申し訳ありませんでした」

 長谷川さんは、あたしにいきなり頭を下げた。

「千佳をあんな状態にしてしまったのは、僕の責任なんです…」

 長谷川さんは頭を下げたまま言った。

「どういう意味ですか?」

 あたしは、長谷川さんの言っている意味が分からなかった。千佳は花想病のせいで死んだと聞いていたのに。

「僕は、大学で教授をしていて、そこで、花想病を研究しています……」

 長谷川さんは、暗い声で話し始めた。



――

 大学で花想病についての授業をやっている時に、よく思う。生徒達には、花想病という病気があるという実感が無い。くだらないヤラセ番組を見ているような、そんな態度で僕の授業を受けている。どうせ、かかるわけない。そう思っている人はたくさんいた。かかったらどうもできないんだから、こんなことしても無駄だ。そう思っている人も、たくさんいた。


 ある日、千佳の部屋を訪れると、鉢植えが置いてあった。千佳の様子こそ普通だったが、僕は念のため、花想病の症状の有無の確認をした。千佳が席を外しているうちに、鉢植えを隠したんだ。

「花はどこ!?どこにやったの!?」

 戻ってきた千佳は血相を変えて僕に迫ってきた。

「今は部屋に花なんて置かない方がいいよ。物騒じゃないか」

「どこなの!?早く言ってよ!」

 千佳は僕の言葉に耳も傾けなかった。そして、僕は確信した。千佳は、花想病にかかったんだ。

「…ここだよ」

 僕は押し入れの中から鉢植えを取り出して、千佳に差し出した。千佳は、僕の手からそれを奪い取って大事そうに抱えて床に座り込んだ。

「…出て行って」

 千佳は、鉢植えを抱えたまま小さく呟いた。

「早く出て行ってよ!」

 今度は怒鳴って、小さく泣く声も聞こえてきた。それ以来、千佳は鉢植えを見つめたまま、返事もしてくれなくなった。


 それからしばらくして、生徒の一人が花想病について尋ねてきた。話を聞く限り、彼の大切な人が花想病にかかったようだった。彼は花想病の確認方法を聞いてきた。僕は千佳の反応を思い出して、あいまいな答えを言ってしまった。僕が正しいと思っていた確認方法は、とても危険なものだったんだ。僕はそのリスクを今まで考えなかった。僕は、彼に自分を重ねて、彼が少しでも長く大切な人と心を通わせられるように願った。


 その日の夕方、彼が、再び僕を訪ねてきた。彼は切羽詰まった様子で、僕に花想病の緩和の仕方を聞いてきた。

「昼間言った通りさ。完治はしない。症状の緩和は長い期間を置けば考えられるかもしれない。でも、そんなに長生きできないよ」

 僕は冷たく言った。そのとき、千佳の症状は全く良くなっていなかった。

「何も知らねぇのかよ!一年も研究してんだろ!なんか分かっただろ!治し方とか、さっさと、発見しろよ…」

 彼は僕の胸倉を掴んで、そう怒鳴った。そして、僕は気付いた。一年も研究していたのに、僕は千佳に何もしてやれないんだ。普通に考えれば、分かることだったじゃないか。鉢植えを、その人にとって一番大切なものを隠したらどうなるのか。僕はデータばかりに気を取られて、人間としての心も分からなくなっていたんだ。僕は償う気持ちで千佳に尽くした。空調や肥料を使って、少しでも花を枯れないようにした。でも、千佳は僕の方を向いてもくれなかった。


 夏が来て、彼が死んだ。同じ日に、浜井歩という人がトラックに轢かれて亡くなっていた。彼は、河原で大量の花と一緒に焼け死んだ。僕はすぐに理解した。彼は復讐をしたんだ。


 その数日後、千佳は死んだ。でも、僕は、彼のようにはできなかった。僕は、まだ、生きている。

――



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