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河井恭介 3


 「新しい鉢、買ってきたよ。肥料とか、育て方の本とかも、買ってきたよ」

 俺は買い物袋をテーブルの上に置いた。

「…うん」

 アユは花を見たまま、独り言みたいに言って、視界の端の袋を取った。

「ごめん。忘れ物したみたいだから、俺、ちょっと大学行ってくる」

「…うん」

 アユの返事はさっきと全く同じだった。愛されている感覚が薄れていく。



 そうだ、あの男の子にもう一度お礼を言っておこう。俺はヘルメットをかぶって、あの川にバイクを走らせた。橋の近くに行って、辺りを見回したが、誰もいなかった。もう、太陽も沈みかけている。多分、帰ったんだろう。俺はそのまま、大学へバイクを走らせた。



 大学についた頃には、太陽はもう沈んでいた。

「すみません」

 俺は、教授を呼び止めた。

「また花想病について、聞きたいことでも?」

「治し方、せめて、緩和の方法を教えてください!」

 俺は言いながら深く頭を下げた。

「昼間言った通りさ。完治はしない。症状の緩和は長い期間を置けば考えられるかもしれない。でも、そんなに長生きできないよ」

 残酷な言葉だった。とても冷たく聞こえた。

「何も知らねぇのかよ!一年も研究してんだろ!なんか分かっただろ!治し方とか、さっさと、発見しろよ…」

 俺は教授の胸倉を掴んで言ったが、途中で虚しくなった。ただ、やつあたりしているだけだった。

「何も出来なくて、ごめん。何をしても、効果がないんだ」

 教授は申し訳無さそうに言った。

「発症者にいろいろな実験をした。花をどこかへ持っていこうとしただけで、やめてほしいと嘆き出す。まるでそれが、自分の最も大切なものであるかのように、肌身離さず持っていたがる。花を枯らさない方法ならどうだ。押し花、ドライフラワー…だけど、どれも実践すらできなかった。発症者にとったら、最愛の人をホルマリン漬けするのと同じだからね。一年も経って何も変わらない。未知の病を究明してやるって情熱だけじゃどうにもならなかったよ。本当に、すまない」

 言い終わって教授は頭を下げた。

「僕らにできることは、ただ、花が枯れるまで、支えてやることだけなんだ。ただ、死ぬのを待つだけなんだ」

 教授は哀しそうに言った。まるで、自分も同じ苦しみを味わっているみたいに。

「…俺の大切な人が、最初の発症例と同じ花で、感染したみたいです…」

 アユのあの様子を思い出すと、胸が苦しくなる。

「あの花なら、七月ごろまでだろう。後悔の、ないようにね」

 教授は小さく言った。余命宣告だった。



「ただいま」

 リビングに入ると、新しい鉢に入れ替えたらしく、テーブルの上に少し土が散らばっていた。夕食も作ってなかった。

「机の上片付けて、すぐにご飯作るよ」

 俺はアユに向かって、出来る限り明るく言った。

「…うん」

 アユは、全く変わらない単調な返事をして、窓際に置いた鉢植えをずっと眺めていた。俺はしゃがんで、テーブルの上に散らばった土を片付けた。カバーをしたままの育て方の本がテーブルの下に落ちていた。鉢の入れ替えをしてからずっと、ああやって眺めていたんだろうか。

「夕飯、簡単なの作るけど、ごめんね」

 アユに向かって今度は優しく言ってみた。返事なんて、無かった。



「はい、できたよ」

 俺はいつものように、ラーメンを作った。バイト先でたまに作っているだけあって、味はそこそこ美味しい。アユも何度も褒めてくれた。でも、今は…

「…ごめんなさい。ありがとうございます」

 アユが、久々に口を利いてくれた。

「何が?お礼言われるようなことなんて、してないよ」

「…ご飯、作ってくれて、ありがとうございます」

 アユは平坦な声で言った。心がないみたいに。敬語で話されるのは、いつぶりだろう。付き合う前くらい、遠い。

「そんなこと、ないよ」

 俺の声も、知らない間に沈んでた。あんなことがあったばかりだ。こんな風になるのも仕方ない。

 もっとよく知ってあげて。あの時の男の子はそんなことを言っていた。アユの昔の話は、聞いたことが無い。でも、こんな状態のアユに聞けるわけがない。きっと、明日になれば、そうじゃなくても、明後日、明々後日…一週間も経てば、また元に戻るはずだ。そんな期待を抱いたまま、一ヶ月が過ぎた。


「いってらっしゃい」

 アユは、そう言って不器用に手を振った。

「うん、いってきます」

 俺はできる限り明るく振る舞い続けている。アユは少しだけ、回復した。バイトも辞めて、家に閉じこもったきりだけど。ちゃんと会話も出来るようになった。不器用な作り笑いくらいしかできないけれど。でも、花の寿命は近付いている。それと同時に、アユの寿命も。


「花が枯れた後、無理やり生かすことって、できないんですか?」

「おそらくできるよ。監禁して、食事も排泄も無理やりさせて、安静にさせてればいい。誰も試したことは無いけどね」

 教授は静かに言った。あの時のアユの様子を思い出して、あのまま生きさせると思うと、とてもできそうにない。

「…残酷ですね。生き地獄みたいだ」

「生き地獄だよ。発症者にとっても、発症者を想う人にとっても」

 教授と俺は、同じような想像をして、同じように感じている。同じような、経験を通して。

「発症者は、どんなことを想って過ごしているんでしょうね」

「僕らと一緒さ。大切な人が死んでしまうのをただ待っている。僕らよりも、拘束されて」

 教授はそう言って空を見上げた。

「結婚、する予定だったんですよね」

「ああ、でも、式なんて挙げられる状態じゃないよ」

 教授は左手の指輪を弄りながら言った。

「残念、ですね」

「お互い様さ」

 教授はそう言って笑った。無理やり作ったような笑いで、見ていて少し痛々しかった。空を見上げると、太陽が高く、強い日差しでこの町を照らしている。夏が来る。花が散ってしまうんだ。



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