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河井恭介 2


 テーブルの上に置かれた鉢植えと、その中に一輪しかない花を見たとき、俺は、思わず持っていた鍵を落とした。

「あ、おかえりー。今日は早いね」

 アユは機嫌よさそうに言った。

「その花、どうしたの…?」

「これ?恭介を驚かそうかと思ってお店行こうと思ったんだけど、バイクでどっか行くの見えたからそのまま散歩してたら見つけたの」

 アユの様子はいつもと変わらない。

「こんな時代に花なんて持って帰ってくるなよ…」

 俺は呆れながら言った。花だけじゃなくて植木鉢もジョウロも買ってきている。

「いいじゃん。可愛かったんだもん。松山さんの所の花屋で植木鉢とかも買ったんだよ」

 アユはそう言いながら鉢植えを窓の近くに置いた。

「なんとも無いの?」

 俺は言ってから、率直過ぎる質問だったと少し後悔した。

「なんとも無いの、って何が?」

「いや、なんでもない…」

 大丈夫なら、いいんだ。


「あの」

 次の日、大学で花想病を研究している教授を呼び止めた。

「何か用かい?」

 その声は、いつも念仏のように花想病のことを言うときよりも、ずっと優しかった。

「花想病について、詳しく教えてほしいんですけど…」

「いつもは寝てるくせに。どういう風の吹き回しだい?」

 その教授は三十代前半で、年齢が近いせいか喋り方が偉そうではなかった。

「いや、ちょっと気になることがあって…」

 アユのことはなるべく伏せたくて、少し言葉に詰まってしまった。

「何が知りたいのかな?」

 その様子が伝わってしまったのか、教授は詮索せずにいてくれた。

「花想病って、発症したら完治しないんですよね…?」

 俺は、やけに遜っている自分に気付いた。まるで、この教授が自分の最後の希望であるかのように。

「まぁね。今のところ、完治したって例は聞かないね」

「発症したら、どうすればいいんですか…」

 アユは発症したかも分からないのに、俺はすでに絶望していた。

「自分が発症したら、早いうちに大切な人に何か言うといい。大切な人が発症したら、一緒に居てあげることしか、できないよ」

 教授はそう言って、つらそうな顔をした。この人は、花想病の人を何人も見てきているから、花想病の人がどうなっていくか、分かるんだ。

「発症したか、知る方法ってあるんですか…?」

「自分自身に聞くといいよ。自分が発症していたら、その花が愛しい。大切な人が発症していたら、愛されている感覚が薄れていく」

 俺はその言葉を聞いて、アユが発症しているか、ますます分からなくなった。アユは普通に接してくれた。これからもずっと、そうしてくれるはずだ。いつまでも、続くはずだ。



 アユが花を持って帰ってきてから何日か経った。アユはいつも通り接してくれるから、不安はあるけど、大丈夫なんじゃないかなんて思ってしまっている。

「あ、そういえば松山さん引っ越しちゃったみたい」

 松山さん、確か花屋で働いていた人だ。アユが植木鉢やじょうろを買ったのも確か松山さんの働いている花屋だった。

「みたいって、あいさつとか来なかったの?」

「あたしも恭介も昼間はいないからね。夕方にちらっと見かけたけど元気なさそうだったから、何かあったのかも」

 花屋をやっているから、周りの冷たい視線がつらくなったのかもしれない。なんて勝手に思った。

「そっか、寂しくなるね」

「…うん」

 花と関わるってそういうことだ。花がうちにあるってだけで、同情の目で見られるかもしれない。アユがなんともないことが、いつまで続くだろう。漠然と思ってしまった。



「ただいま」

 バイトを終わって家に帰ったら、アユの靴がなかった。家はしんと静まり返っている。ちゃんと戸締りもしてあった。リビングに入って、真っ先に窓を見ると、鉢が、無くなっていた。俺は急いで外へ出て、バイクに乗ってあの川を目指した。


「アユー!」

 あの川の近くを走りながら、アユの名前を何度も呼んだが、アユの姿は、無かった。

 橋の近くに来たとき、学生服を着た男の子が立っていた。

「ねぇ、この近くに花を持った女の人来なかった?ここの花だったと思うんだけど」

 バイクを男の子の近くに止めて、尋ねた。

「もう少し散歩して、花屋に寄るって言ってた。あっちに歩いて行ったよ」

 男の子は、そう言って指差した。あっちには、確か松山さんが働いていた花屋がある。

「分かった、ありがとう!」

 叫ぶように言って、バイクを進ませた。

「あの人のこと、もっとよく知ってあげてね」

 男の子の声が、かすかに聞こえた。


 狭い通りをいくつか抜けて、ようやく花屋のある通りに出た。そして、その花屋の前の道路の上で泣いているアユを見つけた。

「アユ!」

 俺はバイクを乱暴に止めて、アユに駆け寄った。アユは一輪の花とほんの少しの土を抱えて泣いていた。鉢は割れて、アユのすぐそばに散らばっていた。

「恭介…花が……」

 アユの声は今まで聞いたことがないほど震えていた。まるで、大切な人が死んでしまうみたいに。

「待ってて、植木鉢持ってくるから!」

 俺はそう言って振り向いて、花屋へ走った。店先まで置いてあった花が無くなっている。店を閉めていたなんて知らなかった。

「すみません!鉢ありませんか!?」

 店内を見たら、鉢どころか花さえ無くなっていた。本当に、空っぽだった。

「持っていきたければ、持っていけばいいわ。この家の裏に転がっているから」

 店の中で、やつれた女の人が床に座り込んだまま言った。

「ありがとうございます!」

 そう言いながら急いで店の裏へ回ると、割れた植木鉢がゴミのように転がっていた。何度も破片が刺さって手が傷だらけになりながら、山のように詰まれた割れた植木鉢の中から使えそうなものを探した。そして、やっと鉢植えを見つけて、急いでアユのもとへ届けた。

「ありがと…」

 アユは大事そうに少し欠けた植木鉢の中に花を入れた。俺も手伝って、道路の土をかき集めて入れた。傷口に土が触れたけど、店の前に散らばった土もほとんど鉢に戻した。

 鉢植えを傷つけないように、ゆっくり歩いて帰った。

 なんで、俺らがこんな目に。関係ない。もう、そんな風に思えない。




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