河井恭介 1
花想病。
病気が流行りだしてしばらくすると、そう呼ばれるようになった。ネットのどこかでそう呼ばれて、それが次第に広まり定着したので、正式名称ではない。稀にある依存性を持った花を見ることにより発症。症状は人によってさまざまで、私生活に特に支障がない者から、口が利けなくなる者までいるが、日が経つにつれ、症状は悪化していくケースが多い。発症者は花が枯れると共に自殺し、それに失敗したとしても、正気に戻ることはない。治療法はなく、発症者は例外なく死ぬ。死因は自殺による死と安楽死がほとんどで、それ以外ではショック死などが数件確認されている。この町にある川に群生している白い花から発症した例によってその病気が知れ渡った。その後、全国各地で何件か症例が確認されたが、共通点が無く、原因は不明のまま。この町の白い花は一例に過ぎず、他の花で発症した者もいる。植物ならなんでもよいというわけではなく、木で発症した例は今のところない。発症者はこの町の川で特に多い。外国では確認されておらず、日本特有の病気となっている。研究を進める段階で何人か発症者が出ており、慎重な研究が進められているが、あまり進展はない。
なんて、大学で習ってどうするんだ。俺らには特に関係ない。毎度毎度念仏みたいに繰り返されているうちに覚えてしまったが、原因が分からないうえに治療法もないので知ってても仕方ない。対処法なんて花を見なければいいんだから、わざわざ教えてもらわなくてももうみんなやってる。それに、実際かかるわけがない。相手はただの花なのに。発症者がどう感じるとか、どうでもいいし、知りたくもない。そんなにこの病気が重要だと思うなら、実際にアンタがかかってみて調べろよ。なんて、教授を見ながら思った。
どこか都会でも田舎でもないとこに行こうと思って、中途半端な所を見つけて大学に入ってみたものの、あの病気のせいで授業は退屈だった。
「ただいま」
「おかえり。ご飯、作っといたよ」
アユが出迎えてくれた。
「あぁ、ありがと。仕事はもう終わったの?」
「うん、今日はお客さん少なくて楽だったよ」
アユは嬉しそうに笑った。俺はこの笑顔にやられたわけだ。
「どんどん楽になるけど、給料も下がっていっちゃうよね」
あの病気のせいで。俺は苦笑いした。
「だね。あ、そういえば今日、夜からバイトだっけ?」
アユはそう言いながら料理を机に並べてくれた。
「ありがと。うん、食ったらすぐ行くと思う。あ、片付けは手伝うよ」
「うん、気をつけてね」
気をつけてね。その言葉が指すのは交通事故か花想病か。アユのためにも、早くこの町から離れたいと改めて思った。
この町から人がどんどん減っていって、客もどんどん減っていって、もちろん給料もどんどん減っていく。家賃も下がっていくからそこまで痛手じゃないけど、このまま下がったら生活が厳しいかもしれない。大学を卒業するまでの辛抱だ。ずっとそう自分に言い聞かせてきた。俺が花想病にかかりたくないわけじゃない。アユにかかってほしくないだけ。大学を卒業したら、もっと明るい町に、引っ越して、働いてお金を稼いで、アユと結婚する。それが俺の夢だ。
アユは俺より一つ下だ。詳しくは聞けてないけど、大学には通っていない。それで空いた時間を、喫茶店でバイトして潰していた。そこで働いてるアユを見つけた俺が一目惚れしちゃって猛烈にアプローチ開始。別に遊んでるわけでもなく、魅力も特に無い冴えない俺の一世一代の大勝負だった。その必死さが伝わったのか、アユも渋々了承してくれて交際開始。
付き合い始めて一ヶ月くらいしたころ、『恭介の態度は媚びてるみたいで嫌だ』ってアユに怒鳴られた。俺は誰かと付き合った回数は片手で足りるほどだし、その期間も本当に残念な感じだった。だから、どうしても機嫌取るのに必死で、媚びたような態度を取っていた。それを打ち明けたらアユが『その態度やめたらもっと長続きしたのに』なんて言った。それから距離が縮まって、結婚の話まで出た。だけど、アユが俺に悩みを相談したことなんて、無い。でも、それを俺が指摘することなんて、怖くてできない。アユは俺なんかじゃどうしようもないような何かを持ってるような気がして、そこに触れるのが怖かった。
『病気の発症者、先月死亡していたことが判明…』
テレビでは、いつものように病気のニュースをやっていた。
「またあの病気ですね。ここの客が減ったのも関係してるんですかね」
俺は言いながら外を眺めた。この店はあの川に近い。
「なぁに。飯が美味けりゃ死ぬ思いで食いに来る客も居る。俺らにその技術が無ぇだけだ」
「そうかもしんないッスね。新メニューでも考えますか?」
新メニューを考えたところで、誰も来ないが。それに誰も来ないのにリピーターを作れるわけがない。いくら美味しくても、それを誰も知らないんだから。でも、他のところも似たり寄ったりで、この町で活気づいてるところなんて、無い。
「出前始めようかと思ってな。お前、原付持ってるだろ?」
大将は、渾身の案なのか自慢げに言った。
「一応持ってますけど…俺がここ空けても大丈夫ですかね?」
言ってから無駄な質問だと気付いた。
「どうせ滅多に来ないから接客役なんていらねぇよ」
と、いうことだ。
出前始めました。
そう書かれたビラを持ってバイクで町中を回った。冷やし中華か。なんて最初思ったけど、始めたもんは始めましたって書くしかない。まぁ、どうだろうと俺には関係ない。適当な壁にビラを貼りながら、町を一周して今日のバイトは終わった。この仕事もいつまでも続けられるとは限らない。給料もだんだん下がってきているし、そろそろ潮時かもしれない。でも、大学を卒業するまでの辛抱だ。
帰る頃には家の明かりも消えるような時間になっていた。
「ただいま」
家に入って、少し歩いてリビングに入った。テーブルの上に、鉢植えが置いてあった。