上村蒼 8
「蒼、ちょっとこっちに来て座りなさい」
家に帰ると、母親がそう言って手招きをした。一之瀬を病院から連れ出したことが、もう知られているらしい。俺は何も言わずに自分の部屋に向かう。
「ちょっと待ちなさい!自分が何やったか分かってるの?」
母親は、俺の腕を掴んで引き留める。
「最近、帰りが遅いのも、病院に寄ってたから?」
俺は答えない。言われることは、分かっている。
「どれだけ迷惑かけたと思ってるの!一之瀬さんのお母さん、泣いていらっしゃったのよ!」
その言葉で、一之瀬の母親の姿を思い出す。それだけ追いつめられていたんだ。俺の、せいで…
「もう、あんなことするのはやめること。それと、一之瀬さんのお母さんにしっかり謝ってね。学校にはお母さんが報告しておくから」
「…報告は、やめて」
一之瀬は、そのうち学校に通えるようになるんだ。だから、みんなは何も知らなくていい。何事も無かったかのように、通えるようになるんだから。
「だったら、迷惑はもうかけない。分かった?」
「…分かった」
また、大人に、うまく言いくるめられてしまった。俺がやってきたことは、迷惑なことなんかじゃない。でも、伝わらない。
翌日、俺は、母親に言われたように、一之瀬の母親に謝るために一之瀬の家に行った。インターホンを押して、しばらく待っていると、ドアが開いた。
「何?」
一之瀬の母親の対応は冷たくて、俺を全く信用していないといった感じだった。
「昨日は、勝手なことをして、本当にすみませんでした」
本心では、ない。だから、心がこもっていなかったかもしれない。それでも、俺は言わないといけなかった。
「本当にそう思ってるなら、優佳には会いに行かないでね。あの子がどう思ってるか知らないけど、あなたがまた優佳をたぶらかしてどこかへ連れまわして、その時、困るのは優佳なんだから」
一之瀬の母親の口調は冷たい。でも、それは自分の娘を守るためだ。そう考えると長谷川さんに言いくるめられた時のような苛立ちは感じなかった。
「…すみませんでした」
俺は、また一之瀬に会いに行けなくなってしまった。
「なぁ、一之瀬さんが入院してるって本当か?」
ある日、敦が小声で尋ねてきた。
「そうなの?どこからそんな情報仕入れたんだよ」
俺は、動揺を隠して答える。
「実はな、笹原さんがメールで教えてくれたんだよ。病院に出入りしてる一之瀬さんを何回か見たってさ」
「笹原さんとメールしてんの?」
話題を逸らすチャンスだ。
「ちょっとだけだけどな。いやぁ、もう文面からかわいさがあふれてるよ。活字とは思えないよ、あれは」
敦はにやにやと笑いながら語り始めた。うまく話題は逸らしたけど、一之瀬が入院していることが広がっていっているかもしれない。どうにか、しないと。
「おい、変な噂流れてるけど、本当はどうなってるんだよ」
牧まで一之瀬のことについて尋ねてきた。
「どうって、俺に聞いたって仕方ないだろ」
「真柴も心配してるからさ、あいつにも協力させてやってくれよ」
「…も、ってお前が心配してるのは真柴さんのことだろ」
何、牧にあたってるんだ、俺は。
「お前が一人で抱えてたって仕方無いだろ。落ち着けって」
「…わりぃ」
本当に、俺はガキだ。
「あの、上村君、あたしは今日、優佳ちゃんの入院してるっていう病院に行くんだけど、一緒に行く?」
真柴さんが聞いてきた。牧が連れてきていたのだろう。
「俺は、行かない。みんなさ、勘違いしてない?俺と一之瀬は仲良いわけじゃないぞ」
もう、こんな言葉じゃ白々しいかもしれない。
「でも…本当にいいの?」
「行かないって。俺が行ったって迷惑になるだけだからさ」
ただの自虐だ。俺は、きれいに笑って言った。
「そっか…じゃあ、一人で行ってくるね」
真柴さんは、少しぎこちなく笑った。気を遣われてるみたいで、少し気分が沈んでしまいそうだった。
「牧はついていかなくていいの?」
「ああ、俺はお前と話があるからな」
牧はそう言って、俺とがっしりと肩を組んだ。逃げられないようにしているみたいだった。
「じゃあ、あたしは行くね」
真柴さんは、手を振って病院の方へ歩いて行った。
「さて、じゃあ話すか」
真柴さんが見えなくなったのを確認してから牧は言った。
「…何について?」
「分かってるくせに、めんどくさいやつだなー」
どうしたらいいのか、分からなかった。一之瀬は学校のみんなに知られないようにしているけど、噂も広がって、俺なんかじゃどうしようもない。いつまで、こうやってごまかしていくんだ。こんな白々しいことを、いつまで続けていくんだ。
「それよりさ、真柴さんを一人で行かせてよかったの?一緒に行った方がいいんじゃないの?」
でも、結局、話を逸らしてしまうんだ。
「また話を逸らすのかよ。いい加減まともなこと言えよ」
牧の口調がとげとげしい。いや、俺みたいな態度を取ってれば誰だって頭に来るはずだ。
「なんでそんなに必死になって知りたがるのさ。真柴さんのためになら、なんでもできそうだな」
俺は、なんでこんな腐ったことしか言えないんだろう。
「真柴か。確かにな、一之瀬さんは真柴の友達だから、俺もなんとかしてやりたい。でも、それよりもな、お前が俺の友達だから、なんとかしてやりたいんだよ」
これじゃあ、俺だけが依怙地になってるみたいだ。なんで、そんな、きれいな言葉使えるんだよ。
「…真柴さんのところに行こう。俺も、ついていくからさ」
なんとかしたい。その思いはみんな一緒だ。
「外出中…ですか」
一之瀬は病室にいないらしい。真柴さんがここに来たという話も無かった。
「ここに向かう途中で会ったのかもな。いったん外に出よう。俺が真柴の携帯にかけるから」
病院の外に出ると、生温かい風が肌をなめるように吹いて、汗が噴き出そうだった。
「真柴から電話きてたっぽい。気付かなかった。かけなおしてみるわ」
牧はそう言って、電話をかけなおす。
「…分かった。今すぐそっち行くから、そこ動くなよ。おい、蒼、一之瀬さんの様子がおかしいらしい。ここの近くの川にいるから、来てほしいって」
一之瀬の傷ついた姿が鮮明に浮かんで、嫌な汗が噴き出してきた。