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上村蒼 3



 俺は、そのあと必死に慰めることしかできなかった。大丈夫だよ、心配ない、大丈夫だって、心配ないよ。根拠の無い言葉を並べて、それでも、なんとかしようと思った。俺にとっても、一之瀬にとっても、ほかの誰にとっても、それは未知だった。俺には、今の状況がとてつもないことに思えていた。その頃の俺は、いい意味で子どもだったから、まともに一之瀬に向き合えた。でも、それは今になって思うことであって、あの頃の俺は、ただただ、どうにもできない状況に焦っていただけだった。


「もう、大丈夫?」

 一之瀬はようやく落ち着いてきたように思える。とりあえず泣きやんで、呼吸も落ち着いてきた。

「…うん、心配かけて、ごめんね」

 でも、一之瀬の声に元気は無い。これで大丈夫なわけがない。

「もう少し一緒にいようか?」

 なるべく優しく声をかけたが、一之瀬は首を横に振って、ふらふらとした足取りで自分の家に向かっていった。

 俺は、そのまま見送った。


 家に帰って、パソコンで似たようなことが起こっていないか調べようとしたが、ただ漠然と症状が分かっているだけで、どう調べていいか分からず、それでもなんとかしたくて、ネットに書き込みをした。


―知り合いに、花を見ていると落ち着いて、他のことがどうでもよくなってしまうという人が居ます。

 捨てようとしても中毒みたいに怖くてできないらしいです。感覚で言うと、落ち着くのは癒されるというよりは愛しいという感じらしいです。

 その人は、このままだと絶対におかしくなると困っています。どうしたらいいですか?


 何か知っている人が表れることを祈って、覚えていることをできる限り書いた。だけど、結果は精神科に連れて行くのがいいと思います、だとか、麻薬なんじゃない?なんて回答ばかりだった。


―その人はきっと花に恋をしてしまったのでしょう。花を想うあまり、他のことがどうでもよくなってしまう。

 花想病とでも呼びましょうか。あなたがその人を好きなのと同じように、その人は花のことが好きなのです。


 やけに親切ぶって、内心一番バカにしていたのがこの回答だと思う。俺は自分の力でなんとかするしかないと感じた。たぶん、身近な大人はみんな精神科に行った方がいいと言うに決まっている。それが普通なんだろうけど、俺はそういう問題じゃない気がしていた。根拠は無かったけど。

 なら、どうすればいいんだ。答えなんて出るはずは無かった。


 翌日、一之瀬は学校に来ていなかった。昨日の一之瀬の様子を思い出して、不安に駆られたけど、俺は携帯を持っていなくて、連絡するにはパソコンのメールしかなかった。連絡するには家に帰るしかない。だけど、なんでもないのかもしれない、そんな無責任な考えが邪魔をして、俺は帰らなかった。

「一之瀬さん、休みかぁ。華が一つ無いって感じだよなぁ」

 敦は一之瀬の机の方を眺めながら、しみじみと言った。俺は、一之瀬がいないことに対する動揺を悟られないように、呆れたように笑った。

「笹原さんだけいればいいんじゃなかったのか?」

「いやいや、違うんだよ、これが。なんて言うのかな、際立つ?一之瀬さんもいい。でもそのことによって笹原さんの良さがさらによく見えるようになる、みたいな。だってさ、中学で一緒だった俺達が、こうして高校に入っても同じクラスにいる。それって運命ってもんじゃないか。お前も俺も笹原さんも一之瀬さんも同じクラスなんだぜ。笹原さんだけがいればいい、なんて無責任なこと言うわけがないだろうが」

 敦はやけに熱く語るが、話がほとんど入ってこない。どうせ、中身の無いことを言ってるんだろうけど。

「理解できねーよ。つーか、俺を省くな」

 牧は、そう言って後ろから敦を軽く叩いた。

「いって…なんだ、牧か。俺を、じゃなくて、俺達を、だろぉ?いいなぁ、中学の時にできた彼女とそのまま高校でも同じクラスかぁ」

 敦が教室中に聞こえるように白々しく言う。牧の彼女、真柴さんは苦笑いしていた。

「お前、性格悪い…そんなんだから彼女できねーんだよ」

「う、上から見た!上から言った!そして俺の言葉をどうせ上から聞いてるんだよこいつ!修学旅行でいい感じになったからって!なんだよ、このやろう!」

 敦はいつの間にか典型的なザコキャラの喋り方になっている。

「うるさい。いらんことまで言うな。お前だって笹原さんと同じ班だっただろ」

「え…ひどい、なにそれ。俺の大事な、笹原さん達の荷物持ってあげた思い出とか、笹原さん達の写真を撮ってあげた思い出とかをそんな一言で片づけるの?」

「あー、ごめん。そういやそういう思い出だったな。すまん」

「ちょ、調子に乗るなよ!俺だって笹原さんのアドレスくらい持ってるんだからな!」

「お前、うるさいって…笹原さん戻ってきたらどうすんの」

「う…く、くそぉ!覚えてろよ!」

 敦はそれを捨てゼリフに教室から飛び出していった。あと数分で授業が始まるのに。

「…実は心配だったりすんの?」

 敦が出て行ったのを確認してから、牧が聞いてきた。

「ん、何が?」

 俺は、何のことか分からない風に言った。

「…一之瀬さんのことだよ。お前、今日ぼーっとしてるぞ」

「ぼーっとしてるのはいつものことだろ」

 いつものように笑って、適当に流す。

「ふーん、まぁ、いろんな事情があるから、詳しくはきかねーけど」

 牧は白々しく言って、自分の席に戻った。俺は、笑って、適当に流した。



 家に帰って、パソコンをつけてメールを確認すると新着メールが一件あった。


―ごめん、あたし、どうにかなっちゃった。たすけて。


 昨日のことや今日の欠席が全部つながって、強い後悔と焦りが一気に押し寄せた。メールに返信をしたけれど、何分待っても帰ってこない。俺は急いで一之瀬の家に向かった。


 一之瀬の家に入ったことは無かった。ただ、どこにあるかは知っている。クラスのみんなに黙っているように、お互いの親にも会わないほうがいいんだろうとなんとなく思っていたから、一之瀬の親とは面識は無かった。だから、一之瀬の家に行くのは少し緊張した。本当にやっていいのかという迷いもあった。ただ、事の重大さがすぐにそれらをかき消した。

 インターホンを押してしばらく待っていると、ドアがゆっくりと開いた。

「どちら様でしょうか?」

 ドアの向こうには、四十くらいのおばさんが立っていた。たぶん、一之瀬の母親だろう。

「あの、一之瀬さんと同じクラスの上村と言います。一之瀬さんは?」

 俺の問いかけに、一之瀬の母親は一瞬顔が曇った。

「熱を出して家で寝込んでいるので、学校からの連絡ですか?」

 考えすぎだったか。それよりも、学校からの連絡なんてなかったから、どう言い訳しようか迷った。

「いえ、みんなが心配していたので。ありがとうございました」

 礼をしてさっさと立ち去ったが、さすがに怪しかったかもしれない。軽率な行動をとってしまったことを、少し後悔した。

 ただの風邪で、変な感覚がしただけだったんだ。そう思った。熱が出て、頭がボーっとして、自分がおかしくなったなんて錯覚してしまっただけだ。そう考えると納得がいく。それよりも、自分がこんな行動をしたことが不思議で仕方なかった。心配で家まで行ってしまうなんて、今までの自分では考えられなかった。

 自転車をこぎながら、自分の行動のバカらしさと、安堵でため息と笑みがこぼれた。パソコンに書き込んだ時のふざけた回答を思い出した。あなたがその人を好きなのと同じように。もちろん、俺の質問の中に、俺がその人のことを好きだと断定づけるようなことは書いてなかったけど、ただの悪ふざけみたいな回答に見破られたのかと思うと、笑えてきた。

 初めてかもしれない。一之瀬のことを本気で好きな自分を感じていた。自他共に認める他人に無関心な俺がこんなこと思ってるなんて。自然とこぼれてくる笑みをこらえて、自転車を大きくこいだ。

「上村君」

 家で寝込んでいるはずの一之瀬に、不意に、呼び止められた。



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