第七話 私の聖女(ローガン視点)
※※※
「ねえローガン!!聞いてるの?!」
キーキーとうるさい声で現実に引き戻される。
声のする方を見下ろすと、つい先程まで絶世の美女とすら思っていた最愛の人が、醜く顔を歪め私を見上げていた。
(なんだこの女は。よく見ればイザベラの足元にも及ばないじゃないか)
リアの紫色の瞳のせいで、随分と目が曇ってしまっていたようだ。
聖女となったイザベラが私の目の曇りを晴らしてくれたのか、私の目に映るリアは平凡な顔立ちの下品な女にしか見えなかった。
(こんな平凡で下品な女のせいで、私はイザベラと婚約破棄をしたのか?そもそも婚約破棄を決断した"イザベラによるリアへのいじめ"など、本当にあったのか?)
"紫色の瞳を持つ清らかな美少女"の涙ながらの訴えに心を打たれたからこそ、イザベラとの婚約を破棄したのだ。
聖女の瞳を持つリアの言うことだから、と真偽を確かめることもせず……。
だがしかし、国王陛下や教会からも真に聖女と認められたのはイザベラだった。
それが意味することは……。
先程までイザベラがいた壇上に目をやると、すでにそこにイザベラの姿はなかった。私がイザベラとの過去に思いを馳せている間に退場してしまったらしい。
私はスッと視線をリアに戻すと、浮かんでしまった疑いについて問いただすことにした。
「なあリア、本当にイザベラからいじめられていたのか?」
思いの外低くなった私の声に驚いたのか、リアは驚いた表情を浮かべた後、再び顔を醜く歪めた。
「な、何よその顔!私を疑ってるの?!本当よ!!でもそんなこともうどうだっていいでしょ?ローガンの婚約者はもう私なんだから!」
必死の形相でリアが張り上げた声に周囲がざわめく。
「あの慌てよう、あの噂は嘘だったということ?」
「そういうことだろう。イザベラ嬢が聖女になれたということは、イザベラ嬢は潔白だったということだ」
ざわざわと騒がしくなった周囲の様子に「なに?なんなのよ」と戸惑うリアを見て、どんどん冷めていく自分を感じる。
リアの両親や兄のオーウェンに目を向けると、揃いも揃って下品に騒ぎ立て、周囲に怪訝な顔をさせていた。
(こんな連中と同じだと思われたくない!一刻も早くこの場から離れなければ!)
急ぎこの場から離れようと右足を後ろに引いたその時、「ローガン!!」と私を呼ぶ声が聞こえた。
慌てて振り向くと、憤怒の顔をした父上と、ミシッという音が聞こえそうな程扇子を握りしめた母上が立っていた。
「ローガン!どういうことだ?!お前が言うから、お前を信じてイザベラ嬢との婚約を破棄したんだぞ?!いじめの証拠もあると言っていたではないか!あれは嘘だったのか?!」
いじめの証拠。そうだ、確かにリアは「いじめられた証拠がある」と言っていた。だからこそ私はリアを信じたのだ。
私は急いでリアに向き直ると、リアの肩を掴み、藁にもすがる思いでリアに問いかける。
「リア、イザベラにいじめられた証拠があると言っていたね?どんな証拠があるんだ?あと、そもそもどんないじめをされていたんだ?君は私がどんなに尋ねても涙を流すだけで、教えてはくれなかっただろ?」
周囲の様子に戸惑っていたリアは、私に肩を掴まれキョトンと私の顔を見つめた後、ニコッと笑って自信満々に最悪な答えを口にした。
「証拠は私です!!被害者の私の言葉が何よりの証拠よ!!イザベラはね、初めて会った時にすっごく綺麗なドレスを着てたの!私それがすっごくすっごく嫌だったわ!人が嫌がることをするのはいじめよね?」
返ってきた最悪な答えに、一瞬にして頭が真っ白になる。しかし気を取り直し、もう一度冷静に尋ねる。
「それだけ?それだけなわけないだろう?」
「ええもちろん!!イザベラがまだローガンの婚約者だった時ね、私がどんなにお願いしても、ローガンからもらったっていうドレスやアクセサリーをくれなかったのよ!!私すっごく悲しかった!!あの時のことを思い出すと今でも泣けてくるの……これもいじめでしょ?」
ドサッ!!
「きゃー!!!」
「カミラ!!大丈夫か?!」
突然の何かが倒れたような音と悲鳴に、考えるよりも先にバッと後ろを振り向く。
すると、床に倒れ込んでいる母上と、母上を抱き起こそうとする父上の姿が目に飛び込んできた。
「は、母上!!大丈夫ですか?!母上、しっかりしてください!!」
急ぎ母上の元に駆けつけると、父上に抱き起こされた母上は「うぅ……」と苦しげに唸り声を上げている。
「しっかりしろカミラ!!おいローガン、カミラを連れて帰るからお前も来い!!」
「は、はい父上!!」
「えっ、ちょっ、ローガン?!」
私を引き止めようとするリアの声を無視し、ざわめく人混みの中を掻き分けるようにして、私達は急ぎ会場を後にした。
※※※
「破談だな」
「破談よ」
「破談ですね」
屋敷に戻る途中、父上と、馬車の中で意識を取り戻した母上に散々怒鳴られ泣かれてしまったが、私達の意見は一致していた。
"リアとの婚約は破棄する"
そうと決まれば急ぎ婚約破棄の準備に取り掛かる。
父上と母上は婚約破棄のための書類を作成すると、すぐにリッチモント侯爵家に向かった。
私はというと、イザベラへの手紙をしたためる。
本当ならすぐにでも直接謝罪に訪れたいのだが、父上や母上から「まずは手紙で気持ちを伝えなさい」とローズデール伯爵家に向かうことを禁止されてしまったのだ。
「何の非もなかったイザベラ嬢に婚約破棄を叩きつけたばかりか、濡れ衣まで着せたのだ。イザベラ嬢からすればローガンの、いや、私達の顔など見たくもないだろう」
父上にそう言われてしまったが、果たして本当にそうなのだろうか?
イザベラは間違いなく私に好意を持っていた。それは決して私の自惚れではないはずだ。
確かに私はリアの言葉を信じ、一方的に婚約を破棄した。そればかりか、自分達を正当化するために婚約破棄に至った事実を吹聴し、"イザベラはとんでもない悪女だ"という濡れ衣まで着せてしまった。
しかし、それは全てリアの嘘によって起きてしまったことであり、そんな世紀の悪女に騙された私は哀れな被害者といえるのではないだろうか?
愛する男が悪女の卑怯な嘘に騙されたのだとすると、聖女であるイザベラは許してくれるのではないか?
そう、何と言ってもイザベラは"聖女"なのだ。
私が謝罪し、今もイザベラを愛していることを伝えさえすれば、きっとイザベラは私の過ちを許して涙を流しながらこう言うはず
だ。
「嬉しいですローガン様。私もローガン様を愛しています」
そうして私達は改めて婚約を結んで、それから……。
イザベラとの幸せな結婚生活や、聖女を妻にした私への国中、いや世界中から向けられる羨望の眼差しを想像しながら、私は久しぶりに愛するイザベラへ溢れんばかりの想いを綴る。
(待っていてくれイザベラ。君の望む言葉をおくるよ)