エピローグ
あの日、ロクサーヌ様がルーカス様と共にミスラリア様の御許にいかれた日から、早いもので2年の月日が流れた。
あの後ロバート騎士団長から聞いたところによると、私たちが黒い繭の中に入ってしばらく経った頃、突如『祈りを』という声が頭に響いたという。
神のお声だと理解するや否や、その場の全員でロクサーヌ様への祈りを捧げていたところ、時折黒い繭が蠢くのを感じたと。
不安を覚えながらも必死に祈りを捧げ続けていると、目の前が急に眩しくなった。
そして温かい、誰かからの感謝の念を確かに胸に感じたかと思うと、光の中から寄り添う私とウィリアム様が現れたという。
「無事にお戻りになられて本当によかったです!!」
私たちの無事を喜ぶロバート騎士団長達と共に王都に戻ると、多くの国民に温かく迎えられた。
ロバート騎士団長達の話と同様、祈りを捧げた多くの国民も、確かに誰かからの温かい気持ちが心に伝わってきたことで、ロクサーヌ様はきっと救われたのだとわかったのだという。
「聖女様!!お帰りなさい!!」
「聖女様!!」
温かい言葉を掛けられながら、王城に到着すると、待ち構えていたお義父様たちに優しく迎えられた。
そのまま陛下や大司教様の集まる部屋に通され、常闇の森での出来事を事細かに報告すると「よくやった」とお褒めの言葉を一同いただくことができた。
「これで、聖女ロクサーヌの心は救われ、ルプレシア王国に災いが降り注ぐこともなくなった。よくぞ、大役を果たしてくれた」
陛下からのお言葉をありがたく頂戴し、共に祈りを捧げてくれた人々への感謝を伝え、私たちはそれぞれのあるべき所へ帰ることになった。
私とウィリアム様はというと、帰還後すぐに婚約を結び、1年後に結婚。式ではミスラリア様からの祝福が降り注ぎ、国中に幻想的な光が溢れた。
そして今、私のお腹の中には赤ちゃんがいる。
「イザベラ、何を見ているんだ?」
「ウィリアム様」
ソファに腰掛けていた私の横にそっと座ったウィリアム様が、興味深そうに私に尋ねてくる。
「リッチモント男爵からのお手紙です」
リッチモント男爵からは、こうして時折手紙と共に男爵領の特産品が送られてくる。
初めて手紙が届いたのは、リッチモント男爵がリアを廃籍し、単身で男爵領へ旅立ってから1年と少し経った頃。
内容は、後悔と謝罪だった。
リッチモント男爵領で、商人による不正を明らかにしたリッチモント男爵は、領民から涙ながらに感謝を伝えられたことをきっかけに、人生を振り返ったという。
『……思い返せば、今までの人生で、誰かからの感謝にここまで心を揺さぶられたことはありませんでした。そして、領民たちのように、誰かへ心から感謝したこともありませんでした』
領民と接する中で、人々の暮らしを目の当たりにし、少しずつ人生を振り返ってきた中で、私との関係を初めて後悔したのだという。
『兄妹が助け合って生きている姿、妹を守ろうと必死な幼い兄の姿を見て、心から自分を恥じました。私があの家で聖女様の味方になるべきでした。私が寄り添い、あなたを守るべきでした』
手紙には、自分を許そうとしなくていい、許される行為ではなかったという言葉も綴られていた。
それから、私たちは定期的に文通をしてお互いの近況を報告している。
今回の手紙には、臨月を迎える私を心配していることと、男爵領で行われた祭りの様子が綴られていた。
『どうか、母子共に健康に過ごされますよう、心からお祈りしております』
手紙を読んだウィリアム様に、そっと肩に手を回される。
「子供が生まれたら、見せに行こうか?」
「いいんですか?」
優しげに微笑みながら頷いてくれたウィリアム様の肩に頭を預ける。
二度と交わることがないと思っていた縁が、こうして新たに紡がれ、新しい関係をつくっていく。
本来なら、もしかしたら私たちは仲の良い兄妹として育っていたのかもしれない。
仲の良い家族になれていたのかもしれない。
でも、変えられない過去にいつまでも目を向けるのはやめて、未来に向かって希望を見出せていけたら、今はそう思って……。
ズキン!!ギューッ……。
「いたっ……」
「イザベラ?!大丈夫か?!」
「は、はい、大丈夫です」
実は今朝から時折、お腹の中が絞られるような、痛みがおこるのだ。
最近夜中に感じる痛みと似ているため、てっきり前駆陣痛かと思っていたのだが。
「イザベラ、その痛みは今何分置きにきているんだ?」
「えーっと、確か……」
時計にちらりと目をやると、先ほど感じた痛みから10分経っている。
「10分ですね。1時間前から10分間隔で……」
「医師を呼べ!!!」
慌てた様子で現れた医師の診察を受け、陣痛開始を告げられる。
心配そうなウィリアム様を安心させようと精一杯の微笑みを浮かべるが、なぜか、かえって心配が増した様子のウィリアム様は必死にミスラリア様に祈り始めた。
「どうか、イザベラと子供が無事に出産を乗り越えられますように!!どうか、お願いいたします!!」
「奥様が心配なさいます!!部屋からお出になってください!!」
私が嫁入り時に連れてきたメアリーがウィリアム様を部屋から追い出すと、せっせと私の腰をさすってくれる。
そうこうしている間にも痛みの間隔は短く、痛みの強さが増していき、思わず声を上げてしまう。
「うぅ……ああ、いたっ……!!」
「イザベラ!!大丈夫か!!」
ドアの外にいるウィリアム様にまで聞こえてしまうほど声が出てしまっているらしい。
「順調ですよ、だいぶ開いてきましたからね」
私を診察するローズ医師の言葉に、まだこの痛みは続くのかという思いと、早く赤ちゃんに会いたいという気持ちが湧き上がる。
「……ッ!!」
ついに声が出ないほどの痛みが押し寄せてきた。
そして……。
「ふあぁ!!ふあぁ!!ふあっ!!ふぁぁ……」
その瞬間、今までの痛みを全て払拭するような泣き声が部屋に響き渡った。
「おめでとうございます奥様。御息女のご誕生でございます」
身体を綺麗にし、おくるみに包まれ私の元にやってきた子供を見て、安堵と、なんとも言い難い感情が押し寄せてくる。
「イザベラ!!」
血相を変えて部屋に飛び込んできたウィリアム様に、腕の中の子供を見せる。
ウィリアム様の金の髪と、私の紅瞳を持つ娘。
「よく頑張ってくれた、イザベラ!!ああ、なんて可愛い子なんだ。ようやく会えたね、私がお父様だよ」
私の頬に口付けを落とし、恐々と、壊れ物を扱うように優しく抱き上げるウィリアム様の目から、涙が流れ落ちる。
(私たちの元に来てくださったのですね)
「イザベラ、名前は決めていた名前でいいかい?」
「はい、ウィリアム様」
涙を拭い、私の返答に頷かれたウィリアム様は腕の中の子供に優しく語りかける。
「グレース。君の名前はグレースだよ」
そして、私の腕に中に戻されたグレースを抱きしめる。
「グレース、お母様ですよ。お母様があなたを必ず守りますからね」
「私よりもかっこいいな」
ウィリアム様はそう言うと、グレースごと私をそっと抱きしめた。
辛かった。
苦しかった。
愛されることを望み、自分を隠し続けた日々。
それでも最後まで両親からの愛は得られなかった。
愛した人も去っていった。
けれど、常に私の心に寄り添ってくれた友がいた。
私に家族の愛を教えてくれる新しい家族ができた。
私のために怒ってくれる、悲しんでくれる、喜んでくれる使用人と出会えた。
真に愛し、愛される喜びを教えてくれる人と出会えた。
そして、新しい命とも出会うことができた。
私がこれから聖女としてやらなければならないこと、解決しなければならない問題もまだまだこれから出てくるだろう。
それでも、大切な人を、大切な場所を、これからも守り抜いていきたい。
「イザベラ」
ウィリアム様に目を向けると、ウィリアム様は私の瞳を指差した後、グレースに目を向け、確かめるように再度私に目線を戻した。
私は大きく頷く。
「グレース、こんなに心強いお母様は他にいないよ」
そう言ってウィリアム様は人差し指の背でグレースの頬を撫でた。
グレースは気持ちよさそうに腕の中で眠っている。
メアリーが窓を開けると、春の夜の温かな風が部屋に入り込む。
深呼吸すると、春の夜の香りが鼻をくすぐり、胸を満たしていく。
私たちは自然に顔を見合わせると、どちらからともなくそっと口付けをした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
至らない部分も多かったと思いますが、ここまで読んでいただけたこと、心から感謝致します。
また、ブックマークや評価、いいね、誤字報告もありがとうございました。




