第十九話 黒い繭
一歩森に踏み入ると、全身に鳥肌が立つ。
生い茂った木々が太陽の暖かな光を遮り、気温がグッと下がったからだ。
私を先頭に、私の後ろにウィリアム様、私達ふたりを囲むようにロバート騎士団長達が剣を構えながら、どこまでも広がる暗闇の中を時折聞こえる声だけを頼りに、慎重に慎重に進んでいく。
どこかから誰かにジィッと見られているような気配を感じる森の中を、目を凝らし、耳を研ぎ澄まし、警戒しながらゆっくり進むうちに、段々と声がはっきり聞こえるようになってきた。
『ごめんなさい』
『どうしてこんなことになってしまったの』
『あのひとたちがにくい』
『くるしい』
声がしっかりと聞き取れるようになるにつれて、ロクサーヌ様の心情を慮り、どんどん胸が苦しくなってくる。
300年以上の長きに渡り、自分を責め続ける日々。
愛する人を奪った者への憎しみ。
愛する人を救えなかった絶望。
目の前で助けを求めながら命を落としていく民達へ抱く罪悪感。
苦しい感情から逃げることもできない。
300年以上、今もなおロクサーヌ様はそんな感情に苦しみ続けているのだ。
(早く、早くロクサーヌ様の元へ行きたい)
そんな焦りからか、注意力が散漫になっていた私は迫り出し土から露出した木の根に気付かなかった。
「きゃっ!!」
「イザベラ嬢!!」
躓き前に転ぶところだった私の腕をウィリアム様がグッと掴み引き寄せてくれた。
「ウィリアム様、申し訳ございません。助けていただいてありがとうございます」
「とんでもありません。お怪我がなくて何よりです。ですが……」
ウィリアム様は安堵の表情をされたかと思うとスッと表情を引き締められた。
「イザベラ嬢、早くロクサーヌ様をお救いしたい気持ちはよくわかります。しかし、あなたに何かあればそれは叶いません。まずは無事にロクサーヌ様の元へ辿り着くことを第一に行動しましょう」
確かにウィリアム様の言う通りだ。
私に何かあれば、ロクサーヌ様をお救いするどころではなくなってしまう。
「申し訳ありません。私の考えが足りませんでした。今一度気を引き締めて、慎重にロクサーヌ様の元へ向かいます」
私がそう言うと、ウィリアム様は表情を和らげて優しく微笑まれた。
ロバート騎士団長達にも軽率な行動を謝罪し、一歩一歩ロクサーヌ様の元へと歩みを進めていく。
すると、目の前に少し開けた場所にソレはあった。
「黒い……繭?」
アルバートさんの訝し気な声が辺りに響く。
そこにあったのは、大きな男性の背丈の2倍はある黒い繭のような塊だった。
ソレからは黒いモヤが出ているようにも見える。
「聖女様、これは一体?」
ロバート騎士団長の声に後ろを振り返り、動揺を悟られないように努めて平静な声で答えた。
「この中にロクサーヌ様がいらっしゃいます」
一同がゴクリと唾を飲み込んだのがわかった。
私は黒い繭に向き直る。
(なんとなくだけれど、中に入れる気がするわ)
そう感じた私は、おそるおそる黒い繭に近づくとソッと触れるように手を伸ばしてみた。
すると、タプンとした不思議な感触が手に伝わってくる。
(やっぱり、入れそうだわ)
私の後ろから様子を伺っていたアルバートさんも、前に進み出てくると、おそるおそるといった様子で繭に手を伸ばした。すると。
「うわあ!!」
「アルバート!!」
ドサッという音と共にアルバートさんは後ろへ弾き飛ばされてしまった。
すぐにアルバートさんの元に駆け寄ると、幸い怪我はなかったのだが、カチカチと奥歯を鳴らしながら全身に鳥肌が立っている様子で、目を見開きガタガタと震えている。
「ロバート騎士団長、アルバートさんをお願いします」
「聖女様?」
仲間を心配しながらも、私がこれからとるであろう行動を察知したのか、まさかといった様子で目を見開くロバート騎士団長。
「皆様はこちらでお待ちください。皆様が手に負えないと感じる事態が起きたら、私のことは気にせず、どうかお逃げください。私の意思だと陛下にお伝えいただければ皆様が処罰を受けることもありませんから」
努めて明るく、聖女らしく、何の不安を感じていないかのように堂々と話す。
そして、皆の心配に気付かないフリをして繭に向き直ると、意を決して繭の中へと飛び込んだ。
※※※
繭の中に飛び込んだ瞬間、ロクサーヌ様の声や感情が一気に私の身体に流れ込んできた。
愛する人を奪った者への胸が焼けつくような憎しみ。
愛する人を救えなかったと知った時の、息ができなくなる程の底知れぬ絶望。
目の前で助けを求めながら命を落としていく民達への絶えることのない罪悪感。
くるしい。
こんなの耐えられない。
つらすぎる。
憎い。あの人達が、大切な人を奪った人達がにくい。
でも一番許せないのは、他の誰でもない。大切な人を守りきれなかった私……。
「イザベラ嬢!!しっかりしてください!!」
闇に飲み込まれそうになったその時、両肩に感じる力強い温かい手が、私の意識を引き戻してくれた。
「ウィリアム様……どうして」
ウィリアム様は私の様子にハァーッと安堵のため息をつかれた。
「あなたをひとりでは行かせません。私にはあなたのような特別な力はありませんが、それでも、あなたに寄り添うことはできますから」
なぜウィリアム様は弾かれず入ってこられたのかはわからない。
だが、ウィリアム様のお言葉が胸に沁みる。そして、ウィリアム様の存在が何よりもありがたかった。
ウィリアム様は涙でぐしょぐしょになってしまっていた私の顔をハンカチで優しく拭うと手を差し出した。
「行きましょう」
「はい。ありがとうございます、ウィリアム様。共に行きましょう。ロクサーヌ様の元へ」
私達は暗闇の向こうに見えるぼんやりとした光に向かって歩き出した。
水の上のような、繭を触った時のようなタプンタプンとした感触を足裏に感じながら光へ近づいていくと、ミルクティー色のサラサラした髪の女性が座り込んでいるのが見える。
私は涙が出そうになるのを堪えながら、その名を口にした。
「ロクサーヌ様!!」
私が名前を呼ぶと、女性は呆然とした表情でゆっくりとこちらを振り返る。
ミルクティー色の髪に紫色の瞳。
教会の壁画に描かれた聖女ロクサーヌの姿、そのものだった。




