桜九枚、恋する哀しみのワルツ。
「で、本当のところどこまで進んでるわけ?」
メロンパンをかじりながら結依が問いかけてくる。
あの夏祭りの夜の、梓先輩と私のことについてだ。
私は右手に持っていたいちごのジャムパンを机に置いてココアを手に持った。
甘い×甘い、最高の組み合わせ。
「本当も何も、何にもないよ。ただ家まで送ってもらっただけだよ。」
結依は冗談を聞いた後のようなまぬけな表情。
「手つないで、彼女だって言われて、一緒にお祭り抜け出したのに?」
「……。」
───
「ここが栞ちゃんの家?」
「はい。」
もう着いちゃった。
私の家のバカ!
私のお家、月の近くだったら良かったのに。
…なんて。
私の馬鹿。
「ありがとうございました!」
「どういたしまして。」
先輩…
梓先輩…。
「じゃあね。また連絡するよ。」
「…はい。それじゃあ、おやすみなさい。」
まだ右手が熱いよ。
先輩のいた右側が火照って静まらない。
浴衣のせいで息も苦しい。
嘘。
本当は知ってる。
これが恋の味ってやつだ。
息が出来ないほど、恋しい。
そう感じさせる人。
"また連絡するよ。"
夏休み中、梓先輩からの連絡は一度も来なかった。
───
「それでは今週の生徒会を始めま…」
─ガラっ。
…っ!
教室にざわめきが起こる。
「梓…どうしたの?」
「嫌だなぁ、恭ちゃん。僕一応副生徒会長ですよ?」
「あぁ、まぁ…そうだよな。えーっと、それでは気を取り直して始めましょう!」
梓先輩…
どうしたのだろう?
周りのどよめきなど気にもせず梓先輩は席についた。
その日以来、奇跡のような毎日が始まった。
梓先輩はきちんと生徒会に参加するようになった。
ただ座って、窓の外に瞳をやっているだけだけれど。
そしてもう一つ。
【トップの座も危うくなってきたね!】
古文の授業中、結依が小さなメモを渡してきた。
【どういうこと?】
今度は私から結依へ。
メモの小旅行。
【梓先輩、最近毎日学校に来るようになったじゃん?生徒会にもきちんと参加してるしさ。王子先輩危うし!梓先輩怒涛の追い上げなるか!?って感じ?】
そう。
あの日以来のもう一つの奇跡は、あの梓先輩が毎日登校するようになったこと。
学校中の女子の甘~いため息がそこら中にこぼれ落ちて溢れ出している。
さらにもう一つ。
キーンコーンカーンコーン♪
昇降口の傘立ての横に気怠そうに立つ人影。
梓先輩だ。
「梓先輩っ!お疲れさまです。どうしたんですか?」
どうか私の心臓の音、梓先輩に聞こえていませんように…!
先輩がゆっくりと近づいてくる。
「一緒に帰ろうと思って待ってたの。」
「…っ。」
そう。
最大の奇跡は梓先輩の私に対する言動すべて。
一言一句、まるで夢の世界のものみたいだ。
「映画とか観たいなぁ。栞ちゃんの手料理でも嬉しいよ。」
梓先輩は無邪気に微笑っている。
もうすぐやってくるお誕生日の予定を嬉しそうに話している。
どうやら本当に私と誕生日を過ごすつもりなのかな…。
どうしよう…。
「あの…梓先輩。どうして大切なお誕生日を私なんかと…?」
すると梓先輩が優しく私の前髪に触れる。
その瞬間、ふわっと桜色に染まる。
「だって…俺の彼女でしょ?」
「へ…っ!?」
そうして梓先輩はそっと私の人差し指を、自分の鼻のてっぺんへ持っていって言った。
「栞ちゃんの彼氏、だよ?」
「…っ!!!」
熟れたリンゴよりも真っ赤っかに染まる私に梓先輩は大笑い。
「本当に可愛いなぁ。栞ちゃんは♪」
───
それからは先輩と一緒にいる時間がどんどん増えていった。
毎週金曜日の生徒会や、休み時間の屋上階段、帰り道…
だけど、一緒にいる時間が長くなればなるほどに思い知らされるんだ。
私は何一つとして、梓先輩のことを知らない。
何一つとして、先輩のことを分かっていないんだ。
梓先輩は、決して心の奥を見せない。
簡単には立ち入らせたりなどしないの。
誕生日も二日後に迫った水曜日の放課後。
「先輩って謎なんです。希少動物…何ていうか、レアキャラ!」
「何それ~?」
先輩は少しうつむきながら優しく微笑んでいる。
「だってあまり学校にも来てなかったし…最近はあれですけど。」
「あれって?」
「ちゃんと毎日登校してますもんね!」
「うん。栞ちゃんに会うためにね。」
「…っ!!!」
ずるい!
その台詞と甘い微笑みをセットで使うなんて卑怯だよ。
梓先輩はまた大笑い。
完全にからかわれている気がする。
「…でも。やっぱり謎です。梓先輩のこと、何にも知らないもん。」
「何でも聞いていいよ。栞ちゃんの知りたいこと、ぜんぶぜんぶ教えるよ?どうぞ。」
先輩は優しく微笑んでくれた。
それはまるで、あの夏祭りの夜に見せた、葉月さんへの微笑みのように。
甘くて切ない微笑みだった。
───
「どうしていつも学校に来なかったんですか?」
「実は小さい頃から心臓が弱くて…」
「どうして生徒会に、副生徒会長に立候補したんですか?」
「より良い学校にするために、何か貢献出来たらな、と思って。」
「それならどうして生徒会に参加しないんですか?」
「実は幼い弟と妹を食べさせるために夜中働いていて…」
「…嘘ですよね?」
「うん。」
「もぉ~!」
せっかく何でも教えてくれるっていうのに、先輩はふざけて茶化してばっかりで…
私も、肝心なことには触れられぬまま…
「…本当は聞きたいこと、他にあるんじゃないの?」
「え…?」
核心に触れる瞬間を、梓先輩が優しくくれた、そんな気がした。
ごくり、とつばを飲む。
「…春山くんのお姉さん。葉月さんのこと、今でもまだ好きですか?」
「……」
秋の、
"葉月さんのこと、今でもまだ好きですか?"
秋の物哀しい風が吹き抜ける。
それはまるで、恋する哀しみのワルツのように。