1 今どきの拷問術
『東京都と山梨県の境に隣接し、東京ドーム100個分という広大な敷地を有する都立桜帝高等学校は、政府が直轄で管理する日本で唯一の兵士育成機関である。
世界情勢の悪化により『戦争で役に立つ人材』の需要度が増したことから、高い運動能力と知識、実戦での情報処理能力を培うことを目的としたこの学園は、国内外の国家中枢から高い評価を得ている。
そして、この敷地内では、海外や法整備が整っていない戦地への派遣を将来的に見越して、特例として日本国憲法を含めてあらゆる法律が不適用、すなはち、盗みも器物の破壊も、殺しでさえもが全て黙認される。
過酷な環境と独自の育成プログラムを突破した生徒だけが卒業することを許され、自衛隊や防衛省、または他の機関の特殊部隊に配属されるのである。』
俺が出会った少女、姫川 加恋が言っていたのは、大体そんなようなことだった。
そして彼女いわく、肝心の新入生への『法律の不適用化』は一週間後かららしい。
もし俺が先ほど、姫川の胸を鷲掴みにしていたら、確実に痴漢認定されていた。
頭を吹き飛ばされるよりはマシだろうが。
あの後俺は彼女と別れて、教室へと向かっていた。
さきほど玄関に張り出されていたクラス割を見ると、姫川は6組、俺は1組だったので校舎が違う。
彼女は東棟の二階、俺は西棟の二階だ。
教室に入るとすでに多くの生徒がいて、各々荷物の整理やら、もう仲良くなったのか隣人と話していたりしていて、かなり騒がしかった。
俺は黒板の座席表に従い、窓際の一番後ろの席に着く。
窓の外を眺めると広い校庭があり、その先には青々とした緑が生い茂っていた。
そのさらに向こうには、目測で5メートルほどの物々しい壁が佇んでいる。
鉄筋とコンクリートで固められており、滅多なことでは壊れないだろう。どうしてあのような壁があるかは、大体察しが付いた。
チャイムが鳴ると同時に、スーツを身にまとった女性が教室の前のドアから入ってきた。
若いものの、肩ほどまで伸びた短い黒髪はどこか大人びたものを感じさせる。
耳に髪を掛ける仕草をを見て、周りの男子がドキッとしている。
「今日からこのクラスの担任となる『常盤 ひたち』です。 皆さんの数学、及びほか諸々の実践的な授業を担当します。 クラス替えは無いので三年間よろしくお願いします」
電子黒板に自身の名前を書いた後、その教師は軽く頭を下げた。
無駄なことは一切言わない定型句とも言える端的な挨拶だ。
「それでは、私はこれで。」
そう言うと間をおかず教室を後にしようと、常盤先生は扉へと足を進めた。
「え、ちょ、この時間ホームルームじゃないんすか?」
前列に座っていた、いかにもイケイケ風な男子生徒が常盤先生を呼び止めた。
「ええ、そうですよ。 言い忘れていましたが...自己紹介をしておいてください。 では。」
ホームルームは勝手にやっておけと言いたいのだろう。
扉をぴたりと閉められ、既に先生の姿はなかった。
あとに残されているのは静寂によって支配された教室である。
どれくらいたっただろうか。
しばらくして、静寂を破ったのは真ん中あたりの席に座っていた女子生徒だった。
薄ピンク髪のショートカットと、言葉には表し辛いふわっとした感じが、可愛げな雰囲気を醸し出している。
「ええっと、自己紹介始めよっか」
そう言うと席を立ち、周囲を見渡して生徒たちの反応を伺った。
そんな彼女を見て、頷いたりする者や賛同の声をあげる者がちらほら。
「じゃあ、私から。 初めまして、綾瀬 実里です! 好きなことは料理と裁縫、得意なことは勉強ですが、入試の点数は下から三番目でした!」
「ってそれもう得意なことじゃないじゃん!」
間髪入れずに、近くの生徒が突っ込みを入れると、自然と教室が笑いに包まれた。
みんなこんな風に各々自己紹介をしていくのかと思うと、社交性の欠片もない俺にとってはかなり胃が痛い。
「じゃあ、次の人っ! うーん、今日は4月9日だから、4×9=35番で...」
彼女は黒板に表示されている座席表に目をやった。
周りからは「学校の先生あるあるかよ」「掛け算出来てねーぞぉ」、と朗ほがらかなヤジが飛んでいるがそんなことはお構いなしだ。
彼女は、当の本人、名簿番号35番である俺のことを指差した。
「そこの端の君、よろしくね!」
みんなの視線が痛い。新手の拷問か何かのように思えた。
ここで「36番の人からじゃないか?」と言ったところで白けるのはなんとなく予想がつく。
仕方ない―――
「えー、結城 竣といいます。 得意なことは―――特にありません。 よろしくお願いします」
咄嗟のことで、とてつもなくつまらない自己紹介になってしまった。
周りからは、パチパチとまばらな拍手があるだけだ。
やらかした―――――