第9話 火花散る
泉のそばに移動して、適当に腰を下ろす。
俺は持参した弁当の包みを広げた。
シルが香草のお茶をごちそうしてくれる。
俺は石組の簡単な竈を作り、小さな火を起こした。
鍋のかわりになる丈夫で大きめの葉を火にかけて、湯を沸かす。
シルはそこにさっき採ってきたばかりの香草の花や葉を小さくちぎって入れた。
「そろそろいいかな……はい! わたし特製、香草茶のできあがり!」
「ほう、いい香りだな。エリスが喜びそうだ」
「ん? エリスって?」
「あ、いや……」
シルから興味深そうな目を向けられる。
どうも俺は迂闊な性質だったらしい。
言わなくてもいい余計な一言を言ってしまうきらいがある。
いままで気が付かなかった。
「もしかしてあなたのいい人?」
「い、いや、うちの屋敷に勤めるメイドだ。仲はいいと思うが特別な関係ではない。本当だ。草花が好きな娘なのでちょうど名前が浮かんだだけだ。別に他意はないぞ。気にするな」
どうにもあたふたしてしまう。
言い訳めいた言葉ばかりが口を衝いて出た。
「ふ~ん、まあいいわ。ねっ? このバスケット、あけていい?」
「ああ、たのむ」
葉を丸めた杯を両手で支えていたため、手が塞がっていた。
俺に代わり、シルがバスケットの蓋を外す。
しかし、中身を見て、俺は仰天する。
「ごふぉッ!」
少しだけ口に含んでいたお茶を吹いた。
「ど、どうしたのよ、ライナー? 急に咽たりして」
「あ、ああ、すまない……失礼した。大丈夫だ」
蓋を開けたバスケットには切り揃えられたサンドイッチが綺麗に並んでいる。
色とりどりの野菜の具材が優雅な曲線を描く。
それが幾重もの猪目の模様を形作っていたのだ。
「ねえ、ライナー。これって、人間のあいだで親愛の情を表すしるしよね?」
「よ、よく知っているな、そんなこと」
「街にいくと時々見かけるわ。もしかしてライナーはエリスさんに慕われているの?」
「そ、そんなことはないと思うのだが……ただのいたずらだろう」
「ふ~ん」
エリスのやつ、冗談が過ぎる。
この恥ずかしい弁当を早く食べつくしてしまいたい。
「と、ところでな、シルはよく街に行くのか?」
「あら、話をそらすつもり?」
「い、いや、そういうわけでは……」
といいつつ、実際はそういうつもりだ。
エリスの話が絡むとなにか面倒なことになりそうな気がした。
俺は平静を装いながら先を続ける。
「そ、そのだな、シルがどうやって人から見つからないように姿を消しているのか気になってな……」
「ふ~ん、まあいいわ」
「やはり風魔法を使っているのか?」
シルによれば、どうやら、いろいろな風の流れを複雑に組み合わせて、光の通り道をクネクネ曲げているらしい。原理はよくわからないが、背景次第でほとんど見えなくすることもできるそうだ。
「俺にもできるだろうか? 姿を消せるなら戦闘の役に立つ」
「まあ、人種族には姿消しの風魔法は無理かもね。練習すれば姿形をボカすくらいならできるかもしれないけど……」
「それでも十分だ。あとで教えてくれないか?」
「雷魔法はどうするのよ?」
「それもだ」
「はぁ~よくばりさんね」
できることは何でも試しておきたい。
強くなるためなら何でもするつもりだ。
そうして、午後の鍛錬も順調に進む。
やがて陽光が薄れていき、色味はやわらかいオレンジ色へ変わっていく。
「もう日が沈みそうだ。今日はここまでだな」
シルとの修業は楽しく、あっという間に時間がすぎる。
「ありがとう、シル。だいぶコツがつかめてきた。この調子なら雷魔法もじきに自分のものになりそうだ」
「そう、お役に立てたなら何より」
「明日もここに来ていいだろうか?」
「うん、もちろん。風と雷の合わせ技もあるからね」
「そうか、楽しみだ。ほんとうにありがとう」
こうして、思いがけない一日を過ごした俺は、風の森をあとにした。
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王都の外れ
ライバック家の屋敷。
戻るのが少し遅くなってしまった。
「ただいま」
「お帰りになさい。ライナー様」
出迎えたくれたのはエリスだ。
メイドはほかにも何人かいるのだが……
不思議と居合わせるのはいつもエリスだ。
「ライナー様。少し前に旦那様がお屋敷に戻られております」
「そうか。では、エリス、すまないが、夕食を少し遅くしてくれないか? 父上のところに報告がある」
「承知しました」
「それから、弁当ありがとう。美味かったよ」
「お粗末さまです」
俺はエリスに礼を言いながら、空になったバスケットを手渡す。
「だけどな、ああいういたずらは止してくれないか。少々気恥ずかしいものがある」
「ふふふ、軽い戯れにございます。天才剣士と謳われるライナー様がこんなことで狼狽えてはいけませんよ」
「まいったな……今度から普通でいいぞ、普通で」
「ふふ、分かりました、ライナー様。それはそうと――」
受け取ったバスケットに鼻を近づけたエリスが何やら怪訝な顔をしている。
「箱からいい香りがしますね。何か入っているのですか」
「いや、そんなことはない。全部食べた。野菜も残していないぞ」
「ほんとうでしょうか?」
いつまでも子供扱いしないほしい。
野菜は多少苦手ではあるが、体を作るためにもきちんと食べた。
「検めてもよろしいでしょうか?」
「疑り深いなぁ……嘘はついていないぞ」
「では」と蓋を開けるエリス。
一瞬目を見張り、彼女は何か記憶を探るようなしぐさをする。
いったい、どうしたというのだ?
俺は不思議がったが、しばらくすると、彼女は納得したように一つ頷く。
その口元に不敵な笑みを浮かべていた。
「やってくれますわね……泥棒猫」
「な、なにを突然、」
「若旦那さま、ありがとうございます。これは風蝶草ですね。乾燥させれば、美味しい香草茶をいれることができましょう。今度、お茶の時間にお出しします」
わけがわからない。
エリスが抱えるバスケットを斜め上から覗いてみると――
花か?
そこには小ぶりの黄色い花が、隅々まできっちりと綺麗に詰め込まれていた。
シルのやつ、何かごそごぞやっていたかと思えば、お土産の花をつめていたらしい。
エリスが花好きと聞いたから、気をきかせてくれたのかもしれない……。
だが、俺はそんなこと少しも知らなかった。
ちょっとまずい。
エリスはニコニコしているのだか、その実、ちっとも笑っていない。
「ライナー様、可愛いお花のお土産ありがとうございます」
「あ、い、いや、別に大したことではない」
「ちなみに……ご存じですか?」
「ん、何か?」
俺をじっと見つめたエリスが一言つぶやく。
「秘密のひととき」
「は? いったい何を言って、」
「『秘密のひととき』この風蝶草の花言葉です。ご存じでしたか?」
「なっ」
「今日も楽しいひとときをお過ごしのようで……なりよりでした」
口角だけで作った笑顔が怖い。
シルのやつ、ややこしいことをしてくれる。
俺は、微笑むエリスに気おされた。
だれかとこっそり会っていたことがばれたのは間違いない。
なぜだか分からないが、かつてないほどの危機を感じる。
「す、すまぬ、エリス。先ほども言ったが俺は父上に急ぎの報告がある。また後ほど」
「あっ! ライナー様!」
これ以上長居は無用。
俺は足早にその場を立ち去った。
剣士たるもの常に冷静でなくてはいけない。
それは承知なのだが、しばらく動揺が鎮まらなかった。