第7話 風精霊の本気
翌朝。
馬房から愛馬アンバーを連れ出す準備をしていたところ――
「おはようございます。ライナー様」
「おっ、お、おはよう」
突然、メイドのエリスに声を掛けられた。
不覚。何の気配も感じなかった。
いきなり背後を取られた俺は焦りまくる。
「エリスか……ずいぶんと今朝は早いじゃないか」
「はい、ライナー様がお出かけになられるかもしれないと思いまして……」
できるだけ音を立てず、そっと部屋を出たのに……なぜ気付かれた?
「今日も『風の森』へ行かれるのですか?」
「あ、ああ、そのつもりだ」
エリスの探るような視線が痛い。
彼女から得も言われぬ重圧を感じる。
「ライナー様、だれか意中の人でも?」
「い、いったいなんの話だ?」
「いえ、こちらの話にございます。それで、ライナー様。たいへん押しつけがましいようですが、お弁当を二食分ご用意させていただきました。よろしければ、どうぞお持ちになってください」
「そ、そうか、ありがとう。気が利くな。二人分も用意してくれたのか、朝早くから大変だったろう」
ありがたい。しかし、シルはいくらなんでもこんなに沢山は食べないだろう。
小さな彼女と弁当の包みの大きさを比べてみて、思わずフッと笑いそうになった。
と、その刹那、背筋に悪寒が走る。
エリスが冷めた目でじっとこちらを見据えていた。
「あのう、ライナー様?」
エリスが普段より一段低い声でいう。
「ん?」
「たしかいま、二人分とおっしゃいませんでしたか?」
「そ、そうだろうか?」
「ええ、たしかにそう聞こえました。わたくしはライナー様の朝と昼の二食分をご用意したつもりなのですが?」
エリスに魔法適性はないはず。
だが、氷結攻撃を受ける直前の底冷えするような気配を感じた。
「い、言い間違えただけだ」
「本当でしょうか?」
ま、まずい……。
これ以上問答していたら墓穴を掘る。
すぐにこの場を離れた方がよい。俺の本能がそう告げた。
「すまぬ、鍛錬の時間が惜しい。俺は急いで行かねばならぬ。さらばだ!」
最速で馬に飛び乗り、急いで駆け出す。
背後から俺を呼び止めるエリスの言葉が届いたが、怖いので耳に入れないようにした。
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風の森の泉のほとり。
シルに自分の風魔法を見てもらう。
風精霊の彼女は、いわば風魔法の専門家。
なにか助言が貰えるかもしないと期待している。
俺は得意の魔法剣を繰り出そうと、二本の剣を胸の前で交叉。
すぐさま、双剣に風魔法をのせ、素早く振り放つ。
「風裂斬・叉!」
剣技とともに放たれた風の斬撃が泉の水面を割く。
刻まれた二本の溝に沿って水の幕が吹き上がった。
「どうだ? 今のが魔力全開で放った俺の魔法剣」
「昨日見たのよりはだいぶ威力があるわね。人間にしては上出来。まあまあかな……でも、う~ん、悪くはないけど、そう……イマイチね」
褒めるのか、貶すのか、どちらかにしてくれ……。
「じゃあ、ライナー。防御の方はどうかしら? わたしの攻撃、受けてみる?」
「ああ、いいだろう。願ってもない。よろしくたのむ」
「言っておくけど、わたしは高位の精霊。人種族と違って大気からも魔素を集めることができるのよ。甘く見ないでね?」
シルはそう言うと、目をつむりながら腕を掲げた。何やら小声で呪文を唱え、集中を深くしているようだ。なんとなくだが、大気に漂う魔素が集まっているのが分かった。
そして、もう十分と思ったのか、シルが勢いよく腕を振り下げる。
「薙ぎ払え! 風車!」
猛り狂う渦が迫る。
俺はシルの魔法攻撃を落ち着いて目で追いながら、剣を指向させた。
「散らせ! 爆風!」
剣先に纏わせた風の魔力が爆散する。
それがシルの放った風の渦をきれいに打ち消した。
シルは少し不満げな様子。
思ったよりあっさりと防がれてしまったのが気に入らないみたいだ。
「ふ~ん、なかなかやるわね」
「そうだろう? 止めてみせたぞ。案外大したことないのだな。いまのがシルの全力か?」
「ち、ちがうわよ」
俺の言い方が気に障ったのか、シルは少し不機嫌になった。
でも、その怒りかたが何だか可愛いかった。
よせばいいのに、もう少しだけ意地悪を言ってみたくなった。
「では、思い切りやってくれ。さっきの攻撃からは高位の精霊とやらの力が感じられなかったぞ」
「はぁ? そんな強がり言ってだいじょうぶ? ほんとに防御できるの?」
「ああ、だいじょうぶだ。受けてみせよう。俺も風属性。風魔法に対してはそれなりの耐性がある」
「ふ~ん、余裕ね。怪我しても知らないから」
「楽しみだ」
「ふん!」
そういうと、シルは先ほど違い、空に上がって俺から大分距離をとった。
おまけに姿まで消してしまう。
どこにいるのかまったく分からない。
俺は真上も含めて前後左右の全周を警戒せざるを得なくなってしまった。
おまけに攻撃の時機を知るのも難しくなった。
しまったな……。
調子に乗って余計なことを言うのではなかった。
シルを揶揄ったことを少しばかり後悔していると、空の一角に突然大きな魔力の渦が沸き上がる。そのあたりが急に薄暗くなった。
次いで閃光をともなった雨雲のようなものが突如現れる。
「な、なんだ?」
シルの作り出したものが何だか分からない。
が、それが危険なものだということははっきりと分かった。
俺は慌ててシルに呼びかける。
「おい、シル!? 何をするつもりなのだ? 俺が悪かった。冷やかしたこと、謝る。俺の負けだ」
「べ~! いまごろ謝っても遅いわ。精霊の怒り、受けなさい!」
「す、すまん。何をしようとしているのか知らんが、どうかそれを止めてくれないか?」
しかし、俺の懇願など構うことなく、シルは詠唱を続けた。
「轟け雷雲。空の忿怒を彼の者に示せ……」
ま、まずい。本格的にまずい。
何が来るのかさっぱり見当がつかない。
だが、あれは絶対によくないものだ。間違いない。
そして、避けられそうにもない。
なら、少しでも相殺を……。
あの得体の知れない黒い雲を少しでも――。
俺はそう思い、咄嗟に剣を繰り出す。
「旋風!」
が、直後、シルが詠唱を完成させた。
「雷降ろし!」
俺の剣から繰り出された渦流の尖頭は黒雲に届かない。
それよりも早く、激しい閃光が俺を目掛けて落ちてきた。