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第6話 メイドのエリスは怪しがる

 風の森を抜けてから駈歩かけあしを使ったので、日没までに屋敷に戻ることができた。

 俺は「ごくろうさん」と愛馬アンバーに声を掛け、厩舎きゅうしゃをあとにする。


 屋敷に入ったところで、ちょうどそこに居合わせた一人のメイドが俺を出迎えてくれた。

 彼女はエリス。俺と同年代で、よく気が利くいいだ。

 が、少々お節介すぎるところがある。

 だから、正直にいうと、俺は彼女のことを少しばかり苦手にしていた。


「ただいま。いま戻った」

「おかえりな、えっ、あ、あのライナー様、なんだか濡れているようですが?」


 今朝がた、俺はずぶ濡れとなった。

 そのあと服はよく絞ったのだが、まだ少し湿っていた。


「ああ、ちょっとした事故があってな……」

「事故……ですか?」


 木から滑り落ちて泉に突っ込んだ、とはカッコ悪くて言えなかった。

 しかし、変に隠したことで、彼女から余計な詮索せんさくを受けることに。


「それにしては、ライナー様?」

「うむ、なにかな?」

「ずいぶんと楽しそうにしていらっしゃいますね」

「そ、そんなことはない……普段のとおりだ」

「いいえ、いつもはもっと浮かない顔をされています。皆が心配するほどに……」

「俺はそんなに下を向いていたか?」

「ええ、ライナー様がそのような楽しそうな顔をするのは百八十三日ぶりです。なにかいいことでもあったのですか?」


 な、なんだ、その細かい数字は!?

 そして、この状況……。


 エリスが胡乱うろんげな視線を投げかける……。

 彼女の鳶色とびいろの瞳に疑惑の念がこもっていた。


 俺は何もやましいことはしていない。

 でも、どうしてか気まずい。


「エリスの気のせいだろう……」

「いえ、間違いありません。毎日毎日、ライナー様のことをじっくり観察しておりますので……しっかりと記録も取ってございます」

「き、記録だと!?」

「はい、わたくしの日記のようなものでございますが……昨日と本日のライナー様の表情の相違点などを詳しくご説明いたしましょうか?」

「い、いや、いい。遠慮しておく。説明はまたの機会に……」


 なぜに俺が観察対象なのだ?

 その日記とやらの内容を知るのがちょっと怖い……。


 そして、まだ何か言いたげなエリスが口を開く。


「あのう、ライナー様?」

「ど、どうしたのだ?」


 つかつかとにじり寄るエリス。

 俺にぴったりと寄り添ったかと思うと「失礼いたします」といいながらクンクンと鼻をならした。


かすかですが、花のいい香りが……怪しいですね?」


 なんという臭覚……。


「お前の髪ではないのか? いつもいい香りを纏っているだろう?」


 エリスは長い琥珀色こはくいろの髪を後ろで軽く束ねている。

 その髪が揺れるとなんだか甘い香りがするのだ。

 俺は単にそのことを指摘しただけなのだが、歳のわりにあどけなさを残しているエリスの顔が少し赤くなった。


「お褒めの言葉、ありがとうございます。ですが、それとこれとは話が別です。若旦那様からたしかに花の香がするのです」

「そ、その、えーとな、ずっと泉の周りの花畑にいたのだ。景色のいいところだ。今度お前を連れて行ってやろう」

「それは大変うれしゅうございます……が、ライナー様は花などに興味がおありでしたか? いままでそんなことは一度もおっしゃったことがないように思います。念のため、記録をお調べいたしましょうか?」


 やめてくれ。

 その記録とやらをもち出すのは絶対にやめてほしい。


「い、いや、いいんだ。調べなくていい。確かにお前のいうとおりだ」

「では、どうして急に花畑の話が出てくるのです?」

「それは……たまたま……偶然だ……」


 どうして俺は、非武装の娘に追い詰められているのだろうか。

 エリスの疑いの眼差まなざしが俺に刺さる。


「女の人……ですか?」

「なっ」


 絶句。なんという勘の鋭さ。

 だが、半分当たり、半分外れだ。

 風精霊のシルはたしかに女だ(と思う)が、少なくとも人種族ではない。


「怪しいですね。わざわざ森まで遠出して……お花畑で鍛錬をするのでしょうか? 本当はどなたかと逢引あいびきでもされていたのではないですか?」

「あ、逢引!? そんなものではない……俺はただ……」


 剣士とは異なる種類のエリスの圧力……。

 彼女にジッと見つめられ、その圧迫感に思わずあとずさりした。


「ふぅ……まあ、いいでしょう。ライナー様にも色々とおありでしょうから……」

「う、うむ」


 エリスが思ったより大人だったようで助かった。

 実際、説明を求められても困る。

 泉のほとりで精霊とおしゃべりしてました……とか。

 とても信じてもらえそうにない……。

 俺の正気が疑われる。下手をしたら、療養と称して自室に閉じ込められてしまうかもしれない。


「でも、ライナー様、わたくしはとても残念です。ご不満があるなら、このエリスをお誘い下さればよろしいのに……」


 エリスが何を言っているのか分からない。

 だが、これ以上彼女を刺激してはいけないと思い、「ああ、うん……」とだけ答える。


「では、ライナー様、お着替えをご用意いたします。こちらへどうぞ……」

「い、いや、着替えくらい自分一人でできるが……」

「お怪我をされていないか心配です。わたくしがお調べいたします」

「べ、別に怪我などしていないが……」

「そうでしょうか? お顔に擦り傷があります。手の甲にも……。念のため、一応、お体の方もお調べしたいと思います」

「わ、分かった。よく分からないが、分かった。よろしく頼む」


 逆らってはいけないような気がしたので、俺はエリスのいうとおりにした。

 なすがままにエリスに連れていかれる俺の姿は、悪さをした猫のようだったらしい。

 現場を目撃していた家令がメイドたちにそう話していたと、あとで小耳に挟んだ。

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