第5話 白精蘭と精霊石
それから、泉のほとりでシルとは他愛もないことをたくさん話した。
無邪気な彼女と接していると、不思議と気持ちが安らぐ。さっきまでささくれ立っていた心が丸く滑らかになっていった。
そして――楽しい時間というのは過ぎるのもまた早い。
いつのまにか、日が西の地の方へと傾き始めていた。
「さて、そろそろ、帰らねば。日が沈んでしまう」
「あら、そうね、もうこんな時間だわ」
俺は名残惜しい気持ちを抑えて、精霊シルに告げる。
「ありがとう、シル。感謝する。とても楽しかった。こんなに誰かとしゃべるのは本当に久しぶりだ」
「うん、それならよかった。姿を現したかいがあったわね」
シルは相変わらず愉快そうに笑っていた。
が、俺が立ち上がろうとしたとき、慌てて声をあげる。
「あっ、だめ! そこ、気を付けて!」
「な、何事だ?」
「ほら、よ~く足元を見て」
地面を探すと、白く輝く綺麗な花があった。
「実はそれね、わたしが植えたものなの。風精霊にとって大切な花だから踏まないでね」
「あぁ、すまない。悪かった」
いままで気が付かなかったが、ほかにも色とりどりの花が咲いている。
というより、ここは一面、花畑だった。
こんなにも美しいところだったのかと感心する。
いまさらながら驚いた。俺の目はとんでもなく曇っていたらしい。
それにしても――
「なんだか変わった花だな……」
足元に白く輝くこの花は、よく見れば、真っ白ではなく、半分透き通っていた。淡い光を放っているようにも見える。シルの羽根みたいだ。
「綺麗だな。何か名前でもあるのか?」
「うそ~冗談でしょ? あなた、人種族なのにこれが何だか本当に知らないの?」
「す、すまん」
ずっと剣の修業ばかりだったので、教養はいまひとつ自信がない。それに花などじっくり見たこともない。
シルが若干、呆れたような表情を浮かべていた。
「『白精蘭』というのよ。人種族が血眼になって探す希少な野生草花。この花の球根にはね、『精霊石』が含まれていることがあるの」
「そ、そうなのか? 大規模広域魔法の発動に使われるという……あの触媒のことか?」
「そういう使い方もあるらしいわね。だから、この花は争いの種でもある……」
この植物が精霊石の由来だったのか……
全然知らなかった。重要な戦略物資というやつだな。
「そのせいでわたしたちは……」
それまで明るかったシルの表情に突然、暗い影がさしたような気がした。
「お、おい、どうしたのだ、急に。シル?」
「ううん、なんでもない」
「そ、そうか……」
何か事情があるのかだろうか……
気にはなるが……あまり深く詮索するもの悪いと思った。
「それより、ライナー! この花の蜜、とても美味しいのよ。わたしたちの大好物! 大地の元気も分けてもらえるの! ねぇ、今度、砥草の茎でストローを作ってあげる。あなたも吸ってみるといいわ」
「ほう、それは楽しみだな」
いつのまにかシルはまた、もとの無邪気な顔に戻っていた。俺は、愛馬アンバーに跨り、もう一度シルに礼をいう。「また来る」と言って馬を進めたのだが、少し離れたところで「ライナー!」と呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、なんだかモジモジしているシルがいた。
「あのねー! 教えてあげる!」
「ん?」
「あなたに声を掛けた理由!」
「ただの気まぐれだろう?」
シルが首を横に振る。
「ほんとはね、あなたのこと、真っすぐで優しい人だなって思ったからよ!」
「なっ、そ、そんなことは……ない」
俺は自分のことしか考えられない身勝手な男だ。
「本当のことよ。あなたのことずっと見てた。だから分かるの。きょうは小鳥を助けてくれたでしょう? この前は、水に落ちたてんとう虫に手を貸していたわね。そのまえは、」
「も、もういい。そのへんで……」
まいった。勘弁してほしい。
やはりシルは俺の行動をつぶさに観察していたらしい。
「俺はただ、無益な殺生はしたくないだけだ。剣士として、王のため、王国のため、戦いに身を投じたなら迷わず敵を討つ!」
「もう! ほんとに堅苦しいわね。窮屈だわ。気取っても無駄。わたしたち精霊はね、心の色が分かるの。あなたは優しい人よ」
戸惑う俺をよそにシルは続ける。
「それにね、あなたはきっと強くなる。これからもっと強くなる。信じていいよ!」
「そ、そうなのか? お前がそう言ってくれるなら……俺はとてもうれしいが……」
何の根拠もないが、彼女の言葉を信じてみたいと思った。
強くなりたい。もう惨めな自分でいたくない。
「ねえ、ライナー。明日も会える? よかったら、わたしが風魔法を教えてあげようか?」
「ほ、ほんとうか? とてもありがたいが……迷惑ではないのか?」
「うん、いいよ。あなたの魔法はたぶん……」
そう言いかけて、シルは言葉を止めた。
「お、お、おい。俺の魔法に何か問題でもあるのか?」
「ううん、そうじゃないの。ただの勘だけどね……まあ、試してみれば分かること」
「そ、そうか、よく分からないが、よろしく頼む。では、明日またここで」
シルは笑みを浮かべながらこっくりと頷くと、つむじ風を纏って姿を消した。
これが、風の精霊を名乗る小さな彼女との出逢い。
そして、このめぐりあいが俺にとって生涯で一番の思い出になる――このとき、そんな予感がした。
<第一章 ~落ちこぼれ魔法剣士~ 終わり>