第39話 楽しい思い出
人がまばらになり、謁見の間が再び静けさを取り戻す。
どこに隠れていたのか知らないが、シルがひょこんと姿を現した。
「ライナー、おめでとう。ついにあなたの願いが叶ったわね」
「ああ、ありがとう。俺の晴れの姿、見ていてくれたか?」
「ええ、もちろん。遠くからだけど、ちゃんと見てた。素敵だったわ。これであなたも近衛騎士の一員ね、よくがんばったわ、えらいえらい!」
「はは、本当にありがとう。これもお前のおかげだ」
「ううん、ライナーの実力よ。わたしはほんの少し手を貸しただけ」
シルが自分のことのように喜んでくれているのがまた嬉しい。
ここまでの道のりは決して平たんではなかったが、シルからもらった力で乗り越えることができた。彼女には感謝してもしきれない。
そういえば、シルと出逢ってからちょうど一年くらいか……
「ライナー、あ、あのね……これからどうするの?」
「このあとは午餐会が開かれる。叙任者と希望する家族が参加する」
「そ、そう、そのあとは?」
「アーマコスト伯爵家で祝宴があるそうだ。少しだけ顔を出してみようと思う。シルも一緒にどうだ?」
「え~と、そうじゃなくて……」
「どうした、シル?」
シルは何か言いたげなのだか、それが何かは分からない。
「あっ、ううん。なんでもない。人混みで少し疲れちゃった。わたしは先に屋敷に戻ってるわね」
「そうか……ゆっくり休んでいてくれ。明日は久しぶりに風の森に行ってみないか? あの泉の花畑もだいぶ回復してきただろう? もう少し手をかけてみよう」
「ライナーは忙しいわ。花畑はわたしにまかせて。ひとりでもだいじょうぶよ」
「そうか? 無理するなよ?」
「う、うん。じゃあ、先に帰ってる……ライナー、さようなら」
シルは微笑を浮かべたまま少しのあいだ俺をじっとみつめた。
そして、風のように去っていった。
彼女の態度がどこかぎこちなく、いつもとは違う感じがする笑い方が少々ひっかかった。
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午餐会がつつがなく終わる。
そのあと、アーマコスト伯爵家での祝宴にも少しだけ顔を出した。
友人オーエンのことが少し気にかかったからだ。
だが、宴席の二人は想像した以上に楽しそうにしていた。
これならまあ問題ないだろう。
日がどっぷりと暮れたころ、俺は屋敷にたどり着く。
あちらこちらで葡萄酒を浴びたので足元も若干おぼつかない。
「ただいま。いま戻った」
「ライナー様お帰りなさい。ずいぶんと上機嫌ですね? 冷たい水をお持ちしましょうか? だいじょうぶですか?」
「少々飲み過ぎたがなんてことない。平気だ」
エリスが少々呆れているのだが、今日ぐらいは勘弁してくれ。
明日からはシャンとするつもりだ。
「シルは?」
「さきほど見かけましたがいまどこかは……」
「そうか。ああ、それから、悪いが今日は食事はいらない。もっと早く言えばよかったな、すまん」
「はい、承知しました」
自室の扉を開く。
「シル! 遅くなってすまない。オーエンからご馳走を分けてもらった。一緒に食べよう!」
しかし、部屋のどこからも返事がない。
俺の声だけがむなしく響いた。
「シルー! どこだ?」
付近を探してみたがいない。
もう一度エリスにも聞いてみたのだが――
「ライナー様、あの娘は屋敷のどこにも見当たりませんね。どこにいったのでしょう? やはり部屋に隠れているのではありませんか?」
ほったらかしにしていたから、拗ねたのかもしれない。
「エリス、すまないが一緒に俺の部屋に来てくれないか? 探すのを手伝ってくれ」
「はぁ、はい。いいですけど」
再び自室を見渡す。
「ライナー様、あれは?」
メイドのエリスに言われて、さきほどは気が付かなかったものが目に飛び込んできた。
机の上に二種類の花がそっと置いてある。
一つは透き通るような白い花。よく見慣れた白精蘭だった。
それに砥草の茎が添えてある。
「これは……」
ずっと前、まだ出逢ったばかりのころのシルの言葉が思い返される。
(この花の蜜、とても美味しいのよ。ねぇ、今度、砥草の茎でストローを作ってあげる。あなたも吸ってみるといいわ)
たしか、そんな感じの約束だった。
蜜を飲んでみてほしい、ということだろうか?
けれど、いまになってなぜ唐突に?
俺は少々、いや、だいぶ混乱した。
シルがこれを置いていった意味が分からない。
そして、もう一つの花束は……
見たことのない、知らない花だった。
机に置かれた花束を手に取ったエリスがなにか考えている。
「その薄紅色の花はなんだ?」
「これは日日草です」
「なにか意味があるのか?」
「それが……その……」
躊躇いの表情を見せるエリス。
いつもは遠慮なしにズケズケという彼女がなぜか言い淀んでいる。
俺はとても不安な気分になった。
「はっきりといってくれ、どういう意味だ?」
「花言葉は『楽しい思い出』 そして……別れの意味も込められています」
「なっ?」
ほろ酔い気分が一気に冷める。
俺はその場に立ち尽くした。
そんな……どうして……こんなにも突然に……
その日、いくら待っても、とうとうシルは戻らなかった。




