第27話 受難
日が沈み、辺りがどっぷり暗くなりはじめる。
店の中もだんだんと賑やかになってきた。
「ところで、オーエン。どうだ? もう隊務には慣れたのか?」
「あぁ、慣れたってことはないな。やることが多すぎる……毎日、訓練続きでクタクタさ。今日はあんな騒ぎがあったんで訓練を抜け出せた。実務の方が大事だからな」
わが友人、オーエンはそう言って肩をすくませた。
なにか変事があれば、今回のように見習いとして先輩にくっついていき、経験を積ませてもらっているのだという。
「まあ、たまにはこんな任務もいいもんだ」
「ああ、そうだな……ところでな、オーエン。昼間、警邏隊はずいぶんとあっさりと引き下がった。俺はしょっ引かれて尋問を受けるものとばかり思っていたぞ?」
「ああ、お前が対峙していたのは例の貴族家の放蕩息子だろう?」
「バレてたのか……」
「あたりまえだ。小隊長だって馬鹿じゃない。うすうす感づいていたさ」
「なら、どうして俺もヤツも見逃されたのだ?」
「いま、あの辺境伯家とことを構えるのはよろしくないんだとよ――」
斜め前に座るオーエンが声を潜める。
「あのクズ男アルマンが半年前にも、似たような騒ぎを起こしたのを知っているか?」
「多少は聞いている。くわしくは知らないが……」
「なんの落ち度もない商人に暴力を振るったんだ。謹慎処分もくらった」
「ならば、今回も厳しく罰すればいいだろう? ちがうのか?」
「そういうわけにもいかない……いま王家と辺境伯家は水面下で勢力争いを演じているんだ」
「ああ、そういうことか……」
なんとなく分かった。
この短期間に二回目の規則違反が明らかとなれば、王国としても正式の裁きを経て、厳重な処分を下さなければならない。
しかし、辺境伯嫡男を断罪すれば、王家と辺境伯家の争いは一気に表面化するだろう。
あからさまに辺境伯家と対立するのは避けたい、という思惑があるらしい。
辺境伯家の謀反の噂の真偽を確かめたい。
俺は声の調子を少し落とした。
「オーエン、騎士団ではなにか掴んでいるのか? 辺境伯家に不穏な動きがあるというのは本当か?」
「まあ、おれは下っ端だから、あまり大したことは知らん。けどな、このごろ隣国の商人が辺境伯領によく出入しているって話は聞いた」
オーエンが身を乗り出してささやくように言う。
「近く、彼の地に密偵を放つそうだよ」
「ほんとうか?」
「ああ、それからな、お前の報告書はちゃんと届けた。すぐに司令に回されたみたいだ。何か大事なことが書いてあったのか?」
「まあ、警邏隊のトリスタン殿も報告しているはずだから、内容はそう違わないはずだがな」
ああ、そういえば、精霊石のことも少し触れてあるか……
対面に座るタリアが身を乗り出す。
「さきほどからずっとお二人で内緒話ですか?」
俺たちの会話を聞いているだけではつまらなくなったのかもしれない。
「もしかして昨日の馬車襲撃事件に関係ありますかしら?」
「そ、そうですね。あるかもしれません。昼間アルマンが言っていたことも気になります。昨日、タリア様は伯爵領のアルマン邸に行かれましたよね?」
俺はアルマンとタリアの間にどのようなやり取りがあったのか尋ねた。
だが、大した情報は得られない。
アルマンはタリアに婚約を強引に迫ったらしい。
タリアはその態度が気に入らなかったので早々に屋敷を後にしたそうだ。
この縁談は保留になっているとのこと。
「では、タリア様からみて、辺境伯領の活気はどうでしたか? そのほか、何か変わったところに気付きませんでしたか?」
「そうですね、町全体は景気が良かったように思います――」
アルマンの羽振りもいやによかったそうだ。大きな宝石を見せられたともいう。
婚約が成立したら、アルマンはその宝石を指輪に加工してタリアに贈ろうとしているらしい。
「――ああ、そういえば、その宝石は宝石らしかならぬ奇怪な形をしていましたわね。アルマン様は指輪にするならもっと綺麗にカットしなおすから気にするな、とはおっしゃっていましたが……」
とても表現しにくいそうだが、その宝石は輝きを四方に散らせるのではなく、一方向に集めるような感じだったらしい。
いままで俺の影で黙々と食べては飲んでいたシルがそっと口を挟む。
(ライナー、それはたぶん精霊石かも。たぶん、魔力を増幅させやすいようにわざわざそんな変な形に削ったんだわ)
やはり、クズ男アルマンのやつ、良からぬことを考えていそうだ。
ヤツのこと注意深く監視する必要があるかもしれない。
俺は、騎士団の一員でもある友人オーエンにも注意を促そうとしたのだが……。
この男は仕事の話にはあまり興味がないらしい。熱心に聞こうとしない。
それどころか、オーエンは、タリアに対してだんだんと遠慮がなくなってきた。
はじめのころ、本物の貴族に及び腰だったのが嘘みたいだ。
いまは令嬢タリアと気軽に話している。
ところどころで、なぜか俺の悪口で盛り上がっているのが癇に障るが。
「ところで、ねえ、オーエンさん、前回の競技会で好成績を収められたそうですね?」
「ええ、四位入賞でしたよ。おかげでこうして騎士団の隊服を着れたわけです」
「もしかして、オーエンさんはライナーさんよりもお強いのですか?」
「いやいや、まさか――試合でこいつと当たらずにほんとよかったです。対戦していたら、たぶん、オレは騎士団に入れなかった」
「あら、それは本当ですの?」
「まともに対決したら、オレがコイツに勝てるには三回に一回くらいでしょうね」
オーエンは一見謙遜するようにそういうのだが、俺はなんとなく気に入らない。
酒の席で大人げないとは思ったが、こいつの見立て違いを訂正したくなった。
「嘘をつくな、オーエン。お前が俺に勝てるのはせいぜい十回に一回だろう」
「おいおいおい、さすがにそれは盛りすぎじゃないか? 五回に一回ってとこだろ?」
「いや、十回に一回であってる。間違いはない」
男二人が半分ふざけて言い争いをしていたら、なぜかタリアが深刻そうにため息をついた。酔いが回っているのか、目が半分トロンとしている。
「はぁ……ライナーさんはどうして勝ち残れなかったのでしょう? 組み合わせに恵まれていなかっただけなのでしょうか?」
まずいことに、令嬢タリアは、また昨日の話を蒸し返す。
俺が敗けた理由に納得がいかないらしい。
オーエンは若干困惑気味のようだ。
「そ、それはなんといいますか……ああ、タリア様、こいつ昔から試験とか考査とかの名が付くものにやたらと弱いんですよ。あの試合もあっけなく負けましたしね。硬派ぶってるわりに意外と繊細なんです。可笑しいですよね? はっは!」
(そうそう、ライナーは硬派を気取ってるわりに意外とメソメソしたとこあるわね)
と、なぜか、シルが調子よく合いの手を入れる。
そして、オーエンは調子づいてベラベラとしゃべり続ける。
俺が鋭く睨んだのもお構いなしだ。
「ああ、それから、訓練校時代、宿舎裏にいた野良猫をニマニマしながら可愛がっていましたね。ニヒルを気取っていますが、実はとんだ優男。笑っちゃいますよね? わはは」
オーエンのヤツ、言いたい放題だ。一発ぶん殴ってやりたい。
シルもなぜか調子を合わせる。
(そうね、たしかにライナーは生き物には優しいとこあるわね)
一方の令嬢タリアは得心がいかないといった風で、葡萄酒の杯をいっきに飲み干した。
若干、目がすわっているような気もする。
「はぁ、やはり、おかしいです。ライナーさん。貴方様が勝っていれば、私もこんな目に遭わずにすんだはずです。どうしてこのようなことになったのでしょう?」
「そ、そのように言われましても……」
蒸し返すのはやめてほしい……。
「もう、なんとかしてください! 私はあの方のところに嫁ぐのは嫌なのです!」
タリアから思わぬ本音が飛び出した。が、あまりにも飛躍しすぎだ。
俺がどうこうできる話ではない。
そこへ、オーエンが――
「ま、まあ、タリア様。まだヤツのところにいくとは決まったわけではないのでしょう? そう気を落とさずに……。そうだ、ライライ、お前がだれか紹介してあげればいいじゃないか」
と、さも天才的なひらめきをしたかのように誇らしげに言う。
「そうはいってもな……タリア様のお気持ちもあるだろう?」
「ライナー、もっと親身になれよ? だれか心当たりはないのか?」
簡単に言ってくれる。
このお調子者を少し懲らしめてやりたい。
「そうか……じゃあ、お前で」
「はぁ? ば、ばか、口を慎め!」
「どうしてだ?」
「大貴族のご令嬢に対してさすがに失礼だろ! 俺は食堂を営む平凡な家庭に生まれた混じり気なしの純粋な平民だぞ」
お調子者のオーエンもさすがに慌てた。
だが、俺はもう少しだけコイツを揶揄ってやろうと思った。さきほどの仕返しだ。
「そんなに卑下するものではないぞ? お前も王国最精鋭の近衛騎士団の一員なのだ。今後の躍進次第では、つり合いがとれないこともない」
「おおい、冗談はよせ……タリア様、いまのはコイツの戯れですので……気分を害されないよう……ははは」
さすがにオーエンが気の毒になった。
これ以上いじるのはやめようと思ったのだが、タリアがにっこりとする。
「オーエンさん、あなたはライナーさんに五回に一回は勝てるくらいの腕前なのですよね?」
「は、はぁ……」
「でしたら悪くはないのかしら……」
もう一方の当事者タリアがけっこうな勢いでこの話に食いついた。
オーエンはなんといっていいのか困っている。
「タ、タリア様、いったい何のお話をされているので?」
「あなたは長男でいらして?」
オーエンが大貴族の令嬢に気圧されている。
これで俺の気持ちも少しは理解できるようになっただろう。
ざまあみろだ。
「い、いいえ、次男坊ですが……」
「では、お家を離れてもよろしいので?」
「ええ、まあ、家業は兄が継ぎますし、おれは王の盾として生きていくと決めましたので……」
オーエンの身の上を聞いた令嬢タリアの瞳の奥底が一瞬光ったように感じた。
「そうですか、これはいいことを聞きました。今宵はほんとうに楽しいですね。さあ、皆さんもっと飲みましょう。オーエンさん、足りていないようですね――すみません、給仕の方、こちらに追加をお願いしまーす」
「はーい! ただいま!」
オーエンが慌てる。
「タ、タリア様? あまり飲みすぎない方が……ライナー、お前、なんとかしてお止めしろ」
「大丈夫ですよ」
だいじょうぶではないだろう……。
タリアは相当できあがっているようにみえる。
酔っぱらいのだいじょうぶほどあてにならないものはない。
「だいじょうぶです。だいじょうぶ」
辺りが夕闇に包まれる頃、酒場はますます賑やかになる。
オーエンには気の毒な展開となったが、思いがけない面々で取り囲んだ夕食は楽しいものとなった。
友人たちと囲む宴はしばらく続いた。




