第26話 銀狼亭
ニコニコしながら俺たちの話を聞いている令嬢タリア。
俺はこんなに人の接近に鈍感だったのだろうか?
なぜだか、周りには手練れの女が多いような気がする。
剣士として自信が崩れそうだ。
オーエンがおどけたように――
「ねえ、きみ、可愛いね、ライナーの彼女? いつのまにくっついたの? コイツ奥手だからね、ぜんぜん浮いた話がなくてさ……」
馬鹿か、こいつは……。恐ろしいことを平然という。
「おれなんも知らなかったよ。お前も水臭いよな、言ってくれればよかったのに」
と俺の肩をバシバシ叩くオーエン。
まだ自分の勘違いに気が付かない。
タリアは大貴族にしては慎ましい恰好をしているが、それでも平民の服とは比べ物にならないほど上等な衣装をまとっている。少し後ろに侍女も控えているのになぜ分からない?
ほんとうにあほだ。
「ごほん! なぁ、オーエン、不敬罪で死にたくなかったら、さっさとこの方に謝れ」
「へっ?」
「この方はアーマコスト伯爵家のご令嬢、タリア様だ。地面に頭をこすりつけて謝っとけ、俺は知らんぞ」
「あら、そんな。私はライナーさんのご友人にお褒め頂いて嬉しく思いますよ、ほほほ」
タリアはなぜか上機嫌なのだが、オーエンは一気に蒼くなった。
「し、し、失礼しましたー! タリア様、平にご容赦を」
「べつに気にしていないですわよ」
タリアは当初お高くとまったお嬢様のように見えたのだが、それは俺の偏見と誤解だったようだ。思ったりもずっと気さくな人柄だった。
オーエンは、命拾いでもしたかのような心底ほっとしたような顔をする。
「ご温情痛み入ります、タリア様」
「そんなにかしこまらないでください、オーエンさん。ところで、さきほど、こちらの食堂で夜会を開かれるそうですけど……私は招待されないのでしょうか?」
「えっ」
突拍子もない問いかけにさすがのオーエンも固まってしまった。
無理もない。
仕方がないので、俺が間に割って入る。
「タリア様、ここは庶民の食堂。貴女のような身分の高い方が利用するようなところではありません」
「あら、私を仲間外れにするおつもり?」
「い、いえ、そういうわけでは……酒場も兼ねていますし、中には粗野な客もいるかと……」
「あら、いいじゃありませんか。私はそういうお店に入ったことがありません。何事も経験ですわ、ほほ」
だめだ。令嬢はもう参加する気になっている。
何がきっかけで、このような(こういっては悪いが)お世辞にも綺麗とはいえない下々の食堂に興味を持ったのかは分からない。
こうなったらもう俺の手には負えない。
「で、では、タリア様、せめてお着替えを……周りの客が委縮したら気の毒ですし……」
「そうですわね、まだ夕刻までは間があります。私は一度屋敷に戻ることにします」
令嬢タリアはそう答えると、今度はオーエンの方に視線を向けた。
「オーエンさんも一度、騎士団の庁舎に戻られるのでしょう?」
「は、はい、まあ」
「アーマコスト家の屋敷はそこから近いのをご存じですね? 私を迎えに来て下さるかしら? 侍女も護衛も連れて参りませんので」
「え、えーと、それは……」
「ご迷惑ですか?」
「い、いえ……ですが、その……」
オーエンは俺に目配せして助けを求めるが、どうにもならない。
この人もまた逆らってはいけない類型の女だ。
いうとおりにするほかない。
「あのな、オーエン……騎士団に戻るなら、ついでにこの書類を届けてくれないか? 北部方面隊司令宛てだ」
俺は父宛ての報告書をオーエンに手渡す。
昨日の馬車襲撃事件のことをまとめた戦闘詳報だ。
俺の所見も付記してある。
別に急ぎというわけではない。
だが、父はしばらく家に戻らないそうなので、あとで騎士団に届けるつもりだった。
この際、ちょうどいいので、オーエンに頼むことにする。
「お、おう、わ、わかった」
俺の援護に期待できないことを悟ったのか、オーエンは早々に観念する。
「ではタリア様、いまから二時間ののちにお屋敷にお迎えにあがります」
「ええ、よろしくお願いしますわ」
タリアの顔に満面の笑みが浮ぶ。
オーエンの顔は引きつっていた。
なぜか知らないが、シルはムスッとしていた。
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数時間後。
ここは友人オーエンの実家が営むの食堂「銀狼亭」。
少し早めに店に入った俺と風精霊シルは、奥まったテーブルに案内された。
(シル、ほんとうに大丈夫なのか? まわりにこんな人がいて気づかれないか?)
(ええ、問題ないわ。そんな簡単には見つからない)
どうしても人間の営む食堂で食事をしたいとシルがいう。
最初は人間の姿で参加してもらおうかとも考えた。
精霊の姿に戻ってしまった彼女だったが「変化のコツはつかんだわ」「ライナーの魔力さえ譲渡してもられば変身することはできる」と豪語したからだ。
だが、途中で変化が解けてもまずいので、やはり、姿を隠してもらうことにした。
だれもシルの気配に気が付いていないので、いまのところシルの目論見はうまくいっている。
まだ客の少ない店に、扉の呼び鈴が小さく響く。
「あら、シルさんはお見えになっていないのですか?」
オーエンに付き添われて令嬢タリアが店に入ってきた。
「シルは用事があるとかで、屋敷に戻りましたよ」
「あら、そうですか……せっかくお話できると楽しみしていましたのに。残念ですわ。よろしくお伝えください。ホホホ」
「ど、どうも、ですがその恰好は……」
「どうかしら、ライナーさん? こういう感じも動きやすくていいですわね」
なぜかタリアは町娘の恰好だ。
そしてなぜかシルと似たような服を着ていた。
流行りの服らしいのでかぶるのは仕方ないのだが……。
色が違うのがせめてもの救いか……。
(はぁ? なによ、それ)
シルが不満げにささやく。
俺に文句を言われても困る。どうしろというのだ?
傍らのオーエンは話が分からずきょとんとしている。
「ライナー、シルってだれだ? だれかいたのか?」
「まあ、席に着けよ。今度機会があれば紹介する」
全員が席に着くと、この食堂の店主、つまりオーエンの父親が近づいてきた。
「若旦那様、ようこそいらっしゃいました。昼間は助けていただき、かたじけねぇ」
と店主が挨拶し、頭を下げる。
「いや、駆け付けるのが遅れ、申し訳なかった。被害が大したことなくてよかったと安堵している」
「いいえ、とんでもございませんや。それにしても、若旦那さまは父君ライバック卿の若いころにそっくりですなぁ」
「いや、顔はそんなに似てないと思うが……」
「無茶で無鉄砲なところが、ですよ。あの方もよく貴族様に歯向かってましたな。普通はできませんぜ、そんな恐ろしいこと」
「そ、そうなのか?」
父上はそんな風には見えないのだが……。
店主の話によると、俺の父親は昔からこの店にもよく顔を出していたそうだ。
この辺りに騒動が起きるとよく飛び込んでは狼藉者を蹴散らしていたらしい。
たとえ、相手が身分が高い者であってもお構いなし。そのせいで幾度か拘留されたこともあるんだとか。
そういうことなら、このあたりの住民が警邏隊のあしらいに慣れているのも頷けた。
「まあ、長話もなんです。今夜は腕によりをかけてこしらえた料理をじゃんじゃんお持ちしますから、ゆっくりしてってくだせえ」
「親父、奮発してくれよ」
「ああ、わかってるさ。綺麗な娘さんだ。オーエンのコレか?」
店主がにやけた顔で小指を立てる。
「ば、ばか! ライナーの婚約者だ」
「へぇー、若旦那様も隅に置けないねぇ、がはは!」
肩に乗ったシルが小さな声で「元・婚約者よね」と突っ込みを入れる。
その後、店主の言葉どおり、美味そうな料理がたくさん運ばれてきた。
名物の川魚料理が圧巻だ。香ばしい匂いが食欲をそそる。
オーエンは調子に乗って葡萄酒で乾杯しようといいだした。
「いいですよね? タリア様?」
「お、おい、オーエン! ここの安酒がご令嬢のお口に合うわけないだろ! 失礼だぞ」
「失礼なのはお前の方だ! うちの店はな、けっこういい酒を出してるんだぞ?」
「あら、ライナーさん、構いませんことよ。飲んでみたいですわ」
タリアは乗り気らしい。シルも「はい、は~い、わたしも!」と囁いた
杯が三つ用意され、最初の乾杯をすませる。
そのあとは、みんな勝手に飲みだした。
「ライライ! 酒のほうはあまり進んでないじゃあないか?」
「いや、俺は――」
あまり飲めないのでこれ以上は断ろうとしたのだが……。
「ライナー様、お代わりをどうぞ。お注ぎします」
と給仕の町娘が酒をすすめてきた。
「きみは……もしかして」
「は、はい! 昼間は助けていただきありがとうございました」
顔を赤らめながら会釈したその娘は店先でクズ男アルマンに捕まっていた町娘だった。
この店で働いているらしい。
「あ、あの、ライナー様、足りなくなったらお呼びください。で、では」
俺の杯に酒を継ぎ足した彼女は、恥ずかしそうにしながらまた厨房のなかへ小走りで戻っていった。
なぜかニヤニヤするオーエン。
タリアは少し棘のある視線を向け、シルは服を引っ張った。
何が不満なのかさっぱり分からない。
何はともあれ、酒宴はすすむ。
俺の対面に座るタリアたちのペースが結構早い。
嫌な予感がするが、俺はもう知らない。




