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「好き嫌いが激しい子」【ショートショート】

作者: カブトムシ(昆虫ゼリーP)

 私が教師として勤務している学校には、好き嫌いが異常なほど激しい生徒がいる。

 昼食の時間の時は給食制のためか、おかずはおろか飲み物でさえも手をつけない。

 ここまで好き嫌いが激しいのなら親に弁当を作らせればいいのに。と言ってしまいそうになるが、私には人様の家庭に首を突っ込む義理など全くない。面倒なことは嫌いだし、彼女の家庭にも何か事情があるのだろう。

 なら、しょうがない。と、自分に暗示をかけて今日も彼女から目を逸らす。

 だが、彼女のことで一つ気になっていることがある。それは、「彼女の服装」だ。室外でも室内でも長袖のシャツと脚には黒いタイツを纏っているのだ。うちの学校の制服は5月の中旬から夏服に切り替わっているため、彼女以外のクラスメイトは半袖のワイシャツを見にまとっている。長袖のワイシャツはまだ理解できても、この暑い時期に黒いタイツはおかしいだろう。そんなに脚を見られたくないのだろうか。

 まあ、そこまで気にすることでもないだろう。服装は生徒個人の自由だ。私から指摘する箇所は特にないだろう。と自己解決した私は今日もいつも通りの振る舞いで今日私生活を送っていた。


 だが、あの日は少々精神が不安定だった。上司から強引に頼まれた三学年分のテスト作成。廊下を走っていた輩とぶつかったことで授業の教材を床にばらまき、さらにぶつかってきた生徒にはなめた態度で応対された。

 このような私にとって不都合なことがこの日は起こりすぎていた。

 教師だって人間だ。理不尽な扱いをされたら生徒と同じように嫌な気分になる。

 そう、この日はむしゃくしゃしてたんだ。

 ゴーン、という重苦しいチャイムが鳴る。これが昼食の始まりを告げる合図だ。私も生徒によそって貰った給食を黙って静かに食べ進める。だが、この時私は一つ鬱陶しく思った物がある。

 そう、「彼女」だ。

 彼女は今日も何も食べない。トレーに鎮座している金属製の食器さえも触れない。その表情は、生気のないいわば無表情と呼ばれるものがそこに浮かんでいた。

 瞬間、私の頭の中で倫理観と理性がか細い音をたてて切れた。気がした。



 何故、彼女は一口も口に運ばないのだろうか。何故だ。教室では食べられないとでも言うのか。馬鹿馬鹿しい。そんな贅沢な考えは若いうちに捨てておけよ。まさか、私の前では食べられないとでも。まさか、あいつも私に対してなめた態度を。



 私の内に秘めていた鬱憤が余すことなく体外へ溢れだした。それは、とても猟奇的で闇を醸し出すような心であった気がする。

 私は勢いよくパイプ椅子を立つ。もう周りなんか関係ない。ここは私の教室だ。誰にも邪魔はさせない。

 そして、床にいる虫を踏み潰して殺すように物音を轟かせながら彼女の前まで歩いていく。

 周りの生徒が嫌悪感と驚きを混ぜたような顔をしてこちらを凝視する。だが、私は気づかない。私の意識は「好き嫌いをする」彼女の方へ全て向いていたからだ。

 そして、彼女の席の前で乱雑に進んでいた足が止まる。

 彼女は、「どうしたんですか。」と気の抜けた返事をする。少なくとも私にはそう聞こえた。

 私は喋らない。むしろ会話が出来るほどの理性が私には無かったのだ。

 私はおもむろに彼女のスプーンを利き手に持つ。そして、彼女の席に置かれていた麦ご飯を利き手と逆の手に持つ。

 好き嫌いは本人の甘えだ。

 好き嫌いは本人の甘えだ。

 だから、ここは教師が正してあげなければ。

 歪んだ悪に満ちた善がそう語りかけてくる。

そう、私は教師だから正さないといけないんだ。

 そう頭のなかで反芻した次の瞬間。私はスプーンですくった麦ご飯を彼女の半開きの口へ突っ込んだ。

 彼女はんんっ、と悶え必死に麦ご飯を口から取り出そうと試みていた。その姿をみた私はさらに彼女を憎くそしてとても醜く感じた。その後も私は給食のメニューである茹で人参のサラダや味噌汁などを休む暇を与えずに口内へ突っ込んだ。

 4口目を越えたあたりだろうか。彼女の異変に気づいたクラスメイトが私に向かって、

「何をしているんですか!」

と大声で叫んだ。

 私は、顔を歪ませ禍々しい声で、

「こいつは好き嫌いが激し過ぎるんだ!だから、教師である私が食の大切さを教えているんだ!」と怒鳴り返した。

 私は、ゴミ箱にゴミを捨てる行為のように彼女の口一杯に給食を詰めていく。その姿はまるで種を蓄えたハムスターのようにも見える。

 楽しい!楽しい!教師という職業は何でもできるから楽しいな!

 私は笑っていた。その理由は誰も、私自身も分からなかった。こんな幸せな喜劇は今までではじめてだ!私はこの上ない幸せを感じていた。溢れだした脳内麻薬も倫理観も誰も私を止めはしない。

 だが、次の瞬間。私の脳内から狂気も生気も抜け落ちた。それは、クラスメイトが泣きそうな声で発した言葉のせいであった。

「その子はアレルギー持ちなの…」


 後日、私は教職資格を剥奪された。刑事事件にはならなかったものの、私は彼女の両親に対して多額の慰謝料を払うこととなった。

 いいんだ。別にいい。私が生徒を危険な目に晒してしまったのだからそのくらいの制裁を受けるのは至極全うな判断であると私も思う。

 だが、私は知らなかったんだ。彼女が、穀物アレルギーと水アレルギーと野菜アレルギー(ラテックスフルーツ症候群)の三つの合併症を持っていたことを。

 穀物アレルギーは主に麦などに反応し、水アレルギーは水分全般に反応、ラテックスフルーツ症候群は人参やトマトなどに反応する。つまり、あの時私が彼女へ食べさせたのは全て彼女のアレルギーに反応する食品だったのだ。

 彼女がアレルギーであったとすると今までの不可解な事象も説明がつく。

 長袖のワイシャツと長い黒タイツを常時着用していたのは水などによるアレルギー反応(蕁麻疹など)を隠すため。給食に手をつけていなかったのは、給食に含まれている食品はほとんどアレルギー反応を起こしてしまう物であったからに違いない。ちなみにあの後、校長先生から聞いた話だが、彼女は昼食の後の昼休みの時間に保健室でアレルギーを除去した専用食品を食べていたそうだ。

 でも、何故私は知らなかったのだろうか。普通なら担任の私にも連絡がいくはずだろう。私以外のクラスメイトは全員知っていたらしいから尚更不思議だ。通常、アレルギー持ちの生徒なら先に相談しておくことが必要であるのに。

 だが、私はふと恐ろしいことを考え付いてしまった。

 そうか、彼女は自身のアレルギーについての話を言い出せなかったんだ。教師などの大人が認知している『普通の』アレルギーだったら、私にも相談することが出来ていたであろう。だが、彼女の闘っているアレルギーは少々特殊なものであった。ましてや水アレルギーなど、確かに私もその時は認知していなかった。

 これは彼女の両親から聞いた話だが、彼女は小学生の頃、自分の特殊なアレルギーを周りの人に理解してもらえず水をかけられたり無理やり水を飲まされたり、パンなどを顔に押し付けられたりなどの、いわゆる『いじめ』を受けていたらしい。

 だから、今回も私のような教師に理解されずに非難されることが恐かったため、担任である私に相談することが出来なかったのであろう。

 幸い、彼女のアレルギーについて理解してくれるクラスメイトがあの場に沢山居たから大事なことにならずに済んだが。

 だが、教師である私が彼女を不幸なことに招いてしまったことは紛れもない事実だ。私はこの命が尽きるまで、いやそれでも足りないくらいにこの重罪を償わなくてはならない。私の無知が引き起こした災厄は人を殺す一歩手前まで忍び寄っていた。


 好き嫌いもアレルギーも本人の甘えではない。どちらも本人や我々のような周りの人間が理解し合えるような環境が必要とされる、小さくて大きな私たちの重い課題なのだ。


(終)

 


 

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