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ファンディスクの海 2

 お嬢様と共にお屋敷へと舞い戻る。ロイやエマの作法について稽古を付けていると、ローゼンベルク侯爵家の当主であるグレイブ様に呼び出された。


「……シリル、おまえに聞きたいことがある」

「はい、なんなりとお尋ねください」


 辛うじて答えて、それから生唾を飲み込んだ。ただ質問があると口にしただけなのに、その言葉には言い知れぬ迫力があった。あるいは、怒っているようにも見える。

 やらかした覚えは……色々とあるが、それによってローゼンベルク侯爵家に不利益を及ぼした覚えはない。タイミングからして、合宿のことでなにか問題があったのかもしれない。


「ソフィアから、フレイムフィールド国へ合宿に行くという話を聞いたのだが……真か?」

「フォルシーニア殿下からご提案があり、アルフォース殿下も同意していらっしゃいます。おそらく、この話が覆ることはないと思われます」


 やはり合宿のことだったらしい。

 彼の意識がなにに向いているのか探りながら、俺は簡潔に事実を告げていく。いまの言葉自体に、グレイブ様が反応を示すことはなかった。

 ということは、たぶん――


「フレイムフィールド国は温暖で、貴族も海辺で泳ぐことがあるそうだな?」

「はい、そう聞き及んでおります」

「ときにシリル、郷に入っては郷に従えという言葉についてどう思う?」


 思わず咳き込みそうになったのを、意思の力で押さえ込んだ。

 グレイブ様はこう言っているのだ。よもやフレイムフィールド国のビーチで、あちらの貴族達と同じように、ソフィアの水着姿を大衆に晒すつもりではないだろうな、と。


 まず、俺には前世の記憶がある。

 ここではない文明社会で、女性が水着姿を晒すことも珍しくはなかった。そういった観点で見れば、ソフィアお嬢様が水着姿を晒すことが不謹慎だとは思わない。

 俺はこの世界の平民に近い感覚を持っていると言えるだろう。


 だが同時に、この世界で物心が付いておよそ十年。そのあいだずっと執事として貴族社会の生活に馴染んできた。いまの俺はこの国の貴族に近い認識も持ち合わせている。


 ゆえに、グレイブ様がなにを心配しているかはよく分かる。

 だが、だからこそ、その問題は既に対策済みである。


「フレイムフィールド国の両殿下が留学なさっておりますが、制服は自国のファッションに合わせておいでです。必ずしも相手に合わせる必要はないと考えます」


 俺はグレイブ様の意見に同調し、相手に話し合う意識を作らせる。そのうえで、彼が自分の意見を口にするよりも早く「しかしながら――」と続けた。


「フォルシーニア殿下は水着を着用なさるおつもりです。その場合、下級貴族であるアリシアお嬢様がその後に続くのは必至。加えて、ソフィアお嬢様の望みでもございます」


 王族のフォルが水着になるのなら、同行者がそれに続かない訳にはいかない。それでも、ローゼンベルク侯爵家の名があれば、水着を着ない選択肢もあるだろう。

 だが、他でもないソフィアお嬢様が水着で遊ぶことを望んでいる。であれば、お嬢様を諫めるのではなく、その障害を取り除くことこそが俺の役目だ。


「ソフィアが水着姿で遊ぶことを認めろ、と? しかしシリルよ。いまのそなたは専属執事であると同時に、ソフィアの婚約者候補でもある。彼女が水着になることを許せるのか?」

「立場が変われど、ソフィアお嬢様の望みを尊重するという意思に変わりはありません」


 当主の反感を買う覚悟を持って答える。この程度の問題は、ソフィアお嬢様が海に興味を示したときから覚悟していたと、グレイブ様の視線を受け止める。

 グレイブ様はこめかみに手を当てて、それから小さな溜め息をついた。


「言い方を変えよう。そなたはソフィアの水着姿を有象無象に見られても構わぬのか?」


 グレイブ様の問い掛けに俺は一瞬だけ沈黙。

 そのうえで、彼に向かって「ご安心ください」と笑いかけて見せた。


「フレイムフィールド国にはプライベートビーチがいくつもございます。今回はそのうちの一つ、王族御用達のプライベートビーチを貸し切るつもりです」


 フォル先輩はもとより、あの国の王族にはたくさん貸しがある。ゆえに、シャルロッテ姫殿下のプライベートビーチを借り、そこを合宿先にするようにとフォル先輩に提案する。

 それくらいのことは可能だと声には出さずに笑う。


「……シリル、そなた。陛下よりも権力を握っておらぬか?」

「そのような恐れ多いことはありません」

「……そうか?」


 なぜ疑問形――と突っ込めるはずがない。侯爵様に頭が上がらない俺にそのような権力があるはずがない。それだけの権力があるとしたらソフィアお嬢様くらいだろう。


「まぁよい、話を戻そう。たとえプライベートビーチを使ったとしても、アルフォース殿下も出席なさるのだろう? そなたはそれでも構わぬ、というのか?」

「――これをご覧ください」


 おもむろに――否、おそらくグレイブ様にとっては不意に、俺は懐から紙の資料を取り出し、それをグレイブ様の執務机の上に広げた。


「……これは、水着のデザインか?」

「さようでございます」


 俺が前世の記憶を駆使し、デザイナーと共同でデザインした水着である。

 オフショルダーのビキニだが、胸元をフリルで可愛らしく盛り付けてある。なおかつ、その上には刺繍を施したシースルーのアウターとティアードスカート。

 撥水性のよい生地ではあるが、遠目には平民のお嬢さんが町を歩くような服装である。


「なるほど……これならば露出は高くない。ソフィアが着ていても問題はなかろう。しかし、いまから合宿までに間に合うのか?」

「ご安心ください。既に完成間近の状態でございます」


 即座に返答すると、なんとも言えない顔をされてしまう。


「……合宿の話は、今日出たばかりだったと思うが?」

「お嬢様は以前から海に興味を示されておいででしたので」

「まったく、そなたは本当にそつがない。……といいつつ、実はソフィアの水着が見たいだけ、なんてことはないだろうな?」

「私はソフィアお嬢様の専属執事――であると同時に、婚約者候補でもあります」


 水着姿のお嬢様を見たいと言えばグレイブ様の不興を買って、見たくないと言えばソフィアお嬢様の不興を買う。そんな恐ろしい選択を選べるはずがない。

 ゆえに、俺は答えをはぐらかした。

 それに当然気付いているのだろう。グレイブ様は――小さく笑った。


「……まったく。いいだろう、合宿を楽しんでこい」

「ありがとう存じます」




 翌日、俺がシャルロッテ殿下にプライベートビーチを使わせてもらう許可を取り、フォルがそこを合宿先として承認、ソフィアお嬢様達の合宿はトントン拍子に進んだ。


 そして、その日の放課後。

 俺はトリスタン先生に呼び出され――


「ファンディスクの闇堕ちイベントだ」


 彼の研究室に足を運んだ俺は、開口一番にそんな宣言をされた。


「……いきなりですね。ファンディスクの闇堕ちイベント、ですか?」

「ああ、闇堕ちイベントだ」

「誰の……?」

「ソフィアお嬢様の、だ」


 俺はひとまず返答を避け、その言葉について吟味する。たっぷり数十秒ほど自問を繰り返し、再びトリスタン先生に視線を向けた。


「……誰の?」

「現実逃避は止めなさい」


 姉口調で突っ込まれてしまった。


「俺が悪かったから、姉さんの口調でしゃべるのは止めてくれ」


 俺の前世の姉はかなりお嬢様的な容貌をしていた。そのイメージと、ちょい悪親父的なトリスタン先生のイメージが重なると、なんとも言えない気持ちになる。


「分かった分かった。だが、おまえが現実逃避をするからだぞ?」

「すみません。ですが、ソフィアお嬢様が闇堕ちするのですか? もはや、彼女の闇堕ちはないだろうと予想したばかりなんですが」


 色々と言いたいことはある。だがなにより重要なのは、いまのソフィアお嬢様が原作の彼女とはまったく違う育ち方をしている、ということだ。

 いまの彼女が闇堕ちするなんて想像できない。


「おまえは分かっているようで分かっていないな。彼女はいわゆる浮き沈みの激しいタイプではない。傷付いても、それでも頑張ってしまう、我慢強いご令嬢だ」

「それは無論、存じておりますが……」

「では少し想像を働かせろ。人が闇堕ちするのはどういったときだ?」

「……なるほど、そういうことですか。私が間違っていたようです」


 なにがあっても、絶対に傷付かない人間なんていない。

 そして、その傷付き方が問題なのだ。

 我慢強い人は、傷付いても我慢して、結果的には取り返しの付かないほど傷付いてしまう。闇堕ちとは、そうして深く傷付いたときに発生する現象だ。


 つまり、ソフィアお嬢様は闇堕ちする可能性が低くなった代わりに、闇堕ちしたときの堕ち方は原作よりも強烈になった、ということだ。

 なにそれ怖い。


「……ところで、イベントだと言いましたね? 私の選んだ合宿先の地がイベントの舞台で、ソフィアお嬢様をそれほど傷付ける事件が発生する、ということですか?」


 もしそうなら――


「もしそうなら、合宿を止めさせる、とでも言うつもりか? 王族のプライベートビーチを借りておきながら、場所を変えるなど出来ないだろう?」


 答えられなかった。

 俺はいままさに、それについて考えていた。


 合宿を取りやめるのならともかく、合宿先を変更するといえば、それはすなわち、シャルロッテ殿下が用意したプライベートビーチに不満がある、ということになってしまう。

 海ではなく山にする、とかならまだしも、別の海岸にするのは不可能だ。


 ゆえに、イベントを避けるには海を諦める必要がある。だが、同時にこうも思った。ソフィアお嬢様が楽しみにしている合宿を潰すのが、本当にお嬢様のためになるのか、と。


 答えは否だ。

 お嬢様が望むのなら、それが危険な道でも共に歩み、その外敵を排除する。それが執事である俺の役目であり、彼女の婚約者候補としての決断だ。


「私は、合宿をおこなった上で、ソフィアお嬢様をお守りして見せます」

「ふっ、おまえならそういうと思った。イベントの闇堕ちはおまえの行動次第で回避可能だ。むしろ行動次第では、闇堕ちの予防になるとも言えるだろう。だから、安心して合宿を楽しんでこい」


 イベントがどのような内容か教えてくれるつもりはないらしい。

 だが、逆にそれがヒントでもある。たとえば、戦闘に巻き込まれたり、自然災害に巻き込まれるような類いのイベントなら、彼が警告をしないはずはない。


 俺の行動次第というのは、つまりはそういう意味。俺に内容を口にすることで、その回避を難しくする類いのイベント。そして俺は、その手のイベントに心当たりがある。


「おかげさまでなんとなく想像がつきました。ですが、一つだけ訂正が必要ですね」

「……訂正だと? なんのことだ?」

「楽しんでこいと貴方はおっしゃいましたが――貴方も引率の先生として、合宿のメンバーに入っていますよ。フォル先輩を闇堕ちさせないように、貴方も頑張ってくださいね?」


 俺が笑うと、トリスタン先生は珍しく驚いたような顔をした。

 

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