悪役令嬢の執事様 3
ソフィアお嬢様がアーネスト坊ちゃんと立ち去ったため一人残された。お嬢様の側にいるあいだはパートナーという立場になるが、離れてしまうと専属執事という立場に戻る。
どうしたものかと考えていると、今度はフォルがやってきた。
「フォル先輩……いえ、フォルシーニア殿下とお呼びするべきですね」
「あら、貴方ならどこだってフォル先輩でかまわないと前にも言ったはずよ?」
「ですが――」
前回招かれた、王族主催とはいえ身内だけのパーティーとは訳が違う。俺がフォルの命の恩人であることを知らない者達が見れば、あらぬ誤解だって生みかねない。
そうでなくとも、様々な憶測を生むことになるだろう。
「侯爵令嬢や隣国の皇女と踊った執事が今更なにを言っているのよ?」
「……ごもっともで」
冷静に考えれば、相当におかしなことになっている。俺がフォルを救った技術で隣国に目を付けられたことを知っている王族はまだしも、他の者からは相当異様に映るだろう。
「そういえば、フォル先輩の方はいかがですか?」
「ふふっ、みんなびっくりしてたわよ?」
茶目っ気たっぷりに笑っているが、周囲はびっくりで済むはずがない。
伯爵家を後ろ盾に持つだけの平民。それが学園におけるフォルの肩書きで、そんな彼女が貴族コースに通っていることを悪しざまに吹聴する者もいた。
その相手が、この国のお姫様としてパーティーに参加していたのだ。
それを見た者達がどのような心境に陥ったかは想像に難くない。今回のパーティーでは、いつも以上に中途退場する子供が多かったそうだが、決して無関係ではないだろう。
「それよりも、あらためて礼を言わせてちょうだい。ランスロットから復帰祝いとして魔導具をもらったのだけど……あれ、貴方が作ったのよね?」
「はて? ランスロット殿下に無理を聞いていただき、そのお礼をさせていただいたことはございますが……それのことでしょうか?」
感謝はランスロット殿下にしてくださいとほのめかす。だがその本音は、ランスロット殿下に恨まれるから勘弁してください、だ。
たぶん本音の方までしっかり伝わったのだろう。フォルはクスクスと笑う。
「心配しなくても、恩人である貴方達に迷惑を掛けるようなことはしないわ」
フォルはそう言って手を差し出してくる。それはどう見てもうちのお嬢様と同じ仕草――ようするに、ダンスの誘い受けである。
「……恩人には迷惑を掛けないのでは?」
「あら、迷惑かしら?」
迷惑ですと言えるはずがない。
というか、表舞台に姿を現したフォルシーニア殿下の動向に注目が集まっているいま、誘い受けに対して即座に手を取っていない時点で不味い。
「最近、うちのお嬢様が良くないことを覚えてくるんですが、誰の影響なんでしょうね?」
「あら、それはきっと貴方の影響よ」
俺は肩をすくめて、フォルの手を取ってダンスを申し込んだ。
そんな訳で、フォル先輩とのダンスを踊ることになった。彼女と踊るのは入学試験以来だが、あの頃よりも更に腕を上げている。
それに、あのときはあまり意識しなかったが、たしかに俺と呼吸が似ている。これは、彼女の先生がトリスタン先生――前世の俺の姉だからだろう。
「応じてくれてありがとう、シリル」
「いいえ、こちらこそ。気を使ってくださって感謝いたします」
フォルの正体がフォルシーニア殿下だった。
その事実は、周囲に衝撃を与えただけではない。生徒会メンバーとしてフォルと仲良くしていた俺やソフィアお嬢様にも注目が集まっている。
すなわち、俺達がフォルの正体を知っていたかどうか。もし知らずに仲良くしていたのであれば、不敬罪的な意味で、フォルを貶めていた者達の生け贄にされかねない。
だが、全てを知った上で仲良くしていたのなら、それだけ信頼を得ていた証拠になる。
フォルがフォルシーニア殿下として初めて人前に出たこのパーティーで、俺達が学園と変わらず仲良くしているという意味は大きい。
……本音を言うと、少し影響が大きすぎる気がしている。
ゲームのシナリオですら、王族との身分差に負けずに仲良くするのは子爵令嬢だ。貴族の家の生まれでもない執事が、王族達と仲良くするなんて、物語でも聞いたことがない。
ダンスはせずに一緒に話すだけでも十分だったとは思うのだが……フォルだからな。
――と、そんなことを考えながら彼女とのダンスを終えた。当然のように注目が集まっていたが、フォルも俺もそれらの視線を黙殺する。
「それじゃまた、学園で話しましょ」
フォルは穏やかな笑みを残して立ち去っていった。それを見届けてダンスホールを後にすると、またもや見知った顔の少女達と出くわした。
アリシアとパメラで、それぞれ中年の男性――おそらくは父親にエスコートされている。
さきほど出くわしたと表現したが、どうやら待ち受けていたようだ。彼らの視線は間違いなく俺に向けられている。
ゆえに、俺は彼らの前で足を止めた。だが、こちらから声は掛けない。
俺はただの執事で、相手はおそらくリンドベル子爵と、フォード伯爵。身分が下の者は、上の者が声を掛けるのを待つのがマナーである。
――けれど、十秒ほど待っても声を掛けられない。これは……俺に用があると思ったのが勘違いだったのだろうか? それとも、俺のマナーを試されているのだろうか?
後者ならかまわないが、前者なら非常に恥ずかしい。
立ち去るべきか、留まるべきか。真剣に考えていると「シリルさん」とアリシアが声を掛けてくれた――のだが、その手を父親らしき男が引いた。
「これ、アリシア。いくら学園で仲良くしていただいているからといって、社交界でも同じように振る舞ってはいかん。目下の者は、相手から声を掛けてもらうのを待つのがマナーだ」
そうですけど、そうじゃないですよ!?
思わずそんなツッコミをしそうになり、辛うじて堪えた俺を褒めて欲しい。だがこの誤解を解くには、俺から話しかけるしかないだろう。
「恐れ入ります。フォード伯爵とリンドベル子爵とお見受けします」
反応で身分が間違っていないことを確認。
こちらの身分を誤解している相手が下手に出るよりも早く「執事の身でありながら、声をお掛けする無礼をお許しください」と続けた。
「私はローゼンベルク家のソフィアお嬢様にお仕えする執事でシリルと申します。学園ではお二人のご息女にお世話になっております」
恭しく頭を下げる。
最近は感覚が麻痺しつつあるが、本来なら、ご息女に仲良くしてもらっていると執事が口にするだけでも厚かましいと思われかねない。
だが幸いにして、二人が気分を害することはなかった。それどころか、二人の娘が「だから言ったでしょ」と口にして「そのようだな」とそれぞれの親が返している。
誤解が解けたことで、この場で一番爵位の高い人間はフォード伯爵となった。彼はそれでも、こちらへの気遣いを見せた様子で口を開く。
「失礼だが、キミは本当に執事なのか?」
「はい。ローゼンベルク侯爵家に代々お仕えする家系ではありますが、爵位も持たぬ家の生まれでございます」
「そうか……娘から聞いていたが、本当にそうなのだな」
なぜそこまで疑うのか……心当たりがありすぎて申し訳ない気分である。と、そんなこちらの申し訳ない想いが伝わったのか、フォード伯爵は頭を振った。
「いや、困らせるつもりはない。ただ、入試の折にパメラが助けられたと聞いてね。いつかお礼を言いたいと思っていたのだ。それに、試験を台無しにしてしまって本当にすまない」
「もったいないお言葉です。それに謝罪の必要はございません。私はソフィアお嬢様にお仕えする執事として、すべきことをしただけですから」
ソフィアお嬢様を学年主席にするために、あえて利用させてもらったなんて口が裂けても言えない。しかも俺が助けなければ、パメラは第一王子に見初められる可能性まであった。
こちらの方こそ、申し訳ない気持ちで一杯だ。
どうか気にしないで欲しいと訴え、なんとか納得してもらったのだが……今度はリンドベル子爵にまで娘を助けていただいたそうでと感謝された。
どうやら、去年のランスロット殿下の誕生パーティーでの出来事を言っているようだ。
あれこそ、こちらの都合。
俺が介入した時点では既にアルフォース殿下に見初められるイベントは潰えていたが、俺が歴史を変えたのも事実だ。
……なんというか、本当に申し訳ない。
アリシアとパメラに良縁が訪れるように心から祈っておこう。……いや、祈っているだけじゃなく、ソフィアお嬢様との縁が深まるように協力しよう。
成長したソフィアお嬢様との縁ならば、王子の妃という地位にも匹敵するはずだ。
――と、そんなことを考えながら雑談を交わしていると、ソフィアお嬢様が戻ってきた。
侯爵家の息女と、伯爵や子爵。
現時点の地位から見ると爵位持ちの方が上になる。むろん、将来の影響力などを考えれば判断は難しいところだが、うちのお嬢様に限っていえば悩む必要がない。
俺はまず二人にソフィアお嬢様を紹介し、それから二人をお嬢様に紹介する。
「フォード伯爵とリンドベル子爵です。私がご息女をお助けしたことに感謝していると、過分なほどに感謝の言葉をいただきました」
本来なら、一介の執事がなにを言っているのだと言われかねない発言だが、ソフィアお嬢様が戻ってきたいまならエスコート役という立場を使える。
それを利用して、俺がお世話になったのでよくしてあげて欲しいと遠回しに伝える。俺のことを評価する人間には甘くなるお嬢様には効果がてきめんだった。
「まあ、そうだったのですね。わたくしもパメラさんやアリシアさんにはとても良くしていただいていますのよ。どうか、これからも仲良くしてくださいね」
家族ぐるみで付き合って欲しいと、お嬢様は笑顔で応じる。
それから、彼らの領地へと融通したジャガイモなどの話について始めた。侯爵家の生まれとはいえ、まだ幼いソフィアお嬢様が、他領の爵位持ちと立派に話している。
出会った頃はメイドに苛められて半泣きになっていたのにな。
俺もうかうかしていられない。ソフィアお嬢様の専属執事という名に恥じぬように、もっともっと努力をしていこう。
ソフィアお嬢様のパートナーを務めながら、あらためて誓いを立てた。