ソフィアお嬢様の望み 2
俺がシャルロッテ皇女殿下の案内役を務めるようになって一週間ほどが過ぎた。そんなある日の休日に、ハロルド皇子殿下とシャルロッテ皇女殿下が共同で夜会を主催した。
参加者は主に学園の生徒だが、その保護者にも招待状が送られている。
準備期間は短く、王都から離れた地にいる者には連絡が間に合わない。けれど、いまは社交シーズンで参加者は決して少なくないようだ。
そんなパーティーにおいて、俺はシャルロッテ皇女殿下に参加者を紹介する役を賜り、ソフィアお嬢様もまた、ハロルド皇子殿下より参加者を紹介する役を賜っている。
名目は案内役――とのことだが、実質はパートナーに近い。
というのも、両殿下はパートナーを伴っていない。正確に言えば、互いが互いのパートナーと言うことになっているが、この二人は実質別行動をしている。
その結果、俺やソフィアお嬢様が彼らのパートナーとして映っている。とくに、ソフィアお嬢様は、ハロルド皇子殿下のパートナーとして出席していると見る者が大半だろう。
周囲の雑談に耳を澄ませば、両国の友好関係のためにも――なんて声が聞こえてくる。
「あたしの言った通りになっているでしょう?」
「シャルロッテ皇女殿下のお言葉を疑ってはおりませんよ」
そんな風に返しながら、俺はシャルロッテ皇女殿下の提案を思い返した。
「――ソフィアお嬢様を助ける? これはまた不思議なことをおっしゃいますね。それではまるで、ソフィアお嬢様が危機的状況にあるようではありませんか」
「あたし達がなんのために留学してきたのか、シリルは理解しているはずです。それとも、あたしが一から説明しなければ分からないとおっしゃるの?」
「……いいえ、そのようなことは」
王族が留学する理由はそう多くない。
そして現状を見ればその理由は明らかだ。
「だったら、貴方のお嬢様を救うという言葉の意味が理解できないはずはないでしょう?」
「ソフィアお嬢様が政略結婚から逃れようとしていると? あり得ませんね」
――そう、あり得ない。
ソフィアお嬢様が政略結婚から逃げ出すという選択はあり得ない。だが、シャルロッテ皇女殿下は俺の言葉の意味には気付かなかったようだ。
「隠そうとしても無駄ですわ。ソフィアさん、とても可愛らしいですわよね?」
「それは疑いようもない事実ですが……それがなにか?」
「あれだけ可愛くて気が利いて、家柄も成績も申し分ない。そんな彼女にいまだ婚約者がいないというのは、どういうことなんでしょうね?」
「それは……」
アルフォース殿下とのイベントをぶち壊してしまったから――とはさすがに言えない。そうして言い淀んだ俺に、彼女はやっぱりと呟いた。
「ソフィアさんに婚約者がいないのは想い人――それも、侯爵令嬢である彼女には婚約することが出来ないような相手がいるからじゃないかしら?」
「さぁ? わたくしには知り得ないことですので存じ上げません」
「あらそう? 貴方は彼女から絶大な信頼を得ていると聞いたのだけど? それとも、当事者だからこそ聞かされていないのかしら?」
こちらを見透かしているような態度に、これ見よがしに溜め息を零して見せた。彼女に付き従うメイド達が色めきだつが、俺は呆れたという意思表示を続ける。
「シャルロッテ皇女殿下はずいぶんと噂好きなのですね? それとも、フレイムフィールド皇国のお国柄なのでしょうか?」
エフェニア国では浅ましい行為だと遠回しに指摘する。むろん、俺が案内役――つまりは、この国の作法に疎い彼女に助言する立場を逆手にとってのことだ。
この遠回しな苦言に気付かない――もしくは気付いて怒りに我を失う程度なら恐れることはないのだが、彼女は「あらごめんなさい」と笑った。
「彼女があまりにも可愛かったから色々と想像を巡らしてしまいました。たしかに失礼な勘ぐりでしたね。もちろん、フレイムフィールド皇国でもたしなめられる行為ですわ」
「……そうですか。こちらこそ、出過ぎた指摘でした」
俺が許されているのは、両国の作法の違いを指摘することである。決して、彼女の人格の未熟さを指摘する行為を認められている訳ではない。
それを理解した上での切り返しなのか、はたまた自国のイメージを護ろうとしただけなのか。どちらにせよ、相当に厄介な相手である。
「ふふっ、聞いていた以上ですね。だからもう一度言いますわ。貴方があたしに協力してくれるのなら、貴方のお嬢様を護るのに協力してあげますわよ?」
「ですから――と、繰り返しても無駄なのでしょうね?」
ソフィアお嬢様が政略結婚から逃げだそうとしている。それを前提に話したいのであれば好きにすれば良い。そう態度で示すと、彼女は満足気に微笑んだ。
「あたしと兄様の目的がある程度は被っているの。だから、貴方があたしに協力してくれるのなら、ハロルド兄様が貴方のお嬢様を選ぶ必要はなくなりますわ」
必要がなくなる、ね。
なんとも便利な言い回しである。
だが、いま問題なのは、目的が被っているという部分だ。
彼らの目的はこの国との関係強化と、あらたな魔術の知識のはず。ゆえに、シャルロッテ皇女殿下が俺を案内役に選んだ目的は分かる。
俺から知識を引き出すか、知識を持つであろう俺を手に入れれば目的を果たせるからだ。
だが、ハロルド皇子殿下がソフィアお嬢様を案内役にする必要性と、俺を手に入れることに関連なんて……あるな。
ソフィアお嬢様が隣国へ嫁ぐことになれば、もれなく俺もついてくる。つまりは、ソフィアお嬢様を手に入れることで、隣国は二つの目的を達することが可能、ということ。
だが、それはつまり――
「ずいぶんと、私のことを買ってくださっているのですね?」
「貴方の生み出した技術は、それだけの可能性を秘めているのよ」
信じがたいことだが、正解だったようだ。まるでソフィアお嬢様に近付いていることすら俺が目的のような発言で、いくらなんでも俺のことを買いかぶりすぎだろう。
まぁそれも、俺が未知の魔術を生み出した天才だと誤解しているからだろう。
俺は既存の魔術を再現しただけだと言ったはずなんだけどな。
たしかに、この世界には存在しない技術であるのは事実だ。だから、それを調べた上での発言だとしたら、そう思い込むのも無理はない、か。
俺が前世の記憶を利用しているだけだとはさすがに思いつかないだろう。そこまで思い至ったら化け物。もしくは、トリスタン先生のように前世の記憶を持つ者だけだ。
ゆえに、そこに至らなかった彼女が転生者である可能性は低い。
だとすれば、彼女の目的は単純に俺の魔術の知識、か。
「聞かせてください。シャルロッテ皇女殿下は私になにをお望みなのですか?」
「あら、取り引きをするつもりになったのかしら?」
「いいえ。ですが、なにを求められているか聞かなくては始まらないでしょう?」
「たしかにその通りですわね。あたしの望みは貴方の協力を得ることよ。具体的にはあたしが留学を終えたら共に皇国に渡り、あたしの研究所で働いていただきたいですね」
話にならない――と頭ごなしの否定はしない。
ソフィアお嬢様もフォルも、体調を崩せば自力で魔力の放出が難しくなる可能性がある。魔力抵抗が低いソフィアお嬢様はともかく、フォルは緊急時には俺が必要になる。
ゆえに、俺が隣国に渡るという選択はあり得ない。
だが同時に、魔導具の開発について協力する余地は大いに存在する。隣国と協力すれば、俺が使用する魔力を抜く魔術を、魔導具で再現できる可能性があるからだ。
「魔術の研究自体には興味があります。ですが、わたくしはソフィアお嬢様の専属執事ですので、彼女の側を離れることはありません」
「でも、それが彼女を護るためならば、話は変わってくるんじゃないかしら?」
ソフィアお嬢様を護るための礎になれと言うこと。たしかにそれならば、俺がソフィアお嬢様の側を離れると言うこともあり得るだろう。
他に選択肢がなければ、だけどな。
「たしかに、最悪の事態に陥ればそのような選択もあり得るでしょうね。ですが、私はそのような結末が待っているとは思っていませんが」
「そう? まあ現実から目をそらしたくなる気持ちは分かりますわ。ですから、あたしが留学を終えるまで、あたしは返事を待ってあげますわ」
あまりに露骨な言い回しに、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
――と、そんなやりとりがあった。
そして、いまのソフィアお嬢様は案内役としてハロルド皇子殿下の側にいる。パートナーも同然で、周囲からは両国が彼らの婚姻を望んでいると映っていることだろう。
つまり、あの日の言葉が示していたのは、シャルロッテ皇女殿下は留学が終わるまで返事を待つけれど、そのあいだにハロルド皇子殿下が動いても責任は持たない、ということ。
だが言われるまでもなく分かりきっていることだ。俺はウェイターからノンアルコールのスパークリングワインを受け取って、それをシャルロッテ殿下に差し出した。
「どうぞ、ローゼンベルク侯爵家からの贈り物です」
「……これが贈り物?」
グラスの中のワインが泡立っているのを見てシャルロッテ皇女殿下が眉をひそめる。口にこそ出さなかったけれど、彼女は失敗作のワインと言いたかったのだろう。
スパークリングワインはもともと偶然の産物だと言われている。当初は失敗作とされ、どうやって炭酸の入ったワインを作らないようにするかが研究の焦点だったという。
――というのは、前世の世界の知識。
つまり、この世界ではまだ失敗作扱いで、一般的には広がっていない。
「よろしければご賞味ください」
「……あたしの記憶がたしかなら、この国もフレイムフィールド皇国同様で、あたしの年齢でお酒を飲むことは禁止されていたと思うのだけど?」
「ご安心ください。それは厳密に言うとお酒ではありませんから」
それでもなお呑み渋るのは、毒物の警戒でもしているのだろう。
皇女殿下としては当然の反応ではある。
「むろん無理にとは言いません。ですが、それの製法は少々複雑でしてね。私が魔術を使って状態を管理いたしました。もし、樽の中を真空にする魔導具があれば作りやすく――」
みなまで言い終えるより早く、シャルロッテ皇女殿下はグラスに口をつけた。
魔導具と聞いて、真っ先に確認したのがスパークリングワインの味、か。本当に味に興味があったのか、それとも魔術への興味を隠すために味に興味を示したのか……
「……へぇ、しゅわっと口の中で広がって、なかなか面白い飲み応えですわね。これなら、好んで呑む人もいるでしょうね。……樽の中を真空にすると、言いましたか?」
「ええ、その通りです」
なんでもお答えしますよ――と、どこに興味を示しているのか反応を探る。
「魔導具があれば作りやすいといった理由はなぜかしら? 平民に管理させるため? それとも、なにか別の理由があるのかしら?」
「お察しの通り、魔力消費量の大きい魔術なんです」
俺がその言葉を口にした瞬間、彼女のアメシストの瞳がたしかに妖しく光った。
俺のセリフに食いついた証拠だ。
少しずつだけど、彼女の目的が見えてきた。
「さて、スパークリングワインも気に入ってくださったようですし本題に入りましょう。シャルロッテ皇女殿下は私をお望みのようですが……もう少し建設的なお話をしませんか?」
「あら、たとえばどんなお話かしら?」
「貴方が留学中、私と共同で魔術の研究をおこなう、というのはいかがでしょう?」
アメシストの瞳がすぅっと細められた。
それは、彼女が俺に要求していたことそのものだ。それを彼女の留学中に提供してしまったら、俺はソフィアお嬢様を護るための手札を失う。
それなのにどうして――と考えているのだろう。
だが、繰り返しになるが、その提案は彼女の望みを叶えるモノだ。明らかになんらかの罠だと思っても、彼女が俺の提案を無視することは出来ない。
「……貴方の知識を、あたしに提供する、と?」
「むろん、無償で提供するという訳ではありません。ただ、それぞれの得意分野で協力し合い、あらたな魔導具を制作するといったことは可能だと思いませんか?」
前世の俺は魔術を専攻していたが、魔導具に必要なハードウェア――デバイスと呼ばれる道具の開発については素人も同然なのだ。
つまり、俺にとっても皇国との共同開発は魅力的だ。
「貴方が協力してくれるのなら、むろん共同制作は可能でしょうね。だけどその場合、あらたに作られた魔導具は、我が皇国から売り出すことになると思うのだけど……?」
俺が知識を出したとしても、魔導具の製作が皇国頼りになるという意味だ。たとえ俺に利益が還元される形になったとしても、皇国側が有利な立場であることに変わりはない。
「私も魔術大国でも有数の知識を持つと噂されている、シャルロッテ皇女殿下との共同研究に興味がございます。それが協力の理由では納得いただけませんか?」
彼女は俺が魔術書の技術を再現しただけだと口にしたときも、それが事実であるにもかかわらず信じなかった。そして今回もまた――
「……良いわ。そういうことにしておいてあげましょう。貴方の本当の狙いがなんであれ、魔術の研究は願ってもないことだもの」
俺の言葉を信じず、その言葉の裏を読もうとしている。
たしかに彼女は慧眼なお嬢様だ。
原作でハイスペックな悪役令嬢という位置づけだったのも納得で、相応の立ち居振る舞いをしている。だがそれは、歳の割りには――と枕詞が必要だろう。
俺が育てたソフィアお嬢様には敵わない。最初の時点で正解を除外してしまった彼女は、俺やお嬢様が目的を果たすその瞬間まで、こちらの思惑に気付くことはないだろう。
こうして彼女と取り引きを進めつつ、案内役としての務めも果たす。それからほどなく、シャルロッテ皇女殿下のもとに――というか、俺のもとに客が訪れた。
アリシアとアルフォース殿下の二人である。
このパーティーに参加していること自体は不思議じゃないが、この二人が一緒にいることは珍しい。もしかして、パートナーとして一緒にいるのか?
本来のルートに戻ったりは……してないだろうなぁ。
そうこう考えているあいだに、二人はシャルロッテ皇女殿下と挨拶を交わす。アルフォース殿下は毎日顔を合わせているし、アリシアも何度か顔を合わせている。
ゆえに紹介は必要ないと後ろに控えていると、アルフォース殿下が俺を見た。
「シャルロッテ皇女殿下。申し訳ないが、シリルを少し借りてもかまわないかい?」
「シリルをですか……?」
「ああ、少し話したいことがあってね」
「分かりました。そういうことであればかまいませんわ」
なにやら面倒くさそうな予感がするが、しがない案内役に拒否権はない。俺はアルフォース殿下とアリシアに連行されてしまった。
「ど う い う ことですか?」
パーティー会場の外にある客に貸し出されている休憩室。
俺はなぜかアリシアに詰め寄られていた。そしてそんな彼女の後ろでは、アルフォース殿下がやはり俺を責めるような表情を浮かべている。
「むしろ、私がこの状況がどういうことなのか聞きたいのですが?」
「どうしたもこうしたもありません。どうして、ソフィアさんがハロルド皇子殿下の案内役をしているんですか! シリルさんはなにをやっているんですか!?」
「私はシャルロッテ皇女殿下の案内役をしておりますが?」
「――ジロリ」
うわぁ……ヒロインであり子爵家のご令嬢でもあるお嬢様が、ジロリと口に出して睨みつけてくるとは……なかなかレアな光景である。
「シリルさん、私の言いたいことが分からない、なんて言いませんよね?」
俺を睨むアリシアの瞳がどこか泣きそうに見える。
そしてそんなアリシアに味方するようにアルフォース殿下が口を開いた。
「シリル。ハロルド皇子殿下はソフィアさんを政略結婚の相手に選ぶつもりだよ。なのに、キミはそれを止めようとしないのか?」
「執事の私になにを期待なさっているのですか?」
「それは、でも……シリルならなんとか出来るんじゃないかい?」
アルフォース殿下の縋るような視線を受け止め、俺は頭を振った。
「アルフォース殿下。私に出来るかどうかではありません。ソフィアお嬢様の政略結婚を阻止したいのなら、自分で動くべきではありませんか?」
むろん、王子である自身の立場を使い、俺を動かすというのも手段の一つだ。だが、自分ではなにも考えず、ただ俺を頼るというのは違うと教え子に向かって言い聞かせる。
「殿下は以前、ソフィアお嬢様の信頼を得たいとおっしゃっていましたね? ですが、そんなことでソフィアお嬢様の信頼を得られると思っているのですか?」
「うぐっ。……分かった。ソフィアさんにダンスを申し込んでくる」
「はい。行ってらっしゃいませ」
なにやら決意に満ちた顔で踵を返し、使用人達を引き連れて退出してった。
アルフォース殿下が衆人環視の前でソフィアお嬢様にダンスを申し込み、彼が目を付けていると周囲に知らしめれば、世論への牽制程度にはなるだろう。
だが――
「シリルさん、私は誤魔化されませんよ?」
アリシアは更に一歩詰め寄ると、逃がさないとばかりに壁に手をついた。まさか、この世界でご令嬢に壁ドンをされる日が来るとは思わなかった。
お読みいただきありがとうございます。