お嬢様のために 5
ソフィアお嬢様を攻略というパワーワード。
これがゲームであれば喜んで攻略するところだが現実だと話は別だ。少なくとも、ゲームのように攻略するという遊び感覚にはなれない。
だがそれよりも、続けられたアーネスト坊ちゃんの言葉を無視することが出来なかった。
「シリルよ。フレイムフィールド皇国へ留学するつもりはないか?」
「……フレイムフィールド皇国に、ですか?」
俺はソフィアお嬢様の専属執事だ。だが、アーネスト坊ちゃんはソフィアお嬢様を護ってみろと口にしたばかり。
その直後の提案と考えれば、ソフィアお嬢様と無関係ではないだろう。
「このあいだ、シャルロッテ皇女殿下がおまえに興味を抱いていると話しただろう?」
――バキンッと、ソフィアお嬢様の方からなにかを握りつぶすような音が聞こえたが気のせいだと思いたい。そう現実逃避する俺をよそに、アーネスト坊ちゃんが話を続ける。
「以前にも伝えたが、ハロルド皇子殿下とシャルロッテ皇女殿下がロンドベル学園に留学を予定している。出来ればそれを阻止したいのだ」
「なるほど、それで私の覚悟を試されたのですね」
前夜祭の攻略対象であることから考えれば、ハロルド皇子殿下に決まった相手はいない。それどころか、留学の目的が結婚相手を探すことであるとも考えられる。
末席の王族が政略結婚のため、他国に留学するというのは決して珍しい話ではない。
ここまで至れば、アーネスト坊ちゃんがなにを危惧しているかは明らかだ。政略結婚の候補として、ソフィアお嬢様の名前が挙がっているのだろう。
それを阻止するために、俺に協力しろと言うこと。
だが……
「私がフレイムフィールド皇国に留学したとしても、ハロルド皇子殿下の留学はなくならないのではありませんか?」
俺に興味を抱いているというシャルロッテ皇女殿下は留学をやめるかもしれないが……それともまさか、ソフィアお嬢様を狙っているのはシャルロッテ皇女殿下なのだろうか?
「いや、シャルロッテ皇女殿下の留学を阻止できれば、ハロルド皇子殿下も留学を取りやめにする可能性が高い。そうでなくとも、なにかと動きやすくなるのだ」
シスコンと、喉元まで込み上げた言葉は寸前で飲み下した。
ランスロット殿下やアーネスト坊ちゃんがそうだったので、ハロルド皇子殿下もそうかと思ったのだが、この二人は少し事情が異なっているそうだ。
フレイムフィールド皇国は実力主義な一面が強く、結果を出せば様々な面での優遇を受けることが出来る。それゆえ、王族も精力的に活動をしている。
そんな中で、この二人は強固な協力関係にあるらしい。
「俺は学園で接触することが多かったのだが、二人のどちらかが動くときは、ほぼ確実にもう片方がバックアップに回っている。この二人がセットになると厄介なのだ」
「それゆえの、シャルロッテ皇女殿下の留学阻止、ですか……」
話を聞く限り、留学の決定権も本人達にあるようだ。実力を示せば様々な面で優遇されるというのは、そういう面でも有効なんだな。
伯爵家の娘でしかないパメラと、他国の皇子が原作で結ばれるのもその影響だろう。結果を出す分には、身分が不相応な相手でも許される、という訳だ。
「という訳だが、留学してくれるだろうか?」
「――ダメですよ、アーネストお兄様。シリルはわたくしの執事です。いくらお兄様でも、勝手にシリルを留学させるなんて許しません」
「むろん、無理にとは言わぬ。だが――」
アーネスト坊ちゃんの視線が俺を射貫く。これはソフィアお嬢様を護るために必要なことだから、説得して見せろ――と言ったところだろうか?
それに気付いたソフィアお嬢様が胸の前で両手をきゅっと握り締める。だから俺はお嬢様を安心させるように微笑んでみせた。
「私はソフィアお嬢様の専属執事であり、ソフィアお嬢様の望みを叶えることが役目です。ゆえに、ソフィアお嬢様の望まぬことをするつもりはありません」
「その結果、ソフィアに危険が及ぶとしても、か?」
「危険が及ぶというのなら、ソフィアお嬢様の望みを叶えた上で護ってご覧に入れましょう」
アーネスト坊ちゃんはきっと、ソフィアお嬢様を籠の鳥にしてでも護るつもりだろう。
それが間違っているとは思わない。
たとえば護衛の任務はまず、護衛対象を危険な場所に近づけないことから始まる。そう考えれば、籠の鳥とするのは当然の判断だと言える。
だけど、俺はソフィアお嬢様の専属執事だ。
俺が護るのはソフィアお嬢様の命だけでなく、その生き方そのもので、ソフィアお嬢様が望む環境をまるごと護る必要がある。
「ソフィアお嬢様が私の留学をお望みになるのなら話は別ですが……」
「いいえ、わたくしはそのようなことは望みません。もちろん、シリル自身が留学を望むというのなら、わたくしはそれを叶えてあげたいと思いますが……」
「私の望みはソフィアお嬢様にお仕えすることです」
「ならば、留学する必要などありませんね」
ソフィアお嬢様はにっこりと微笑んで、それからアーネスト坊ちゃんに向き直った。
「お兄様がわたくしを気に懸けてくださっているのは分かりました。ですが、わたくしのためを想ってのことならば、シリルを奪おうとしないでください」
「その結果、望まぬ婚姻を押しつけられるかもしれないのだぞ?」
「そのようなことには決してなりませんわ」
ソフィアお嬢様は一瞬だけ俺を見て、誇らしげに微笑んだ。
「……そうか。おまえが全てを理解した上でそう判断するのならなにも言わぬ。せいぜい、自分の運命から足掻いてみせろ」
アーネスト坊ちゃんはそんな風に言い放って立ち去っていった。素っ気ない口調だが、お嬢様のことを思っての判断だろう。さすがは攻略対象、ただのシスコンではないな――と見送っていると、ソフィアお嬢様が俺を見てにっこりと微笑んだ。
「ところでシリル、一つ聞いても良いですか?」
「はい、なんでしょう?」
「シャルロッテ皇女殿下があなたに興味を抱いているというのは、どういうことかしら?」
「さぁ、なんでしょうね?」
「……シリル?」
その後、むちゃくちゃ問い詰められた。
それから十日ほどが過ぎたある日。ソフィアお嬢様の派閥が所有する学園の会場では、パメラのささやかなるパーティーが開催されていた。
参加者はパメラの友人枠が少々。それに庶民派に属するリベルトのような有力な平民も参加しているが、一番目を惹いているのはソフィア派のメンバーだろう。
平民仕様のフォルはともかく、アルフォース殿下まで参加している。
爵位の高い者が低い者をパーティーに招くのが一般的である、ゆえに伯爵令嬢のパーティーに、侯爵家や王族が参加しているのはかなり異例の光景だ。
本来なら上級貴族同士で交流するため、接触することが難しい。
そんな相手が参加しているこのパーティー。場をわきまえぬ者が現れないと良いのだがと周囲に目を走らせていると、リベルトがこちらにやってきた。
「シリル、久しぶりだな」
「ええ、ご無沙汰しております」
パーティーの間接的な出資者としてリベルトを引き込む交渉はライモンドに任せた。それゆえ、俺がリベルトとこのように話すのは前回のパーティー以来である。
そのリベルトだが、相変わらず鋭い目つきをしている。
「シリル、今度はなにを企んでいる?」
「私がいつも企んでいるような物言いですね?」
「抜かせ、おまえがなにも企んでいないときが一度でもあったか?」
「……はて? 一度くらいはあるのではありませんか?」
とぼけてみせると半眼で睨みつけられた。
実際のところ、万が一を考えて策を張り巡らせるのが日常だ。それゆえに企みがないということはまずあり得ないのだが……人聞きがよろしくないのもまた事実だ。
「たしかにいくつか根回しはしておりますが、貴方を敵に回すつもりはありませんよ?」
「むろん、俺とてそのような心配をしている訳ではない。だが、おまえに関わると、大抵は事が大きくなるからな。俺とて心配しない訳にはいかないだろう?」
「ふむ……」
いままで彼と関わったときの出来事を思い出してみる。
庶民派である彼に接触した結果、選民派であるアーレ伯爵の息子達を実家ごと破滅に追いやり、彼に用意してもらった合宿先には王族を連れて行った。
「申し訳ありません。今後もご迷惑をおかけすると思われます」
「……いや、出来れば巻き込まないで欲しいんだが」
心底嫌そうに言われたが、王族を後ろ盾にクレープを売り出すという決断を下したのは彼なので、これから巻き込まれるのは自業自得である。
「まぁその件は良い。俺も少し愚痴っただけだからな。それより、ソフィアお嬢様がなにやら注文してくださるという話だったが、そっちはどうなっている?」
「ええ。実は展示している商品を元に、いくつかオーダーしたい調度品がございます」
「……展示している商品は好みでないということか?」
リベルトが怪訝な顔をした。それもそのはず、リベルトによって持ち込まれた展示品は全て、ラクール商会の自慢の商品であり、ソフィアお嬢様の好みに合わせてある。
「貴方のリサーチは完璧ですよ。ある一点を除いては、ですが」
「ほう、その一点というのはなんだ?」
「サイズですよ」
「……なにを言っている?」
リベルトが怪訝な顔をするがそれも無理はない。サイズと口にしたとき、俺は両手を使って、求めているサイズが手のひらサイズであることを示したからだ。
「ときに、フラウの人形師をご存じですか?」
「……なるほど」
俺の一言でソフィアお嬢様がなにを求めているか察したようだ。俺が苦労して手に入れた情報を持っているとは、さすがはラクール商会長の息子だ。
「こちらがソフィアお嬢様の求める調度品――正確にはミニチュアの家具のリストです」
リストには、光と闇のエスプレッシーヴォのミニチュアセットに、お屋敷のセットまである。最高級品を扱う相手に特注することを考えるとそれなりの金額になるだろう。
もっとも、ソフィアお嬢様は贅沢が許される立場だし、普段は無駄遣いをしないようになさっているので、たまの我が侭くらいは問題ないのだろう。
というか、ソフィアお嬢様に『お願い』されたご当主が陥落しただけなのだが。
「注文、たしかに承った。ソフィアお嬢様には後日サンプルを届けさせよう」
「ええ、よろしくお願いします」
これでリベルトに対する義理は果たした。あとは彼がローゼンベルク侯爵家のお嬢様のお眼鏡にかなった商品として自ら宣伝していくだろう。
実際は、展示されている商品のミニチュアなのだが……それは言わなくて良いことだ。
リベルトに改めて感謝の言葉を伝え、ソフィアお嬢様のもとへと戻る。お嬢様はちょうどパメラとお話をしていたので、俺は無言で彼女の背後に控えた。
だが、俺に気付いたパメラが俺に視線を向けてくる。
「シリルさん、ソフィア様になにかご用ではないですか?」
「お気遣い感謝いたします」
使用人が主の会話に割って入ることは許されない。
では、主の会話相手が気を利かせるのはどうかと言われると、これは決して悪いことではないが、同時に過剰な気遣いであるとも言えるだろう。
ソフィア派のお嬢様方は、俺に対して気さくに接しすぎだと思う。とはいえ、せっかくの気遣いなので、ソフィアお嬢様にラクール商会への注文が終わったと耳打ちをする。
「そう、ありがとう。これでラクール商会への義理は果たしたことになりますわね」
「はい。ご満足いただけたようです」
短いやりとりだったが、ラクール商会という言葉が聞こえたのだろう。パメラが「ソフィアお嬢様、その節はありがとうございました」と切り出した。
「いいえ、わたくしとしても渡りに船だったので気にする必要はありません。貴方はわたくしの大切な仲間なのですから、困ったことがあればいつでもおっしゃってください」
「ソフィア様……」
パメラの瞳が揺れたのを俺は見逃さなかった。
おそらく、他にもなにか悩みを抱えているのだろう。だが、パメラは今回の件でソフィアお嬢様の協力を得ることも恐れ多いと渋っていた節がある。
だからきっと、その悩みを口に出せないでいるのだ。
むろん、そんなことは俺が指摘するまでもなく、ソフィアお嬢様は気付いているだろう。ゆえに、ここはソフィアお嬢様のお手並みを拝見である。
「……そう言えば、フェリスさんが上級貴族に圧力を掛けられているとおっしゃっていましたね。パメラさんのお家は伯爵家ですが、そのような問題はありませんか?」
「それ、は……」
パメラの瞳が大きく揺れた。
フェリスの件というのは、ソフィア派に所属してから『友人』が増えた件だ。ソフィアお嬢様とお近づきになりたい自称友人が頼ってくるようになったのだという。
いまの反応から察するに、パメラにも似たような心当たりがあるのだろう。
「パメラさん、もしなにかあるのなら遠慮なくおっしゃってください。貴方はわたくしの大切なお友達なのですから」
「ソフィア様……ありがとうございます」
少し迷った様子だったが、ぽつりぽつりと話し始めた。パメラが切り出した相談事は思ったよりも深刻だった。
パメラの実家は力のない伯爵家であるため、跡継ぎでもなんでもないパメラはいままでこれといった縁談の話がなかったらしい。
だが、ソフィアお嬢様の派閥に所属してから、見合い話が舞い込むようになった。その中の一つが、立場的に断りにくい相手で困っている、ということだった。
学生の派閥で大げさなと思うかもしれない。だが、貴族の子供の多くは成人するまで――つまりは学生のあいだに婚約をすることが多い。
ゆえに、政略結婚の判断材料として、学生の派閥が考慮されるのは珍しくないのだ。
ましてや、ソフィアお嬢様の派閥は既に様々な恩恵を生みだしている。その恩恵にあやかろうと、ソフィア派のメンバーを狙うのはある意味必然と言えるだろう。
「良縁であれば文句はないのですが、明らかにソフィア様と縁を結ぶことが目当てのようで、このままでは両親にも、ソフィア様にも迷惑を掛けるのではないか、と」
「話は分かりましたが、断りにくい相手というのは、もしやなにか借りがあるのですか?」
遠回しに聞いているが、要するに借金かなにかがあるのかという問いかけである。同じ貴族同士でお金の貸し借りというのは決して珍しくはないからな。
だが、ソフィアお嬢様の予想は外れだ。俺が調べた限り、フォード伯爵家に他家から圧力を掛けられるような借金はない。その調べは正しかったようで、パメラは首を横に振った。
「借りという訳ではないのですが、相手は辺境伯なので……」
辺境伯とは、他国との国境を護る貴族であり、並みの侯爵家に匹敵する力を持っている。伯爵家としては弱小であるフォード伯爵家では太刀打ちできない、ということだろう。
「シリル――」
その言葉だけで全て察し、フォード伯爵家の経営状況などを思い浮かべる。伯爵家としては弱小で、決して領地の経営状況が良いとは言えない。だが、フォード伯爵は無駄遣いをするタイプではないので、多額の借金などはない。
それにフォード伯爵領でジャガイモの栽培などを計画していることを考慮すれば、決して敵対派閥に取り込まれて良い領地ではない。
「グレイブ様に相談すれば取り成してくださる可能性は十分にあると考えます」
「シリルがそういうのなら安心ですね。では、その方向で相談してみましょう」
俺とソフィアお嬢様のやりとりに、パメラが困惑している。
もちろん、ソフィアお嬢様がなにを言っているか理解できない訳じゃないだろう。だが、ソフィアお嬢様がまだなにも提案していない状況であるために反応に困っているようだ。
「あの……もしかして、私の政略結婚をなんとかしてくださるおつもりですか?」
「ええ。必ずなんとかすると約束いたしますわ」
「いえ、それは……お気持ちは大変ありがたいですが、そこまで頼る訳にはまいりません」
自分が望まぬ結婚をさせられそうになっているのに、ソフィアお嬢様に頼りすぎる訳にはいかないと遠慮している。前夜祭のヒロインに相応しい高潔な魂の持ち主のようだ。
たぶん、こういう健気なところが、攻略対象の庇護欲をくすぐるんだろうな。
「遠慮は必要ありませんわ。これはわたくしのためですもの。わたくしに取り入ろうとする相手に、貴方が取り込まれることを見過ごすなど出来ませんもの」
ソフィアお嬢様の言うとおりである。これを見過ごせば、子爵令嬢であるフェリスお嬢様を始めとした他のメンバーも狙われるだろう。
派閥の主として、決して見過ごせる事態ではない。
「だから、貴方はもう心配しなくても良いんですよ」
「ソフィア様。ありがとう、ございます……っ」
パメラは顔を俯いて、その大粒の瞳から涙をこぼす。
それを見たソフィアお嬢様が瞳を赤く染め上げて俺を見た。
「シリル……すぐに他にも同じように困っている者がいないか確認を」
「仰せのままに、ソフィアお嬢様」