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お嬢様のために 4

 ローゼンベルク侯爵家の別宅のエントランスホール。帰宅した俺を待ち構えていたソフィアお嬢様が開口一番、話があると俺に告げた。

 昨日の一件に違いないと、俺は身振りで他の使用人達を下がらせる。


「ソフィアお嬢様が昨日ご覧になった光景ですが――」

「いいえ、その件ではありません」


 いきなりの予想外。では、どの件なのかと考えるが心当たりがない。

 まずはお嬢様の話を聞いた方が良さそうだ。


「昨日、アーネスト兄様からある話を聞いたんです」

「……昨日、ですか? もしやソフィアお嬢様がいらしたのも?」

「はい。その件でシリルに相談しようと思ったからです」

「それは……申し訳ありませんでした」


 俺が屋敷に戻るのは必然。なのに相談するためだけに、俺がいるであろう生徒会室の方にまで足を運ぶというのは、相応に急ぎか深刻な相談だったはずだ。

 それなのに、見つけた俺はアリシアと手を取り合ってイチャついているように見えた、と。

 ソフィアお嬢様が不機嫌になるのも無理はないな。


「それで、アーネスト坊ちゃんからなにを聞いたのですか?」

「それは……」


 ソフィアお嬢様はなぜか言い淀んでしまう。


「どうしました? それについて相談するために私を探していたのでしょう?」

「ええ、そうです。でも……昨日は全て話そうと思っていたんですけど、落ち着いて考えると、全て話すのはシリルのためにならないんじゃないかな、と」

「私のため、ですか?」


 どういうことかと続きを促すが、ソフィアお嬢様の口は重い。どうやら丸一日経ってしまったことで、自分である程度の答えを出してしまったようだ。


「私がシリルに聞きたかったのは一つだけです。シリルはわたくしの側にいると約束してくれましたね。あの約束に後悔はありませんか?」


 ソフィアお嬢様が深刻そうな顔で問うたのは、けれどなんてことのない。

 ――そう。俺にとっては今更で、なんてことのない質問だった。


「後悔などあろうはずはありません」

「その約束が、シリルの幸せを奪うかもしれませんよ?」

「私の幸せは、ソフィアお嬢様と共に歩むことです」

「……共に」


 ソフィアお嬢様が目を軽く見張った。そして次の瞬間、そのアメシストの瞳が輝きを増し、強張っていた頬が穏やかに緩む。


「そう、ですか。シリルがそう思ってくれるのなら、わたくしに迷いはありません」

「……問題は解決したのですか?」

「はい。もう大丈夫です」


 いまのやりとりだけで問題が解決するとは思えない。だからソフィアお嬢様はきっと、いまのやりとりだけで、自分で解決する覚悟を決めたのだろう。

 もう少し頼って欲しいと思う反面、お嬢様の成長を喜ぶ自分がいる。


 複雑な心境だが、一つだけ分かっていることもある。それは、ここで過保護に問い詰めて、なんでもかんでも手助けするのは執事として失格、と言うことだ。

 俺は俺で動いて、ソフィアお嬢様がなにに直面しているか調べて、本当に彼女が困ったときに助けられるように根回しするべきだろう。

 むろん、本音を言えば気になるんだけどな。


「分かりました。ソフィアお嬢様が決められたことなら口出しはいたしません。ただ、もし困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね?」

「もちろんです。シリルならきっと助けてくれると信じています」


 愛らしい笑みを浮かべる。

 ソフィアお嬢様がプラチナブロンドの髪を揺らして小首をかしげた。


「それでは話を戻しますが……昨日のアレはなにをしていたんですか?」

「――ぐっ」


 終わったと思わせてからの不意打ちに咽せた。


「あ、あれは、たんなる医療行為です」

「……医療行為? アリシアさんは何処か身体が悪いんですか?」


 こてりと首を傾げるソフィアお嬢様を前に青ざめる。あまりに似たような展開が続いたために、うっかりフォルの件と勘違いしてしまった。


「い、いえ、いまのは、その間違いで……」

「へえぇぇ……誰のことと間違ったのか、その辺り詳しく教えて欲しいですね」


 バ、バレてる……っ。


「い、いや、違うんです。実はフォル先輩とも同じようなことをして、そっちは本当に医療行為であって、なんらやましいことはないんです」

「……つまり、アリシアの方は医療行為ではなく、やましかった……と?」


 ぐっ。ヤバイ、どんどん墓穴を掘っている。

 というか、ソフィアお嬢様の瞳が赤く染まり、全身から魔力が漏れ出している。もしかしなくても、昨日からずっと怒りをくすぶらせていたのが原因だろう。


「落ち着いてください、ソフィアお嬢様。アリシアはフォル先輩を私が救ったと察したようで、そのお礼を伝えていただけでやましいことはなにもありません」


 ソフィアお嬢様の両腕を握り、強引にその魔力を吸い取っていく。いつもなら、魔力による暴走が収まって我に返るソフィアお嬢様だが……今日はいつもとは様子が違う。

 体内の魔力量を下げても、ソフィアお嬢様は俺をずっと睨んだままだ。やはりまだ怒っているのだろうかと考えていると、その瞳がうるりと光を反射した。


「……シリルはイジワルです」

「私がイジワル、ですか?」


 心当たりがない俺に対して、ソフィアお嬢様が拗ねた口調で捲し立てる。


「アリシアさんとダンスを踊ったり、フォル先輩とダンスを踊ったり、パメラさんをお姫様抱っこしたり、イザベラさんとデートしたり、シリルはわたくしの専属執事なのに……」

「えっと……申し訳ありません」


 詳細はともかく、おおむねは事実。

 なに一つ誤解だと言えないのが辛いところだが、専属執事はダンスを踊ったりお姫様抱っこをしたりデートをするのが仕事ではない。

 むろん、それを指摘するほど蛮勇ではないが。


「私はいつだってソフィアお嬢様のことが一番ですよ。今日だって、ソフィアお嬢様を誤解させてしまったと、授業中もずっと後悔していたくらいです」

「……本当、ですか?」

「ええ、このような嘘は申しません。だから、泣かないでください」


 お嬢様の目元に浮かんだ涙を指先でそっと拭う。くすぐったそうに目を細めていた彼女は、けれど目を見開いて、弾かれたように一歩後ずさった。

 なんだ、どうした? ソフィアお嬢様が見ているのは……俺の背後? まさかと振り返った俺の目に入ったのは、アーネスト坊ちゃんの姿。


「シリル……そこでなにをしている?」


 俺はまたか、またなのかと天を仰いだ。




 ここ最近の俺は間が悪いなんてものじゃない。

 フォルといるところをランスロット殿下やアリシアに誤解され、アリシアといるところをソフィアお嬢様に誤解され、ソフィアお嬢様といるところをアーネスト坊っちゃんに誤解される。

 一体どれだけ誤解されれば良いのかと、俺が嘆きたくなるのも無理はないはずだ。


 そして、そのたびに誤解だと主張してきたのだが……今回ばかりは間が悪かった。使用人である俺が、主であるお嬢様を泣かせている現場を目撃されてしまった。

 その結果――


「――勝負は先に相手の身体に剣を当てた方が勝ちだ」


 中庭の真ん中で、俺はアーネスト坊ちゃんと相対することになってしまった。むろん、誤解であることは訴えたのだが、彼はまるで聞く耳を持たなかったのだ。


「さぁ、剣をとれ」


 放り投げられた剣を空中で掴み取り、クルリと回して柄に視線を向ける。柄に填め込まれた魔石と、併せて刻み込まれた魔法陣には心当たりがあった。


「……これは、殺さずの剣ですか」


 見た目や重さは真剣と違わぬ仕様だが、相手を傷付けないという能力が付与されている。早い話、互いを傷付けずに決闘することが出来る便利アイテムだ。

 原作ゲームにおけるご都合主義的な魔導具だったのだが――実在していたのか。


「知っているのなら話は早い。それでもなお戦う勇気がないというのなら、おまえはソフィアを護るナイトに相応しくない。いますぐ専属執事の地位を降りろ」

「そこまで言われては引き下がれませんね」


 理由なんてなんだって良い。戦うことでソフィアお嬢様の専属執事であることを証明して見せろと言うのであれば、俺はそれを証明するだけだ。


 互いに魔導具を起動させ、剣を構えて静かに相対する。ちなみに、ある意味引き金となったソフィアお嬢様は「シリル、頑張ってくださいね」と目を輝かせている。


 どうやら、俺が自分のために戦うというシチュエーションが琴線に触れたようだ。

 応援してくれるのは嬉しいが、アーネスト坊ちゃんのこめかみに青筋が浮かんでいるので、それ以上煽るのはやめていただきたい。


「ソ、ソフィアよ。ここは兄である俺を応援する場面ではないか?」

「もちろん、お兄様も応援していますよ。お兄様がすぐに負けてしまっては、シリルの活躍が少ししか見られなくなってしまいますもの」


 ……ひどい。

 ソフィアお嬢様の無慈悲な応援に、アーネスト坊ちゃんが胸の辺りで拳を握り締めた。


「ソフィア……なにやら怒っていないか?」

「あら、お兄様の気のせいではありませんか?」


 こてりと首を傾げソフィアお嬢様は笑顔――だが、その目はちっとも笑っていない。確実に怒っているときの反応だ。

 その理由は予想がつくが……火に油を注ぐだけなので指摘は控えよう。


「……くっ。シリルよ、ソフィアを味方につけたくら、くらいで、か、勝ったつもりか!?」

「いえ、そのようなことは決して」


 むしろ、アーネスト坊ちゃんが負けたつもりなのでは――とはさすがに指摘しない。

 というか、アーネスト坊ちゃんは前夜祭の攻略対象、なんだよな? たしかに能力は高いし、身分も高いし、そのうえ顔面偏差値も高い。

 けど、ここまでのシスコンっぷり。むしろ面白キャラになってる気がするんだが、こんな彼が攻略対象で、果たしてプレイヤー達は満足だったのだろうか?


 ……あぁ、いや、違うな。

 原作ではソフィアお嬢様がブラコンで、アーネスト坊ちゃんは普通だったはずだ。であれば、いまソフィアお嬢様に向けられている愛情の大半はヒロインへ向けられていたはずだ。


 能力が高く、美男子でありながら、ヒロインを溺愛する嫉妬深い攻略対象。

 そう考えると、たしかに需要はありそうだ。


「ぐぬ。いつまで、その余裕が続くかな? 実力の違いを見せてやろう。――いくぞっ!」


 わざわざ攻撃開始のタイミングを教えてくれる。騎士道精神には溢れているかもしれないが、誰かを護るためにはそのような綺麗さは必要ない。

 ――などと考えたのは俺のおごりだった。


 ほとんど無意識に剣を側面に差し出す。

 刹那、その刀身にアーネスト坊ちゃんの振るった剣が叩きつけられた。しかも、その一撃は止まらず、俺の首筋に迫ってくる。


 ――勢いが殺しきれない!

 剣で勢いを削ぎつつ、とっさに上半身を反らした。刀身を滑るように迫るその一撃は、俺の前髪を掠めるように振り抜かれた。


 その身体からは想像できない速さと力強さを兼ね備えている。

 だが、剣を振り抜いた姿勢のアーネスト坊ちゃんが次の攻撃に移るには刹那のラグが生じる。対して、俺は姿勢を崩してはいるが、剣は手元に引きつけている。

 威力はともかく、次撃を放つのはこちらの方が速い。


 ここで攻守を切り替えれば勝負が決まる――そう判断しながらも、俺は仰け反った勢いを殺さずに後方に跳んだ。

 俺が寸前まで立っていた空間をアーネスト坊ちゃんの剣が切り裂く。その事実に驚きつつ、俺はバク転の要領で地面に手をついて後方へと距離を取った。


 追撃を警戒しながら剣を構え直した俺は、アーネスト坊ちゃんの攻撃に舌を巻いた。

 ――速い。

 アーネスト坊ちゃんはこちらの想定を遙かに上回る速度で動いている。


 筋肉には質があるので、見た目から想像できない様な速度や力を発揮する人間はたしかに存在する。だが、アーネスト坊ちゃんの身体能力はそれを考慮してもなお尋常ではない。

 むろん、剣がこけおどしの軽い剣であったのなら話は異なってくるが、彼がそのような小細工をするとは思えない。

 だとすれば――


「もしや、魔術で身体能力を強化しているのですか?」

「……ほう? フレイムフィールド皇国で再現されたばかりのロストマジックを知っているのか。さすが、皇女が興味を持つだけのことはある」


 余計なことを言ってしまったようだ。

 だが、隣国で再現されたばかりのロストマジック、か。

 原作では現存しない魔術が、この時期に隣国で再現されたのは偶然なのか、はたまた俺の行動が影響を及ぼした結果なのか……

 どちらにせよ、考えている時間はなさそうだ。


 再びアーネスト坊ちゃんが距離を詰めてくる。そう認識した直後には、彼の振るった剣の切っ先が迫っている。俺はそれを寸前で打ち払った。


 本当に速い。

 いや、巧いというべきか。

 同世代の相手と模擬戦をおこなったことは何度かあるが、彼らにはもっと分かりやすい予備動作があった。彼にはそれがないために他より速く感じる。それはすなわち、同世代ではアーネスト坊ちゃんが頭一つ抜き出ている、と言うことに他ならない。


「アーネスト坊ちゃんがこれほどの剣技を身に付けているとは存じませんでした」


 剣を打ち合わせ、鍔迫り合いをしながら感嘆の言葉を発した。それに対し、アーネスト坊ちゃんは苦虫を噛みつぶしたような顔で応じる。


「それはこちらのセリフだ。おまえがソフィアの護衛を兼ねているとは聞き及んでいたが、まさか魔術で加速した一撃を初見で止められるとは思わなかったぞ」

「……護衛に次はございませんので」


 初めて見る攻撃だから防げなかった――ではソフィアお嬢様を護ることなど出来ない。そう口にすると、彼は「おまえは本当にソフィアのナイトでもあるのだな」と呟いた。


「アーネスト坊ちゃん?」

「一つ、聞かせてもらおう。おまえはしょせん執事で、ソフィアの側に絶えずいられる訳ではない。そのような身で、どうやってソフィアを護るつもりだ?」


 ずいぶんと話が飛んでいる。

 だが、だからこそ、きっとこれがアーネスト坊ちゃんの聞きたかったこと。この質問をするが為に、激昂したフリをして戦いを挑んだのではないだろうか?

 なぜそのような質問をするのかは分からない――が、その答えはとっくに決まっている。


「たしかに私はただの執事で、絶えずお嬢様の側にいる訳ではありません」


 事実、アーレ伯爵の子息に身分をわきまえろと言われたときは反論できなかったし、お嬢様が国王陛下に呼び出しを受けたときは別室で待機を命じられた。

 これからも、同じような状況はやってくるだろう。


「ですが、執事には執事の流儀があります。その方法を駆使して、私は必ずやソフィアお嬢様を護ってみせます」

「相手が誰であろうと、か?」

「たとえ神々が相手だろうと、ソフィアお嬢様を傷付けさせはしません」


 鍔迫り合いをしながら、まっすぐにアーネスト坊ちゃんを見据えた。その次の瞬間、アーネスト坊ちゃんがゆっくりと後ろに下がって剣を引いた。

 そうして、勝負は終わりだとばかりに剣を鞘にしまってしまう。


「その言葉を証明してみせろ。もしそれが出来たのなら、そのときはおまえとソフィアの関係を認め……みと、認めることを検討してやろう」


 認めるのか認めないのかハッキリしろよ。というか、主と執事の関係を認めるだけなのに、なぜそこまでまどろっこしくなるんだ?

 もしかして、主と執事の関係についての話じゃ……ない?


 そういえば前夜祭の攻略は基本的に、悪役令嬢に認められることが鍵となっていた。たとえばアーネスト坊ちゃんのルートでは、ソフィアお嬢様に認められることで後押しされる。


 そう考えると、これはヒロインポジとなった俺にとって順当――ん? このままでは、俺はソフィアお嬢様を攻略することになるのでは?

 

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