なろう限定書き下ろし閑話 ソフィアお嬢様は諦めない
私――ルーシェがソフィアお嬢様お付きのメイドになったのはつい先日のことだ。
それまでは行儀見習いとしてローゼンベルク侯爵家で働いていたのだが、数名の使用人が横領などの罪で解雇されるという事件が切っ掛けで昇進することとなった。
侯爵家の使用人ともなれば、代々仕えている家系か、貴族ゆかりの者であるのが普通。
母が下級貴族の娘でしかなく、商家の家に生まれた自分がメイド、しかもご令嬢の専属になるなど普通ならあり得ない。だけど、それも無理からぬことかも知れないわね――と、さきほどからお嬢様のお稽古の相手をしている執事様に視線を向ける。
代々ローゼンベルク侯爵家に仕える名家とはいえ貴族ではない。ゆえに実力だけが全ての状況で、彼はわずか6歳でソフィアお嬢様の専属執事となった。
誰が呼んだか執事様。
ソフィアお嬢様に教えるという名目で、既に高等部に通えるレベルまで各種知識を身に付けているという。対抗心を燃やすのがバカらしくなるような天才だ。
だが、天才であると同時に幼い子供であることもまた事実。平民の子供に心から仕えられる者は決して多くない。そういう意味では、彼に救われた私は適任だったのだろう。
実際、彼に従うことに不満を感じたことはない。こちらの限界を見定めた上で、ギリギリの要求をしてくる辺りは少し手加減して欲しいと思うがそれくらいだ。
ただし――
「お嬢様。女性らしさとは言葉遣いや見た目だけでなく、立ち居振る舞いから生まれます。指先まで神経を張り詰めて、決して気を抜いてはいけませんよ」
「えっと……えっと、こう、かな?」
「そうです。そして外へ開く動きは最小限に、決して雑にならないようにしてください」
極端な話、自分の左斜め前にある物を取るときは、右手で取れと言うことである。左手で取ると腕が外に開き、がさつに見えるというのがその理由である。
淑女の礼法としては間違ってはいない。
たとえばテーブルに頬杖をつく場合、決して手には体重を掛けてはいけない。羽が生えているかのように指先に頬を添えるだけで、体重は身体で支える。
全然楽じゃないよ、むしろ普通に座るよりしんどいよっ! と叫びたくなるような、ある意味では滑稽な優雅さが淑女には求められるのだ。
だけど、それをこんなにも小さなお嬢様に説いてどうするのか、という話である。自分が天才だから、同い年なら他人も出来ると思い込んでいませんかと、私は溜め息をついた。
「シリルさん、ソフィアお嬢様にはまだ厳しいのではないですか?」
「私もそう思います」
意外な答えが返ってきた。
てっきりお嬢様のためです――なんて融通の利かない答えが返ってくると思っていた私は、だったらどうしてそんなに厳しく躾けてるのよと眉をひそめた。
だけど、その理由はすぐに分かることになる。
いつの間にか、ソフィアお嬢様が私を見て、むぅ~と唇を尖らせていた。
「ソフィアお嬢様?」
「ソフィア、これくらい出来るもん」
「い、いえ、出来ないと言っている訳ではなく、少し無茶が過ぎるのではないかな、と」
「そんなことないよ。もっともっと頑張れるもんっ」
ま、まぶしすぎる。
愛らしい小さな女の子が、ちょっぴり拗ねた顔でもっともっと頑張れると睨みつけてくる。思わず抱きしめたい衝動に駆られるが、さすがに不敬なので自重しよう。
「わぷっ、ど、どうして急に抱きしめるのっ、ソフィアお稽古中だから邪魔しないでよぅ」
腕の中で藻掻くお嬢様の声で我に返った私は慌てて離れた。
これはダメだ、人をダメにする魔性の幼女だ。
「申し訳ありません、余計な気遣いだったようです」
深々と頭を下げると、シリルくんが「ルーシェはソフィアお嬢様の心配をしただけなので許してあげてください」とフォローを入れてくれた。
続けて、シリルくんは『これで分かったでしょう?』と言いたげな顔をしていた。
……ええ、良く分かりました。
こんな風に頑張れるなんて言い張られると、もうこれで十分ですなんて言えなくなる。というか、厳しいのはシリルくんではなく、ソフィアお嬢様自身だったようだ。
だが、そんな光景も、まだまだ序の口だったことを思い知らされる。
「アンドゥトロア、アンドゥトロア……そうです。お嬢様はまだまだ歩幅が小さいので出来るだけ大きく動かなくてはいけません」
「こ、こんな感じかな?」
「いいえ、ただ早く動けば良い訳ではありません。必ず一つの動きごとに序破急を入れてください。手足に重りをつけているような感覚です」
「これで良い?」
「そうです。そのまま可能な限り大きくステップを踏みましょう」
ローゼンベルク侯爵家のお屋敷のある訓練室。
魔導具の明かりの下で踊り続ける二人の姿に目を奪われた。自分の胸よりも下くらいまでしかない身長の二人が、大きな訓練室一杯を使って踊っている。
緩急のある動きは残像にしなりを写し、何気ない所作をも美しく見せる。お嬢様のプラチナブロンドの髪が舞い、明かりを受けてキラキラと輝いている。
そんな美しくも尊い光景が、既に何曲分も続いている。
大人でも、何曲も続けて踊るには体力を消耗する。それを幼い子供が、しかもダンスの前には礼儀作法の授業をしたばかりであるにもかかわらず、一心不乱に踊り続けている。
あまつさえ――
「とても上手ですよ。ですが少し疲れてきたでしょう? ダンスはこれくらいにして、着替えて座学にいたしましょう」
着替えるだけじゃなくてちょっとは休憩させてあげなさいよ、私がお茶を用意するからっ!
という心の叫びは、けれど――
「いいえ、反復練習をしたいので、このまま座学をお願いします」
というお嬢様の言葉に掻き消された。
え、なに? このままって、ダンスを踊りながら座学? ダンスを踊りながら座学って言ったの? こんな、見てるだけで息切れしそうなダンスを続けたまま座学?
そんなの無理に決まってるでしょ!?
「かしこまりました。では最初は軽めに歴史の復習から始めましょう」
かしこまらないで!? って言うか、軽めに歴史の復習ってなによ! 前回の復習だから、比較的頭は使わなくて良いとか言いたい訳?
基準がおかしすぎるでしょ!?
どこから突っ込めば良いか分からない私をよそに、シリルくんが歴史の問題を出して、それに対してソフィアお嬢様が模範的な解答を示していく。
――優雅で大胆なステップを踏みながら。
あの二人、どういうリズム感をしてるのかしら? というか、歴史の勉強をしながらダンスって踊れるものなの? いやたしかに、しゃべりながらダンスはよく聞くけれど……
なにより驚きなのは、幼いお嬢様が自分から言い出したという事実だ。一体なにが彼女をそこまで駆り立てるのかと首を傾げずにはいられない。
これが侯爵令嬢の日常……ではないわね、きっと。爵位が上がるほど学ぶことが多くなるとは聞いているけど、どう考えても普通とは思えない。
なんて呆れつつ二人を見守っていると、シリルくんから視線が飛んできた。
……な、なんだろう? なにか求められていることまでは分かるけど、それがなにかまでは分からない。そう思って困っていると、分からないのかと言いたげにシリルくんが苦笑い。
それとほぼ同時に今度はソフィアお嬢様から視線が飛んできた。
いやだから、そんな視線だけで察するスキルは持ってませんから! と内心で悲鳴を上げていると、ソフィアお嬢様は満足気に微笑んだ。
……いや、ごめんなさい。まったく分かってないです。
なんですか? このままで良いんですか?
良く分からないけど、分かったこともある。ソフィアお嬢様もシリルくんと同じ天才だ。きっと凡人の察しの悪さなんて分からないに違いない。
そんな風に結論づけて二人の稽古を見守っていると、しばらくして二人の稽古が終わった。
「ルーシェ、お嬢様の着替えの準備を」
「別室にて用意してあります。それと、必要かと思ってお湯も沸かしてありますが……」
濡れたタオルで汗を拭く時間はありますかと首を傾げると、シリルくんが目を見張った。
「では、お嬢様の汗を拭いてください。私はそのあいだにお茶を用意しますので、座学はその後にいたしましょう」
シリルくんはそう言って笑うと、後は貴方に任せますと言って席を外した。
その後、部屋へとソフィアお嬢様をお送りした私はそのドレスを脱がし、用意させてあった桶のお湯とタオルを使ってその汗を拭っていく。
「お嬢様、痛かったりしたら言ってくださいね」
ソフィアお嬢様の肌は透けるように白くてシミ一つない。上質なタオルを使ってはいるが、その珠のような肌に傷をつけたら大変だと丁寧に拭う。
「ありがとう、ルーシェ。でも、もう少し強くても大丈夫だよ」
「かしこまりました」
手足、そして背中だけではなく胸も私が拭っていく。侯爵令嬢ともなれば、たとえ胸でも、本人ではなくメイドが清めるのが普通らしい。平民育ちの私は少し抵抗がある。
もっとも、お嬢様の胸は背中と大差はないのだけど……
「……ルーシェ、ソフィアはまだこれから成長するんだよ?」
「はい、もちろんです」
……というかお嬢様、察しが良すぎで怖いです。
そうだ、察しが良いと言えば……
「あの、ソフィアお嬢様、聞いても良いですか?」
「もちろん、かまわないよ。貴方はソフィアのメイドだけど、二人っきりの時までそんなにかしこまらなくても良いよ。だから……仲良くしてね?」
お嬢様は無邪気な笑顔で私を見上げた。
公私の公の部分で威厳を保てているからこそ、私の部分で隙を見せることが出来る。そしてそれが魅力的に映る……ほぼ間違いなくシリルくんの影響だろう。
「それじゃ、教えてください。ダンス中の目配せはなんだったんですか?」
「あぁ、あれ。あれはシリルが着替えの用意をしなさいって言ったんだよ。さすがにソフィアが疲れてるのに気付いて、稽古を終わらせる口実を作ろうとしたんだね」
「……なるほど。ではソフィアお嬢様の目配せはなんだったのでしょう?」
「シリルも休ませてあげたいから、ゆっくりで良いよって」
「……なるほどって、目配せでそんなの分かりませんよ」
ソフィアお嬢様は知ってるよとクスクス笑うと「だから、ソフィアもシリルも驚いたんだよ」と続けた。私はタオルをお湯で濯いで絞り直しながら、どういう意味ですかと首を傾げる。
「ソフィアの着替えだけじゃなくて、お湯で身体を拭く準備まで済ませてたでしょ? ルーシェは目配せを受ける前から、ソフィアとシリルの要求に応えていたんだよ」
最初は分からなかった。だけどすぐに気付く。シリルくんの要望通りに着替えを用意しつつ、身体を拭く準備をしたことで、シリルくんを休ませるというソフィアお嬢様の要望にも応えた。
なるほど、そう聞くと物凄く有能そうだ。
「って、いえいえいえ、ただの偶然ですよ!?」
「そうかな? そうかもね」
そう言って笑うお嬢様は、絶対偶然だなんて思ってない。これから無茶な要求をされなかったら良いなぁと私は心の中で溜め息を吐く。
だけど同時に、この愛らしいご主人様の期待に応えたいという感情が込み上げる。自分や、その家族を救ってくれたシリルくんやソフィアお嬢様の期待に応えたい。
だから、少しだけ頑張ってみようかな……と、そう思った私ははたと気が付いた。
そっか、ソフィアお嬢様がこんなにも頑張っているのはきっと……




