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閑話 ライモンドの決意 中編

 中等部に入学して、最初の一年で主を見つける。そんな決意をしたライモンドはさっそく、自分の主となってくれるかもしれない令嬢について調べた。

 その名はソフィア・ローゼンベルク。

 侯爵家のお嬢様ではあるが、頻繁にパーティーに出席するような年齢に達していない。にもかかわらず、噂が平民に届くほどに注目を浴びている。


 いわく、社交界に舞い降りた聖女。


 まだ十二歳でありながら、既に大人顔負けの立ち居振る舞いを身に付け、とっさの状況に対応する柔軟な思考も身に付けているらしい。

 むろん、実家のローゼンベルク侯爵家が平民を多く雇用しているからといって、彼女自身が平民にまで優しいとは限らないが、現状で考えうる限り最高の雇用主候補だ。

 なんとしても彼女に雇われてみせると、ライモンドは未来予想図を作り始めた。


 美しい未来予想図を完成させる最初の機会は、思った以上に早くやってきた。

 中等部へ入学するための筆記試験。

 会場に現れた、煌めく白金の髪をなびかせるお嬢様。みなの注目を一身に集める彼女の襟に、ローゼンベルク侯爵家の紋章が輝いているのを見つけたのだ。

 整った顔立ちは、少し気が強そうにも見える。けれどその表情は柔らかい。聖女と噂されるのも納得なお嬢様が、蕩けそうな笑顔を浮かべていた。


(このチャンスを逃す手はない)


 むろん、試験前に話しかけること自体が迷惑なのは分かっているが、入学してしまえば、コースが異なるために話しかけることは非常に難しい。

 いまこの機会を逃せば、次の機会があるかどうかすら分からない。逆にいまここで知り合いになってしまえば、その最大のハードルが取り除かれる。

 だから、ライモンドはプレッシャーに押し潰されそうになる自分を叱咤して飛び出した。


「――ソフィア様、ローゼンベルク侯爵家のソフィア様ですよね」


 ソフィアお嬢様が驚いた顔をするが、嫌悪は浮かばなかった。やはり平民にも優しいお嬢様だと思ったが、ここでライモンドにとって予想外の出来事が起こった。


「何者ですか? お嬢様に対して失礼でしょう。おさがりください」


 お嬢様の隣にいた少年が割って入ってきたからだ。

 立ち居振る舞いから、執事であることが予想できる。学園における専属制度が思い浮かぶが、まだ入学試験も終わっていないこの状況でそれはない。

 おそらくは、彼女が実家から連れてきた執事だろう。

 その執事が、ライモンドの接近を阻もうとするが――


「シリル、構いません」

「しかし、お嬢様」

「学園においては、身分に関係なく対等だと伺っています。であれば、彼の行動にはなんら問題はないでしょう? 違いますか?」

「かしこまりました」


 ソフィアお嬢様の言葉に、シリルと呼ばれた執事が引き下がった。そのやりとりを見ていたライモンドは、状況が思わしくないことを自覚する。


 シリルという名前に聞き覚えがある。ソフィアお嬢様の専属執事の名前だ。

 代々ローゼンベルク家に仕える名門の生まれである彼は、自分の主がただの平民に慈悲を与えることを良しとしていないのだろう。


(執事がお嬢様の周囲から平民を排除しようとしているなら厄介だな。先に、用件だけでも伝えてしまった方が良さそうだ)


「俺――いえ、私はライモンドと申します。どうか私をお嬢様の専属執事にしてください」


 お嬢様は予想通りに驚くが、そんな彼女に学園にある専属制度の話であると伝える。

 専属執事であるシリルに対して喧嘩を売っているも同然だが、彼が平民を遠ざけようとしているのなら、どのみちぶつかることは避けられない。


 名門の生まれだかなんだか知らないが、生まれたときから執事になることが約束されているような温室育ちに負けてたまるか――と、ライモンドは挑戦的な笑みを浮かべた。


「そんな頼りなさげな男に私が劣っているはずはありません。この入試で彼よりも優秀だと証明して見せます。ですから、そのときは私を専属に指名してください」

「……良いでしょう。もしもあなたがシリルよりも優秀だとわたくしが感じたのなら、そのときはあなたを専属執事に指名します」

「ありがとう存じます!」


 こうして、ライモンドはファーストコンタクトにおいてたしかな手応えを感じた。

 もちろん、それは大いなる勘違いで、実際には肝心のソフィアを敵に回してしまっているのだが、このときの彼はそれを知るよしもない。


 だが、そんな彼を愚かだと評するのは時期尚早だろう。

 ライモンドが手に入れられる情報はあまりに断片的だ。シリルが身分を持ち出したのは、ソフィアに否定させるための誘導だった、なんて想像できるはずがない。


 勘違いをしたまま、ライモンドはシリルのダンスの成績――51点を理由も確認せずに笑い飛ばし、そんな彼が主席になったことに異論を唱える。

 彼は盛大に自爆を繰り返すこととなり、ついには仲間達からも見放された。


 仲間にまでお前のせいだと罵られるが、残念ながらそれは否定しようもない事実だった。だからこそ、その現実に耐えかねて、教室から逃げ出してしまう。

 情けなくて、恥ずかしくて、どうしようもない自己嫌悪に陥る。そんなライモンドを迎えに来たのは、敵であるはずのシリルだった。

 これ以上情けないところを見せたくないと、ライモンドはシリルを睨みつけた。


「……んだよ、なにしにきたんだよ。俺を笑いにきたのか?」

「いいえ、迎えに来たんです」

「迎えに来た? なに言ってやがる。笑えよ、滑稽だろ? おまえに突っかかって無様に負けて、他の連中にまでそっぽを向かれたんだぜ?」

「でも、あなたは自分の責任からは逃げなかった」


 その一言にライモンドは胸を打ち抜かれた。

 彼は失態を恥じ入り、その責任に耐えかねて逃げた。だがシリルは、他人のせいにしなかったことが、自分の失態から逃げなかった証しだと評したのだ。


 パーティーの設営をするようになってから聞いた、シリルの噂の数々が思い出される。

 その噂を統合すれば、シリルは平民を見下すような人間ではない。試験だって本当は全教科満点で、だけどダンスはよそのお嬢様を助けたことが原因。

 51点の1点は、100点よりも価値のある点数という言外の意図が込められている。


 そこで思い出したのは、ソフィア・ローゼンベルクの新入生挨拶の言葉。

 彼女は、本来ここに立つに相応しいのは自分ではないと言った。多くの者は、それが同学年に在籍する第二王子を立てる言葉だと信じて疑わない。

 だが、もしかしたら、シリルこそが学園主席に相応しい人物なのかもしれない。他でもない、学年の主席であるソフィアがそう感じているのかもしれない。


 いままでは、素直に認めることが出来なかった。

 だがここに来て、敗者である自分に情けを掛けられて、ようやくシリルがソフィア・ローゼンベルクの専属執事に相応しい人間だと認めることが出来た。


 同時に、全てが遅すぎたのだと後悔する。ライモンドが家族を救うなら、シリルにこそ協力を仰ぐべきだったのに、そのシリルに喧嘩を売ってしまった。

 なにもかもが手遅れだ。このうえは、潔く学園を去るのがせめてもの矜持。そう思って立ち去ることを決意する。なのに、シリルは諦めるのは早いと口にした。


「おまえは……敵である俺にチャンスをくれるって言うのか?」

「いまのうちに失敗をして学べとトリスタン先生が言っていたでしょう? こう言っては傲慢に聞こえるかも知れませんが、あなたが挫折するのも想定済みだと思いますよ」


 言われて思いだしたのはトリスタン先生とのやりとり。シリルがなぜ51点だったのか、情報収集を怠ったライモンドとは違い、先生が詳細を識らないとは思えない。

 失敗して学べ。

 その言葉の意味をよく考えず、自分が見事に失態を演じたことに思い至る。

 情けなくて泣きそうになる。だけど、そんなライモンドに、シリルは手を差し伸べた。


「ライモンド、私と仲間になりましょう」

「……仲間に? 俺と、おまえが?」

「ええ、そうです。私の仲間になってくれるのなら、あなたがこの一年でどこかの家に雇われるように協力を惜しみません。だから――」


 友達になりましょうと、ライモンドの目を覗き込んできた。

 敵対した自分に、当然のように手を差し伸べてくる。シリルの懐の深さに驚かされると同時に、こんなにも優しい彼を敵認定していた自分が情けなくなる。

 そして、そんな情けない自分と仲間になろうと言ってくれる彼の言葉に胸が熱くなり、ライモンドは何度も何度も謝罪を口にしながら泣きじゃくった。




 この日を境に、ライモンドの目標が一つ増えた。それは、自分より遥か前を歩くシリルに少しでも追いつき、彼に頼られるような執事になることである。

 幸いにして、他の目標と相反することはない。ライモンドは心を入れ替え、シリルのような執事になるべく勉強を始める。


 だが、シリルの行動はライモンドの予想を遥かに超えていた。

 たとえば、アーレ伯爵家の一件。

 アーレ伯爵の次男と三男が、第二王子の権力を笠に着て、ソフィアに横暴な態度を取っていることは、少しでも情報を集めている者なら誰もが知っている事実だ。


 一部では、ソフィアが選民派だから横暴を許しているとの憶測も広がっていたが、彼女と直に話したことがあるライモンドはそれが誤解だと知っていた。

 自分の尊敬するシリルであれば、その状況を放っておくはずがないと予想していた。


 そして、当事者達が同時に学園を休んだとき、ついにシリルが仕掛けたのだと理解した。

 普通なら、執事が貴族をどうこうできるはずがない。だがシリルなら、彼らをしばらく自宅謹慎に追い込むことくらいは出来るかもしれない。そんな期待が多分に含まれた憶測を立てていたライモンドはほどなく、アーレ伯爵家が取り潰しになったと知ることとなる。


 当然、アーレ伯爵の次男と三男も学園から姿を消した。一体なにをどうやったらそんな結果になるのか理解できないが、シリルの仕業であることは疑いようがない。

 これで少なくとも、選民派の旗印である第二王子の両翼が失われた。


 第二王子もしばらくは動きにくくなるだろう。そう思っていた矢先、第二王子が実は選民派ではなく、むしろ庶民派であるとの噂が広がる。

 しかも、シリルが第二王子の教育係をしているというおまけ付きの噂だ。


 ――なにがどうやったら、一介の、しかも他家の執事が王子の教育係になるんだよ!?


 おそらく、ライモンドだけではなく、多くの者達による魂からの叫びだろう。

 しかも、うわさはそれで終わりではなかった。会話の要所要所でシリルに教えを請うていた第二王子は、そのままソフィア派に所属したと言うのだ。

 第二王子の派閥にソフィアが名を連ねるのではなく、ソフィアの派閥に第二王子が名を連ねた。どう考えても序列が逆になっている。


 ライモンドはこの時点で、シリルを崇拝し始めた。

 ソフィアとシリルによるヴァイオリンのデュエットが素敵だったと聞かされ、自分もシリルとデュエットしたかったと思うのも無理からぬことだろう。



 それはともかく、学園祭の準備が始まった。

 新入生歓迎パーティーでは、自らシリルの下で働くという栄誉を手放してしまったライモンドだが、学園祭では彼のもとで学べると楽しみにしていた。


 なのに、シリルは生徒会の演劇に専念するために、クラスの主席代行を立てるという。

 そして、主席の代行にはルークが選ばれた。

 ライモンドと比べれば成績はいくぶん下だが、さきの新入生歓迎パーティーの設営では真っ先にシリルに付いた生徒だ。ゆえに、代行が彼であることに不満はない。


 だが、シリルのもとで学べないことには不満があった。

 シリルが生徒会に加入して、王子の教育係まで引き受けたいま、彼のもとで学ぶ機会が巡ってくるかどうか分からない。貴重な機会を自ら手放したことを悔やんだ。


 だから、ルークがシリルの補佐としてそのやり方を学んだと聞かされたときは、羨ましくて妬ましくて、言いようのない感情に囚われた。

 だが、彼のもとで働けば、間接的にシリルのやり方を学ぶことが出来るのも事実。


 なんとしても彼の間近でその仕事ぶりを見てみたい。そんな風に思っていたから、ルークから補佐をしてくれないかと頼まれたときは本当に驚いた。

 中庭の設営を共にした者達とは和解したが、メイン会場を担当した者達とはわだかまりが残っている。表面上は仲良くしてもらえても、重要な役割は任せてもらえないと思っていた。


「おまえまで、敵だった俺に手を差し伸べるって言うのか?」


 そう問い掛けると、ルークは苦笑いを浮かべた。

 以前の余裕がないライモンドであれば、なにがおかしいのだと噛みついただろう。だがいまのライモンドはそうじゃない。どうして笑うんだと素直な気持ちで問い返した。


「いや、すまん。俺もシリルに似たようなことを言ったことがあってな。そしたら、あいつはこう言ったんだ。彼らは憎むべき敵じゃない、ってな」


 ルークによると、シリルはクラスで競うことも勉強の内だと考えていたらしい。そして中庭組の失態も、主席である自分の責任だと考えて根回しをしていたのだという。


「……あいつは凄い奴だな」

 ライモンドの崇拝が加速していく。


「まったくだ。この文化祭の準備でも、主席代行は俺に選ばれたが、なにかあったときは対処するつもりだと思う。だが、俺はおんぶに抱っこな状況を甘受するつもりはない。あいつに迷惑を掛けなくてすむように、頼りになる補佐が必要だ。だから――」


 俺に力を貸してくれと、ルークが手を差し出してくる。

 迷ったのは一瞬。ここで機会を逃すようであれば、シリルに追いつくなど夢のまた夢だ。この機会を逃してなるものかとその手を握った。



 その日から、ライモンドはルークの補佐として動き始めた。

 最初におこなったのは、メイン会場組と中庭組の融和である。シリルが取り成したために表立った諍いはないが、しこりを残している者は少なくない。

 それを解決するために、ライモンドは全力を尽くした。


 見せかけの協力ではなく、全員が一丸となって頑張れるように調整をする。シリルならどうするか、それをルークと話し合いながらクラスを一つに纏めていった。


 だが、クラスが一丸となった理由は意外にも外的要因だ。

 シリルがいないAクラス、それも落ちこぼれの中庭組と合同のAクラスには負けるはずがないと、Bクラスから挑戦されたのだ。


 それが切っ掛けで、メイン会場組はシリルがいなくてもやれるところを見せると奮起して、中庭組はB組になんて負けるかと奮起したのだ。


 加えて、この頃にはシリルがソフィアを通じて、多くの貴族や第二王子、それに平民の有力者との繋がりを得ていることが噂になっていた。

 シリルは生徒会の演劇にかかりきりになっているが、当日はクラスにも顔を出すだろう。そうなると必然的に、将来の雇い主候補がカフェに顔を出すことになる。

 このチャンスを逃す手はないと、クラスは一丸となってカフェの準備を進めた。

 

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