彼と彼女の計画 3
「やはり前世の弟だったのか」
その言い様は俺の予想していた答えのようで少しだけ違う。なぜそのような言い回しになるのか考え、すぐにその答えに思い至った。
「主体はトリスタン先生、ということですか?」
「正確には二つの人格が混在しているんだが、おおむねそんなところだ」
俺の姉という前世の記憶があるトリスタン先生と、トリスタン先生になった前世の姉。この二つは同じようでまったく違う。
俺の場合は物心がつくのと同時に前世の記憶を取り戻したために、前世の俺が第二の人生を歩んでいる感覚だ。
だがトリスタン先生の場合は、俺の姉としての記憶を持っているだけ。おそらく、記憶を取り戻したのが、トリスタンとしての人格を形成した後だったのだろう。
俺が気付いたことから、前世の影響を強く受けていることは確実だ。二つの人格が混在しているらしいので仔細は複雑そうだが、端的に言ってしまえば身も心も男性と言うことだ。
「俺が前世の姉だといつ気付いたんだ?」
「最初に疑問を抱いたのは入学試験のダンスのときです」
フォルはソフィアと自分が同じだとほのめかしていたし、ソフィアお嬢様に至っては、フォルの間の取り方や癖が俺と似ていると言っていた。
その時点で、彼女の教育係が転生者である可能性や、姉さんである可能性も考えた。あくまで、数ある可能性の一つとしてでしかなかったが、なんとなくの予感はあった。
そして、そんな予感は徐々に確信に変わっていく。
光と闇のエスプレッシーヴォの台本を使って転生者を捜すという手段は、原作に詳しくなければ不可能だ。そこから、相当なファンであるとうかがい知れる。
そして、ルークやクロエを隠れ蓑にして情報を集めようとする周到な遣り口。
そのうえで、フォルを救わざるを得ない状況に追い込むのではなく、フォルを救いたいと思うような繋がりを用意して俺を動かそうとした性格。
確証は持てずとも、姉の面影を感じずにはいられなかった。
そんな予感が確信に変わったのは、『彼女』がトリスタン先生だと気付いた後だ。
ルークやクロエを隠れ蓑に、俺がフォルを救えるかどうかを見極める。その重要な役割を担っているのはどう考えてもトリスタン先生だった。
そこから、女性の転生者がトリスタン先生である可能性に思い至った。
そして先日の会話、紅茶のやりとりで俺は確信した。
使用人であれば、俺の紅茶の知識に興味を示さないはずがない。その時点で不自然な反応だったと言える。ましてや、その紅茶をミルクティーで飲むという選択はない。
ミルクティーは紅茶本来の香り高さを損なう飲み方だ。好みで飲む分にはなんの問題もないが、紅茶の風味をたしかめるのにミルクティーは不適格だ。
あのやりとりは『トリスタン』と『シリル』では成り立たない。あれは、前世で俺と姉がよくやっていた会話の再現だ。
ゆえに、トリスタン先生が転生者で、その中身が俺の姉であると確信した。
だから、俺が探し求めている人物であると気付いたはずの『彼女』に尋ねたのだ。時間を取るのは文化祭の後で良いのか――と。
結果はかまわないという答えだった。
それはつまり、慌てなくてもフォルを救う算段が立っている。前世の記憶を持つ俺ならば、フォルの病を治すことが出来ると確信していると言うことだ。
結論として、フォルが患っているのは、俺が前世で専攻していた魔術に関連する病。
「彼女が患っているのは魔力過給症、それの特殊なケース、でしょうか?」
「……さすがだな」
トリスタン先生がニヒルな笑みを浮かべる。おそらくは言葉通り評価してくれているのだろうが、コスプレをしていた姉の仕草と重なってなんとも言えない気持ちになる。
それはともかく、フォルの病の話だ。
「魔術を操れない、訳ではありませんよね?」
ときどき、魔力を感じ取れない人間が存在する。魔力過給症と合わせると非常に厄介なことになるが、フォルは風の魔術を使っていた。
「フォルお嬢様は魔術抵抗が非常に高いんだ」
「……ドレインが難しい、ということですか」
他人の魔力を抜くということは、本来は魔力を奪うという意味だ。ゆえに、抵抗が発生するのだが、その抵抗が通常よりも大きいということだ。
他人の魔術の影響を受けにくいのは本来、魔術師としては優秀な証拠なんだけどな。
とにかく、他者によって魔力を抜いてもらうことが出来ない彼女は、自分で魔術を使って、飽和しそうになる魔力を消費していたようだ。
だが、この世界の魔術は発展しておらず、魔力を大きく消費する魔術が存在しない。
実際、フォルが使っていた魔術も魔力消費が非常に少ない。魔力の回復量が少ない人間ならともかく、魔力過給症の者では魔力が尽きない。
魔力を枯渇することは不可能だし、精神的にも、肉体的にも、負担は相当だったはずだ。
「事情は分かりました。ですが……どうして魔力を放出しないのですか?」
魔術を行使するのは疲れるが、魔力を放出するだけならそれほどの疲労はない。自分で放出するので抵抗は関係がないし、どれほどの魔力過給症だったとしても対応できるはずだ。
「どうしてもなにも、魔術の知識がある転生者を捜していたのはその技術を得るためだ」
なんと、魔力を放出する技術はこの世界には存在しないらしい。魔術が発展している隣国にも問い合わせたが、望む技術は得られなかったそうだ。
であれば、魔力消費の大きな魔術を使えず、魔術抵抗の高いフォルが魔力過給症で死に至る可能性を孕んでいることは納得できる。
だが――おかしい。
ソフィアお嬢様が魔力過給症であることは一般に伏せているが、当主や父にはもちろん報告している。なにより、その対策として魔力の放出についても報告している。
にもかかわらず、当主も父もなにも言ってこなかった。その技術が未知の技術であるのなら、なにか言ってきたはずだ。
当主や父に限って、知らないことをスルーしたとは考えにくい。ましてや報告内容は、ソフィアお嬢様の命にかかわることだ。必ず情報は精査しているはずだ。
だとしたら……知っていて、俺にはわざと伝えなかった? ……確証はないが、紅茶の件という前例もある。その可能性はありそうだ。
「……シリル、どうかしたのか?」
「いえ、少し調べるべき案件が出来ました。ですが、フォル先輩を救うことに問題はありません。彼女に魔力を放出する技術を教えればいいのですね?」
「引き受けてくれるか?」
「無論です」
他ならぬソフィアお嬢様がフォルを救って欲しいと願った。たとえ他の誰が反対しようが、俺はその願いを全力で叶える。
「ですが、回りくどいことをせずに、最初から相談すれば良かったのではありませんか?」
「……本気で言ってるのか?」
「愚問、でしたね」
俺がどういう人物か分からない。もし悪人に『おまえは王女の命を救える唯一の人物かも知れない』などと打ち明ければ、対価にどんな要求をされるか分からない。
そうでなくとも、王女の命を侯爵家の手の者に委ねるのは危険な行為だ。少なくとも、確実に救えると分かるまでは隠す必要があるだろう。
「大体、警戒して当然だろう。俺は最初、おまえが侯爵家を乗っ取って、ハーレムを作ろうとしているのかと本気で疑ったぞ」
「……は? なにを言っているのですか?」
「やはり自覚なし、か。悪役令嬢を自分好みに育てたばかりか、ヒロインと王子の出会いのシーンでも、自分が成り代わってただろうが」
「……ただの偶然ですよ。私はただ、ソフィアお嬢様を幸せにしようとしただけです」
「相変わらずの無自覚か。前夜祭の登場人物のフラグまで立てておいて、まったく」
「……前夜祭?」
どういう意味かと首を傾げると、光と闇のエスプレッシーヴォにおける零的な位置づけの、前夜祭という作品が存在したらしい。
「おまえは前夜祭をプレイしていなかったから知らないか。まあそのことは良い」
「いや、聞き捨てならないんですが……」
光と闇のエスプレッシーヴォは、その名の通り光と闇の両面がある。前夜祭だって、闇堕ちしそうな悪役令嬢がいるに決まってる。
なのに登場人物のフラグを立てているとか……不穏すぎる。
「そっちの説明はいずれしてやる。だが、先にフォルお嬢様だ」
「……良いでしょう」
詳しく教えて欲しければさっさとフォルを救えということ。たしかに、姉ほど熱狂的なファンはそうはいない。にわかファンとしては、その知識はぜひとも欲しい。
情で救うように仕向けながら、しっかりと交換条件も用意していたという訳だ。さすが姉さんとトリスタン先生の記憶を持つ人物、抜かりがない。
そんな訳で、フォルを救う為に、俺達は彼女の寝室へと戻った。
「お帰りなさい、シリル。フォル先輩を救うことは出来そうですか?」
「ええ、無論です。ご安心ください」
その言葉に、ソフィアお嬢様とフォルの顔がぱーっと輝いた。ソフィアお嬢様がフォルに頷きかけたところを見ると、俺なら大丈夫とでも言って励ましていたのだろう。
「フォル先輩、ソフィアお嬢様にあなたの病気についてお教えしてもよろしいですか?」
「え、ソフィアに?」
「隠している事情は察していますが、出来れば許可をいただきたく存じます」
「……まあ、ソフィアにならかまわないわ」
フォルはわりとあっさり、自分が魔力過給症であることを告げた。当然、ソフィアお嬢様は、自分も同じ病気だと驚く。
「え、ソフィアも? じゃあ……」
フォルの青い瞳が赤みを帯びた。
感情を揺らすのは危ないと判断した俺は「ご心配には及びません」と口を挟む。
それから、フォルに対しては、ソフィアお嬢様が大丈夫であることを説明。ソフィアお嬢様には、フォルが魔力過給症だけでなく、魔術抵抗が高いことを説明する。
「魔力が抜きにくい、ですか? なら、自分で放出すれば良いだけではありませんか?」
「……どうやら、その技術は私とお嬢様しか知らなかったようです」
「シリルしか知らない? あぁ……紅茶と同じですね」
普通なら、どういうことかと問い詰められそうな案件だが、その一言で納得されてしまった。お嬢様の中で、俺がどういう位置づけなのか少し気になる。
「ともかく、フォル先輩には魔力を放出する技術を学んでいただく予定です。それでご相談ですが……ソフィアお嬢様がフォル先輩に教えていただけないでしょうか?」
「わたくしですか? シリルほどには、魔術の操作を上手く教えられないと思うのですが」
「もちろん、そういった部分は私がお手伝いします」
ソフィアお嬢様の目がすがめられた。表向きにはソフィアお嬢様がフォルを救ったことにして欲しいという俺の意図を読み取ったからだろう。
「……理由を聞いてもかまいませんか?」
「グレイブ様から、あまり目立ちすぎるなと釘を刺されているんです。演劇の舞台には立ちましたが、こちらは出来ればお嬢様にお願いできればと……」
最後まで口にすることは出来なかった。
ソフィアお嬢様の瞳が一瞬で真っ赤に染まったからだ。
どうして、いきなり闇堕ち寸前になってるんだ?
俺がなにか失言をしたのか? いや、いまは原因よりも――
「ソフィアお嬢様、魔力を放出させてください。――ソフィアお嬢様!」
「――っ」
強く呼びかけると、お嬢様はハッと我に返って魔力を放出させた。淡い光の粒子が彼女の身体から立ち上る。それに伴い、ソフィアお嬢様の瞳の色ももとへと戻った。
「……ほう、これが魔力の放出ですか」
「たしかに魔力を飽和させていたのに、あっという間に……こんな、方法が」
トリスタン先生とフォルが続けて感嘆の声を上げた。図らずも、自分で魔力を放出させることが可能だと証明してしまったようだ。
「お見苦しいところをご覧に入れて申し訳ありません。少々取り乱しました」
ソフィアお嬢様は佇まいをただした。その様子からは、さきほどの怒りは感じないが……取り繕うのが上手いだけで、怒りを忘れた訳ではないだろう。
一体なにが原因だったんだろう?
それを取り除かなければ協力を得られないかもしれないと思ったのだが、ソフィアお嬢様は一転して指南役を引き受けてくれた。
これで長期的な不安は取り除けるが、この際だから出来ることは全て試そう。
「フォル先輩、腕に触れさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「私の腕に? なにかしら?」
「魔術抵抗が高いと言うことですが、私なら魔力を抜けるかと思いまして」
フォルが困った顔をする。
彼女が卒業まで生きられないと言われたということは、当然ながらその手段は試した後。しかも彼女が王族であることを考えれば、著名な魔術師が挑戦しているはずだ。
無理だと思われるのは当然だが――
「フォルお嬢様、試してみる価値はあると存じます」
事情を知っているトリスタン先生が後押しをしてくれる。フォルは先生をよほど信頼しているのだろう。あなたがそう言うのならと、俺に腕を差し出した。
「それでは、少し失礼いたします」
腕を掴んで魔力を引き出そうとする。
たしかに抵抗が大きい。フォルの魔術抵抗は一級レベル。魔力過給症であることを考えれば、魔術師として一流の才能を持っているようだ。
だが、魔術に抵抗するのは才能だけではない。本来は他者の魔術に抵抗するための技術が存在する。素の抵抗値が高いだけならやりようはある。
俺はフォルの魔力に干渉して、体内から魔力を引き出そうとする。
「うぁ……っ」
フォルの中からズルリと魔力を引きずり出していく。たしかに抵抗値は高いが、溢れそうになっている分を引き出すことは出来そうだ。
「……いかがですか?」
「え? あ……。少し身体の中にあった熱が引いた気がするわ」
「それはようございました」
器からあふれそうな分だけなのですぐに飽和するとは思うが、こまめに抜くようにすれば、フォルの容態が悪化することはもうないだろう。
「え、え? 私の、魔力を抜いた、の……?」
魔力の放出は半信半疑だったとしても、魔力を抜いたのは紛れもない事実。
ようやく実感がわいたのか、フォルの瞳がゆっくりと見開かれていく。澄み渡る空のように青みを増した瞳に大粒の涙が浮かんだ。
お嬢様へと視線を向ける。こちらの意図に気付いた彼女はすぐにこくりと頷いてくれた。
「それでは、今日はお暇いたします。フォル先輩、また学園で会いましょうね」
「では、私が彼女達を送り届けましょう」
即座に俺の意図を察したソフィアお嬢様、そしてトリスタン先生が続く。お暇を告げて部屋を退出した瞬間、閉じた扉の向こうから泣きじゃくる少女の声が響いた。
お読みいただきありがとうございます。