戯曲 光と闇のエスプレッシーヴォ 前編 6
一週間続く連休の初日。俺はソフィアお嬢様と馬車に揺られていた。
向かうのは王都から少し離れた場所にある港街で、リベルトの実家が所有する屋敷が存在する。リベルトに話を通して、避暑地を合宿所として貸してもらったのだ。
その屋敷を訪ねると、使用人が総出で出迎えてくれた。
各家からそれぞれ数人の使用人を連れて行くので、屋敷の使用人は最低限で良いと伝えていたのだが、さすがに言葉通りとはいかなかったようだ。
王子や侯爵令嬢が滞在するのだ。相手にしてみればとんでもない衝撃だったに違いない。いまにして思えば、俺の頼みを聞いたリベルトが遠い目をしていた気がする。
「なんだか、凄いお出迎えですね。もしかして、気を使わせちゃったんでしょうか?」
下級貴族の娘にとっては十分すぎるほどのもてなしだったのだろう。そう口にしたアリシアの瞳には、少しの罪悪感が浮かんでいた。
「気を使わせているのは事実でしょうが、気に病む必要はございませんよ。リベルトさんの実家は、今回の一件で大きくその名を上げるでしょうから」
本来であれば、アリシアのような子爵令嬢が立ち寄るだけでも名誉なことだ。今回の一件で、リベルトの実家は王族や貴族とのパイプを持っていると認識される。
クレープを売り出すにあたって、確実に足がかりとなるだろう。
「その通りです。アルフォース殿下、ソフィアお嬢様、アリシアお嬢様、そして他の皆様。このたびは我々ラクール商会の避暑地を合宿所に選んでくださり誠にありがとうございます」
たたずまいのしっかりした中年の男が恭しく頭を下げる。
どうやら、ラクール商会の会長。つまりはリベルトの父親らしい。彼はクレープの件でお礼を言った後、このお屋敷をご自由にお使いくださいと締めくくった。
それに対して、アルフォース殿下が一歩前に出る。
「このたびは、急な申し出を受け入れてくれたことに感謝する。ところで、そなたはこの屋敷に滞在するのだろうか?」
「いいえ、そのような無粋なまねは致しません。近くの別宅に控えておりますので、なにかあったときは遠慮なくお呼びください」
普通の商人であれば、なにがなんでも縁を結ぼうと迫ってくるだろう。
だが、俺達の目的は演劇の練習なので、纏わり付かれると迷惑だ。それを理解した上で、挨拶とフォローの約束だけはして、邪魔はしないと公言して見せた。
がっつくよりも少し引いて、覚えをめでたくしようとするその姿勢が好ましい。彼の率いる商会がクレープを販売するのなら、きっと結果を出してくれるだろう。
その後、俺達はラクール商会の管理する屋敷へと足を踏み入れた。それぞれの家の使用人が、屋敷の使用人達と連携を取って様々な準備を施していく。
本来ならば、俺もその役目を担っているのだが、いまの俺は生徒会の一員で、ソフィアお嬢様達の演技の先生を兼ねている。
俺はお嬢様の荷物運びを使用人達に任せ、屋敷の内装へと視線を向ける。
海辺の近くに建てられたお屋敷だが、手入れは隅々まで行き届いている。内装の一つ取っても、下級貴族が使う程度のランクには達している。
大きな商会と下級貴族、家柄的には釣り合いが取れていた。
こう言ってしまうと身も蓋もないが、リベルトルートで、アリシアの父が二人の結婚を許したのはなにも、真実の愛にほだされただけではなかったと言うことだろう。
つまり、愛の翼で石の壁を飛び越えることは出来ても、家柄という名の壁は越えられない。
使用人達にかしずかれるお嬢様を見て、俺はぎゅっと手を握り締めた。
――なんて、今更だな。
俺はソフィアお嬢様の専属執事として、お嬢様の望みを叶えるだけだ。
まずは――演劇。
そのためにも、アルフォース殿下やアリシアの演技指導が必要だ。
「アルフォース殿下、アリシアお嬢様。荷物を置いたら訓練室へ来てください。さっそく、役作りに入っていただきます」
「――シリル、馬車で移動してきたというのにもう練習を始めるのですか?」
疑問を投げかけたのは声を掛けた二人ではなく、ソフィアお嬢様だった。
「お疲れであれば無理にとは申しません。ですが――」
俺はアルフォース殿下とアリシアへと視線を向ける。彼らの演技も上達しているとは言え、ソフィアお嬢様と比べると格段に劣っている。
比較対象が他にない以上、ソフィアお嬢様と比べられるのは免れない。そうなれば、新入生歓迎パーティーでのライモンド達と同じ目に遭うだろう。
少しでも練習して、見劣りしないように練習するのが二人のためだ。
だが、俺が厳しいことを言わずとも、二人はちゃんと分かっている。二人ともすぐに用意をしてくると応え、割り当てられた自分の部屋に移動していった。
俺も自分の部屋に手荷物を置き、すぐに訓練室へと移動する。
学園と変わらぬ、板張りの広い部屋。俺がそこで待機していると、ほどなくジャージ姿のアルフォース殿下とアリシアがやって来た。
まずは軽い発声練習。
ほどなく、ソフィアお嬢様やフォルが姿を現した。今日は合同練習だからか、ソフィアお嬢様やフォルもジャージに身を包んでいる。
……ソフィアお嬢様のジャージ姿。
聖女と噂される容姿は伊達じゃない。高貴な赤い薔薇のごとくに咲き誇るお嬢様が、地味なジャージに身を包んでたたずんでいる。
なんというか……物凄いミスマッチだな。
「……シリル、もしかして似合っていませんか?」
「どのような服をお召しになっても、お嬢様の美しさが陰ることはありませんよ」
「シリルは口が上手ですね」
クスリと笑われてしまった。
ジャージが似合っているか言及を避けたことがバレたのだろう。だが、お嬢様がジャージ姿という違和感はどうやっても拭えないのは事実なので仕方がない。
凜としたお嬢様と違って、なんだかほっこりするとは思うけどな。
それはともかく練習である。
まずは、アルフォース殿下やアリシアの役作り。役に対して感情移入してもらうためにも、他のキャストとの合わせ稽古を実施する。
最初はヒロインとお忍びの王子が出会うシーンだ。
上級貴族に絡まれているヒロインを、お忍びの王子が助ける。アルフォース殿下は少しぎこちなさを残しつつも、オレリア役のフォルを助けに入る。
そして――
「あのっ。助けていただいて、あっ、ありがとう、ございました……っ」
フォルはほのかに頬を染め、恋する乙女のようにはにかんだ。たった一言で、他のキャストを観客へと変えてしまう。
その演技力は前に少しだけ見たときの比じゃない。あるいはお嬢様を上回るかも知れない。
だが、だからこそ――
「いいえ、薔薇のように美しいあなたの笑顔を守ることが出来て良かった」
セリフに抑揚がない。殿下の王子役が完全に見劣りしてしまっている。
だが、アルフォース殿下を責めるのは可哀想だろう。この一ヶ月ほどで殿下の演技はだいぶ上達した。それ以上にフォルが上手すぎるために、相対的に劣って見えてしまうのだ。
フォルの演技がここまでだとは思っていなかった。
このままではアルフォース殿下やアリシアが恥を掻くばかりではなく、そんな演劇を強行したとして、フォルやソフィアお嬢様まで批難されかねない。
だが、ソフィアお嬢様やフォルがわざと下手な演技をするのはあり得ないし、生徒会が演劇をすることは既に周知の事実で止めることも出来ない。
アルフォース殿下に、フォルと釣り合うくらいの演技力を身に付けてもらうしかないのだが、どうしたものかと考えているうちに二人の演技が終わった。
「アルフォース殿下の演技はもしや、シリルを意識しているのですか?」
不意に口を開いたのはソフィアお嬢様だった。
どこから俺の名前が出てきたんだろうかと首を傾げるが、アルフォース殿下は「はい、さすがソフィアさんですね」と肯定する。
なんだかキザな演技だと思っていたのだが……俺の真似だったのか。と言うか、ソフィアお嬢様には、俺があんな風に見えているのか?
……今後は、少し言動に気を付けよう。
「無理に誰かを真似る必要はないと思いますよ。あなたはあなたらしく、ヒロインを想う王子を演じれば良いのではないでしょうか?」
「僕らしく、ですか……?」
俺が反省しているあいだにも二人のやりとりは続く。演技の話とはいえ、好きな人に他の女性を想う話をされるのはどうなのだろう?
そんな風に思ったが、アルフォース殿下にはなにか思うところがあったようだ。彼は真剣な顔でなにか、考えるような素振りを見せる。
彼はソフィアお嬢様に任せておけば大丈夫そうだ。
そんな風に判断した俺はアリシアとフォルに向き直った。
「二人が話し合っているあいだ、ヒロインとメイドのシーンを合わせてみましょう」
アリシアの演じるメイドは、王子に婚約者がいると知って葛藤するヒロインの後押しをする役――なのだが、彼女は後押しをするのが嫌だと言っていた。
それがどうしても演技ににじみ出ている。
「……アリシアさんはまっすぐなのね」
愛らしい子供に向けるように、演技を終えたフォルがアリシアに微笑みかけた。
「私がまっすぐ、ですか? どうしてそう思うんですか?」
「婚約者のいる王子とヒロインが逢瀬を重ねるように誘導する、自分の役に対して嫌悪感を抱いているのでしょう?」
「……どうしてそれを」
「演技を見ていれば分かるわよ」
フォルはさも当然のように言い放ったが、アリシアがヒロインに共感を持てないという話を俺から聞いている。明らかに詐欺である。
だが、アリシアの指導をするフォルの邪魔をする理由にはならない。俺は少し距離を置いて、二人の会話を見守ることにした。
ヒロインの行動を肯定するのではなく、メイドとしての立場を強調する。主人を慕っているからこそ、それがたとえ間違っていたとしても後押ししたくなるのだとフォルは言った。
ただ、アリシアはやはり納得がいっていないようだ。
……って言うか、光と闇のエスプレッシーヴォってそういう話だっけ?
家庭環境に問題を抱えていた悪役令嬢に同情したりはしたけど、悪役令嬢から王子の愛を勝ち取ったヒロインが間違っていると思ったことはなかった。
……あぁ、そうか。
プレイヤー視点では、王子は親が勝手に決めた婚約者に辟易させられていた。だから、劇的な出会いを経て結ばれる、ヒロインとの関係を真実の愛だと認識した。
だけど、この世界では政略結婚は当たり前。親が勝手に決めた結婚相手だから、本当に好きな相手と結ばれるために抗うという考え方自体が異質なんだ。
だったら――
「アリシアお嬢様。こう考えてみてはいかがでしょう? オレリアは決して常識知らずではない。だからこそ、後ろめたく感じていたのだ――と」
「後ろめたくもあった、ですか?」
アリシアに問い返されて、俺はこくりと頷いた。
彼女の演技力はおそらくそれなりにある。貴族令嬢としての教養がある分、なにも習ったことがない一般人よりは上達が早い。
演技を平凡たらしめているのはやはり、自分の役に感情移入できないこと。であれば、彼女が自分の役やヒロインに共感できるように意識誘導するのが一番だ。
「オレリアは婚約者のいる王子と密会を重ねてその心を奪った。それは決して褒められた行為ではありません。でも、それは後ろめたかったのではないでしょうか」
「罪悪感があれば、なにをしても良いって言うんですか?」
「いいえ、そうは言いません。でも、罪悪感と恋心がせめぎ合った結果、王子と密会を重ねる結果になったとは考えられませんか?」
自分で言っておいてなんだが、原作でそのような素振りは全くなかった。
ただ、原作と違って、台本に詳細は書かれていない。オレリアが罪悪感と恋心のせめぎ合いの末に、王子と密会を重ねたという解釈は可能だ。
「許されない恋かも知れません。でも、許されぬ恋だと諦められるくらいなら、それはきっと本当の恋じゃない。それに、その程度で諦めていたら、自分の望みなんて――」
叶えられないと口にした俺は思わず口を閉ざした。ソフィアお嬢様がなにか言いたげにこちらを見ていることに気付いたからだ。
どうかしたのだろうか……っ。
そうだ。アリシアがヒロインに共感できるように誘導すると言うことはすなわち、ソフィアお嬢様に遠慮しているアリシアの枷を外すも同然だ。
いま、俺はこう説得しているに等しい。
ソフィアお嬢様に遠慮なんてしないで、手段を選ばずに俺を口説けば良い――と。
ソフィアお嬢様の側にいて護ると誓った。その約束を違えるつもりはない。ゆえに、俺がアリシアの想いに応えることはない。
応えるつもりがないのに焚きつけることに罪悪感がないと言えば嘘になる。
それに、ソフィアお嬢様に焼き餅を焼かせることもあるだろう。闇落ちの危機を招くこともあるかもしれない。それで大変な思いをするのは間違いなく俺だ。
だけど、それでも――
「相手の気持ちばかり考えていては、いつか後悔することになりますよ」
アリシアの枷を外す言葉を口にした。
演劇を成功に導くことが、お嬢様にとって必要なことだと考えたから。
俺の言葉を聞いたアリシアは、しばらく考える素振りを見せた。けれど俺の言葉には応えずに「もう一度お願いします」と、フォルと合わせ稽古を再開する。
メイドを演じるアリシアは、ヒロインの恋の後押しをする。彼女の演技が劇的に変化することはなかったけれど、先ほどまでの演技とは少しだけ違って見えた。
俺の言葉はほんの少しだけ、けれど確実に彼女の心境に変化を与えたようだ。
結局、その日は夕暮れまで合わせ稽古をおこなった。
それから皆で食事を取って、それぞれが割り当てられた部屋に戻る。だけど俺は部屋を抜け出し、屋敷から見える砂浜へと足を運んだ。
海辺に人工の明かりはなく、砂浜には星々の明かりが降り注いでいる。
前世の俺は海を見たことがあるけれど、この世界で海を見るのは今日が初めてだ。星明かりに照らされた海が、淡く光っているように見える。
寄せては返す波の音に耳を傾けていると、おもむろに足音が聞こえてきた。砂を踏みしめる音は一定で、その音を聞くだけで足音の主が脳裏に浮かび上がる。
「……ソフィアお嬢様、お供も付けないでどうしたのですか?」
この辺りはラクール商会が所有するプライベートビーチではあるが、絶対に安全とは言い切れない。せめてお供くらいは付けてくださいと振り返りながら苦言を呈した。
「そのお供が、わたくしをおいて散歩に出掛けてしまったのです」
おや、それは失礼しましたと軽口を返すところだ。
だけど、俺はその言葉を口にすることが出来なかった。振り返った先にたたずんでいたお嬢様が、星々の光を浴びて煌めいて見えたからだ。
ソフィアお嬢様は純白のワンピースを身に纏っている。普段の侯爵令嬢としての彼女ではない普通の女の子がそこにいた。
……いや、普通の女の子は月明かりを浴びて煌めいたりはしない。社交界で噂される聖女という二つ名も、いまの彼女を見れば誰もが納得するだろう。
「……シリル、どうしたのですか?」
「申し訳ありません。お嬢様があまりに愛らしくて声を失っていました」
「ふえっ!? も、もう……そんなことを言っても誤魔化されませんよ」
「……誤魔化す、ですか?」
「稽古の最中に、アリシアさんに話していたことです。シリルは、アリシアさんの気持ちに気付いているはずです。なのに、あんなことを言うなんて……っ」
アリシアさんに言い寄られたいのですかと言いたげな瞳が俺を射貫く。
……って言うか、星のきらめきを反射してるからじゃないな。星の光でお嬢様が光ってるように見えるんじゃなくて、実際に周囲に放出されている魔力で淡く光っている。
怒りに魔力を暴走させるのではなく、飽和した魔力を上手く体外に放出している。
……お嬢様、成長したなぁ。
いや、感心している場合ではないのだけれど。
「ねぇ、シリル。答えてください。あなたはどうして……」
「それは、私がお嬢様の専属執事だからです」
俺はソフィアお嬢様の専属執事。だから、アリシアの想いに応えることは決してない。それなのに、アリシアの行動を焚きつけるような言葉を口にした。
アリシアにとって、俺は酷い男だろう。
だけど、アリシアが役に感情移入できるように誘導する必要があった。それは演劇を成功させるためには必要で、ソフィアお嬢様の目的を果たすために必要なことだから。
俺が一番に願うのは、ソフィアお嬢様の幸せに他ならない。
もちろん、そんな本心は絶対に明かせない。
だけど――
困ったように笑う、ソフィアお嬢様は俺の言外の想いを理解したのかも知れない。
ただ、それをたしかめることは出来なかった。
波の音を掻き分けて、別の足音が近付いてくる。
視線を向けると、フォルがこちらに向かって歩いてくるところだった。ソフィアお嬢様同様にラフな服装の彼女は、夜風に髪をなびかせながら手を振った。
「フォル先輩までどうしたんですか?」
「――っ!?」
なぜか隣にいたソフィアお嬢様が身を震わせた。
……あぁ、ソフィアお嬢様の前で先輩と呼ぶのは初めてだったか。
なにやら「……先輩。でも、わたくしは同い年……呼び捨て?」とか呟いているが、ソフィアお嬢様を呼び捨てにするなんて出来るはずがないので諦めてくださいね。
そんな風に心の中で呟いて、フォルに意識を戻す。
「貴方達がいなくなったって聞いて、心配して探しに来てあげたのよ」
「おや、それは心配をお掛けいたしました」
そろそろ戻りましょうと促すが、フォルが少し待ってと引き留めた。
「ソフィアさんに言わなければいけないことがあるの」
「……なんでしょう?」
改まったフォルの態度に、ソフィアお嬢様が少しだけ身構える。
だけど――
「あのときは挑発するようなことを言ってごめんなさい」
彼女は深々と頭を下げる。その光景に俺は息を呑んだ。
悪いことをすれば頭を下げるのは当然だと思うかも知れない。けれど、そうじゃない。フォル――フォルシーニアは王族だ。その彼女が些細なやりとりについて頭を下げた。
王族が非を認めると言うことは、他者につけいらせる隙を見せるということ。アルフォース殿下はわりとすぐに頭を下げているが、普通はよほどのことがなければ頭を下げない。
成績優秀なフォルが知らないはずはない。知っていて頭を下げているのだ。
ソフィアお嬢様は、フォルの謝罪の重さを知らない。けれど、フォルがただの平民だったとしても、ソフィアお嬢様の対応はきっと変わらない。
星明かりに照らされたお嬢様の横顔は、優しさにあふれていた。
「なにか、事情があったのですよね?」
「ええ……そうよ。私は他人と、特にあなたと関わるべきではないと思っていたの。……うぅん、いまでも迷っているわ。もしかしたら、間違いだったんじゃないかしら、って」
「どうして、そのように思われるのですか?」
「それは……ごめんなさい。いまはまだ言えないわ。でも、だからって、あなたにあんなことを言うべきではなかった。それは本当に反省しているの」
だから、ごめんなさい――と、彼女はもう一度頭を下げた。
「あのときも言いましたが、わたくしは気にしていません。きっと、あなたの言葉が本心ではなかったからでしょう。だから……顔を上げてください。――フォル先輩」
ソフィアお嬢様がフォルのことを先輩と呼んだ。それは、以前のことを気にしていないと言うだけでなく、ソフィアお嬢様にとっての友人だと認めると言うこと。
それを理解したのだろう。顔を上げたフォルの瞳は丸く見開かれていた。
「……ありがとう、ソフィアさん」
「さんも必要ありません。どうか、わたくしのことはソフィアと呼んでください」
今度はフォルが息を呑む番だ。
ソフィアお嬢様はフォルが王族だと知らない。伯爵家を後ろ盾に持つだけの平民だと思っている。そんな彼女に呼び捨てにすることを許した。
それは、フォルを先輩と呼ぶのと同じくらい、常識で考えればあり得ないことだ。
フォルは、少し感極まったように目元を潤ませた。けれどそれを指で拭い、満面の笑みを浮かべる。彼女は月明かりに照らされた精霊のように美しかった。
「じゃあ……ソフィアで良いかしら?」
「――はい、フォル先輩」
ソフィアお嬢様は無邪気な少女のように微笑んだ。この瞬間、侯爵令嬢と平民の――そして本当は王族と侯爵令嬢の友情が結ばれた。
ソフィアお嬢様は侯爵家のご令嬢。
身分が下の者に優しさは見せても、身分が上の者に甘えることはない。
アリシアのように慕ってくれる相手はいるが、相手はどこかソフィアお嬢様に遠慮する。
だが、フォルは違う。
彼女もまた、ソフィアお嬢様と同じタイプだ。
だからこそ、身分を隠すフォルはソフィアお嬢様の親友になり得る。
そんな俺の希望通り、二人はこの日を境に急速に仲良くなっていった。
もともと波長の合う二人が協力して、アルフォース殿下やアリシアの演技指導をおこなう様子は、もう何年も前から親友だったようにすら見える。
それだけでも合宿をした価値は十分にあった。
そんな確信と共に迎えた合宿の最終日。
最後の練習で――フォルが倒れた。
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