生徒会の試金石 3
アルフォース殿下の立場を向上させる依頼を受けた俺はまず、彼が選民派に良いように操られていただけで、選民派ではなかったのだという噂を流した。
ただ選民派ではないと言うだけではなく、操られていたと強調することで、トカゲの尻尾切りをした可能性よりも、頼りない王子である可能性を前面に押し出す。
その噂が浸透したら計画を次の段階に移す予定だが、それなりの時間がかかるだろう。ゆえに、噂が徐々に広がるあいだ、俺はもう一つの計画を実行に移した。
「今日は美しいたたずまいを身に付けるレッスンです。背筋をピンと伸ばして、手足を動かすときには、指先にまで神経を張り詰めてください」
「えっと……これで良いのかな?」
「ええ、とても綺麗ですよ。もう少し静と動の境界に緩急を――そう。重い荷物を持っているつもりで手足を動かしてください」
「ああ、分かったよ」
学園の個人用訓練室の一つを貸し切り、歩き方の指導を施す。けれど、教えている相手はお嬢様ではなく、アルフォース殿下だ。
佇まいをただし、王族としての振る舞いを身に付けさせる。
そうすれば貴族のあいだでの彼の評価は向上するだろう。そのうえで、努力を愛するソフィアお嬢様の評価もあがると殿下を焚きつけた。
実のところ、フォルの試験に合格するだけなら必要はない。
だが、アルフォース殿下の地位を本当の意味で向上させるためには必要なことだ。いくらアルフォース殿下の立場を改善したとしても、殿下が失態を繰り返せば意味がない。
それに、アルフォース殿下が頼りないと、どのような形であれ関わることが決まっているソフィアお嬢様が苦労する。それを防ぐためには、どうしても彼を鍛える必要があった。
噂が浸透するのを待つ傍ら、アルフォース殿下のレッスンを続ける。
「アン、ドゥ、トロワ、アン、ドゥ、トロワ。腰の高さを変えず、頭も揺らさない、優雅に、美しく歩く。はい、そうです。とても綺麗ですよ」
「ありがとう、シリル」
殿下は幼き日のお嬢様のように素直で勤勉だ。
幼少期のソフィアお嬢様と同じ反応である辺り、殿下の幼さを感じないでもないが、このくらいの歳の子供は女性の方が成長が早いからな。
「少し休憩にしましょうか、殿下」
「どうしてだい? 僕はまだまだ頑張れるよ?」
「いいえ。少し休憩を挟んで、情報を整理することも重要です。一心不乱に稽古を続けていては、逆に見えなくなってしまうこともありますから」
人間は睡眠時間など、脳は休まっている時間に情報を整理する。ゆえに、行き詰まったりしたときは、少し休憩を挟むことも重要なのだ。
「……なるほど。キミはなんでも知っているんだね」
「なんでもは知りません。ただ必要に応じて学んだだけです」
俺の知識はお嬢様にお仕えし、お嬢様を育てるために学んだものだ。ゆえに、それとは関係ない部分では知らないことも多い。
もっとも、なにが起きるか分からないから、様々な知識に手を出したのは事実だけどな。
「そっか、努力のたまものなんだね。なら、僕もキミに少しでも追いつけるように頑張るとしよう。だから、僕をもっともっと鍛えてくれよ」
「かしこまりました、殿下」
それからほどなく、立ち居振る舞いのトレーニングを再開した。
殿下の臨時教育係を続けること数日。殿下が選民派に操られていたとの噂が浸透するのを確認した俺は、計画を次なる段階へと移すことにする。
その日の昼休み。
お嬢様のもとへ向かおうとした俺は、またもやトリスタン先生に捕まった。
「よぉシリル、なにやら面白そうなことを始めたそうだな」
「別に面白いことはなにもしていませんが?」
「ぬかせ。どこの世界に、殿下の教育係になる同学年の子供がいるんだよ」
「おや、トリスタン先生ともあろうお方が王族批判ですか? 私に相談するようにと殿下に口添えをしたのは王妃という話ですよ?」
「そのうえ弁も立ちやがる」
トリスタン先生は大仰に肩をすくめた。クラスメイトの心を一日で掌握した先生には言われたくない。いや、悪い気はしないけどな。
「ところで、私になにかご用でしょうか?」
「ん? あぁ……ソフィアお嬢様の執事であるおまえが、どうして殿下の教育係なんて引き受けたのかと思ってな」
「引き受けた理由ですか? トリスタン先生はご存じのはずですが」
「生徒会入りの件なら無論、知っているさ。だが、おまえなら結果だけを掴むことくらい造作もないはずだ。立場がややこしくなるようなことをせずとも、な」
たしかにその通りだ。
フォルの試験の合格に必要なのは、合格だとフォルに言わせること。極論で言えば、アルフォース殿下の立場が向上しようが悪化しようが関係ない。
俺がただ合格を目指すのなら、フォルを説得する材料を探すのが一番だ。それなのに、俺が真面目にアルフォース殿下の立場を向上させようとしている理由は一つしかない。
「先生なら予想が付いているのでは?」
ゆくゆくはソフィアお嬢様のためになるから。それくらい、トリスタン先生が気付かないはずがない。少なくとも俺は、それを特に隠そうとしていない。
お嬢様のためにアルフォース殿下を鍛える。それが不遜であることはともかく、その行動は、ソフィアお嬢様に王族と仲良くするつもりがあるという意思表示になる。
「むろん、おまえが忠臣だと言うことは知っている。だが、なにがそこまでおまえを駆り立てる。おまえの目的はなんだ?」
「わたくしはソフィアお嬢様の専属執事。目的など決まっているではありませんか」
達成するべき目的は主の幸せ以外にはあり得ない。
俺がそう口にすると、トリスタン先生は「いまはそういうことにしておいてやろう」と意味ありげに笑ってどこかへ行ってしまった。
彼の俺に対する評価がどうなってるのか非常に謎である。
その後、俺はお嬢様のもとへと向かった。
昼休みにおこなういつものお茶会――だが、そのメンバーにはいつもはいない少年が含まれている。エフェニア国の第二王子、アルフォース殿下である。
むろん、ソフィアお嬢様を通じて、皆には許可を取ってある。アルフォース殿下の立場を向上させるための足がかりとして、まずはソフィアお嬢様に協力してもらったのだ。
という訳で、ソフィアお嬢様がアルフォース殿下を出迎える。
「アルフォース殿下、わたくし達のお茶会にようこそ。午後のティータイムを楽しむだけの場ではありますが、どうかお楽しみくださいませ」
「あなた方のお茶会の趣旨についてはシリルから聞いています。身内が楽しむお茶会に参加の許可をくださったことに感謝します」
アルフォース殿下は礼儀正しく応じた。
いままでならば、無邪気に招きに応じてやったという考えを滲ませていただろう。だが、いまの彼はそうではない。自分が招いてもらったという自覚を持って対応してる。
教育を始めて数日でしかないが、確実に成果が出ている。やはりアルフォース殿下はそこらの子供よりも基本的なスペックが高いのだろう。
ちなみに、王子としての振る舞いを考えるのであれば少々腰が低すぎる。けれど、いままでの彼は選民派の旗印と思われていた。
その印象を変えるには、少し腰が低いくらいの方がいいだろうと判断した。
その辺りに関しては、アルフォース殿下のお付きの使用人に確認を取ってある。基本的には、俺の好きなようにやって良いそうだ。
王妃からは本当に、俺を殿下の兄のように扱えとの言葉が出ているらしい。
……普通に考えてあり得ないと思うんだけどな。
普通に考えてあり得ないことが起こったのなら、そこには普通でない理由が存在する。それだけ、王妃がソフィアお嬢様を味方に取り込みたがっていると言うことだろう。
それはともかく――と、挨拶を終えて全員が席に着いた。
それを確認した俺は、テーブルに紅茶とお菓子を並べていく。ご令嬢方はそれを楽しみにしてくれているようで、俺の出すお菓子に注目が集まる。
「本日のお菓子は焼きたてのワッフルでございます。お好みに応じて、ジャムやクリーム、もしくは蜂蜜をかけたり、フルーツを乗せてお召し上がりください」
お嬢様が毒味をすると、他のご令嬢方が上品に――けれど我先にと口に運ぶ。
「今日のお菓子も素晴らしい出来映えですわね」
「ええ、本当に。甘すぎず、サクッとした食感の中にふわっと広がる柔らかさ。上に乗せたフルーツの酸味が利いていてとても美味しいです」
「わたくしはハチミツをかけるのが気に入りましたわ」
今日もご令嬢方の評価は上々なようだ。
ただ、全体的にはハチミツをかけるような甘味の強いお菓子が好まれるようだ。この国では砂糖菓子のような甘めのお菓子が主流だからそれに慣れているのだろう。
その割に、ドレスはウェストを思いっきり絞るのが流行なのでご令嬢は大変だ。
「これは、シリルが作ったのかい?」
「いえ、私が信用できる料理人にレシピを教えて作らせました」
「へえ~。なら、その料理人がいれば、いつでもこのお菓子が食べられるんだね」
アルフォース殿下の呟きに場の空気が凍り付く。
明らかに雰囲気が変わったことに、さすがの殿下も気が付いたようだ。僕がなにかしでかしたのかい? とでも言いたげに俺に視線を向けてくる。
「殿下、それではその料理人をよこせと言っているも同然ですよ」
「――えっ!?」
ぎょっとしたのはアルフォース殿下、だけではない。
俺が殿下の臨時教育係に就いた事実は公表していない。ゆえに、事情を知らない者達からすれば、さきほどの俺の発言は明らかに出すぎた行為だ。
それゆえ、ご令嬢方はもちろん、その後ろに控える使用人達からも驚きの反応が生まれる。
だが、事情を知っているソフィアお嬢様はなにも言わない。
アルフォース殿下の使用人もなにも言わず、本人にいたっては「そ、そんなつもりじゃなかったんだっ。ごめんね、ソフィアさん」と謝罪を始めた。
そんな二人の反応からなんとなく状況を察したのか、ご令嬢やその使用人達は、少なくとも表面上は取り繕った。だが内心では、なぜ学生でしかない俺が殿下に苦言を呈する立場になっているのかと疑問符を飛ばしまくりだろう。
俺にも良く分からないので考えるだけ無駄である。
「殿下、反省は必要ですが、王族が無闇に謝罪するものではありませんよ」
「むぅ。だが、間違ったことをしたら謝罪することもまた必要なのだろう? それなのに、謝るのがダメならどうしたら良いんだい?」
「今回のケースであれば、誤解させてしまったことに対するお詫びとして、なにか代案を提案することですね。ただし、決して押しつけにならないようにしてください」
「なるほど……」
と、殿下は考え込んでしまった。
この状況で周囲を置き去りに考え込むのはよろしくないが、それを言えばそもそも俺がこの状況で殿下の説教を始めること自体が間違っている。
ただ、これは殿下が過去を反省し、心を入れ替えているというアピールの意味もある。だから、少し教育が行き過ぎている――と、周囲に思われるくらいがちょうど良い。
とはいえ、このお茶会に参加した理由を忘れてもらっては困る。俺は殿下のワッフルを取り分けつつ、「目的を忘れていませんか?」と問い掛けた。
ビクッと顔を上げた殿下が、あっという顔をした。
「実はこのお茶会に参加させてもらったのには、キミ達にお願いしたいことがあったからなんだ。どうか僕の話を聞いて欲しい」
第二王子が唐突に切り出すが、ご令嬢方は落ち着いた様子で話を聞く態勢に入った。ソフィアお嬢様を通じて、事前に王子から話があると根回しをしていたおかげだろう。
「先日、僕は自分が選民派と呼ばれる派閥の旗印として扱われていることを知った。だが、それは誤解だ。僕は下級貴族はむろん、平民を蔑ろにするような考えは持っていない」
まずは自分に掛けられている疑惑を否定する。
その言葉が皆に浸透するのを待ち、ソフィアお嬢様が「では、どうして選民派の者達を周りに置いておられたのですか?」と問い掛ける。
殿下にとっては痛い部分。自分が未熟であるがゆえに、選民派の者達に利用されていたという事実。それを追及された殿下は唇をきゅっと噛んだ。
――だが、これは事前に話し合った通りの、予定されたやりとりである。
「それは……それは、僕が未熟だったからだ。だから、僕は彼らに付け込まれた。まずは、その件でみなに迷惑を掛けたことを謝罪する」
アルフォース殿下は自分の弱さを認めて頭を下げた。
先ほど、王族は無闇に謝ってはいけないのだと皆の意識に刻んだ。そんな中で、アルフォース殿下が頭を下げたのだ。
アルフォース殿下が本気で謝っていると、皆の心に届いただろう。
そもそも、謝罪は簡単に出来ることじゃない。
窮地に追い込まれたとき、ほとんどの人は言い訳を口にする。そうしなければ、そこに付け込まれるかもしれないといった不安が生じるからだ。
それでも、アルフォース殿下は自分の弱さを認めた。それは、彼が成長を始めた証だ。そうして一歩を踏み出したアルフォース殿下は、これから心を入れ替えると誓った。
「もちろん、口でいくら反省したと言ってもなかなか信じてもらえないだろう。だから僕は、貴族と平民の橋渡しに一役買いたいと思っている」
前置きを一つ。殿下は俺が提案した――けれど自分で決めた計画を口にする。それは、庶民派の者達と、王子である彼が交流を持つという計画だ。
無論、庶民派に入るという話ではない。だが、選民派との疑惑が残っている彼が庶民派と関係を深める。それは、選民思想を持つ貴族達に対する強いメッセージになり得る。
アルフォース殿下は平民に対して友好的である、と。
身分にかかわらず対等という校則があるから選べる手段。
アルフォース殿下は、平民との橋渡しをソフィアお嬢様の派閥に任せたいと言う。殿下は平民との交流が可能になり、ソフィアお嬢様達は橋渡しをしたという実績が得られる。
自分の目的を達しつつも相手に利を与える一手。
いま初めて口にしたように話しているが、詳細は事前に話し合っている。そしてその話し合いにはソフィアお嬢様も参加した。
ゆえに、ソフィアお嬢様は他のご令嬢方と頷きあった。
「そのお役目、わたくし達がしかとお受けいたします」
殿下と庶民派の橋渡しを、ソフィアお嬢様が引き受けた。
だが実のところ、お嬢様の派閥とリベルトの関係はまだ良好とは言えない。前回の一件で誤解をといたとはいえ、その後は交流がないというのが現状だ。
ゆえに橋渡しの実績がある俺とアリシアが、庶民派との交渉役をすることになった。日をあらため、アリシアと共に平民コースの教室がある棟へ向かうことにしたのだが――
アリシアは何度も振り返ってなかなか進もうとしない。
「シリルさん、どうして私の斜め後ろにいるんですか?」
「私は使用人ですので」
「むぅ……平民コースの教室がどこにあるか分からないので案内してください」
「かしこまりました。では、こちらでございます」
俺が歩き始めると、アリシアは青みがかった黒髪を大きく揺らして俺の隣へと並んだ。俺と並んで歩きたいようだが……貴族令嬢としては少しはしたない。
困った俺はアリシアのメイドであるメリッサに視線を向ける。
……ふいっと目をそらされた。
どうやら、見なかったことにするつもりのようだ。さすが、平民のリベルトと結ばれるルートでも心強い味方になってくれたメリッサである。
……厄介な。
しかし、アリシアがそれを望んでいて、彼女のメイドが止めないのなら俺が文句を言う筋合いではない。気づかないフリをして、彼女を連れて平民コースの教室へと向かう。
「ところで、いきなり私達が押しかけて大丈夫なんでしょうか?」
「もちろん大丈夫じゃありませんよ」
アルフォース殿下が俺の教室に訪ねてきたときは大変だった。俺一人ならともかく、アリシアを連れて行くと言うことは、平民にとってはかなりの衝撃となるだろう。
「……大丈夫じゃないのに押しかけるんですか?」
「彼らに衝撃をお届けするのが目的なので今回は特別です」
アリシアは小首をかしげたが、それ以上の追及はしてこなかった。おそらく、教室に行けば分かると思っているのだろう。と言うか、彼女にとってそれは本題じゃなかったのだろう。
すぐに「ところで――」と切り出してきた。
「アルフォース殿下に信頼されるなんて、シリルさんはやっぱり凄いですね」
「たまたまですよ」
「たまたまで殿下の信頼を得るなんてあり得ないと思います。それに、殿下のお付きの方々も、シリルさんの行動を当然のように受け入れていたじゃありませんか」
「あぁ……その辺りについては色々ありまして。詳しくはご説明できないのですが、お嬢様の執事という部分が大きかったんでしょう」
「あぁ……アルフォース殿下って、やっぱりそうですよね」
なにが、とは言わなかったが、その先は言わずとも分かる。アルフォース殿下がソフィアお嬢様と話すときは、本当に嬉しそうな顔をしているからな。
美少女と美少年の微笑ましい光景は実に絵になっている。
「でも、ソフィア様はシリルさんのことが好きですよね」
「もちろん、信頼されているとの自負はございます」
いつか誰かに、こんな質問をされる日が来ると予想していた。だから、表情は欠片だって動かさなかったはずだ。にもかかわらず、アリシアはクスリと笑った。
「それに、シリルさんもソフィア様のこと大好きですよね」
「仕えるべき主として、とてもお慕いしておりますよ」
「隠さなくて良いじゃないですか」
「隠しているつもりはありませんが……」
「ソフィア様が羨ましいです」
アリシアには確信があるのだろう。俺が否定しているにもかかわらず、彼女はそう言って小さなため息を吐いた。
アリシアこそ、少しくらい隠した方が良いと思う。
やって来たのは平民コースの教室がある棟。
リベルトのクラス、平民のAクラスは少しホームルームが長引いていたようで、俺達が到着した頃にはまだ、教室に多くの生徒が残っていた。
俺はその中の一人に声を掛ける。
「申し訳ありませんが、リベルトさんに取り次いでいただけますか?」
「は? 取り次ぐ? ――って、使用人? そっちの女の子はまさか――お貴族様!?」
少年はアリシアの制服のデザインを見て驚きの声を上げた。基本的なデザインは同じだが、生地や細かいデザインなどが違うので察したのだろう。
教室が一瞬だけ静まり返り、アリシアに視線が集まってざわめきが広がる。その声の中には、アリシアを特定する声もあった。
貴族と接する機会がほとんどない彼らにアリシアの顔を知る機会は限られている。新入生歓迎パーティーで彼女を見たのだろう。
「え? あ……え? アリシアお嬢様? それがどうしてこんなところに?」
「リベルトさんにお話があって参りました。取り次いでいただけますか?」
笑顔を浮かべてこてりと首を傾げる。さすがヒロインだけあってその笑顔は愛らしい。貴族令嬢に微笑みかけられる経験などないであろう少年は顔を真っ赤にしてしまった。
「これはこれはアリシア嬢、このようなところにご足労いただかずとも、お呼びいただければ参りましたのに」
表面上は笑顔を浮かべたリベルトが現れた。だが、殿下が訪ねてきたときに俺が言ったのと同じようなセリフからその内心が窺える。
「……シリル。おまえがいて、なぜこのような真似をした」
「お騒がせして申し訳ありません。ですが、これは我々の決意と誠意の証でございます」
「決意と誠意の証、だと?」
あからさまな警戒心を浮かべる彼に、お嬢様より預かった招待状を差し出しつつ、「お嬢様が週末にお茶会を開いていることはご存じでしょうか?」と問い掛ける。
「無論把握しているが……これはもしや招待状か?」
「ご明察です。ソフィアお嬢様は今度の茶会にあなたを招待したいと申しておられます。そして、そのお茶会には、アルフォース殿下も出席なさいます」
ざわり――と、教室が騒がしくなった。
無理もない。俺の流した噂が浸透しているとはいえ、それはあくまで噂。アルフォース殿下が選民派で、取り巻き二人を尻尾切りにした可能性が零になった訳ではない。
事情を知らない者が警戒するのは当然だ。
だが、俺の伝言を聞いたリベルトは、殿下が選民派ではないと気付いている。他の者達とは違って、俺の思惑に思い至ったはずだ。その栗色の瞳には理解が灯った。
「……どういうつもりだ? 俺達の結束を揺さぶろうという訳か?」
「いいえ、そのような考えはありません」
「では、俺達を罠にはめようというのか?」
「いいえ、そのような考えもありません」
「では、なぜ俺をおまえ達の出席するお茶会に招待する? 第二王子は平民を嫌っておられると聞いている。俺が出席しては不快な思いをさせるのではないか?」
やはりリベルトは優秀だ。こちらの思惑に気付いた上で、続けざまに俺の望む質問を投げかけてくれた。だから俺も、彼の望む答えを返す。
「不幸な行き違いはありましたが、アルフォース殿下はあなた方との友好を望んでいらっしゃいます。それゆえに、ソフィアお嬢様に橋渡しを頼んでこられたのです」
「……ほう? 第二王子がそのようなことを」
「はい、たしかにおっしゃいました。あなた方との友好を望む、と」
多くの平民達が耳をそばだてているこの状況下で、ソフィアお嬢様の名の下、アルフォース殿下と庶民派の橋渡しをすると明言した。
それは、リベルトが新入生歓迎パーティーで望んでいた、お嬢様方が味方になるとの言質だ。そして同時に、俺がこの場で明言したかった事実でもある。
ゲームには、庶民派への悪質な嫌がらせの罪を選民派に着せられるイベントがあった。ゆえに中立を保つことが望ましいと考えていた。
だが、今回の一件で選民派を確実に敵に回した。であれば、中途半端な態度は危険だ。庶民派に味方すると公表した方が都合がいいと判断したのだ。
「分かった。その招待を快くお受けさせていただく。参加できるのは何人までだ?」
「事前にご連絡いただければ制限はございません」
「ほう? 何人連れても良いというのか?」
「はい、リベルト様の責任の下、お連れください」
きな臭さを感じたので、なにか問題を起こしたら責任は取ってもらおうと釘を刺す。リベルトは小さく舌を鳴らした。
「俺の責任、か。なにか難癖をつけるつもりではないだろうな?」
おいおい。ここまでしても俺を信用していないのか? 用心深いのは良いことだが、ここで火花を散らす展開は好ましくない。
そう思っていたら、アリシアが「リベルトさん」と口を開いた。
「私達は本当に、リベルトさん達と仲良くしたいだけなんです。どうか信じてください」
「ふむ。アリシア嬢がそういうのなら信じましょう」
なんという手のひら返し。
もしかして、アリシアが好意を寄せる相手だからと対抗意識を燃やしてるのか?
まさかと思うが、リベルトが悪役令嬢ポジになって、アリシアに好かれる俺を破滅させようと嫌がらせをしてくる――なんてことにならないだろうな?
ゲームにそんな展開は存在しないから大丈夫と言いたいが、ヒロインが自分に好意を寄せる攻略対象をそっちのけ――なんて展開がそもそも存在しない。
ついでに言えば、ゲームのタイトルは光と闇のエスプレッシーヴォ。
エスプレッシーヴォとは、表情豊かにといった意味。つまり貴族社会の煌びやかな光だけではなく、その裏で暗躍する闇も豊かに描いた作品。
――そして、煌びやかな登場人物達が、実は闇を抱えているというニュアンスも含まれる。
ゆえに、リベルトの悪役令嬢ポジがないとは言い切れない。
でもって「信じてくれてありがとうございます、リベルトさん」と無邪気に笑うアリシアは、絶対にリベルトの好意に気付いていない。
自分のことになると鈍感になるものなんだろうか?
お読みいただきありがとうございます。