プロローグ
お待たせしました。
悪役令嬢の執事様の二章、本日より投稿開始です!
【前回までのあらすじ】
乙女ゲームの世界に転生したシリル。闇堕ちして処刑されるはずの悪役令嬢が破滅しないように執事として愛情を注いで育てた結果、悪役令嬢とヒロインの板挟みにあう。
その後、学園に入学したシリル達は選民派と騒動を起こし、国王に呼び出されてしまう。シリルの根回しもあって事無きを得たのだが……
王城の奥まったところに王族の居住区がある。そこから順に謁見の間や会議室など、城にとって重要な部屋が並んでいるのだが――その区画にとある研究室が存在している。
部屋の主はトリスタンと、助手のリネット。
トリスタンは王弟の専属執事で、リネットは子爵令嬢である。
とはいえ、トリスタンはただの執事ではない。学生時代に王族よりスカウトされ、そこから様々な功績を挙げたことで、男爵に相当する名誉貴族の地位を得ている。
一代限りではあるが、下級貴族に名を連ねているのだ。
加えて、この国は貴族制でありながら、能力主義な部分もある。ゆえに、トリスタンが研究所の主で、リネットが助手であっても異例というほどではない。
だが、研究室があるのは王城のかなり上位の場所。その点は周囲から見ても異質で、トリスタンが特別扱いされていることを示していた。
「トリスタン先生、またご飯も食べずに研究ばかりして、身体を壊しますわよ? ほら、食事を用意しましたから少し休憩してください」
「おや、もうこんな時間でしたか。リネットには迷惑を掛けますね」
トリスタンが手を止めて顔を上げると、なぜかリネットは不満気に腰に手を当てていた。
「……どうかしましたか?」
「どうしましたか、じゃないですわ、先生。学生時代のように敬語を使わなくて良いと申し上げているではありませんか」
「あなたが生徒だった頃ならともかく、デビュタントも終えているレディである貴女に、そのような真似が出来るはずないでしょう」
「あら、いまのわたくしはあなたの助手、つまり生徒ですわよ? それとも、周囲に要らぬ噂を立てられるのが怖いんですか? トリスタン先生ともあろうお方が?」
赤い髪を掻き上げ、挑発的な態度でトリスタンを見下ろしてくる。
その誘い受けのような態度は、トリスタン推しのプレイヤーを彷彿とさせる。トリスタン推しのプレイヤーは、彼に迫られたい欲求が強いのだ。
トリスタンは頭をガシガシと掻いて立ち上がり、リネットの肩に手を置いて顔を寄せた。
「ったく、つまらない挑発をしやがって。いいからさっさと研究結果を纏めてこい。今日中に終わらなきゃお仕置きだ。……あぁ、お仕置きをされたいからサボってるのか?」
「~~~っ」
リネットが身悶えて真っ赤になる。
「たくっ。お仕置きをされたきゃ、さっさと行ってこい」
背中を叩いてリネットを部屋の外へと追いやった。彼女が退出するのを見送った後、トリスタンはもう一度頭を掻いてため息をつく。
それからリネットの用意した食事を食べていると、部屋にある男がやって来た。
「トリスタン、研究の成果はどうだ?」
「申し訳ありません。全力は尽くしていますが芳しくはありません」
「そう、か……やはり運命からは逃れられぬか」
男の眉間に、また一つシワが刻まれた。そのシワは彼の苦悩の数だけ刻まれている。彼はこの世の不条理に打ちのめされ、酷く悲しげな顔をした。
「申し訳ありません。わたくしにもう少し知識があれば……」
「なにを言う、そなたの叡智を越える者など、この大陸のどこにもおらぬだろう。そのそなたが無理だからといって責めることなどあり得ぬ」
それは、心の奥から溢れた言葉だ。
トリスタンは優れた執事というだけでなく、他の誰も知らないような知識を持っている。彼がいなければ、男は運命に抗うことすら出来なかった。
トリスタンに不可能ならば、他の誰にも出来ないという確信があった。
だが――
「一人だけ、この運命を打ち破る人物に心当たりがございます」
トリスタンの口から告げられたのは、男の予想を覆すものだった。
「運命を打ち破る人物に心当たり、だと?」
「はい。現時点では不確かな情報であるために黙っていたのですが……可能性はあります」
それは、男が願ってやまない希望の光。
だが、男はその希望に飛びつかなかった。無邪気に喜ぶには、あまりにこの世の闇を知りすぎている。それゆえ、彼は「その人物は信頼できるのか?」と警戒する。
「まだ憶測の域は出ません。ゆえに、運命を打ち破れるだけの知識があるかと併せて、信頼できる人物かどうかも確認いたします」
シリルのことだ。彼はおそらくは転生者で、悪役令嬢として処刑されるはずのソフィアを救おうとしている人物でもある。
だが、だからといって善人とは限らない。
転生者である可能性を考えなければ、非常に優秀な執事と断言してもいい。だが、転生者だと考えれば、別の可能性も見えてくる。
悪役令嬢のソフィアを救い、パーティーでは王子が救うはずだったアリシアをも救った。転生者であるのなら、ヒロインや悪役令嬢に好意を寄せられると予想していたはずだ。
にもかかわらず、シリルはそこかしこで女性を救っては、その心を奪っている。転生者が男性であるならば、その目的がハーレムの形成だったとしてもおかしくはない。
その場合、彼は目的や本性を偽っていることになる。
ゆえに、下手にこちらの弱みを見せるわけにはいかない。ありもしない情報を餌に、こちらが一方的に搾取される可能性もありうるからだ。
少なくとも、こちらの欲しい情報を彼が持っているかは事前にたしかめる必要がある。
「現時点で確証はなく、ぬか喜びさせてしまうことになるかも知れませんが……」
「よい。俺が恐れるのは希望の灯火が消えることだ。希望があるうちは諦めたりせぬ。なにをどうすれば良いのか言え。俺の命くらいなら差し出してやろう」
「では、一つ許可をいただきたい」
「許可? なんの許可だ」
「それは――」
トリスタンの申し出に、命すら差し出すと言った男が苦虫を噛み潰したような顔をした。
◆◆◆
国王に呼び出しを受けてから数日。
俺とお嬢様は変わらぬ日常を過ごしていた。
変わらぬ――と言ったが、周辺にまで変化がないわけではない。
お嬢様が女王と化して、王子やその取り巻きを叱りつけたことは外部に漏れてはいない。けれど、お嬢様と王子や取り巻きが同時に学校を休み、取り巻き達が自主退学となった。
しかも、二人がお嬢様に絡んでいたところは何度も目撃されている。
勘ぐるな――という方が難しい。
我慢の限界を迎えたお嬢様が実家の権力を使い、王子の取り巻き二人を排除したという噂がまことしやかに流れている。
なお、実際には取り巻きの親の悪事を暴き出して破滅に追いやっている。噂の方が現実より大人しい辺り、いかにお嬢様のしたことがとんでもないかが窺える。
いまはまだ事実が明るみに出ていないが、やがて取り巻き二人の処遇はもちろん、アーレ伯爵が拘束されて取り調べを受けていることも広まるだろう。
そうなれば、選民派がどのような反応をするか分からない。同じ選民派でも悪事は許せないと思う者がほとんどだと思うが、お嬢様に敵愾心を持つ者も現れるだろう。
侯爵令嬢であるお嬢様の地位が脅かされる可能性は低いが、ゲームでは選民派に罪を着せられて破滅したルートがある。出来るだけ早く足場を固める必要があるだろう。
そんな風に考えていたある日、授業の終わりにトリスタン先生に呼ばれた。
「なにかご用でしょうか?」
「ああ、おまえに一つ知らせておこうと思ってな。実はいま、生徒会の人手不足が深刻だ。そこで、優秀な一年であるおまえとソフィアお嬢様に白羽の矢が立った」
「生徒会、ですか……?」
作中では、高等部の生徒会を第二王子が取り仕切っていた。
生徒会といっても、それほど多くの権限が与えられているわけではない。たとえば部費を分配したり、次の行事を決めたり、学園内の警備をおこなったり――なんてことはしない。
書類仕事をする描写はあったが、基本的には派閥の一環だ。つまり、作中における生徒会は、アルフォース殿下の派閥といっても過言ではない。
ただ、それはあくまで作中、三年後の高等部での話だ。
いまのアルフォース殿下は生徒会に所属しているなんて聞いたことがない。それどころか、俺はこの中等部に生徒会があることすら知らなかった。
人手不足と言うことは、派閥という訳ではなさそうだが……
「どこのどなたが生徒会を仕切っておられるのですか?」
「心配するな。いまの生徒会長は、おまえやソフィアお嬢様と気が合うはずだ」
俺はトリスタン先生の目を見てその真意を探る。
気が合う――と言うのは嘘じゃないだろう。だが、言葉通りだとしても、言外の意味は含まれるはずだ。少なくとも、こちらが素性を知りたがっていると気付かないはずがない。
トリスタン先生はこちらの質問をあえてはぐらかしたのだ。
問題は、なぜ彼が生徒会長の名前をはぐらかしたのかと言うこと。
普通の人間であればただの偶然である可能性は高い。だが、彼は学生時代に王族に引き抜かれた伝説の執事。そんな彼が俺の質問の意図とズレた答えを出した。
そこにはなんらかの思惑が存在するはずだ。
だが、生徒会については俺が知らなかっただけで、知ろうと思えばすぐに知ることの出来る情報のはずだ。それをあえて伏せる理由が分からない。
俺の興味を引くことが目的か、それとも……
「お嬢様と気が合うというのは興味深いですね。そのお話、受けるかどうかはお嬢様がお決めになることですが、心しておきましょう」
違和感を無視して話を切り上げた。俺の興味を引き、腹の探り合いに持ち込むことが目的かも知れないと思ったからだ。
果たして、トリスタン先生は「話は以上だ」と小さく息を吐いた。
トリスタン先生と別れた俺は、すぐさま生徒会について周囲の人間に尋ねた。
会長の名前はフォル。
とある伯爵家縁の少女という話だ。
縁のというのはおそらく、伯爵家を後ろ盾に持つ平民の娘だろう。
ノブレス・オブリージュ。
貴族の義務として、優秀な平民を育てる風習がある。実際のところは養子にして政略結婚の道具にしたりと色々あるのだが……彼女はその辺りの情報が曖昧にされているようだ。
ついでに言えば、俺とお嬢様が受験の折り、ダンスのパートナーとして踊った相手と同名だ。外見的な特徴が同じだったので、おそらくは同一人物だろう。
ただ、トリスタン先生が、生徒会長がフォルであることを言い渋った理由が分からない。
生徒会を派閥と考えるのなら、平民の娘が一人というのは不自然だが、貴族の後ろ盾を得るほど優秀な少女が生徒会として活動すること自体に違和感はない。
少なくとも、トリスタン先生が言い渋るほどの理由はないはずだ。
相手があのトリスタンだからと少し警戒しすぎたのだろうか? いや、そう判断するのは早計だ。フォルと会えばなにか分かるかも知れないし、ひとまずは保留としよう。
――そんなわけで、生徒会の件について乗り気かどうかをお嬢様に尋ねる。
けれど、ソフィアお嬢様はアメジストの瞳を瞬かせた。クラスの担任に生徒会への加入に付いて話を伺ったことがあり、そのときには違う話を聞いたそうだ。
「生徒会はメンバーを募集していない、ですか?」
「はい。随分と前からそのフォルさんが一人で生徒会を運営しているようで、そのあいだは一度もメンバーを募集していないそうです」
「なるほど、それは妙ですね」
メンバーが一人、つまりは人手が少ないと言える。だが、メンバーを募集していないのなら、人手が不足しているとは言い難い。
俺とお嬢様の生徒会入りの話は、一体どこから浮上したんだろうな?
いっそトリスタン先生の勘違いなら話は早かったのだが――その日の放課後、お嬢様はクラスの担任を通じて、生徒会から招聘された。
招聘されたといっても、用件を告げられたわけじゃない。実は別の用件という可能性もあるのだが……お嬢様は生徒会入りの打診だと思っているようだ。
生徒会室へと向かう道すがら、艶やかなプラチナブロンドが歩みに合わせて跳ねている。
「お嬢様は生徒会に入りたいのですか?」
「ふふ、わたくしが生徒会に入りたい理由を知りたいですか?」
「教えていただけるのならぜひ」
「ダメです、シリルには教えてあげません」
イタズラっぽく笑うお嬢様がちょっぴりウザ可愛い。だが、お嬢様が生徒会入りを望むのなら、俺もその方向で立ち回るとしよう。
破滅回避のためにも、生徒会に入ってお嬢様の足場を固めるのは悪くない。フォルも人当たりの良い少女だったし問題はないだろう。
そう考えていたのだが――
「私は貴方達を必要としていないわ」
生徒会室の執務室。壁の棚に資料だけが並んでいる。そんなシンプルな部屋の正面に置かれたシステムデスクの向こう側。こちらを見上げるフォルの青い瞳は氷のように冷たかった。
呆気にとられる俺達に、フォルは「せっかく来てもらって申し訳ないけれど、そういう訳だから帰ってくれるかしら」と畳み掛けてくる。
「お待ちください。わたくしは先生から生徒会入りを打診されました。必要ないとおっしゃるのなら、せめて理由を伺わなければ帰るわけには参りません」
ソフィアお嬢様が落ち着いた口調で説明を要求する。
けれど――
「理由? そうね。学園に入学して数ヶ月で騒ぎを起こす令嬢も、それを止められない使用人も、私の生徒会には必要ないということよ」
返ってきたのは辛らつな言葉。学園の校則を考えれば彼女が目上だが、フォルを上級生として敬うソフィアお嬢様にあまりと言えばあまりの態度だった。
しかも、俺に対する批難も含まれている。
ソフィアお嬢様が怒り狂うことを恐れたのだが、彼女は微笑みを絶やさなかった。
「そのような露骨な挑発に乗ると思っているのですか?」
「挑発? 事実を言っているだけよ」
「そうですか。であれば、実際にわたくしやシリルが使えないかどうか、試してみるべきではありませんか? それとも、あなたは人の噂を鵜呑みにするのですか?」
おぉう。すました顔だけど、言っていることはわりと厳しい。フォルに対して、噂を鵜呑みにする無能なのかと問い掛けているも同然だ。
これには、フォルも返答に困っている。
実際、上級生のフォルが、俺やお嬢様の普段のおこないを見ているはずがない。彼女が目にしたのはむしろ、ダンスの試験で実力を見せつけたお嬢様と、ご令嬢を救った俺。
なのに無能だと決めつけるのは無理がある。
そもそも、出会ったときは好意的だった。
仮に他人があることないことを吹き込んだとしても、彼女であれば自分の目で確認しようとするだろう。どう考えても、敵愾心剥き出しのいまの対応は不自然だ。
それを見透かしたソフィアお嬢様が、悠然とフォルを見つめる。やがて、フォルが根負けしたかのようにピンクゴールドの髪を掻き上げた。
「ソフィアさんは、どうして生徒会に入りたいの?」
「とある目的を叶えるためには、生徒会入りが近道だと思うからです」
フォルの態度から察するに、俺達を生徒会に入れたくない理由があるのだろう。お嬢様もそれに気付いていると思うのだが、生徒会入りを諦める気はないようだ。
困った顔をしたフォルが再び息を吐く。
「本当に生徒会に入りたいの? 私みたいな嫌な先輩がいるのよ?」
「わたくし、人を見る目はあるつもりです。それに……あなたはシリルと似ていますから」
「さきほどのやりとりの後に、似ているって……」
探るような視線を向けられた。なにやらあらぬ疑いを掛けられた気がする。
「あぁいえ。シリルはとても優しいんですが、わたくしのためを思って、ときどきイジワルなことを言うんです。だから、フォルさんの挑発にもなにか理由があるのだと思っています」
「……なるほど。それじゃいくら挑発しても無駄ね」
フォルは小さく息を吐き――ソフィアお嬢様をまっすぐに見据えた。
「わかったわ。あなたがそこまで言うのなら、生徒会に相応しいかテストをしてあげる。ただし、テストの内容は後日発表。そして合格かどうかは――私が判断するわ」
むちゃくちゃだ。
最悪、明日までに大陸を統一しろと無理難題をふっかけられる可能性もあるし、試験を上手くこなしてもフォルの気分一つで不合格に出来る。
フォルが俺達の生徒会入りを望んでいない以上、合格を勝ち取ることは難しい。
――だけど、ソフィアお嬢様が俺を見る。宝石よりもなお美しいアメジストの瞳が、試験を受けたいと全力で訴えかけてくる。
それだけの想いがお嬢様にはあるのだろう。専属執事として不可能なことを可能だという訳にはいかないが、いまの俺には勝算がある。
だから、俺はこくりと頷いた。
それを見たソフィアお嬢様の口が『ありがとう、シリル』と動いたように見えた。
そして――
「異論はございません。その試験、わたくしとシリルで必ず合格してご覧に入れます」
俺が育てた彼女は、咲き誇る薔薇のように微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
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