貴族としての責務 1
「あなた方はずいぶんとおかしなことをおっしゃりますわね」
ローゼンベルク家の象徴である薔薇のように、美しくもトゲのある声が響く。赤く染まった瞳に射貫かれた取り巻き達はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「さきほどから散々、殿下とわたくしという上位者の会話に土足で踏み込んだあなた方が、言うに事を欠いてシリルに常識を説くとは……なんの冗談ですか?」
「い、いや、それは――」
「そもそも、そこの執事が――」
取り巻きが一斉に反論をするが、お嬢様は「黙りなさい」と冷ややかな視線を浴びせる。
「上位者の叱責に口答えなんて、シリルはいたしませんでしたよ?」
貴方達は、自分達が非常識だとのたまったシリルに劣る。そんなお嬢様の痛烈な皮肉が伝わったのだろう。彼らは揃って顔を引き攣らせた。
「身分の低い者が上位者の会話に割って入るのが失礼? たしかにその通りです。あなた方ごときが、わたくしの執事を咎める資格はありません。――下がりなさい、無礼者」
「うぐ、ぎ……っ」
「こ、のっ! 黙って聞いていれば偉そうにっ!」
激昂した二人が、怒りに我を忘れてお嬢様に詰め寄る。
お嬢様に危害を加えるつもりなのかは分からない。いくらなんでも、そこまで我を忘れているとも思えない。けれど――そんなことは関係ない。
彼らが詰め寄るのと同時、俺はお嬢様の前へと割って入る。
「邪魔だ、どけっ!」
取り巻きの片割れ――ジルクリフが殴り掛かってきたので、腕を掴んで投げ飛ばした。続いて迫り来るサージェスに詰め寄ろうとするが――彼は既に地面に転がっていた。
俺は可愛らしい犯人へと視線を向ける。
「……お嬢様、それは私の役目です」
「あら、ごめんなさい」
反省なんて絶対にしていない。清々しげな笑顔で謝罪を口にして、お嬢様は第二王子へと向き直った。
「殿下、あなたの護衛をお借りしてもよろしいかしら?」
「……え? あ、どうぞ」
「ありがとうございます。では――貴方達、侯爵令嬢であるわたくしに手を上げようとした彼ら、不届き者達を連行なさい」
「――はっ」
護衛達がジルクリフとサージェスを拘束する。むろん、彼らは抗うが、護衛達は女王に命令された忠臣のように粛々と彼らを連行していった。
そうして、残ったのは他の護衛と俺を除けば、お嬢様と第二王子のみとなった。当初に願っていたとおりの状況。第二王子に意見をするのなら今をおいて他にはない。
お嬢様に視線を向けると、彼女はこくりと頷いて、第二王子へと向き直った。
「アルフォース殿下。あなたはまだ若く、そして純粋でいらっしゃいます。ですが、あなたは自分の立場を考えなくてはいけません」
「僕の立場、ですか? どういうことでしょう?」
第二王子は緊張と困惑をもって問い返す。彼は分からないことを分からないという素直さを持っている。本当に、ただ年相応に未熟なだけなんだろう。
「いまのあなたは、選民派の――平民を見下す勢力の筆頭だと思われています」
「え、そうなんですか? 僕はそんなこと、一言も言っていないのに、どうして……」
「彼らの振る舞いを、殿下が黙認していたからです。黙認すると言うことは、殿下が彼らの意見を認めるも同然と言うことですもの」
「……そんな。僕はただ、自分と違う意見だからと言って、王子の僕がみだりに否定してはいけないと教えられたから、その教えに従っていただけなのに……」
その言葉を聞いた全員が息を呑んだ。
彼の告白は、彼の意思が何者かによって歪められているという証拠に他ならない。
「……それは、誰に教えられたのですか?」
「僕の教育係です。ジルクリフやサージェスのことを相談したときにそう言われました。他人の意見を否定しては――その、周りの人に嫌われるから、と」
周りの人と口にする寸前、第二王子はソフィアお嬢様をチラ見した。
これは俺の予想だが、俺に相談したときのように、ソフィアお嬢様に好かれるにはどうしたら良いか周りの人間に相談したのだろう。そして、そこを悪意ある人間に付け込まれた。
話を聞いたソフィアお嬢様は、第二王子の護衛達へと視線を向ける。
「貴方達は知っていたのですか?」
「とんでもありません! 情けない話ですが、いまのいままで知りませんでした。教育係からはむしろ、殿下の偏った思想を正そうとしているとの報告を受けていて……」
護衛達の顔には、教育係の報告を鵜呑みにしてしまったことへの後悔の念が浮かんでいた。
彼らの役目は第二王子を敵から護ること。
だが、その敵が内にいるとは思わなかったのだろう。
「では、対処していただけますね?」
「はっ、むろんです。誠に申し訳ありませんでした」
「わたくしに謝罪をすることではありませんよ。殿下をお守りする役目としての汚名は、殿下をお守りすることでそそぎなさい」
「はっ。陛下にご報告し、早急に対処いたします!」
彼らの返答にお嬢様は満足気に頷く。いまこの瞬間、この薔薇園を支配しているのは紛れもなくソフィアお嬢様だ。第二王子の護衛ですら、お嬢様の指示に従っている。
お嬢様……立派になったなぁ。
「それでは……殿下。本日は素晴らしい薔薇園を見せてくださってありがとう存じます。わたくしは、これでお暇させていただきますね。――シリル、帰りましょう」
「はい、お嬢様」
俺は殿下や護衛達に一礼し、主として更なる成長を遂げた彼女に付き従った。
――王城からの帰還後。
ところは、お屋敷にあるお嬢様の私室。
「あううううぅう、やらかしてしまいました~~~」
お嬢様はドレス姿のまま、ベッドの上を転げ回っていた。薔薇園で美しく咲き誇っていたお嬢様はどこかへ家出してしまったようだ。
「お嬢様、落ち着いてください。はしたないですよ」
「でもでも、殿下の前であのような態度をとってしまって、出過ぎた真似をしたのはわたくしの方です。シリルやお父様に迷惑を掛けたらどうしましょう?」
「本来窘めるべき立場である殿下が沈黙を続けていましたから、次に身分が高いソフィアお嬢様が彼らを窘めたことは間違っていません」
「……本当にそう思いますか? わたくしはやりすぎていないと、わたくしの目を見ていうことが出来ますか?」
ベッドの上を転げ回っていたお嬢様が、拗ねたような上目遣いを向けてくる。その姿に耐えきれず、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
「うわん、シリルが目をそらしました」
「も、申し訳ありません。ですが、お嬢様がそのような仕草を見せるのは珍しかったものですから、思わず可愛らしいな、と」
「――かっ!? も、もぅ、そんな言葉で誤魔化されたりしませんよ?」
「別に誤魔化していませんよ。たしかに、少し行き過ぎたところもあったと思いますが、お嬢様は正しいことをなさったと思います」
「正しいからと言って、認められるとは限らないと、わたくしはシリルから習いました」
「……その通りですね」
第二王子の失言が事の発端で、彼は取り巻きの行き過ぎた行為を窘めなかった。ゆえに、ソフィアお嬢様は仕方なく矢面に立った。
だが、お嬢様の行為を認めると言うことは、第二王子の失態を認めると言うことだ。権力者が自分の失態を隠し、誰かに罪を押しつけるのなんて珍しくもない。
ノーネームが追放されたのも同じような理由だったはずだ。
とはいえ、お嬢様をノーネームのような目には遭わせない。
そのための手は既に打ってある。
「ご安心ください。お嬢様は、私がお守りいたします」
「……シリル? なにか、無茶なことを考えていませんか? ダメですよ。わたくしのために、自分を犠牲にするような真似は許しません」
「まさか、そんなことは考えていません」
「嘘です。でなければ、あそこで口を挟むはずないじゃありませんか」
「あれは、勝算があってのことですよ」
叱責は予想の範疇。第二王子の言動には護衛達も焦っていたので、俺が介入すれば適当なところで取り成してくれると判断したのだ。
……まあ、お嬢様があの場所で庇ってくれるのは予想外だったのだが。
そのことをさり気なく伝えると、お嬢様は「つまり、わたくしは余計なことをして、事態を大きくしてしまったんですね」と落ち込んでしまった。
「いいえ、余計なことなんかじゃありませんよ」
その言葉は俺の本心だ。
けれど、お嬢様は第二王子の前で侯爵令嬢らしからぬ態度を取ったことを悔やんでいるようで、しょんぼりへにょんと落ち込んでいる。
少し考えた俺は気分転換を提案する。
「気分転換、ですか?」
「ええ。すぐにお茶の準備をしますので、中庭でお待ちください」
そう言い残して部屋を退出。
俺は色々と用意を終えてから、ティーセットを乗せたワゴンを持って中庭へと移動する。木漏れ日に包まれたテーブル席にお嬢様は座っていた。
「お待たせいたしました、お嬢様」
お嬢様の前に紅茶とお菓子を置いて、それから一輪の紅い薔薇を添えた。それを見たお嬢様が、少しだけ複雑そうな顔をする。
「薔薇……ですか?」
「不快に思ったのなら申し訳ありません。ですが、薔薇はローゼンベルク家の象徴でもあります。ソフィアお嬢様には、薔薇を嫌いになって欲しくなかったので」
「……これは、シリルが育てたのですか?」
「ええ。私が温室で育てた薔薇を用意いたしました」
お嬢様は薔薇を手に取ると、優雅に顔を寄せた。
「……凄く良い香りですね。それにトゲも綺麗に取ってあるのね」
「お嬢様にトゲは必要ありませんから」
「まぁ、シリルったら」
家に帰ってきてから初めて、ソフィアお嬢様はいつものような笑顔を浮かべた。
「ソフィアお嬢様はそうやって笑っている方が素敵ですよ」
「シリル……でも」
「もう一度言います。お嬢様は決して間違ったことはしていません」
俺は少し離れたところに待機していたメイドに合図を送る。すると、メイドの恰好をしたエマと、執事の恰好をしたロイが姿を現した。
彼らはずっと礼儀作法の稽古を続けていたので、お嬢様の前に顔を出すのはあの日以来だ。
「あら……貴方達は。久しぶりですね。どうですか? 不自由はしていませんか?」
「は、はい。おかげさまで私も、妹も元気です」
「その節は、あ、ありがとう存じます」
二人はおっかなびっくり臣下の礼を取った。
まだまだぎこちないが、数ヶ月前の立ち居振る舞いを考えればめざましいまでの進歩だ。おそらく、お嬢様に恩を返そうと必死に頑張っているのだろう。
お調子者のメイドが、私のおかげですと言いたげに胸を反らしている。後で料理長に、ご褒美のお菓子を作るように言っておこう。
「お嬢様のお役に立てるよう頑張ります」
「兄も私もまだまだ未熟ですけど、精一杯頑張ります」
俺があれこれ考えているあいだにも二人の感謝の言葉は続く。
ぎこちないけれど、ぎこちないからこそ、お嬢様に対する感謝の気持ちが伝わってくる。ソフィアお嬢様は「楽しみにしています」と目を細めた。
それから、ロイとエマは礼儀作法のお稽古がありますからと退出していく。その後ろ姿を見送りながら、俺は「あの二人を笑顔にしたのはお嬢様です」と口にする。
「侯爵家の令嬢としては、決して褒められた行為ではありませんでした。でも、それでも、お嬢様は自らの意思で二人を救ったのです」
「……わたくしの意思?」
「ええ、今回も同じです。侯爵令嬢としては行き過ぎた行為だったかも知れません。ですが、それで救われる者もたくさんいるでしょう。私もその一人です。だから――」
俺はお嬢様の頬に触れ、反対の耳に唇を寄せる。
「私はお嬢様を誇らしく思いますよ」
囁くように想いを伝えると、お嬢様はびくりと身を震わせた。一呼吸おいて身を離すと、お嬢様はほのかに頬を赤らめていた。
俺はお嬢様の澄んだ瞳を覗き込む。彼女の深い紫の瞳の奥に俺の姿が映っていた。
「……お嬢様」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ、心の準備が……えっと、えっと。はい、大丈夫です。なんですか? 目をつぶれば良いですか?」
「伝令がきたようです」
「――ふぇっ!?」
少し潤んでいた瞳が見開かれる。
お嬢様は慌てて飛び退いて佇まいをただした。その直後、使用人の一人が小走りにお嬢様のもとへと駆け寄ってくる。
「ソフィアお嬢様にはいますぐ王城に来られたしと、国王陛下の使者が参っております」
お読み頂きありがとうございます。
次回はシリルのターン。アルフォース殿下とのあれこれです。