学園の派閥騒動 後編 5
リベルトと接触するために、アリシアの臨時の専属執事としてお茶会に潜り込む予定が、アリシアのパートナーとしてお茶会に出席することになった。
こちらの要求をしっかり理解した上での提案。俺にアリシアの提案をはね除けるだけの代案はない。ゆえに、この取引条件を覆せるのは一人だけ。
だが、そのメリッサまでもが「お嬢様がそこまでの覚悟なら私はなにも言いません」とか言い出す始末。おまえはあるじの身分違いの憧れを諫める立場だろうに、使えない。
……なんて愚痴ってはみたけれど、俺がアリシアの執事でもきっと同じ選択をする。メリッサはリンドベル子爵家のメイドではなく、アリシアの専属メイドと言うことなんだろう。
予想していなかっただけに驚かされたが、非公式のお茶会でのパートナー。第一王子の誕生パーティーでパートナーを務めたことに比べれば些細なことだ。
だから、問題なのはソフィアお嬢様の反応。
アリシアとダンスを踊ったときですら闇堕ちしそうになったのに、アリシアのパートナーとしてお茶会に出席するなんて知られたらどうなることか……
考えるだけで恐ろしいが、事実を打ち明けるしかないだろう。お嬢様には決して嘘を吐かない。それは俺のソフィアお嬢様にお仕えする専属執事としての美学だ。
だが、何事にも手順というものがある。
交渉するときには相手の利を示す必要があるし、謝罪に出向くときにはお詫びの品を持参する。もしも許されない罪を犯したのならスケープゴートが必要だ。
……おっと、色々考えているうちにだんだんと後ろ向きになってきた。ひとまず、お嬢様が好まれるお菓子を準備してから切り出すとしよう。
そんなことを考えながら屋敷に戻ると、ルーシェが俺の部屋の前で待っていた。彼女は俺を見るなり「お嬢様がお待ちです」と用件を告げる。
「お嬢様の部屋に行けばよろしいでしょうか?」
問い掛ける俺に対してルーシェは首を横に振り――
「お嬢様はこちらでお待ちです」
扉を開け、俺を部屋の中へと押し込んだ。たたらを踏んで部屋の中へと踏み入る。直後、背後の扉がルーシェによって閉じられた。
いきなりなんなんだと疑問を抱きつつ顔を上げる。
そこには――仁王立ちのお嬢様。
「……シリル、どこに行っていたのかしら?」
「もちろん、リベルト様に接触するための手段を得るために奔走しておりました」
とっさにそう切り返した。
お嬢様に決して嘘を吐かないと誓った俺の、嘘を吐かずに真実を隠す処世術である。
「つまり、リベルトさんと接触するために、アリシアさんとイチャイチャしていたと?」
お、おぉう……会いに行ったのがバレてる。
ハイライトが消えたアメジストの瞳は赤みを増し、風もないのにお嬢様のプラチナブロンドがなびいている――って、おかしいだろ。
もしかして、お嬢様の魔力が暴走してないか?
「お嬢様、落ち着いてください」
「落ち着いてなんていられません! どうしてわたくしを見てくれないのですか!」
「いけません、お嬢様」
「――え!? シ、シリル!?」
お嬢様の華奢な肩を掴んでその瞳を覗き込む。赤く染まった瞳の奥に、真剣味を帯びた俺の姿が映り込んでいる。お嬢様の透き通るように白い頬にさっと朱が差した。
「シ、シリル? 顔、顔が近いですっ」
「落ち着いてください、お嬢様。落ち着いて、俺の目を見て、自分が魔力を暴走させつつあることに気付いていますか?」
「……え? まりょ、く? 魔力?」
「そうです、魔力です。落ち着いて、ゆっくり深呼吸です。魔術の制御について教えたことを覚えていますね? 体内に膨れあがった魔力を外に逃がしてください」
「はい。分かり、ました……」
お嬢様が目をぎゅっと閉じて魔力を放出させる。お嬢様の身体から、キラキラと光る粒子が放出されて空気に溶け込んでいく。
それと共に、赤く染まっていた瞳が本来の紫色へと戻っていった。
「……シリル、わたくしの身に一体なにが起こったのですか?」
「お嬢様は魔力過給症のようですね」
「……魔力過給症? なにかの病気ですか?」
「本人のキャパシティを越えて、魔力の供給がおこなわれる珍しい症状です。が、いまのように定期的に魔力を放出、または消費すればなんの問題もございません。ご安心ください」
体内の魔力を飽和させた状態が続くと、感情のコントロールが難しくなったり、魔力のコントロールが難しくなったりする。
魔力を暴走させても感情のコントロールが利かなくなるし、感情を暴走させても魔力のコントロールが利かなくなる。ちょっとした出来事で感情と魔力を暴走させるようになる。
光と闇のエスプレッシーヴォにおいて、お嬢様は瞳からハイライトを消して豹変する。その落差はまさに闇堕ちと呼ぶに相応しい変わりようだった。
おそらくは魔力過給症が精神に影響を及ぼしていたのだろう。
とはいえ、不安に思うことはない。
コントロールが利かなくなるのは、魔力を飽和させた状態を続けた場合だ。
魔術を使って魔力を消費したり、不要な魔力を体外に放出したり、あるいは第三者が魔力を吸収することで魔力の飽和を防ぐことが出来る。
本人が魔術を学ぶか、周囲に対処できる人間を配すれば恐れる病ではない。ゆえに、俺が側にいて、魔術師でもあるお嬢様に恐れることはなにもない。
むしろ、通常よりも魔力の回復が早くなるのは才能とも言える。お嬢様には魔術師としての才能があるということだ。
「……シリル? 本当に大丈夫なのですか?」
「ええ、本当です。ただ……お嬢様は私のことになると感情的になりやすいようですね」
「え? あ、それは……その、ごめんなさい」
ソフィアお嬢様はピクリと身を震わせ、長いまつげを伏せた。
光と闇のエスプレッシーヴォのお気に入り。前世の記憶を取り戻してからは、ソフィアお嬢様の側にお仕えして、ずっと彼女の成長を見守ってきた。
そんな彼女が、俺のことになると感情的になる。嬉しくないはずがない。腕の中にある温もりを手放したくなくなってしまう。
だけど……
「私は、いつだってお嬢様のことだけを見ています。――けれど、お気をつけください。お嬢様は侯爵家のご令嬢。そのことを忘れてはいけませんよ」
「シリル、わたくしは……」
お嬢様がなにか言いたげに俺を見上げる。
だが、お嬢様を捕らえていた手を放し、俺はお嬢様からそっと距離を取った。
「お嬢様、私の報告をお聞きください。選民派の件で色々とお伝えすべきことがあります」
「……分かりました。でもその前に、一つだけ。一つだけ聞かせてください」
お嬢様の瞳が、まるで初めて会ったときのように不安げに揺れている。そんな彼女の視線を受け止めた俺は「なんですか?」と問い返した。
「シリルは……子供のころの約束を覚えていますか?」
「もちろん、ずっと覚えています」
どんなときだって、ずっとお嬢様の側にいると誓った。
あの日のお嬢様は幼くて、転生者である俺には護るべき子供にしか見えなかった。だがお嬢様の成長と共に、年下の子供から同い年の少女へと印象が変化していった。
それでも、いや……だからこそ、あのときの約束を忘れたことはない。
「……そうですか」
お嬢様は胸に添えた指をきゅっと握り、こくりと頷く。そして再び顔を上げたとき、侯爵令嬢としての気高い彼女がそこにいた。
「では、報告を始めてください」
「……かしこまりました。まず、最初にご報告するべきなのは第二王子のことです。彼はおそらく、選民的な思想を持っていません」
「……なにを言っているのですか?」
「お嬢様の気持ちは良く分かりますが――」
第二王子が俺に接触してきたことを打ち明ける。
「第二王子がシリルの教室にやって来たのですか!?」
「ええ、本当に驚きました」
「羨ましいです、わたくしも遊びに行って良いですか?」
「……ダメですよ」
身分は第二王子の方が上だが、俺の主で異性のソフィアお嬢様の方が邪推されやすい。なんてことは言わなくても分かってるはずなので冗談だろう。
「残念です。……それで、第二王子の用件はなんだったのですか?」
「お嬢様が好まれる物などを聞きに来られたようです。ダンスでお嬢様にご迷惑を掛けたと、申し訳なく思っているようでしたよ」
お嬢様を好きだから――という部分は伏せて、客観的な事実だけを口にする。足を踏まれたことを思い出したのだろう。ソフィアお嬢様は苦笑いを浮かべた。
「その折、私への悪意のない接し方が気になってお話を伺ったんです。そうしたら……」
第二王子自身に選民思想はないが、取り巻きを抑えるつもりもないこと。それによって、自分がどう思われているか思い至っていないことを伝えた。
話を聞き終えたソフィアお嬢様は、信じられないという顔をする。
「まさか、そのようなことがあるのですか? 彼自身が気付かないとしても、彼の教育係や、お付きの者が気付いて忠告するのではないですか?」
「必ずしもそうとは言えません」
第二王子の現状は普通に考えてあり得ない。普通に考えてあり得ないのなら、なにか普通ではない事情があると判断するべきだろう。
たとえば、トリスタン先生の教育方針がそうだ。
失敗から学ぶことを美徳としている。彼は第二王子の執事ではないが、王族がトリスタン先生の教育方針を踏襲している可能性は捨てきれない。
もしくは、そもそも教育するつもりがない可能性もある。
周囲の者が第二王子の失脚を望んでいるのなら過ちを正さないのは当然だ。その場合、第二王子が王族としての振る舞いを身に付けていないことにも頷ける。
前者はともかく、後者の場合は深入りするべきではないだろう。下手をしたら子供の派閥とは比べものにならない、本物の派閥争いに巻き込まれかねない。
「可能性の話ですので真相は分かりません。ただ、後日お嬢様に接触してくる可能性が高いので、可能であれば探ってみてください」
「そう、ですね。分かりました、アルフォース殿下にはわたくしから伺ってみます。それで、リベルトさんの方はどうなっているのですか?」
「実は、アリシアお嬢様がお茶会に招かれているようで、臨時の専属執事として同行させて欲しいと申し出たのですが……」
「……専属執事」
お嬢様がピキリとこめかみを引き攣らせた。
「ですが、それはアリシアお嬢様に却下されまして」
「……ほっ」
「代わりに、パートナーとしてなら同行させると取引を持ちかけられました」
お嬢様が硬直して、再びその瞳に宿る光を暗くする。
「シリルは、それを、受けたのですか? わたくしに、一言の、相談もせず」
むちゃくちゃ不穏だが、ここで後ろめたい態度を取る訳にはいかない。俺は「お嬢様のために必要なことでしたので」と正直に答えた。
その直後、一度は失われ掛けた瞳の光が戻った。
「……ズルイです。わたくしのためだなんて言われたら、言い返せないじゃないですか」
「申し訳ありません。お詫びに紅茶を用意するので許して頂けませんか?」
「そ、それくらいじゃダメです」
「では、お嬢様のお好きなショートケーキをお作りするので許して頂けませんか?」
「あの白くて甘いお菓子ですか!? ……んんっ。そ、それくらいじゃ許しません。と言うか、わたくしは食べ物で釣られたりしませんっ」
ぷいっとそっぽを向くが、その横顔にはショートケーキが食べたいと書いてある。もう一押しすれば陥落しそうだが、俺は主導権をお嬢様に返すことにした。
「では、どうすれば許してくれますか?」
「そう、ですね。今度、一つだけ、わたくしのお願いを聞いてくれると約束してください。そうしたら、今回のことは許してあげます」
「お願い、ですか? それはどのような?」
「ま、まだ決めていません」
まだ決まっていないと言うが、ソフィアお嬢様の顔は真っ赤に染まっていた。その態度こそが、お願いの方向性を物語っているが……
「分かりました、お約束いたします」
「え? 良いんですか? まだどんなお願いかも決めてないんですよ?」
「関係ありません。お嬢様が心から願うなら、それがどんな願いでも叶えます。だから、どんな願いをするか、考えておいてくださいね」
俺がイタズラっぽく笑うと、お嬢様はほのかに頬を染めてこくんと頷いた。
数日後。
俺はアリシアのエスコート役としてリベルトのお茶会へと紛れ込んだ。
アリシアは淡い色のドレスを身に纏い、その髪は高い場所で纏めている。一般的なお茶会に出席する令嬢としてはかなり気合いが入っている格好だ。
まぁ……気のせいじゃないんだろうな。
「シリルさん、もしかして私のドレス、似合っていませんか?」
「いいえ、淡い色のドレスは、アリシアお嬢様の夜空の髪ととても良くお似合いです。夜空を舞う妖精のようですよ」
「ふわぁ……あ、ありがとうございます」
そんな他愛もないやりとりをしながらお茶会の会場へと足を踏み入れる。ほどなく、来客者のチェックをしていた使用人からの知らせを受けたのだろう。
リベルトが俺達の前へとやって来た。
「シリルと言ったか? 侯爵令嬢の使用人がなぜここにいる?」
「すみません、リベルトさん。私がパートナーとしてシリルさんを連れてきたんです」
招待客には身分のチェックがおこなわれるが、パートナーや使用人は招待客が身分を保証することでチェックを通ることが出来る。
それを利用して通してもらったのだと、一歩前に出たアリシアが庇ってくれる。
だが、ここで彼女の影に隠れていてはパートナー失格だ。俺はアリシアの前に出て、彼女をそっと後ろに下がらせる。
「敵情視察――という名目で潜り込ませて頂きました」
声のトーンを落としつつ、迂遠ながらも話し合いが目的だと伝える。
そのまま聞けば喧嘩を売っているも同然だが、あえて名目と付けたところがポイントだ。リベルトは同学年の他の生徒と比べて迂遠な表現にも精通している。
おそらくは通じるはずだが――
「……約束を果たしに来たと言うことか。良いだろう。どのみち、ここにいる全てが味方とは思っていないからな。せいぜいゆっくり、していくがいい」
どうやら通じたようだ。
俺の挑発に受けて立ったという風にも受け取れるが、こちらはゆっくりと付けたところがポイントだ。俺の話し合いに応じるという意味だと思って良いだろう。
リベルトは「それではまた後ほど」とアリシアに挨拶して立ち去っていった。それを見届けた俺達はひとまず会場の奥へ。
お茶会は堅苦しいことを嫌って――と言うよりも、個々で話しやすくしているのだろう。立ったまま各種お菓子や紅茶を楽しむ立食形式となっている。
「アリシアお嬢様、どうぞこちらを」
用意されている紅茶をソーサーごと取り上げ、アリシアお嬢様へと手渡す。それを受け取った彼女は感謝の言葉のあと、「ふふっ」と小さな笑みを零した。
「……なにか粗相がありましたでしょうか?」
「いいえ、そんなことはないです。でも、シリルさんが使用人みたいだなって」
「――あぁ、失礼いたしました」
今日の俺はアリシアのパートナー。エスコートをするのは俺の役目だが、紅茶を取って渡すのは後ろに控えているメリッサの仕事だ。
どうやら、使用人としての行動が癖になっているようだ。
「謝らないでください。でも……ソフィア様はいつも、シリルさんにこんな風にお世話をしてもらっているんですね。ちょっぴり羨ましいです」
「では、いまからでも使用人になりましょうか?」
「そ、それはダメです。今日のシリルさんは私のパートナーなんですっ」
「かしこまりました」
さすがヒロイン。拗ねた仕草も可愛らしい。
「もぅ、どうして笑うんですか?」
……おっと、内心を隠せていなかったようだ。更にふくれっ面になるアリシアをなだめすかし、ひとまずはお茶会の出席者達との会話を楽しむ。
アリシアは生来の人当たりの良さからか、庶民派である他の出席者と楽しげに話す。
ただし、俺が選民派とダンスを踊ったお嬢様の専属執事であると噂になっているようで、警戒を露わにする者も多い。
アリシアと交流を持とうとしている者にとって、俺は邪魔な存在となっていそうだ。そんな風に考えていると、リベルトが姿を現した。
「アリシア嬢、楽しんでいただけていますか?」
「ええ、凄く楽しいです。お菓子も紅茶も凄く美味しいですし」
「それは良かった」
アリシアの無邪気な微笑みがリベルトを破顔させる。ゲームと展開や学年が違いすぎて確信は持てないが、リベルトのルートに入りつつあるように思える。
俺とお嬢様が、選民派として警戒されていることも含めて。
そんな俺の心の声が聞こえた訳ではないだろうが、リベルトが俺を見た。
「そう言えば、シリルは紅茶を淹れる技術に優れているそうだな。俺にその技術を教えてくれるつもりは――あるか?」
「自分の技術が優れているかどうかは分かりませんが、お嬢様より許可は得ておりますので、お望みであればいますぐにでも」
俺の紅茶の技術を伝えるのは、お嬢様の派閥に所属する者だけ。その話をどこかから調べてきたのだろう。なかなかの情報収集能力だ。
つまり、自分に味方をするつもりはあるのかというリベルトの問いに俺は、お嬢様はいますぐにでも味方になる意思があると応じた。
「ふむ……そうか。では、俺はアリシア嬢と少し話があるので、良ければ俺の使用人に紅茶の淹れ方を伝授してやってくれ」
リベルトがパチンと指を鳴らすと、執事の恰好をした少年が姿を現した。
なるほど……そういうことか。
「アリシア様、かまいませんか?」
「え? 私、ですか? えっと……シリルさんがそれで良ければ?」
「ありがとうございます。では……さっそく、案内いただけますか?」
使用人の恰好をした少年に問い掛けると、彼はこくりと頷いて歩き出した。その後を追い掛けると、彼は会場を出て廊下を進む。
しばらくすると、執事の恰好をした少年は足を止めて振り返った。
「……文句を言わないのか?」
「ていよく会場から排除されたから、ですか?」
ソフィアお嬢様は味方にだけ、俺だけが知る紅茶の技術を教える。その話を引き合いに出したと思わせて、アリシアとの会話の席から俺を排除した。
「そう見せかけただけでしょう? ニコラさん」
「へえ? どうして俺の名前を知っているんだ?」
「カマを掛けただけですよ」
まず、彼は執事の恰好をしているが、立ち居振る舞いが執事のそれじゃない。あくまで執事の恰好をしている一般人だ。
そして、少し暗いブラウンの髪。容姿はそれくらいの情報しかなかったが、リベルトにはニコラという右腕的存在がいることを知っていた。
ゆえに、彼がニコラだと思ったのだ。
そこまで踏まえて考えると、ある疑問が浮かび上がる。
そもそも、リベルトはどうしてニコラに執事のまねごとをさせたのか。俺をていよく会場から排除したフリをするだけなら、本物の執事を使えば良い。
リベルトは無意味な余興を楽しむタイプではない。であれば、リベルトの右腕である彼が執事のまねごとをしたことに意味があるはずだ。
……ただの子供にしか見えない。けれど、その正体は自らが信頼する右腕的存在。そんな彼に執事の恰好をさせて俺の応対を任せた。
新入生歓迎パーティーでの一件と状況が似ている。
まさか――
「私がソフィアお嬢様の強い信頼を得ていると、あなた方は最初から知っていたのですか?」
俺の問いにニコラはなんの反応も示さない。
だが、その反応こそが、俺の言葉を肯定しているも同然だ。
背筋がゾクリとした。
新入生歓迎パーティーでの前提条件が崩れた。
俺がリベルトの応対をお嬢様に任された。その対応にリベルトが不満を抱いたのは、俺がお嬢様の信頼を得ている執事だと知らなかったから――ではなかった。
お嬢様の誠意だと知りながら、リベルトは俺に対してあのような反応を示した。
普通に考えればあり得ない反応だ。だが、普通に考えてあり得ないことが起こったのなら、そこには普通ではない理由が存在する。
お嬢様の行動が、平民を蔑ろにする態度から来るものではなかったと知っていた。そのうえで、表面上のお嬢様の行動から、選民派だと決めつけて敵対するような態度を取った。
そんな行動を取る理由は一つしか思いつかない。
「お嬢様は選民派との対立を望んでいない。そこまで理解した上での行動、ですか」
選民派達がソフィアお嬢様に恭順を求めるように迫った。
お嬢様は選民派を優先するフリをして、庶民派との話し合いを俺に任せた。それがソフィアお嬢様の誠意の表れであることは、俺とお嬢様の関係を知っていれば予想できる。
つまり、選民派にお嬢様の本心を知られる可能性があった。
だが、リベルトと俺のやりとりを聞いていた者はそんな風に思わない。ソフィアお嬢様と庶民派の関係はよろしくないと判断しただろう。
リベルトのあの態度は周囲の者達を騙すための演技だった。
「……さすが、リベルトが誰よりも警戒するだけのことはある」
「私の予想が合っていると言うことでしょうか?」
「半分だけ、な」
ニコラはニヤリと口の端を吊り上げた。
「……半分。では、残りの半分はなんでしょう?」
「言っただろう、おまえを警戒していると。おまえは、あまりにキレすぎる」
「……なるほど。疑われているのもまた事実ということですか」
俺やお嬢様が選民派であれば、リベルトを罠にはめる動機は十分だ。そして俺やお嬢様がそのつもりなら、真実を巧妙に隠してリベルトを罠にはめるだろう。
――油断できないのは本心を隠す、もしくは偽れる人間。
リベルトと俺の共通認識だ。
「警戒しすぎと思うかも知れないが、出来れば大目に見てやってくれ。あいつは過去に色々とあって、味方の選別には神経を尖らせているんだ」
知っている。
リベルトにはかつて妹のような存在がいた。
無邪気で裏表がなくて、誰にでも優しい女の子。その少女はリベルトを兄のように慕い、そんな少女をリベルトは心から可愛がっていた。
味方のフリをして近付いてきた貴族に、少女の命が奪われるまでは。
「事情は理解しました。もとよりこちらの目的は、選民派と事を荒立てずに、貴方達に味方であると伝えること。その目的が果たせるのなら問題はありません」
「あぁ、そうだったな。あまり時間がないから単刀直入に聞こう。シリル、おまえが今日ここに来たのは、ソフィア嬢が選民派ではないと伝えに来た、で合ってるか?」
「ええ。その証拠としてこちらを預かっています」
俺はニコラにお嬢様に書いていただいた手紙を渡す。
その手紙には、選民派ではなく、庶民派を支持する意思があること。ただし、選民派と真っ向から対立することは望んでいない旨が書いてある。
「手紙、か……こんなものを俺達に渡したと選民派に知られれば、おまえのところのお嬢様は立場が危うくなるのではないか?」
「だからこそ、あなた方に渡すのですよ」
手紙が公表されれば、お嬢様は選民派との対立を余儀なくされる。つまり、庶民派を裏切れば、選民派とも対立させられることとなる。
ただし、その手紙を使ってお嬢様を脅迫することは出来ない。そんなことをすれば、お嬢様はたちまち庶民派の敵になる。
お嬢様を味方として留める目的にのみ有効な手札だ。
「良いだろう。ならこの手紙はリベルトに渡しておこう。ただ、なにが書いてあったとしても鵜呑みにすることはない。必ず裏は取らせてもらうぜ?」
「ええ、もちろん」
それこそお嬢様の望みだと心の中で呟く。誤解が解けたいまはなんら心配はない。先入観を抜きで調べてもらえば、お嬢様の人となりは見えてくるはずだ。
「……ふぅん? ま、良いや。それで、他になにか伝えておくことはあるか?」
「ええ。第二王子も選民派ではないようだとお伝えください」
「……は? お前はなにを言ってるんだ?」
「先日、第二王子と接触する機会がありました。個人的なことなのでやりとりはお話しできませんが、アルフォース殿下は春の訪れを望んでいるようでした」
「なるほど、ローゼンベルク家の薔薇は美しいと評判だからな」
殿下の恋をほのめかしたところ、ソフィアお嬢様が相手であると即座に行き着いた。やはり、第二王子やその辺りのご令嬢よりも察しが良い。
「これは私個人の感想ですが――王子は年相応に幼く純真。部下の掌握は苦手のようです」
「ほぉん……? あの取り巻き共か、なるほどな」
ニコラは考えるような素振りを見せたあと、納得するような素振りも見せた。なにか思い当たる節がありそうだ。
「話は以上です。そろそろアリシアお嬢様の元へ戻らせていただきます」
あまり長居は怪しまれると、俺は来た道を引き返そうとする。
「あ~ちょっと待ってくれ」
「……はい? なんでしょう?」
彼にも質問があるのならそれに応じる。そう思って振り返ったのだが、ニコラはなにやら言い淀んでいる。なにか、言い辛いことだろうか?
「あ~その、なんだ……おまえ達が敵か味方か、もしくは中立か。最終的にその判断をするのはリベルトだが、俺はお前に協力する用意がある」
「……協力する用意、ですか? その言い方だと、あなたの独断のようですが?」
「ま、そんなところだ。もし困ったことがあれば連絡を寄越せ」
そう言って彼は、内密に連絡を取る方法を教えてくれた。どうやら、執事コースのBクラスに、彼らの仲間がいるらしい。
「分かりました。ではなにかあれば連絡させていただきます。それでは――」
「あ~ちょっと待て」
「……まだなにか?」
「いや、えっと……いま考える」
「……は? なにか私を戻らせたくない理由でもあるのですか?」
リベルトがアリシアに危害を加えるとは思えないが、どう考えても時間稼ぎをしている。なにか……あぁ、そういうことか。
状況はだいぶ違うが、作中では、気を利かせたニコラが、リベルトとヒロインの語り合う時間を作るシーンがあった。それと同じことだろう。
「リベルト様は、アリシアお嬢様がお気に入り、ですか?」
「えっ!? い、いや、そういう訳じゃねぇんだが、俺が勝手に、な。……おまえは、そういう身分違いの恋はどう思う?」
「……そうですね」
リベルトルートでも、アリシアはハッピーエンドを迎えている。もちろん、エンディングの先にも現実は続くので、人生のラストがどうなるかは分からないが……
「二人にその覚悟があるのならかまわないのではないですか? リベルト様とアリシアお嬢様はとてもお似合いだと思います」
「お、そうか? おまえ、なかなか話が分かるじゃねぇか。なら……」
「ええ、次の機会があれば、必ず協力させていただきます」
「ああ……あ? 次??」
選民派の件で無実の罪を着せられる可能性は限りなく低くなった。アリシアがリベルトとくっついてくれた方が色々と都合が良いのは事実。
だが――
「今日の私は、彼女のパートナーですので」
アリシアのパートナーになったのは、お茶会に参加させてもらうための交換条件だ。アリシアが約束を果たしたのに、俺が約束を破る訳にはいかない。
だから――と、呆気にとられるニコラに別れを告げて身を翻した。
お読み頂きありがとうございます。
ラジオも第3回が放送されました。ついに誕生パーティーに突入ですよ。前回YouTube版はお盆かなんかの関係で少し遅かったようですが、今回は明日投稿されると思います、たぶん。
おかげさまで月間ジャンル別4位に入りました、みなさんありがとうございます!




