閑話 その後
こっそり割り込み更新
「ふぅ...帰ったね」
今日は来客がとても多かった。今までは客も含めて一週間に数人程度しかこんな店に裏道の怪しい薬屋になんて立ち寄らないというのに、今日だけで二人も来るなんて。隠居しているような婆になってまでこんな出会いがあるなんて、人生とは分からないもんだね。
にしても、もう数十年と住んでいるこの家もそろそろ限界かねぇ...。歩くたびに廊下は軋みを上げるし、木製のドアは立て付けが悪くなってきた。「そろそろ建て直せよ」なんて隣町の口うるさい同業の爺によくせっつかれるが、長く住んでいるだけあって何だかんだ愛着が湧いちまったから踏ん切りがつかない。
前に別の場所で隠れ住んでいた頃から愛用しているこの錬金台もようやく部屋に馴染んだし、散らかっているように見えるこの調剤室もあたしからしてみれば案外片付いている。どこに何があるのかすべて把握しているからね、これは断じて散らかっているわけじゃあないのさ。
「とは言っても、あの子はそうは思わなかったようだけどね...」
あからさまに(散らかった部屋だなぁ...)という顔をしていたからね。無表情に見えて、案外表情が豊かな子だよ。あたしの初めての弟子は。
「あんたもそう思うだろう? 鏡の」
『...流石にバレてるか』
悪びれもしない楽天的な声が響くと、あたしの目の前の何もない空間に長方形の鏡がスゥっと浮かび上がった。そこに映っていたのはあたしの顔ではなく、今日いきなり出てきてはマリと話すだけ話して消えた[鏡の精霊]ミラ。
腹立たしい程に整った顔に、虹色に輝く長い白髪を振り乱す若い男だ。若いと言っても、実際の年齢は見た目とはかけ離れているけどね。
「バレてるも何も、隠す気なんて鼻からなかったんじゃないかい? こんな濃密に精霊の気配をまき散らしてるっていうのに...」
さっきミラはまるで帰ったかのように姿を消したけれど、実際はずっとこの場にいたのだ。精霊の気配をずっと感じていたし、ミラ自身も隠す気がなかったように感じた。まるで「余計なことは言うなよ」と言外に示すかのように。
何についてかって? そんなの決まってる。あの首飾りについてだ。
『腕が鈍るのも仕方ないだろ? なんてったって、外に出られないんだから』
「ま、それもそうさね。...にしてもアンタ」
『分かってるよ。でも仕方なくないかい? 昨日今日の付き合いで完全に信用するなんて、さすがの僕でもできないよ』
ミラがマリに投げ渡したハート形の首飾り。「古い心の首飾り」という可愛らしい名前のそれからは、まるでアクセサリとは思えないような強大な力の波動を感じた。あれはまるで...
「...あの首飾り、悪魔だろう?」
『流石は悠久の魔女、ご名答。彼は元々悪魔だったものだよ』
悪魔だったもの...言い方に含みがあるねぇ。死んだ悪魔の残した魔銀を加工した物なら優しいもんだが、あたしはアレから悪魔そのものの存在を感じた。ミラが長年抱えていたからなのか、悪魔だけじゃなく精霊の気配もかなり混ざりこんでいたように思うけれど..."元々悪魔"というミラの言い方も気になるねぇ。
にしても、この優男も酷なことをする。可愛らしいアクセサリをプレゼントされたマリは少なからず喜んでいたと思うんだけど、まさかそれが自分に対する監視になっているだなんて。
「首飾りの形と言い、まるで飼い犬に付ける首輪みたいじゃないかい? 趣味が悪いねぇ...」
『彼女の善性を信じて僕も<鏡>の力を分け与えたわけだけど...やはり、かけられる保険はかけておくべきでしょ』
確かに精霊や悪魔の力はとても強い。かつて人間は、その力を自分勝手に振りかざそうとして世界の怒りを買ったことがある。その時代を生きていたミラが慎重になるのも納得できる。
『それに、君が弟子を取る理由の一つくらいにはなったんだろう?』
「確かにねぇ...」
もし彼女が力を振りかざすような性格であれば、つけられた首飾りが黙っちゃいない。それだけ強固な保険がかかっているのなら、あたしももう少し大胆に動いてもいいと思ったのは確かだ。丁度【魔女】として動かねばならない問題がいくつか溜まっているし、ついでに次世代の育成をしなければならない時期でもあった。タイミングとしてこれ以上ない。弟子なぞ取ったことがない故に、場当たり的に弟子にしてしまったのは申し訳ないがね。
にしても、まさか鏡のが首輪をつけるような真似をするとは...
「...いくらなんでもやりすぎじゃないのかい? まだまともに戦闘もしたことのないようなひよっこにあんなものを着けさせるなんて」
『そんなことはないと思うけど...それに、彼には"彼女が真に信用できると感じたのなら、自由に彼女を手助けしてあげてほしい"と言いくるめてあるからね。
彼女次第では、彼は大きな力になるはずだよ』
「精霊と悪魔...相容れない力を持った魔女が生まれる。なるほどねぇ...それが狙いってわけかい」
『あはは、喋りすぎてしまったかな? なんにせよ、これからが楽しみだ』
いままでに見たことがないような深い微笑みを浮かべたまま、ミラを映し出していた鏡が消えていった。気配も感じなくなったし、今度こそ本当に帰ったようだ。
面白い物好きの"放蕩精霊"とはよく言ったものだよ。そんな鏡のがこんなに楽しそうにするなんて、何千年ぶりかねぇ...?
にしても、あたしもこれから忙しくなりそうだ。日々の研鑽、店の管理、魔女の取りまとめに加えて、これからは弟子の育成も加わるんだ。とはいえ、あたしは長い間弟子を取っていないだけあって、人にものを教えるのが得意じゃない。さて...
「手始めに、教育係でも付けようかねぇ...」
出来ない事は出来る人に任せる。これも組織の上に立ちながら長生きする秘訣さね。